2014年9月24日水曜日

ムナールに行って来た。Part 4

皆さん、スリランカ航空ではリクエストをすれば、コロンボでの長時間トランジットの際、宿泊が無料で付いてくるのをご存知ですか?


日本からの便だけのサービスかな?と思っていたけど問い合わせてみたところ「条件を満たしていればどこからでも」というお返事。


ただし、リクエストの応対をするのは出発地のオフィスのみ。


で、私は今回、マレーシアと電話で話す必要があったわけですな。気が重い・・・けど仕方がない。


私の英語なんて所詮、相手の言っている感じを真似ているだけだから、会話の相手によって発音が違っちゃう。主に、イギリス英語、アメリカ英語、インド英語の括りです。


マレーシアの人とお話しすることがあまりないので、どのパターンなのか分からず、どもるし、新しい感じのへんてこりんな訛りになってしまった。ああ・・・。


自分の英語を確立させたいものです。




さて、ムナールですよ。

ムナールの町から少し下って、自然の中のロッジにやってきました・・・ってとこまで話したよね。アメリカ人とフランス人が出てきます。








夕食時が来て、丘の上のメインコテージへ移動する。


コテージは平屋で、中央はダイニングルームを囲むようにして、4部屋とキッチンがある。管理人家族が一部屋使うから、ゲストは3組しか入れないそうだ。


ツンデレの奥さんを含む管理人の家族は、もとはタミルナードゥの人達だそうで、先祖が越境して移住したらしい。英国統治下は、茶畑ビジネスはさぞ盛況だったことでしょう。

三々五々、住人達がダイニングに現れた。バードウォッチャーのアメリカ人、作家のフランス人、インドは初めてというイギリス人の女の子二人組と日本人の私。他人同士でひとつの食卓を囲んでディナーと相成った。


インドのお母さんが作るご飯を食べられる宿は実にありがたい。レストランの脂っこい炒麺とか、悪くは無いけど、飽き飽きしていたところだ。缶詰になって執筆するのに最高の環境だし、そんな暇ができたら、いつか長逗留してみたいものだ。

夕食を終えて、自分のヴィラに戻る。お一人様好きの私には嬉しいけど、いざという時には決して好ましい環境ではない。叫んでも誰も聞きつけてくれないだろう。門を閉めてチェーンをグルグル巻きにしてから寝た。悪者が車やバイクで来た場合、少なくとも時間は稼げる。



さて、翌朝の朝食はフランス人と二人きりだった。アメリカ人は鳥を観に川にいってしまったし、女の子達は既に次の目的地へ出発してしまった。


私がアメリカ人から聞いていたフランス人の事前情報はこう。


「もう半年近く滞在して書いている作家なんだよ。彼はいいやつさ。でもちょっと厭世的なところがあってね、全てにおいて悲観的なんだよな。・・・You know、この地球は危機的な状況だ、とか、世界は退廃し尽くしている、とかいつも言ってる。」

そこで私は、

「うーん、あなたの言わんとすることは解る気がする。要するにフレンチってことだよね。」

と答えたのだった。


しかし、朝食の席でフランス人がアメリカ人について語るには、

「うん、彼はいいやつさ。でもただ一つ僕は嫌なところがある。世界のいろんな危機的な状況に対していつも“I don't care.”だ。これは彼の性格が悪いってことじゃなくて、アメリカが国民をそういう風にしているってことなんだけど・・・。」

なるほど。お互いがお互いの背と腹みたいなことだ。



I don't care. は「気にしない」って意味だけど、ニュアンスを性格に伝えるならば

「別に、関係ないよ、俺がどうこうしたって、どうにかなるわけではないんだしさ、気にしても仕方ないじゃん」・・・と言葉にしてくればまだしも、いわゆる「見ない振り」みたいなことです。


二人のそれぞれと、じっくり話をしてみて、私はどちらも好きだな、と思う。素敵な大人だった。だけど、フランス人に一票!という気分であることは確か。


フランス人の彼はもともとプロの登山家で、日本の登山家を自宅に泊めて長いこと一緒に暮らしたこともあるそうだ。登山に詳しくないから、日本人の名前を言われても解らなかったんだけど・・・。

