2011年4月30日土曜日

働きマン、ふたたび。

 
 今日から、スワミジ、ゴパールジ、私は立ち去る準備で大忙しです。三日後に我々はアンボリを発ちます。モンスーンが有名なここの雨季は、日に12回着替えなきゃいけないくらいの霧の毎日。全てをビニールでパックしないと、全て駄目になっちゃうんですって。既に外は夜霧が流れて美しい。梅雨の気配はそこまで来てます。


 片付けもそうだけど、実はパソコン周りで忙しい。ここを離れたら、私の周囲のネット環境は保障されてないので、コンピューターが必要な仕事は全て片付けておきたい。アシュワガンダの効いているのをいいことに、再び、ハイパー働きマンです。


 で、苦手なパソコン、しかもOffice Wordで一生懸命つくりました、秋のスワミジの来日のチラシ。みんなに見せたいけどHTMLへの変換がどうしても上手くいかず、破れかぶれで写真とってみました。とほほ・・・。





 来月には関西、関東を中心に配布してもらいますので。お手にされた方は、私の苦心の作を、どうぞ、愛でてやって下さい。手にされなかった方は、こちらのブログで逐次、情報更新していきますので、宜しくお願いします。



【最近の怒られネタ】

・髪を結わきなさい!ドゥロウパティだって(in マハーバーラタ)髪が災いして、云々・・・。
(投稿者:シータマ/アンボリ村)
 

 髪や髭を触った手で食べ物を触ったり、祭事の道具に触れたりするのは禁止なんですって。Pujaの時に髪触ったりしてたら何も供養出来ない。特に寺などでは、おろし髪はNG。私の場合だと、クラスを教えるときに髪をおろすのは厳しく禁止されてます。


「へえ、へえ、へえ・・・・10へえ。」

 先程も、来期に向けて金庫(・・・といっても百円均一で買った袋だけど)を片付けていたら、空にしないで1ルピーを入れて〆るとか(常にラクシュミーの恩恵への感謝を継続する意味)、額に塗るビブーティも、スワミジは3本だけど、出家してない人は1本だとか(3本は3グナを滅する意味、一般社会生活者はタマスだけ滅する意味で1本。サットヴァ、ラジャスは必要)とか、色々いいことを教えてくれます。

 黙っておけば、自分のワークショップの時に、さもありなん!と知ったかぶり出来るのだけど、スワミジが「だって、TTCの時にこんな細かいことまで逐一説明してられないでしょ。勉強ってのは、こうやって暮らしの中で教わることなんだよね。」と言っていたので、そんなレアな情報、ブログ読者のみんなにも教えたいじゃないですか。


 これがグルクラというやつの意味なんだね・・・。先生と一緒に暮らすことの意味が、お別れの迫る今頃になって身に染みて来た、遅まきながらのシータマでした。明日はスワミジと今期最後のおでかけです。

またね。

2011年4月28日木曜日

偉大な旅立ち




 下痢が、ついにとまりました、多分・・・。とはいえ疲労性の衰弱なので、何をやっても胸が苦しくなって肩で息をするような状態。1クラス教えるのが今の私の精一杯。教えるのって気力体力ともに、思いのほかパワーを使います。それでも仕事はある。仕方ないのでアシュヴァガンダという気の根っこの粉末を買ってきました。根っこなので朝鮮人参と匂いの似ている強壮薬です。でも朝鮮人参みたいに高くない。100g=60ルピーでした(インドの感覚でいうと、でも、だいぶ高価よね・・・)。苦くでまずい。でも、飲んでます。飲むと、身体がポカーっとあったかくなります。効いてるみたい。


「しーたまっ!早く早く。サイババの葬儀が始まったよ!」

 昨日、4月27日、午前9時、壁の向こうからスワミジの声に呼び出されました。

 私はスワミジと一緒に昼食を一時間半も遅らせて(いつもは9時半)全行程をテレビで葬儀を拝見しました。ほとんどのチャンネルで、番組を中断して生中継してましたから。


 スワミジ曰く、聖人の葬儀を見ることが出来るのはとても吉祥なことなんだよ、とのこと。現代ではテレビの生中継があるし、特に私の場合はスワミジが横でPujaの解説をしてくれるので重ねてラッキーでした。

 
 会場はとても広くきれいで、センターにババの入られる穴がすでに9フィート(?単位は忘れた)掘ってあります。1万人くらいは居ると思われる信者の方にあわせて、仏教のお坊さんや、スィク教、ムスリム、クリスチャンなど司祭の一団がそれぞれ固まって座っています。


 スワミジの解説をまとめると、9はババの誕生において特別な数字なので(ナヴァグラハ=9惑星の9かなだと思う)いろいろと9が出てくるとのこと。例えば27日の2+7=9。9時から開始。インド国内9箇所のKashiから集まったプリーストによって唱えられるマントラ。

 葬儀の開始直後は泣き崩れていた喪主のサッティヤジット氏(妹さんかお姉さんの息子さん)が気丈に、プリーストの指示に従って、ババの身体を清めていきます。7つの川から集められた砂や、聖水を用います。人間の罪を許すゴーマタ(牛のお母さん)と赤ちゃんも登場。

 7つの川というと、ガンジス、ヤムナ、ゴーダヴァリ、サラスヴァティ、ナルマダ、シンドゥ(インダス)、カーヴェリの7つの川なんでしょうけど、サラスヴァティ川というのが、確か地下に潜ってることになってる川じゃなかったかしら。それとも、どこかで地上に出てるのかしら。

 (なんだろう君の私は、今、新聞で確認たところ、7つの川という文字に対して、サラスワティ以外の川の名前が書いてあった。これは、ヴァラナシのガンガーとヤムナーの合流点でサラスヴァティも合流するという考えなので、ヴァラナシの水を持ってくると自動的にサラスヴァティの水もカウントされるということなのでしょう。)


