2013年6月21日金曜日

ブッダガヤのシータマ①

そろそろ、書こうではないですか。

私のブッダガヤにまつわる紀行を。

うーん。

書いちゃうのか・・・というのは、なんだかねえ、思い出すのもシンドイ旅だったような気がしないでも無いからだねえ。


ブッダガヤといえば、お釈迦様が悟られたということで超有名な聖地。読者の皆さんには既にお馴染みのアヌープ君の出身地なわけです。

「シ〜タ〜マ〜タジ〜、来て来て、絶対に絶対に来て、来て来て来て!」

というアヌープ君の熱烈なお誘いを受けて、キッチンボーイズの故郷ウッタラカシに行くのは来年に回し、取りましたともブッダガヤ行きのチケット。



4月1日(月)
朝。私は5ヶ月を過ごしたヴァルカラの仮アシュラムを畳んで、最後まで残ってくれたマー君親子、地元でお世話になったカオリちゃんに涙のお別れ。そしてお父さん(スワミG)との涙をそそる別れ。・・・といっても3日後にマンガロールで落ち合う約束なんだけどね、毎年シーズンの終わりにはジワーっと来ちゃうのよね。

ウェイティングリスト6番だった私のチケットも当日朝にコンファームされ、久々に列車の揺れに身をまかせ。この旅のことはまた後日書きましょうね。


とりあえず、ここではざあっとなぞることにしましょ。
「アイマン坊主」という髪型(すなわち坊主)が流行


4月2日(火)
早朝にアンボリ着!懐かしの面々に挨拶をし子供達と遊ぶ。一緒にお寺へご挨拶にいくと、ニキタなんか作法がしっかりしちゃって、お姉さんになった。




4月3日(水)
子供達を公園に連れて行ったり、宿題を代わりにやったり。深夜にマンガロール行きの列車に乗る。

ラジャンおじさんとアイマンにアシュラムからの日の出を見せる事ができた。


4月4日(木)
朝マンガロール着、スワミジと合流、車でシュリンゲーリへ。一日中走って夜はアシュラム建設予定地である農場へ。ゴパールジとラジャンジは外で寝る。私は一応小屋の中にヨガマットを敷いて。熱が有るらしく、深夜に数えきれないくらい、オシッコに起きる。
外の物置き場に寝るといって驚喜のゴパールジ。


4月5日(金)
早朝、スワミジと農園をまかされてるオジさんと、敷地内の森を見て回る。私は具合を悪くしているらしい。年に一回飲むか飲まないかのバファリンを飲んで再び車へ。頭が割れるように痛い。ラジャンジとお別れし、例のいつもの3人組(スワミジ、ゴパールジ、私)でお寺を巡る。午後マンガロールまで戻り、スワミジとお別れ。10日後にシンガポールで落ち合うのにまた寂しくなるアホな私。ムンバイ行きの列車に乗る。

初めて行ったジャイナ教の聖地。とにかく古い!



4月6日(土)
ウドゥピで降りる筈のゴパールジがムンバイまで来ちゃったので、ゴパールハウスに泊めてもらう。半年ぶりのご帰還なので、まず、二人で手分けして大掃除。これ、毎年の恒例行事。この日の夜にコルカタ行きの列車でブッダガヤに向かう筈なのだが、だいぶ早い段階から「すでに6時間遅れの出発」という情報・・・・。

掃除をしてスッキリのゴパールハウスその①


4月7日(日)
未明。ムンバイ駅。ああ、ゴパールジが一緒に来てくれていて本当に助かった。もし一人だったら、熱があるのに大荷物を抱えて駅で一晩眠れずに列車待ちをしているところだった。ああ、神よ、ゴパールジよ!

初めてインドに来たのは、たしか10年くらい前。カルカッタから北東インドを旅したが、電車が遅れまくるなあ、というのがその時の印象。しかし5年前くらいに再び訪れて(今度は西、南方面)から印象が変わった。列車があまり遅れない。列車が遅れない代わりに、大奮発して買った二泊三日の2AC車両に私が遅れて呆然とした。乗れませんでしたよ、勿論。お金もだいぶ損しました。(どういうアホだ、私は・・・)。


だから、このコルカタメイルという列車の出発が6時間遅れたのも、レアケースだろうって思ってたのですよ。

しかし・・・

そうは問屋が卸さないってことを、この時の私はまだ気付いていなかった。

なんとここまでで、乗った列車の数は4本。この一週間の内に何時間寝台の上にいたのか。少なくとも数十時間でしょう。走行距離は・・・あまり考えたく無い。

相変わらず、颯爽と去って行くゴパールジの背中を見つめながら、ブッダガヤへの旅が始まったのです。



サイドロウアー寝台も悪く無い!と思った私の寝床

(続く)