登山をやめてから、もっとみんなに、大切なこととか、(ことに山男の視点からは)地球のこととか、を伝えたくて作家に転身したとのこと。



仏「フランスも終わってるよ。国民はすっかり骨抜きだ。これじゃまるでアメリカだよ。本当に悲しいよ。」

私「EUになったから?」

仏「それだけじゃないね。」

私「日本もそうだよ、グローバルになって、町も店もアメリカっぽくなってしまって、没個性でつまらないよ。なんでかっていうと、アメリカはどこの町にいっても同じモール、同じ都市計画、でしょ。日本の政治家はアメリカに骨抜きだしね。」

仏「グローバライゼーションっていうけどね、あれ言葉を間違ってるよ。本当はあれはアメリカナイゼーションなんだよ。」

私「!!確かに!そうだわ。その通りだわ。」




私が初めてインドに来たのは十数年前のこと。

シッキムの山奥のカフェで、朝食の席でこの手の話になったことがある。メンバーは台湾人、アメリカ人、フランス人、そして日本人の私だ。言いたいことは沢山あったのに、あの時は、一言も口を挟むことが出来なかった。人は変われるもんだな。英語は便利だ、と思う。



私は、基本的にアメリカの友人達が大好き。一緒にいて、なんだか楽。何故かは解らない。あの大ざっぱさが、大ざっぱな私の性に合っているのかもしれない。言葉は悪いけど、褒め言葉として、あのバカっぽさが、バカな私にしっくりくる。


ただ、日本と同じように、なんだか盲目化させられてる感は確かに否めない。

考える力を搾取されてしまっているというか・・・・。

事実、日本人の盲目っぷりの加速に、私は帰国するたびに土肝を抜かれている。



「もう止められないのかも知れないけれど、それでも、納得出来ないことには僕はNOと言いたいんだ、おかしいだろ、原発だって何だって。納得がいくまで話合いたいし抗いたいんだよ。」というフランス人の思いが、私にとっては正しい姿勢に思えたのだった。


大自然の懐で過ごし、人知を凌ぐ山の頂から「世界」を見てきた人の言葉として、余計に身に滲みた。


フランス人に別れを告げて、午前10時、迎えの車にのって、友人アニーシュの実家に向かうことになっている。とくに行きたいわけじゃないんだけど、断れなくて、そのストーリーに乗っかってしまった。

途中、バードウォッチングから帰ってくるアメリカ人とすれ違った。狙っていた鳥は見れたかな?自然を愛する、おおらかで朗らかな男だ。みんな、みんなが、そしてその家族が、どうぞ幸せであって欲しい。





















2014年9月15日月曜日

私の旅支度エヴォリューション

ムナール紀行のとちゅうですが、再び閑話休題。

読者に未だ人気の「ビフォー・アフター写真館」。今回、本人抜き、トラベルギアヴァージョンでやってみよう。


私の旅支度の進化について、その変遷を振り返ってみようと思います!まずはバックから。


before
タトンカの70Lバックパック。私のは、これの前継モデルの黒×グレーで、もう売ってません。2気室だけど、下の取り出し口はこんなじゃなくて、昔風の二階建て式です。購入の決め手は、このメーカーの値段の安さと、あと私がブランド名が、昔参加してたラコタ・スー族の言葉だったから。初めて&二回目のインドまでは、これでした。

※ちなみに言葉の意味は野牛。といっても「ハンタ〜チャンス!」の方ではありません(すまん!また古いこと言ってしまった・・・)。アメリカンバッファロー、すなわちバイソン。



after
おいらもすっかり年を取ったで、重い荷物を方に担ぐのはシンドイ。ということで、コロコロの付いた、バックパックに買えました。イーグルクリークの55Lくらい。これもですね、私のはもう売ってなくて、写真のは後継モデルになります。生地が薄くて、強くなって軽量化されてるんじゃないのかな。モヒニがこれです。購入の決め手はタイヤが、他のメーカーより丈夫そうだったこと。




これをカーゴに預けて、機内持ち込み用に、ドイターの30Lバックパック、それからハンドバッグを持っています。しかしハンドバッグのサイズにいつも困っていて、前回は

before
キップリングの2way。けっこう沢山入るんだけど、中に仕切りがなく使いにくく、ラップトップは入らないから、背中のドイターに入れると、これが一気室なもんで取り出し難い。いつもX線のところでアワアワする。


after
そこで、ユニクロのビジネスバッグではどうか、と思ってる。ラップトップもここに入れしまう。10月のタイ行きで実験してみます。




さて、靴ですね。

before
以前は、クロックスを一躍人気にしたケイマン。サンダルだと、牛のう○こを踏んだ時に、大惨事になる!と思ったので、これを履いていました。通気用の穴もあるし、ムレないっしょ!と思って。