 お清めが済むと、いったん、幕がおろされて、その間にババの肉体は、9フィートの穴の中に御安置されます。私とスワミジは血行回復の為に、その場で足踏み行進しながら待ってます。変な二人。やがで幕があき、要人の方がババのお体の上にビブーティを供養。背後にはルドラのマントラ。それが済むと、マンガラアーラティ。スワミジと私も立ち上がって時の声をあげ、10:48、アーラティが終了。10:50に再び幕が下りました。


 私のいるマハーラシュトラはシルディのサイババの出身地です。なので、この辺のお店や車にはシルディーババのステッカーが、くっついてます。テレビの大河ドラマにもなってるんですよ。サッテャサイババは、このシルディババの転生ということなんですね。サッテャババが大河ドラマになる日がくるんでしょうね。

「See(スワミジの口癖)、たった一人の姿が、これだけの多くの人々を導いくんだよ。」

 今回の葬儀で、私が思ったこと。横たわるババのお体を拝見していて、聖人のみならず、そこらへんにいる私のような普通の人間でも、体をもって生まれてくることの意味深さ。マクロにせよ、ミクロにせよ、あらゆるリレーションシップの中で、体無くして一体なにを為すことができるでしょう。もし、神という言葉があって、それは何か問われるのなら、全ての人間、全ての姿かたちは、神そのものでしか無いんじゃないか・・・と、なんとなく、そんな風なことを思っていました。


隣で足踏みをしてるスワミジがいいます。

「See,Sitama,Such a great departure!」

私は答える。

「Yes,Swamiji.」

2011年4月27日水曜日

愛しのバリガさん




 そろそろ、謎のスーパーカルマヨーギ、ゴパール・バリガ氏の話題に触れておかなければなるまい。スワミジと私とゴパールジは、12月20日にゴア州のマドガオン駅で集合してから、(私以外は)留守の夜などもあるけど、基本ずーっと一緒に住んでいます。もはや家族。



 ゴパールジは謎多き人物ですね。


 インドの慣習に従って、還暦を迎えた時に退職して聖典の勉強を始めたという一見普通のおじさんなのですがとてもミステリアス。誰かに助けを求められたら、絶対にNOと言わないスーパーアクセプターです。どんな頼まれごとにも嫌な顔ひとつしないで、いつも幸せそうにしている。お茶が好きでダージリンがお気に入りというと、おそらく、社会的にかなりの地位のあった人物と思って間違いないのですが、アシュラムで着てるTシャツと白パンツと、TTCで供給された変な手提げ袋という格好で、ボンベイに会議とかに行ったりしちゃう。


 部屋数が足りなくなった時から、僕はここでいいよー、といって風呂トイレ無しの倉庫に寝泊りしている。本来なら私が移らなきゃいけない場所なんですよ。彼の奉仕の精神は時に人を混乱させるほどですね。混乱するのは主に「そんな良い人間は世の中にいるはずないよ。」と思っている私のような一般人。

一見とても忘れっぽい。でも仕事は実は猛烈に出来る。料理も上手くてパパッと作る。病気の私のご飯、おかゆ、焼き飯、汁麺、すべて彼が作ってくれました。手に持ったものの重さを言い当てることが出来る。根に持たない、引きずらない。 ものすごくシンプルで、ものすごくチャーミングな人なんですよ。出会った人は好きにならずにいられないと思う。こんなにキレイな魂が世の中にはあったんだ!と。


 スワミジとのご縁はと聞くと、スワミジが下見に来た時に、ここのディレクターが忙しかった為、代理で案内した、とそれだけのことだそう。それだけのことで、まあ4ヶ月も家に帰れずにいるんですよ。私は「スワミジのもとに置いて下さい!」と弟子入り志願して来ているわけですからね。

 これからはどんどんゴパールジをフィーチャーしちゃう。必ずやお連れしますよ、日本に。みんな、楽しみに待ってて!そしてゴパールジに会いに来てね。


追伸:私の下痢は多分、明日止まると思います。

2011年4月25日月曜日

「業務連絡」と「治療家列伝」

九州のながたまゆみさん。ご質問いただいてる件で何度かお返事を差上げたのですが、頂いている携帯アドレスがこちらのメールを受け付けてくれません。セキュリティーの再設定をしていただくか、パソコンのアドレスを教えていただけますか??

以上、業務連絡でした。


 下痢になる二週間ほど前から、腰・・・ちょうど仙骨と腰椎の境目くらいがズドーンと重くなって痛み(といっても怪我のような明確な痛みでなんとも説明しがたい感じ・・・)があって、そのうち治るかなーと思っていても治らない。さらに、腕の内側に例の白癬菌と思われる湿疹が出来はじめて、あー、免疫がぁ~、これは何かまずいなー、負けちゃってるなーと思ったわけです。私一人じゃ勝てないから人手を借りたい。で、謎のスーパーカルマヨーギ、ゴパールジの仲良しのクリシュナスワミに電話をかけて貰ったんですね。

ツボを用いた治療家であるスワミジが、なぜか

「ワンミニット!コップに水入れてじっと見てて。」

と言うので、そのようにして、


「ゆっくり飲んで。」

と言うので、またそのようにしたら、瞬間、腰の鈍い圧迫が緩んだんですよね、痛みが消えた訳ではないんだけど。しかし、緩んだと思ったら、それからです、身体がドヨーンと重くなって、翌日ドロドロするな~と思ってたら、更に翌朝、お腹の中に不穏な気配。でお腹のスーパーエクスプレス。下痢のみならず、おしっこも頻繁になってしまった。


