2019年11月3日日曜日

ガンダーラ



いやー、すみませんでした。すっかりご無沙汰していました。特にこのブログファンの皆様には例によって寂しい思いをさせてしまいました。

今年の私は著しいネット離れで・・・。

書くのも好きだし楽しみだし、なのに、なんだか日々の色々なこと、つまり自分の暮らしの一瞬一瞬のことを大事にしたい気持ちが出てきて、ネットもあれもこれも、となると一日が24時間では足らないのです。

インドです。無事にアーシュラムについています。ダラムシャーラーに寄り道したけど、道でバッタリ、ダライ・ラマにお会いできて良かったです。猊下はすごくお元気そうで輝いていました。ハッピーマンという言葉がぴったりの。

2010年の12月から始まって、一年の半分はスワミジをお助けすることに専念してきた約10年。ようやくアーシュラムの活動が軌道に乗ってきたことだし、というより、ここまで軌道に乗せることがようやく出来たし、あとはローカルの人達で地域に貢献しながらやっていって貰えたらなという思いがあり、今年からは日本人の方の通訳として、一か月だけの滞在にすることに決めました。いやはや長かった。当初は三年くらいでなんとかなると思ってたんだけどね。

でも、もうスワミジも一人きりでは無いし。

というわけで「いつでも行けばシータマが居る」という時代は終わりです。

これまでの約10年「私の人生をSivananda Vidya Peethamで生きる」というよりは、「Sivananda Yoga Vidya Peethamを私が生きる」という選択をしていたんです。そういうご縁だったと思ってる。我ながら小さくはないサクリファイスだったと思います。生活面、金銭面などもそうだけど、精神面でも。


これから、時間や気持ちの面で自分のペースを取り戻して行く中で、またちょくちょく、思うことを書いていければなあ、って思います。

だって、みんなに話したいこと、いっぱいあるんだよ。

とりあえず今日のところは・・・・・↓「学ぶこと」について。

読者の皆様には、ヨーガをやっている人が多いんだと思います。

そして、その中の少なくない皆さんが

「インドの聖地なりアーシュラムなりに行って、何らかのコースを取るったり、瞑想に耽ることを学びと呼ぶ」

と思っているのではないでしょうか?

でも「ここでは無いどこか症候群」みたいな場合が多いんではないか、と。

もちろん抗えない因と縁の中にそのような機会があったりすることもあるので、みんながみんな、全部が全部というわけではないのですが、

♪そ~こ~に行~けば~、ど~ん~な~ゆ~めも~、か~な~うと~云~うよ~

そう、懐かしの歌のように

♪ガンダ~ラ、ガンダ~ラ、They say it was in INDIA!

と思っている人が多い気がする。
ゴダイゴの影響なのだろうか。


〇×TTC修了
▽◆上級コース修了
□※ヨガ瞑想コース参加
%▲哲学コース修了
・・・・あと10項目続く

という名刺を見て、あれ迷子なのかな?と思っちゃうけど、

仮にゴールを見失った迷子だとしても、少なくとも「あれ、この道違うな」って自覚出来るくらいまでは飽きずに掘らないと。


それはそこに行くから叶うんじゃないのよ。

「わたし」においてだけ叶うのよ。

「わたし」を置き去りにして、どんなところに行ったって、貴重なお金と時間がかかるだけ。どこそこ行ってなんちゃらの修行してきました、という肩書が増えるだけ。

それが叶うのは、肩書でも場所でも行為でも無い。


私は大阪ではよく西成に、東京では山谷というところに宿泊しているけれど、泊まっているうちに、最近とみに、聖者の瞑想した洞窟とか、呼ばれた人だけがいける聖地とかと、そんな変わんないんじゃねーの?とじっさい思えてきた。


どうなんだろ、変わるのかな。

変わるといえば変わる部分もあるのだろうし、
変わらないといえばやはり変わらないのだろう。

何が言いたいかと言うとですね、ガンダーラはどこにも無い。

もちろん、気分転換リフレッシュして心機一転というのも必要だし、背中をドンと押してくれる強烈キックも有効。ただ「自分の価値を高めると思えるファクター」の単なる追っかけになってしまっていないかだけ、深呼吸して、よく見極めてね、ということです。

だって人生は短いうえに、お金を作るのにも時間を要するわけです。

お金稼いで、浅く掘って、また稼いで別のを浅く掘って、
浅い井戸をいくつも掘ったって、水脈には届かない。

ガンダーラは「わたし」に在る。
置かれた場所で咲けますか?