しかし数々の問題点が・・・。

・横の穴から小石が入って、痛い。
・牛のう○こを踏んだ時、横の穴から入ってくる可能性がある。
・底がすり減ると滑る。
・底が柔らか過ぎて、山を歩くと木のトゲが、ソールを貫通して痛い。

そこで出会ったのがこれ!

after
ジャジャーン!クロックスのビストロです。水浸し前提の厨房作業用。

・ソールに滑り止めのラバーが貼ってある。
・横の穴から水が入らないようになっている。

すべらない。刺さらない。う○こが侵入しない。

しかし、

・インドの軽やかな布地の服には見た目がヘビーデューティーすぎる。
・巨大な蟻が中に巣を作っているのに気づかずに、履いてしまった時の、おぞましい感触がトラウマとなった。

の理由から没。そこで更に・・・



after
クアラルンプールのチャイナタウンで二足買いしといたこのタイプのやつ。牛のう○こも、もはやどうでも良くなったし、インド服に似合うカワイイのがいい。

しかしアンボリアシュラムの悪路のために、たった3日で鼻緒が切れ、撃沈。

※ちなみにドバイでは何日履いても鼻緒が切れなかったので、ちゃんとしたやつです。




更なるafter
キーンのウィスパー。
・寒いとき日本で空港まで移動する時に、靴下対応出来る。以前、まだ寒いのにビーサンで帰国して、すごく惨めな気持ちだったから。
・飛行機を降りた先が暑い国でも、靴下を脱ぐだけで対応出来る。
・山など多少の悪路に対応。

※なのに、ムナールにこれを持って行き忘れてトレッキングに行けなかった。


というわけで、現在は、キーンと現地サンダルのダブル処方です。


次はパスポートケース。
before
無印良品の定番。とても使い易いので長年使いました。背中のバンドに手を入れた時のフィット感もよく、しっかりホールド出来る。



after
・・・がしかし、手持ちのハンドバッグがパンパンだったりもするので、これを出し入れするのに難儀しまして(いろんな物を落とすし・・・)、空港内で肩掛けが出来たらいいな。ということで、この度、新調しました。milestoのトラベルオーガナイザー。まだ使ってないから使い勝手はわからないけどね。期待してます。



トラベルピロー
before
飛行機のシートって、なんで、あんな風に猫背っぽく出来ているんでしょう。私の身長が小さいせいかも知れないけど、あんなに猫背じゃ息が詰まります・・・ということで、腰にこのピローを装着、背筋を伸ばし、胸はって着席します。長時間移動の腰痛の予防に使ってました。これも無印の定番ですね。ベッドでは枕として使用。




after
しかし、デカい、かさ張る。ってことでキャンプ用のインフレータブルを買ってみた。値段の安いモンベルのものです。これも来月のタイ行きで、両者使い比べて、今後の方針を決めようと思ってます。でも本当はアメリカのサーマレスト社のが欲しい。価格は2倍。



あとは、ジップロックや小分けボトル、消毒用のティートゥリーオイルなどは定番ですね。あと、虫歯にならないように、プロスペック社の歯ブラシとタフトブラシ、ジョンソン&ジョンソンのワックス付きデントテープ(フロスです)。

それから、インドのおっさんが冬の早朝に着ている、ウールのショール。私のはラージャスターニーのフルサイズ。ゴパールジがラージャスターンに行くとき、お願いして買って来てもらった。飛行機や列車の中で毛布として。布団のない場所で(ヨガマットとセットで)寝具として使います。


あと、私は完全なる蚊帳派ですけど、移動中どうしても蚊帳が吊れないときのために、フマキラーの「おすだけベープクリスタ120日」ってのも必携。




猛毒だし、殺生なんだけど、デングとかマラリアとか、防ぐのは自己責任だから。感染したら、間接的に病気の媒体になるわけで、人に迷惑がかかる。それから日本で待っていてくれる人の為にも・・・。

日本でも蚊帳が復活する日が近いかもね。私は大好きです。


旅支度、次回はビューティー系を紹介してみよっかな!