 吐き気もあるので、以前過労の際にわずらった盲腸だとまずいし、とにかく、仕事のことを考えず、部屋で寝たり起きたりしてたんだけど、食べると出ちゃうから、今日には、もうふらふら、お腹も減って減って・・・。


 そんな時です。山の上のジャングルにアーユルヴェーダの極秘仙人がいるから会いたいか?との情報が入ってきたのは。会わないでか!ということで向かったのですが、ジャングルといっても潅木の茂みなので、脱水症状の私には日差しがきつい。諦めて座り込んでいたら、ワーカーのヴァサンが一人で行って来てくれました。

 運悪く、仙人は、病院に来てる患者の要請で男達に担がれて山を下りているらしい。ああ、登りきらないで良かった・・・。私は正直ぐったりでベッドに帰りたかったんだけど、インド人たちは虎を追ってるみたいだね、と車でアンボリ中聞き込み開始。私には「水曜スペシャル 川口浩探検隊」みたいでした。(ふるっ!)


 必死の捜索むなしく帰宅して、ちょうど寝巻きに着替えたところに、「仙人発見」の情報が飛び込んできた。早速、車に乗せてもらって会いに行きましたとも。まさに水曜スペシャル。虎はアニルのお姉さん夫婦の家に捕獲?されていました。さすがそこらじゅうに網を張っただけのことはあった。


 処方を貰いたかったのだけど、仙人はまず、小屋に帰ってバガヴァーン(神様)にPUJA(お祈り)してからじゃないと処方は出せないのだそう。「君これないなら明日、ヴァサンをよこしなさい、二人でPUJAしてから処方するよ。名前はSitaだね」・・・ということに相成りました。脈診と舌、目だけ診て貰ったけど、健康体だね、とのこと。


 写真は、下痢で頭がボサボサになって、顔も薄くなってしまった私(下痢のせいではないって?)。頼れる仙人に超安心顔ですね。多分、バス停かどこかで会っているんだと思うんだけど、私はこのお爺さんのことをもう知っていて、とっても好きだと思いました。84歳。




 さて、下痢も落ち着きつつある今、私は気づいたのです。腰の痛みが下痢するほどに消えている、と。日本ではデイリーメンテナンスが追いつかない緊急の時には、私は千葉の気功の先生に助けていただいてるのですが、そういえば、先生のところに行くと、その夜から凄い下痢になるのだった。

 クリシュナスワミといい、ジュギャママといい、気功の先生といい、いったい何をしてくれてるんでしょうね。実際に浄化のアクションを起こしているのは私の体自身なのは間違いないんだけど、彼らは、人の体の治癒系を促すことが出来るシークレットを握っているらしい。その鍵を私も持ちたいと、とちょっぴり思ってしまいました。明日は元気になります。

2011年4月24日日曜日

4月24日(日)



 こちらの時間で今朝ほど7時40時、タミルナードゥのプッタパルティで、インドの霊的指導者であり偉大なる奉仕者であったサティアサイババ師が、お亡くなりになりました。インド全体、とくに今私のいるスワミジ界隈というか、そういう場所では、当然ながらその話題が出てきます。といってもスワミジ達はまあ落ち着いていて「彼が肉体を離れたよ」という。静かな世界だなーと思いました。

 今年は(重ね重ね同じことを言うようですが)津波もそうですけど、大きな変革の年なのかも知れませんね。というより変革していかなきゃいけない年・・・というのかな。


 我がアシュラムでは、私の下痢以外は、まあ平和にやっています、と言いたいとこですが、昨夜の瞑想中に不思議事件発生。ドアにぶら下がっている鍵がチリンチリンと揺れてドアが軋み、パタパタと小さなステップが入室してきたと思ったら、ふと消えた。私はニキタ(6歳)かと思ったんですね。瞑想中に邪魔したら叱らなきゃいけないので、目を開けて振り向いたけど誰もいない。で、「へー。そういうこともあらあね。」で終了。しかし、その足音はベナイザ(32歳プネ出身)の背後をかすめていったため、彼女は震え上がっちゃったのね。で怖くて眠れなくなって、夜中に「泊めて!」と私の部屋にやってきた。

 「バガヴァーンだ、バガヴァーンだ!」といって今朝はその話題で持ちきりですよ。ニキタも大人が話してるのを聞いて「ひっひっひー。バガヴァーンが夜天井から降りてくるよー。」とか言ってベナイザを脅かして遊んでます。女の子なのに悪ガキでホント困っちゃう。ベナイザは「なんで怖くないの?」って聞くけど、あーた、インドの幽霊なんて、日本の幽霊に比べたら、まーったく怖くありません、イメージ的に。日本人てのは集中力が高いというか、根に持つとさらに執念としてパワーを発揮するというか、亡くなってもなおその能力は健在してる気がするんだけど。皆さんどう思います?インド人はケロッとしてるからね。泣いたカラスがもう笑ったってインド人のことですよ。


 興味深いのはインド人たちが幽霊のことを「お化け=化け物」って呼ばないこと。バガヴァーン・・・神聖なる存在というか、そのように呼ぶ。昨日の足音も、本当に可愛い可愛い足音でした。生活のなかの愛しい思い出のひとコマ。


インド人を日本のお化け屋敷に連れて行ったらどうなっちゃうんだろう?