またね。

2014年9月13日土曜日

ムナールに行って来た。Part3

ムナール。


インド人憧れの避暑地。


なんにもすることがない。


ここ、ホテルグリーンビューの受付にいる兄ちゃんは、馴れ馴れしくない代わりに、あまりにも無愛想で、こんなに愛想の悪いヒンドゥーに会った事がなかったので、勝手にムスリムだろう、と思っていた。

が、よくよく話してみると、ヒンドゥーらしい。


そこで、思い出した。ケララは非常に保守的な土地柄なのだった。ヴァルカラだって今でこそ近所の人と仲良しだけど、最初の一年目は犬でさえよそよそしかったもの。こんな山奥だったら尚のことだろう。


あまりにも退屈なので(大阪人になったつもりで)こっちからしつこく絡んでみると、しかし、ポツリ、ポツリと会話してくれる。


「タミル語の新聞読んでるの?タミルの人?ワナッカム、エップディイルッキングラー!オンガペールイエンナー?」

「・・・・・」

「ねえ、このカードのコテージだけどさ、コテージもやってるの?ねえ、いいとこ?」

「静かなとことだよ。」

「イドゥッキのセナパティーってとこに行くんだけど、そっから近い?」

「どこだって?」

「ラージャクマーリーからバス乗り換えるの。」

「通り道だね。」

「じゃあ、一泊したい。空いてるかな?」

「いける。」


ということで、翌朝「グリーンウッズコテージ」を目指すことになった。

バスを待っていると、無愛想な兄ちゃんがわざわざ追いかけて来て、目当てのバスに乗せてくれた。ヒンディー及び、英語の表記がないからだ。なんて親切なの!

「家族は?」と聞くと、「子供が二人、まだ小さい」んだそうだ。こういう島国っぽい保守的さに出会うと日本を思い出す。本当は優しいんだよね。ありがとうね。


アディマリ経由でラジャクマリで下車。速攻でオートリキシャーを拾う。いろんな人に聞き込んでくれて、無事に到着するも、50ルピー。これは結構ぼられた。一瞬がっかりしたけど、たったの100円なんだよね。そのお金で子供にアイスクリームでも買って貰えるなら、いいよね。





宿についてみたら、これまた強烈に無愛想な奥さんが応対。

「なんだかなあ」と思っていると、強面のご主人がバイクでやってきた。「バス停まで迎えにいったのに入れ違いになっちゃったよ!」とのこと。や、優しい・・・・。


どうやら私の泊まるのは「リバーグリーンヴィラ」で「グリーンウッズコテージ」は満室らしい。1階と2階に一部屋ずつあって、それぞれ1LDK、バルコニーとWiFi付き。これは絶対高いよ!と思ったけど、コテージが急遽満室になった為、私はこっちになったのだそう。コテージの料金でいいとのこと。う、嬉しい・・・。


もしや・・・「ツンデレ」とはこういうことを言うのではないか?

(違うかもしれないけど当たらずとも遠からずだろう・・・。)


ヴィラから少し坂を上ったところに、コテージがあって、夕食はそこで19時だそうだ。回りに食堂の類いは一切ない。ムナール以上に何もない。でもムナール以上の「何もない」がそこにはあった。私の求めていたのはこれだよ。

ああ、また来る事があったら、今度はここに長逗留したい、と思う。



実際に半年住んでいるフランス人がいる・・・と教えてくれたのは、バードウォッチャーのアメリカ人。やたら遠目が効く私が「ねえ、あの瑠璃色の、あれは!」と聞くと、望遠鏡で追って、あー、基本のキングフィッシャーだよ!と教えてくれた。

アメリカ人というのは、基本的におおざっぱでフレンドリー、お喋り好き。

「ここは最高だよ!すごく鳥がたくさんいる。初めて見るやつもいた!明日は早朝から川で張るんだ!」

お喋りついでに、フランスから来て住み着いている男についての情報を与えてくれた。


ディナータイムでその人に会うことになるのだが、アメリカ人とフランス人。この対比。私の中の劇場では、フランス映画のような、アイロニカルで退屈で、面白いストーリーであった。そのお話は、また次回に。


続く



2014年9月8日月曜日

どうでもいいような一日。

でも、とっても、とっても、いい一日。

皆さんお元気ですか?

私はタイのリトリートに向けて、具体的なプランニングとか、手配とか、会計の打ち合わせとか、足りない左脳が大活躍の日々になってきました。得意な仕事ではないけれど、でも仕方ないよね、自分で蒔いた種だ。

あとは払って貰えないギャラの督促とか?これも苦手な仕事だよね。でもベストは尽くさないと、われわれフリーランスの立場を守れない。まあ、これも長い目で見たら私の蒔いたカルマ(行いと結果)なんでしょうね。


都市に暮らしていると、常に何かしていないけないような、そんな強迫観念が、身に滲み込んで、覚えのないまま、毎日あっちゃこっちゃバタバタ。そんななか私は一体なにを手にした?時間だけが過ぎていく。


でも、今日はなんか良い感じだったのよね〜。計画性はなかったけど、良い感じの配分になったので、日常の記録。


左脳が飽きたので外に出てみたんだけど、遠くの銀行(近くに無い・・・)まで歩いて記帳に行きました。

現在、生活導線のなかに繁華街が無いため、ちょっとした買い物や、用足しに常に困ってる。用事がある時は、わざわざ街に行かなくてはいけないのですね。今日は、その「ついで」系の買い物や用事の数々をこなしました。


たとえば散髪。

これがですね、私としたことが、長年お世話になった1000円カット(税別)というパートナーがおりながら、通りすがりの「690円カット」に浮気してしまった。丁寧にやって下さってなんと税込み。これは浮気どころでは済まないかも知れない予感だな。15分で会計まで全て済。余計なおしゃべりもないし最高。




用を済ませたら、今度は自習。近所で唯一のファストフードはミスド。



タットヴァボーダの自分ver.ノートが実は未完だったのだけど、やっと完結したのが良かった。どのクラスでも、ラストの10節が駆け足になっちゃう悲しい現実があって、なので、私の理解も駆け足風だったと思う。そこで、がっぷり四つで組み合ってみました。私は駆け足じゃないクラスをしなくちゃ。


ヴェーダーンタ相撲は本当に面白くて、組んでいると感動して、学ぶ歓びに笑いが止らなくなる。挙動不審者のようだが、それくらい胸が高鳴る。私だけ?ま、いっか。


相変わらず、キャベツと納豆を食べている。美味い。


渡世人(!)としては今日はだいぶ有意義だった気がする。さてまた左脳の世界に帰ります。

2014年9月5日金曜日

ムナールに行ってきた。Part 2

さて、ムナールシリーズの続きです。

ムナール紀行 予告編
ムナールに行ってきた。Part1 


寝床があるってしあわせー!

暑くなくてしあわせー!

と毛布の中でぬくぬく丸まって、鼻先の冷たさに気づくと、そこに朝がありました。

ベッドの中から。ちょうどいい長袖が無かったのでデニムのシャツで眠った。



反対側から見るとこう。


部屋がどのくらい狭いかというと、四角い部屋の角にシングルベッドをドーンと置いて

そのベッドの足元と右側にちょっと歩けるスペースがある。三畳間といったところ。

これで450だか550だか・・・・。高い・・・。でも・・・


窓の外をみて、やっぱりここでいい、ここにする!と決めた。





ここは4階、つまり最上階。ほかに住人はおらず、隣にあるのは、一応屋根を取り付けてあるが、屋上である共同スペース。つまり私の部屋はペントハウス。

さっそく、その屋上に無理矢理マットを敷いて、アーサナをする、ちょっと時間が遅くなると途中で他の住人が上がってくるので、翌日からは結局、自室の“隙間”で洗濯物に絡まりながらすることになる。

アーサナを終えたら、階下でお茶を頼んで、ルーフトップのテーブルに陣取る。チャイは20ルピー。高い。電化製品使用禁止の張り紙があり、使えそうな電源もみあたらないので、仕方ない。


お茶を飲み飲み、ここ数年溜め込んでしまった、講義の聴講ノートの清書。目が疲れたら目薬さして外を眺める。




あの丘は茶畑。


午前11時になるとサイレンがなるなあ、と思っていたら、それは休憩時間の合図で、みんな畑から道に降りて来る。座り込んで、お茶を飲んでいるようだ。お茶が終わると、三々五々畝のなかに戻って行く。




2、3時間勉強したら、お腹も減ったことだし、最初にバスで到着したニュームナールまで歩いてみた。散策大好き。なにか面白い物が見つかるかも知れない。


・・・が、しかし、である。


うーん。何も無い。これといって、何も無い。カフェもなけりゃ、泊って楽しそうな宿もない。ローカルの商店街があるが、これ以上サリーを買っても仕方がない。唯一、地元産のチョコレート(これはヴァルカラに店を出していたムナールのスパイス農園のおやじの店でも売っていた)が魅力的だったけど、新しいハーモニウムを買ってしまったので、飛行機の荷物重量制限がある。


とぼとぼと辿る帰路、八百屋で蜜柑とバナナを買って、また勉強。


結局、四日間の滞在中、勉強しかしてなかった。ポストカードも書いたけど、投函出来なかった。ムナールを貫通する一本道をただ歩いた。外国人のバックパッカーも少しだけいたけど、友達も一人も作らなかった。ただ静かなだけの時間。