またね。

2011年4月21日木曜日

カラスの話



 ついに、ラジャネーシュがウッタラカシに帰ってしまいました。親戚の結婚式があるので、二週間はやく。ラジャネーシュはホントいい子で、まさにハヌマーンのように(彼のイシュタデーヴァタはハヌマーン)、毎日のローカルクラスはじめ、いつも付き添って支えてくれてました。私の語る「かぐや姫」とか「桃太郎」とか、嬉しそうに聞いたりして、まさに可愛い弟そのもの。彼の立ち去る後姿を見送って、一瞬涙ぐんじゃいましたね。で、これが愛着ってやつなのかなあ、と思ってみたりする。ただねー、この悲しい感じっていうのはね、どっか甘いのね。人間ていうのは、悲しみや苦しみの快楽を享受したがるたちがあるんじゃないかな~と思った私でした。


「カラスの話」


 昔、村はずれの庵に、一人の男が住んでいました。家族をもたず、炊事も洗濯も、すべて自分で行っていたのでした。

 ある日、男が、ご飯の食べ残しを捨てようと外に出ると、一羽のカラスが物欲しそうにこちらを見ています。男が残りご飯を撒いて、遠巻きに見守っていると、カラス、警戒しながらも近づいてきて、ご飯をつつき始めるではないですか。「ほほう。」男は少し楽しい気分になったので、あくる日も、またあくる日も、ご飯をあげ続けました。カラスは少しずつ男になつき、男はなんだかとても嬉しいような気持ちになりました。

 一羽だったカラスは、二羽となり、三羽となり、やがては百ものカラスが男のもとを訪れるようになりましたので、カラスのための余分の食事をこしらえるのが男の日課となりました。もはやカラスも男のことを怖がりません。男の頭に、肩に、腕に止まって、遊びます。男は退屈で孤独な一人暮らしから一転、親愛と幸せに満ちた毎日を過ごすようになったのでした。


 ところが、ある日ことです。いつものように山盛りのご飯を持って庭に出ると、百のカラスが一羽も見当たりません。男は不安になって叫びました。「おーい、カラスやーい、ご飯だよー!どこへ行ったんだーい!」しかし、次の日も、また次の日も、呼べども呼べども、カラスは現れません。男はすっかり落胆し、悲しみにくれる毎日。「おーい、カラスやーい、戻ってきておくれー・・・。」

 初めて味わう、深い悲しみに胸が苦しくなって、いても立ってもいられなくなった男は、森に住むグルのもとに走りました。「おお、いったいどうしたんだね。そんなに泣いていちゃわからんよ。何があったか話してごらんなさい。」

 全ての話を聞き終えたグルに、男は一体どうしたらこの苦しみを解決できるのか、と訪ねます。「ほうほう、なるほど。」グルは少し考えてから、こう言いました。「そもそも、いつか必ず飛びさってしまうと分かっているものに愛着したら駄目だってことだな。」

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 さてさて、飛び去ってしまうものとは何か。全てのエクスターナルオブジェクトってことですよね。森羅万象の全てです。この身体も、恋人も、アイスクリームも、家族も、会社だって、全ての生まれあるものには終わりがあるということ。この話は、家族や恋人を愛するなとか、浮世離れしろ、とか言ってるんじゃないんですよね。カラスは飛び去るものだってことを知っておきなさいよ、と言ってるんです。そもそも、そんなことは最初から判ってる当たり前のことなんだから。

 それらは確かにわれわれに喜びをもたらしてくれるけれど、そこに間違ったアイデアを持って執着することが、全ての苦しみの源だと、ヨーガは言うんですね。お金への執着というのは、この肉体への執着つまり死への恐怖の別の形だ、と、ある日本の古い思想家の人が言っていましたけど、まさにそういうことでしょう。

 

 こうなると「愛」と「愛着」の違いを見分けるのは簡単だね。断絶の苦しみをもたらすか否かってこと。たぶん、全ての行為は、愛であるべきなのでしょう。愛とは、つまり「ふつう」なんだと思います。どんなときでも「ふつう」状態。簡単なことではないけどね。あなたの行為が、愛であるなら、その行為の中において、どんな不平不満もあなたを苦しめることは出来ないでしょう。


ラジャネーシュ、またね。

2011年4月20日水曜日

アンボリ日記


 
 見て、この田んぼの緑。私が日本で一番好きな風景は、初夏の早稲田の若草色が一面に広がる関東平野なんだよね。こういう風景にカカシが突っ立ってるのを見ると、無骨な私も少しノスタルジックになる。


 ところで、日記文学、的なものが好きなんですね。「奥の細道」とか「方丈記」とか、昔のもそうだけど、近代ですと武田百合子(武田泰淳の奥さん)の「富士日記」とか、いいですね、徒然、淡々と。



4月16日(土)
 なんだかんだいっても苦手な英語で日常を乗りこなしている。我ながら頑張っていると思う。英語といえば高校の英文法のコグレ先生のことを思い出してしまう。この4ヶ月に何度彼のことを思い出したか!予習をしてこなかった罰として、私は毎回、授業の間、机の上に正座させられていた。おかげで、だいぶ英語様を嫌いになったけど、長時間座ることが苦でないのはコグレ先生の恩恵に他ならない。EVERYTHING IS GOODとはこのことか?何がどう転ぶかわからんね。


4月17日(日)
 ふとインターネットで、誰かブログに行き着いた。大きなヨガイベントのレポートだったんだけど、知ってる人の写真が沢山出てきたので、懐かしく眺めていた。・・・が、とても華やかな世界で、自分のいる環境とはあまりにもかけ離れているため、浦島太郎になったような気分。例えるなら、別次元の芸能界ってとこか。でも日本ではこれがヨガのメインストリームなんでしょうね。いろんな役割があって、それぞれが自分の持ち場をこなすことで、人は支えあって社会が出来るんだね。今の私の役割は、インド人はじめ、各国の人をヨーガを通して教育すること。


4月18日(月)
 今日は一日電気が止まって、部屋でお湯が沸かせない。うっかりしてた、月曜日は計画停電だった!曜日の感覚がなくなっている。暑さのせいか、水道水が微かに沼っぽいので、生水はちょっとな・・・と思い水を汲みに行ったら、電気無いから浄水ないよ、とのこと。がっくり。今日はハヌマーンジャヤンティ。ローカルクラスで「今日は何か特別なことある?」と聞くと「Hanuman Jayanti」と返ってくるので、それを受けてアンジャネヤアーサナをやる。ポーズ完成時に「スィーテー!(Sitaの変格活用形、呼びかけ。)」とやると会場大うけ。前振りから何から、計算済みなんだけど。YOGAJAYAのクラスが懐かしい。いつもこうして笑いの絶えないクラスだった。たかしさんとか、みっちゃんとか、元気かな。しかし、何処にいても、やってることは大して変わっとらん。

 夕方Rama寺にお参りに行く。町中のおばちゃん連と子供達が、今や私を知っているので、道中とても賑やかだが、私は、本当は黙って一人でひっそりしてるのが一番好き。これらの社交を行うのには実は大変なエネルギーを要する。でも、こうして私たちの活動を知ってもらって、受け入れてもらうことが出来る訳だから、少しはスワミジのお役にたってるかな、と思って頑張ってる。


4月19日(火)
 ここでは、全てがシンプル。ノーストレス。勿論、フィジカルなストレスはあるんだけど、それで惨めな気分になったりすることもないので問題無い。結局、ストレスの極みというのは、リレーションシップの中のストレスなんだろうな。それが此処には無いんだね。スワミジもゴパールジも、ものすごく視界がクリアな人なので、価値観の混乱が無い。ありがたいことだと思う。リレーションシップの中に不調和があるとしたら、私はそのリレーションシップを放棄していいのか、それとも我慢して妥協点を見つけていくべきなのか、ちょっとわからない。明日スワミジに聞いてみよう。

 夜のサットサンガでまたスワミジはいい話をしてくれた。カラスに餌をあげる人の話。スワミジはとても「お話」上手。アホな胡瓜の話も、大海の攪拌の話も、全ては良きことの大臣の話も、みんな面白かった。贅沢だなー。今日も幸せだ。スワミジのシャツは今日も裂けていて、ちょっと面白い。

 ここ数日「懐かしさ」みたいな感情をちょっと楽しんでる節があるけど、この情緒、嫌いじゃないね。ふるさとは遠きにありて思うもの・・・ってやつ?でも、帰るところにあるまじや・・・って本当?

2011年4月17日日曜日

つれづれ日記

★スワミジのシャツが日に日にズタボロになっていくので(ちょっと面白いと思いつつ)不思議に思っていたのだけど、夜毎、ネズミが齧って破っちゃうらしい。やっぱちょっと面白いんですけど・・・。本人全く気にしていない様子なのもまた面白い。スワミジという言葉は、文字通り訳すと、自分自身の本質を知る人、という意味、即ちOne who is happy with himself 自分自身でいることで完全に幸せな人ってことだから、シャツはどうでもいいんですかね、きっと。縫いましょうか?ってなかなか言い出せない。

★震災のたび防災グッズについて考えさせられるが、ソーラーランタンのミニ版などあったらいいと思う。私のヘッドライトは単四電池3本のLEDだが、単四というのは町にいかねば手に入らぬ(アルカリなんてもってのほか)。いつも大量の電池を持ち込む為、今回も空港で止められた。ここじゃ懐中電灯無しでは生きられないから、大人はみんな持ってるし、インドの携帯電話にはライトが必ずついている。ソーラートーチミニを是非。

★Sonali、見たことある顔だなーと思っていたが、やっとわかった。



こちらの方に似てらっしゃる。


Sonaliが男前なのかSatoriが女顔なのかわからん。実物は親戚ですかってくらい似てる。Sonaliのおばさんはムンバイでビューティーパーラーをやっているらしい。ちなみにSonaliはAnilの親戚。

2011年4月15日金曜日

きんきょうほうこく写真館

 みなさん、お元気ですか?此処へきて4ヶ月になりますが、私とスワミジとゴパールジ(スーパーカルマヨーギの謎のおじさん)は初めて生徒のいない3日間を謳歌しています。私はローカルクラスがあるので、一応オンデューティーですが、それでもだいぶ気が楽です。時に自分の身体のタイミングで暮らすことは、健康バランスを調整に必須ですね。ずっと気にしていたスワミジの血圧も下がりましたもん。この時間を利用して、我々は、いつも沢山ヘルプしてくれてる管理人さん一家を労う会をやったりしてます。


ローカルクラスもつつがなく。ラッキーなことに、私は異様にローカルうけが良い。沢山の奥さん達が集まってくれる。麓の商店街の人口200人のうち15%が毎日来てくれます。



生徒さんたちがお花のガーランドをプレゼントしてくれるので、毎夕、私の髪はDeviさながらに飾られます。いつもモサモサにしてるので、ちゃんと髪の毛梳かさないとだめよ、というメッセージか?



これは生徒のソナリが猛烈なスピードかつフリーハンドで施してくれたメヘンディ。すごすぎ。



そのソナリはこちら。猫5匹と犬を2匹かっている動物好き。



子犬のトフィー君です。お手が得意。牛の糞で清められた土間。つつましく好感の持てる暮らしぶり。



これこれ、これが労いのおでかけ会。小さな湖の魚にワダッパヴというコロッケバーガーをおすそ分けしてます。



池のボートにみんなで乗りました。子供達には初めての経験でドキドキ。右はタクシードライバーのアニルです。最近髭を生やし始めた。



この人、結構イケメンなのに、本人は気づいてないようで。田代まさしのような顔になっちゃってるんですけど~。ボケーッとしてますね-。



ボートのあとは公園タイム。日頃アシュラムで退屈している子供へのプレゼント。ビビッてすべり台の途中でとまっちゃった。照れるニキル。



管理人さんは、いつも、ここのディレクターに凄い勢いで扱き使われてて、ちょっと気の毒に思えることもあったんだけど、スワミジのすごいとこは、縁の下の力持ちへの感謝の気持ちを忘れないことだな。インド人のスタッフ達に愛され尊敬されているのも判るな。スワミジありがとう!