「パ〜プ〜!」

遠くから懐かしい豆腐屋さんのラッパの音。

ビックリして、窓の下を見下ろすと、三輪オートで魚を売っている魚屋さん。懐かしい光景、「三丁目の夕陽」みたいだね。だけど、太陽は燦々、ここはインド。はためく洗濯物の赤の、逞しい木々の緑の、鮮やかなこと!近所の奥さん達が出てきて、車を止める。

私は、やっぱりインドの人の、この暮らしが好きだな。都会のシャレた大きな家もいいけど、つつましくて温かい、この暮らしぶりがいい。とてもとても普通だと思うから。

裕福ではない。家も小さい。トイレは外。だけど、みんなが重なり合うように眠る夜に、みんなが幸せを感じていることは、わかる。いいなって、思う。


そんな暮らしを、こうして空から眺めて、いいね、って思うのが、好きなのかも知れない。




屋上で出会った日本人風の男性に、本をあげようと思って声を掛けたらアメリカ人だった。ムナールでの唯一のアクティビティであるトレッキングに行くという。せっかくムナールだもん、こんな街道沿いで燻っているよりも、大自然に分け入りたいよ。私も行きたい。だけど靴が無いから行かれない。

勉強、勉強、勉強ばっかり。すごく楽しい。でも・・・。



これは2012年の2月、アンボリのノートだね。
Swami Tが毛糸のチョッキ着てるからわかる。




そんなある日、お茶を頼みにいったレセプションで、発見したビジネスカード。ここのホテルは、もっとへんぴなところにコテージを持っているらしい!

大量にあったノートの、全ての清書も、今日、終わってしまった。

なんとかここに行けないものだろうか!


続く

2014年9月4日木曜日

う〜ん・・・

なんだかなあ〜。

と思うことがある。


インターネットというのは、まあ、事業をしていたりする人にはとても使えるマーケティングツールではあるのだけど(Facebookなんか手っ取り早いから私も告知に大活用してるしね)、情報操作に引っかからないような、受け取り側の成熟度は必要だよねえ。


それはまあ当たり前の常識なんだけど、それを踏まえてですよ。


世の中に「他人によって幸せそうに見られることが、本人の幸せの尺度になってしまっている人」が、たいへん多くいらっしゃる。これは怖い・・・っていうか危ない。


情報操作構造がちょっと複雑になってる。


昨年、恩師のG先生とお茶したときに「リア充」って言葉を初めて知ったんだけど(あ、やっぱ遅いですか・・・?)、リアルライフの充実って意味だそうですね。先生は「リアル」と別の「アクチュアル(実際)」があることを指摘。


わざわざ分けなきゃいけないのは、「リアル」が、ネット上では既に「ヴァーチャル」化しているからです。


SNSでリア充アピールして、他人に「あの人、リアルライフ充実してそう!」って思われることが、その人の精神的充実の基準になっている。でも実際は?というと「うーん・・・」なわけ。


リアリティの崩壊。それは主体性の崩壊。


情報を発信して、他人の感想を操作し、その反応によって自分を操作するという二重構造。わ〜お、トリッキー!


「私が幸せな人であることを、これを読んだあなたによってどうぞ明らかにして下さい。」

「私が悟っているということを、これを読んだあなたによってどうぞ明らかにして下さい。」


ということです。



そもそも、幸せというのは、「自らによってしか明らかにされない」境地なわけで、このトリックに自らを引っ掛けてる人の書いていることというのは、独特の気配があるというか、一目瞭然でして、とても居たたまれない気持ちになるんですな。その人の持つ、とてつもない不安感がバッチリ伝わるからね。


そりゃ自分をだましてんだから、不安に決まってるわ。セルフコンフィデンスなんか持てません。


現代社会が持つ不安感と通じるものがあるのでは?


ヨーガの業界もそんなこんなで大変ですわ。SNSとは、もっと直接的な付き合い方でいいんじゃない?と思ったりする。


「あたしゃ、不安だ!」


それでは、駄目なのだろうか・・・?
マーケティングの神様に聞きたい。
♪ありの〜、ままの〜姿見せるの〜 は、駄目ですか?

いいんじゃない?と私は思うよ。

自分と向き合うのが第一歩。「私」と「私」の間を、他の誰も取り持つことは出来ません。そこには私だけが「在る」。




明日あたりムナールの続き書きましょう!!