2011年4月14日木曜日

Kさんへの手紙





Namah Sivaya
Kさん

(またまた勝手に、Kさんへのお便りを掲載してごめんなさい。)


お元気ですか?
私は元気です。

日本は大変なことになりました。
まだまだ大変な時期だと思いますが
Kさんは大丈夫ですか?

ショックだったけど、いつまでも撃沈しても仕方ないので
いつもどおり元気にやるしかないなーと思って
相変わらずな毎日を送っています。

地震もそうですが原発の件は心配です。
私も帰国のタイミングをいつにすべきか検討がつかないまま
とりあえず6月23日の羽田行きのチケットをキープしています。
宿無しですしね、こんなときに仕事を積極的に探していけるものか
自分でも疑問ですし、東京でサヴァイブできるか。
多分、タダ働きとかしたくなっちゃうんだと思うんですよね。

9月にスワミジをお呼びする予定がありまして
地震の後ですし中止すべきがと迷ったのですが
こんなときにこそ、ある種の知識が必要かと思い
何事もなければ決行するつもりで準備しています。

日本は戦後、急激に物質世界への信仰に傾倒していきましたが
ここ数年の勢いは特に激しかったった気がします。
お金や物を沢山所有した人が勝ちというような考えが
はびこってきましたものね。
お金や物など、有限のものを所有するということは
どこかでそれを失っている人がいるということです。
他者からそれを奪っているということ。
それを「勝ち組」などといってひけらかすような振る舞いは
(これは、私の個人的な意見ですが)とても下品だと思います。

今回の津波で、信じていた物質世界が、
あっけなく消えていくのを見て
多くの人が絶望を感じていることと思います。
またお金のある人は「勝ち組だから」といってどこかに逃げて
未だ愚かな物質信仰に邁進しているのでしょうね。
どちらも間違ったエデュケーションゆえの
間違ったアイデアではないでしょうか。
真の「価値」とは何なのか、人は知る義務があると私は思います。

とはいえ、

私では力及ばずといったところなので、ここは師匠にお願いしたい。
ほんの小さな集まりでもいいんですよ。
たった一人の人間が幸せであれば、その家族が幸せです。
そういう風にしか、波紋は広がらないんだし。
たった一人の幸せな人も、いつかは亡くなって消えていきますが
徒労だ、と言って何もしないのは、やっぱり愚かな気がします。
それでも伝え続けていくのが、
私たちの先生と呼ばれる者の仕事なのかも知れませんね。
同時に、自分が幸せであり続けることも。


私は、Kさんの正直と、いつも若々しい新鮮なお気持ちと、
勇気のあるお姿から、沢山のことを教わりました。
多分私だけじゃないはず。
ずーっと、そのままでいて下さいね。

あー、Kさんをスワミジに会わせたいなー。


人生の大先輩へ



由美子より

2011年4月12日火曜日

Light



 「禅は修行者に「凡の非凡を経験せよ」と説き、習慣化した知覚のフィルターをはずして、奇跡ともいえる日常経験の本然性を見ろとせまる。瞑想の初心者はしばしば、到達すべき目標が異常な意識状態の経験にあると思いこむ。体外離脱体験・幻視・こころの耳で聴く天体の音楽・超能力などなどである。そのような経験は霊性の開発とは無縁であり、瞑想中にそれらが起こっても無視せよ、と禅の師家は教える。師家は修行者に、ただ座って、たとえば息の出入りのような、存在のもっと日常的な側面に注意を向けつづけよと教えるのである。

 われわれは人体に備わった治癒系の不断の活動について、それに感謝するどころか、ほとんど気がついてさえもいない。潜在的にわれわれに病気やけがをもたらしうる外的因子のすべて、内外の環境のたえざる変化のすべてを考えるとき、われわれがこうして生きていること自体が奇跡なのだ。(中略)夜に日をついでいけることは奇跡の名に恥じるものではない。

 われわれがほぼ通常の健康を享受している日々そのものが、治癒系の活動を立証しているのだ。そのはかり知れない価値は、病気を軽減させる能力にではなく、むしろ、日常生活の変転をかいくぐって健康を維持する能力のほうにある。凡に非凡を認める、真の機会がそこにある。」

「癒す心、治る力(アンドルー・ワイル著)」



 我々がここアンボリにいられるのもあと二週間。ここを出たらブログはめったに更新できなくなるので、なんとなく、いま頑張って書いてます。自分は実はスーパーシリアス&こむずかし人間のため、あまり小難しいことばかり書いていて、人に煙たがられるといけない。でも、たまには煙を出したい。


 アンドルー博士の言うことは、とても正しいと思いませんか。でもこの肉体が、細胞がこんなに精一杯生きてるのに心が逡巡していては勿体無いよね。存在とはまさに、高度な知識であり、輝きそのものであると、実感します。以前Yoginiサイトにも書きましたけど、「天真」とは生まれつきの素直な心そのまま、「爛漫」は自然のままに輝き現れる姿のこととをいう。補足するなら、それは、あらがいのない姿。完全なる調和すなわち受容の姿といえると思います。そうでなければこの生を全うできない=悔いなく死ねない。いつかかならず、私は死ぬのです。死はこの先いつかではなく、間違いなく今ここにある。私は生であり死である。「おまえはもう死んでいる」というケンシロウ(北斗の拳、知ってる?)の決め台詞はある意味、ものすごく正しい。多分、インド人の諦念と爛漫さは、その受容から来ているんだと思うんですよ。


 遅くても早くても文句は言うまい。そういう風に生きたい。そういう風に生きれてるな、って今は思えるけど・・・。まっとうしたいな。輝きであることを忘れないでいたい。

 今日はSri Rama Navami。本日正午がラーマの誕生日です。

初雨

 
 ここに来てから112日目の昨日、なんと!雨が降りました。2、3日暑かったので上昇気流による一時的な雨なんだけど、すごかった。夕立でこれなら雨季はどうなっちゃうのって感じでした。ちなみにここアンボリの雨季(7月くらい)はインドで二番目の雨量で有名なんだよ。


 喉の痛みに始まった私の不調ですが、不調箇所がだんだんと下に下りてきて、今は気管支あたり。熱を出して一気に楽になりたいのに熱が出ないので辛かった。身体にふんばり癖がついちゃって(仕事があるのにやる人が居ない為ですね) 。でも熱の代わりといってはなんですが、咳が出るようになったら、少し楽になったので、夕方のローカルクラスだけ復活しました。さもなくば、生徒が部屋に押しかけて来ちゃうし、無理してでも顔出しといたほうがいいな~と。


 このローカル向けのクラスはですね、最初、英語がわかるドクター家族が細々と来てたんですよ。しかし、クリケットのファイナルマッチを境に来なくなったなー、と思っていたら、5日前くらいかな?村の普通のおばちゃんたちが9人来た。そして日に日に膨れ上がり、今日は32人ですよ。50Mくらいの商店街が全てのアンボリに一体何が起こっているんだ!マットが足りない。そのうちの一部の人と集合写真。↓




 当然ながら、おばちゃん達は英語が判らない。マハーラシュトラの言語はマラーティだけど、こっちは誰もマラーティ判らないし、間をとって苦し紛れのヒンディですよ。コックのラジャネーシュに通訳お願いしてます。

 ヨガの先生を目指すそこのあなた。私たちの肉体は三次元の世界にあるので、自国語にしても①前、②後、③左、④右、⑤上、⑥下の6方向を自分の中で明確にしておく必要がありますね。逆に言えば、それさえ押さえておけば何とかなる!

「サハースロ~、ウッパルデーコ~、サハースチョロ~、ニーチェデーコ~」と間抜けな声を出していると、「私、こんなとこでいったい何やってんだろ・・・」とものすごーく不思議な気分になります・・・がありがたいことだよね。タイでは伝統技能を守るために、タイマッサージなどを外国人が教えることは禁止されてるんですって。日本人の私がこうして、インドにヨーガで恩返しさせて貰えるんだからね。その為に来てるんだし。




 ちなみに、先日生徒のソナリ(13年生)に「Sitamaはネパール語と英語だけ?」と聞かれましたが、インドではよくネパール人に間違えられますね。最寄の町のサワントワディでは、マニプーリ(インドのマニプール州)、マラヤ(マレーシア人 It's new!)、などと言われる。が、しかしですよ、今日新しい国籍得ました。ジャジャーン!

「先生はイタリアから来たんですか?」

って、どーしてーっ!?

 そうそう、私、このクラスでは、けっこう笑いをとる先生なのよ。平成の毒蝮三太夫と呼んでおくんなまし。笑いに国境はないってこと。


またね。

Sita

2011年4月10日日曜日

「化け物使い」

・・・という落語がありまして、昨夜は談志師匠のそれを聞いてニヤニヤしながら寝ました。とっても人使いの荒いご隠居が、使用人に「あっしも方々に奉公しましたが、あんた程人使いの荒い人は無い!」といって出て行かれてしまい、家に住み着いているお化けをこき使うという話。最後にお化けも「あっしも方々に化けて出ましたが、旦那くらい化け物使いが荒い方は無い、お暇をいただきとうございます。」と泣いてしまいます。

 なんで、これを聞いて笑っていたかというと、シーターマ、ついに病の床に伏す、という事態が発生しておりまして、疲れですよね、三ヶ月分の、主に気疲れ。コミュニケーション過多というやつですね。これが最もエネルギーを消耗する。ここ2日間5時に目が覚めず、覚めないという事は身体の訴求であり、もうこれは仕方ないなと。で、うちのご隠居のことを思い出しては笑っていたのですね。

「あーシータマ、此処のこの工事のゴミね、これ明日全部拾ってあっちに持って行きなさい。あとね、メーリングリスト作るのね。フォーマットはこないだ使ったあれでいいよ。あ、それと、ライブラリーのリスト印刷してね、在庫もちゃんとチェックするんだよ。なにも全部自分でやることないんだからね、生徒にやらせなさいよ。え、ライブラリーもうやっちゃったの?誰が?え、自分でやった?何でみんなにやらせないの?え?」

 嫌がる西洋人を納得させ、一から十まで説明して実行させるまでの労力を考えたら、自分でやったほうが遥かに早いんですよー!とは敢えて言いませんけどね。日本の方の多くの面でのクオリティーの高さには本当頭が下がります。


一昨日から気管支炎の徴候が出て、部屋にいるんだけど、30分おきに誰かが部屋をノックするので、休むに休めない。全然良くならない。で、Don't disturb の紙を作ってドアにぶら下げたんだけど、西洋人の方にはこれでOK、さすがです。

 し・か・し、インド人相手には Doesn't work at all ですがな。英語が読めたとしても全く意味を為さない。私が起きるまでがんがんノックして、で何かと思えば「電話かして。」カチーン!(おさえて、おさえて) 「Please understand.I'm not well!」と言ってみたところで、効果ないのよねー。






 ベッドに入って寝ようとしていると、ほら、またノックが。え?スワミジからの伝言?ホールにプロジェクターセットして生徒に映画見せてって?だーかーらー、病気だって言ってるじゃないですか~。忘れちゃったのね。Sitamaできませんよ。やりません。

おやすみなさーい。

2011年4月6日水曜日

祝・優勝、インディア!

 先日、ワールドカップの決勝戦がありまして・・・といっても、サッカーではなくてクリケットなんですが、インド対スリランカ、競合同士のマッチとなりました。

 ルールは野球の親分みたいな感じで、一試合がやたら長い。ワールドカップだと通常より短いらしいのだけど、それでも10時間ちかくやっている。


 なので、2時半に始まったこの試合が終わる時間は、夜半、ということになるわけです。で、この晩は、布団に入ったものの、麓からひっきりなしに歓声が聞こえて、眠るどころじゃなかった。アナウンサーの実況も高らかに、学校ではマーチングチームがドラムをどんどこ叩いてるし、ウワーッとくるたび、「あ、インドが一点入れたな」とかいろいろ考えちゃって。

 でもね、テレビ観戦に、ドラム叩いて応援するか?と不思議に思いつつも、この大騒音に全然嫌な気分はしなかったんだな。うまく説明出来ないんだけど、とても幸せな気持ちで思いをめぐらせてました。


 学校でドラムが鳴っているということは、生徒が起きているということだな。バスの中で知り合った先生達も、みんなテレビの前で盛り上がってるんだな。アニルも、アニルと彼女の結婚にまだ許可を出していない彼女のお父さんも、テイラーのヴィーナマダムもご家族も、どこもかしこも、一軒残らずテレビを見てドキドキしている。テレビの買えない家は、お金のあるお家に集まって、お金のある家は、テレビを皆に公開して。村中全員が楽しそうで、笑ってて、なんかこういうの、いいな。彼らは、私の胸をとてもとても温かくしてくれました。


 昔は、力道山の試合の時は、テレビのある家に寄ってたかって、プロレスをみたものだ、とか聞くけど、日本も昔はおんなじだったんだね。物質的には、決して恵まれた時代ではなかった筈だけど、でもとても豊かだったんだな、と思いました。


 結局、寝るのは諦めて、ベランダに出たんだよね。そしたら花火が上がって、大歓声が起こり、インドが勝ったことを知りました。ここから見下ろせる程ささやかな花火は、真っ暗な闇に単色の光を散りばめ、その素朴さが、とても美しかった。


 老いも若きも、富める者も貧しい者も、それぞれの苦しみを今夜は手放し、一丸となって喜び合っている。水は止まるけど、電気は高価だけど、道に寝泊りする人も沢山いるけれども、インドは、まだ、とても豊かだな、と思いました。同時に、外の国の人間には、ちょっと理解しきれない不思議な国だなと。

 彼らは屈託しない。引きずらない。悪く言えば、すぐ忘れる、責任感がない。むっとしたかと思えば、次の瞬間に笑っている=意味がわからない。とはいえ、インド人に嫌な目に遭わされた、という記憶はひとつもないんですけどね。インド人の人にはとても大事にして貰えてありがたいです。それにしても、彼らの、ある種の諦念みたいなものは、いったいどこから来るのか。偉大すぎる。


「明日は明日の風が吹く。泣くのは嫌だ、笑っちゃおう。」


私がインドに教わった最大のことは、まさにここにあり、といったところ。


ありがとう、インド。おめでとう、インド。
ずっとそのままでいて欲しいな。インド、フォーエヴァー!



しがない日本人より

2011年4月2日土曜日

そもそも・・・・





いったいどういうことで私がスワミジに怒られてるかってことなんですよね。


(ゴパールジに立て替えていただいた経費を渡す場面)

スワミジ「あっっ!こら!バカもん(とは言わないけど、日本語でニュアンスを出すために投入してみましたバカという言葉)!」

「ええっ?なんかまずかったですか?」

スワミジ「人に物を渡すのに左手で渡すなんてあるかっ!」

「ひえー、すんませーん!」



で今日

(ダヤに経費の5000ルピーを渡す場面で)


スワミジ「あっっ!こら!なにやってんだバカもん!」


「へっ?ちゃんと右手で渡しましたよ。」


スワミジ「敷居越しに渡すやつがあるか!(インドの神話に基づいてNGなのだそうです)」



昨日
(スワミジのケララ土産のヒヨコ豆スイーツを開ける場面)


スワミジ「ああっっ!こら、何やってんだ、バカもん!歯で袋を開けるやつがあるか!一体全体、何年もアシュラムにいるくせに何てことだ!」

「いや、開かなかったもんで、すんません!」


 大抵の場合は、実にくだらないことで怒られまくっています。お父さんですね。ほんと。「やばっ!」と察知した時は、走って逃げることもあります。でもスワミジ、私、基本的にはアシュラムに居ないんですけどぉ・・・。今回は異例。いつもはコースのアシスタントに行ってるだけですよ・・・・。



そういえば前にもこんなことがあったっけ。

(マニとシヴァカミが喧々諤々論議している場面。割って入って治めようとする私。)

「まあまあ、二人とも落ち着いて。まず私の英語がまずいから上手に言えないかもしれないけど、私の意見はね・・・」

マニ「なんだって!英語がどうしたっていうんだっ!この何年もの間、僕らの間で、英語が問題になったことがあったか!」

「あ、ないです。ごめんごめん。(ていうか、マニ、私、あなたと出会ってからまだ一年たってないんですけどぉ~?!)」



 この一連のやり取りから想像される私の前世。マニとスワミジと一緒に長年アシュラムに居た・・・と。それはそれで面白いので良し。写真は父と娘ざんす。妹のTulasiはいい子なので、あんまり怒られません。



追記

インドに持ってくると便利なもの。

石鹸大のタッパー。もちろん石鹸入れに使います。これは長かった銭湯時代からのアイデアなのよね。石鹸箱は水はけ用の穴が開いてるから移動に適しません。


またね。