2010年9月29日水曜日

Moving on!

 引っ越し真っ只中・・・といっても、会社いって、ヨガ教えて、自分の勉強もして、隙間の時間にボチボチ手をつけてるだけなので、部屋がすごいことになってしまった。もともと、片付けが超苦手なので、この狭い6畳一間のオンボロアパート、布団も敷けないほどです。




 会社ってなんじゃ?とお思いのあなた。私は、昨年帰国してから、殆ど全部くらいのクラスを辞めて、会社でOLさんになってみたのです。それまではフルタイムのヨガティーチャーでしたが、いつのまにか私、お金の為にやってない?ってハッとしちゃってね。ブレを正そうと思い、まったく違うフィールドへ。タイTTCに行くことになったので、それも退社させていただきますが・・・。



 ちなみにSYVCのTTCでは、私もそうですけど、講師陣もスタッフも、すべてボランティアです。ビジネスとしてではなく、みんなに伝えたいことがあって、それを知りたい人もいて、それだけの理由で成り立っているの。だから、旅行会社的なサービスまで、手が回らない。本部のメール返信も迅速ではないかも。その点はご理解ください。


 ヨガのクラスも、会社も辞めちゃってどーすんだよ!って感じですが、辞めちゃうと自分はどうなるのか、何か苦しみの境涯に落ちたりするのか、興味があるので、とりあえずやってみます。会社では、本当に多くのことを勉強させていただきました。あと残す勤務は2日。こんな妙な稼業の私を雇って下さり、また地方のWSの時は休ませてくれ、早々に旅立つことも許して下さった、社長はじめ皆様へ。この一年間の御恩は一生忘れません。ありがとうございました。



 ところで、さっき本屋で立ち読みしてきたんですけど、Hanako for メ~ン!の34ページだったかな?にアシュタンガを教えているお友達のSatori先生が載ってるのですな。本人は、ビミョ~って言ってましたけど、私は「いいじゃん!」って思いました。滅多なお世辞など言えない私がいうんだから、いいんですよ兄貴。なんか、へんな脚色とかなくてね、とっても良かった。そのSatori先生が記事の中で「ヨーガ本質と実践」を読むといいよね、とかおっしゃっていますが、これSivananda Yoga 本ですね。見やすいグラフイック版。私もお薦め。



 かくいう私はというと、Yoginiという雑誌の何頁だか忘れましたが載っていまして、雑誌嫌いの私ではありますが、実に言いたいことを言わせていただいて、楽しい取材でした。「ヨガの為のヨガの中で迷子になっては元も子もない」という、アイロニカルにも取られかねない一言で締めくくられていますが、とくに他意はなくて、文字通り、深刻にそう感じている、やはり等身大の危惧ってやつ?




 迷子というのは、なんていうんだろう、やっぱり迷子なんですね。でも、例え苦しくても、何が真実なのかを見極めて、そこに向かってもがいているのなら、それはOKなのね。今は力及ばなくても、正しい目標が見えている時点で、それはある意味達成したのと同じなのだと思う。あとは時間が必要なだけでね。

  
 Satori先生は、そういう人です。ちゃんと向かうべきゴールを嗅ぎ分けている人。流派は違えど、見ている目標は一緒だという実感があって、そういう意味での仲間なんだなって思う。面白い先生です。つまらないダジャレが、妙に味わい深い。効きます。



霊性への旅路、不可欠な四つのこと。


①目的地を知っていること・・・何をSatoruかってことでしょ?
②道を見つけること・・・ヨーガすなわち知識と信念を伴う道。
③乗り物・・・心も含めてこの体。
④旅の実践・・・サーダナ。


 四つ揃わないとね、旅は成り立たない。①が無ければ迷子だよ。日本では嫌われる4という数字も、あちらではおめでたい数。所変わればってやつだね。ばいちゃ(古っ)!

2010年9月27日月曜日

みんなのQとしーたのA <福岡編>

 ワークショップやら引っ越しやらで、すっかりご無沙汰しました。立て続けにブログを更新していくことになりそうですが、そこんとこヨロシク(永吉風)。福岡でのWSから帰ってきましたよ。良いところだった~福岡。暮らし易いというんでしょうか、大都会なのに自然が身近。衣食住全てがセンス良く味良く、お手頃価格。必要な(良質なもの)が身近に手に入り、小回りが利く。住みたい町候補にトップ3に躍り出ましたね~。それから麺がうまい!この豪華野菜天ぶっかけうどん、なんと650円ですよ。Kumari先生御用達の和助



 9月25日のワークショップは、そんな素敵シティ福岡から、さらに山口県や宮崎県からもお越し下さった皆さんと、アットホームかつ、真剣、マニアックな会となりました。TTCの時に伝えるような小難しい話に、居眠りもせずノートをとりながら耳を傾けて下さって、感謝しています。講義はアンタッカラナについてでしたが、それとは別に、皆さんの素朴な疑問に関するオシャベリも楽しい時間でした。というわけで久々に「みんなのQ」、いってみよ~!すごく長いので、お勉強の好きな方は、読んでみてください。



Q. ①時代とともに科学も栄養学も発達しました。何千年も前のヨガ菜食が現代人に沿うとは限らないのでは?②ヨガで欲望を全部なくしたら、子供が出来なくなって、人類が滅んでしまうのでは?

A.ふたつの疑問をからめてお答えしますが、ヨガは万人にとって有効な知識であり、また万人にとって有効な知識をまたヨガと呼びますが、全ての人が同じ道を選ぶということではないんです。インドでは四つのアーシュラマというのがあります。四住期って聞いたことありません?それです。


 学生期(brahmacarya) - 先生のもとでヴェーダを学ぶ時期
 家住期(gārhasthya) - 家庭で子をもうけ一家の祭式を主宰する
 林棲期(vānaprastha) - 森林に隠棲して修行する時期
 遊行期(samnyāsa)-一定の住所をもたず乞食遊行する時期


 生まれてから年をとって死ぬまでに、この段階を経ていきます。家住期に子供を育て、林棲期とはいわゆる御隠居ですよね。でも、若くしてスキップして第三・四期に突入しちゃう人も稀にいる。なぜか?この人生でやらなきゃいけないこと、として与えられた課題が、人それぞれに違う、からです。その各々の課題をスヴァダルマといいます。スヴァダルマからは、誰も逃れることは出来ません。TTC卒の方は思いだして下さい。GITAに書かれています。

 同じように、インドの暮らしには、四つのヴァルナといわれる階級があります。これがを西洋の合理主義的視点で捉えられ、カーストと呼ばれるようになるのですが、ここでいうヴァルナというのはカーストの言葉から連想するような「強いものが利益を独占するために制定した階級差別」ではありません。


 ブラフミン=神聖な職に就いたり、儀式を行う。
 クシャトリヤ=王族など武力や政治力を持つ。
 ヴァイシャ=商業や製造業などに就く。
 シュードラ=下働きなどの仕事に就く。


 この辺は皆さん聞いたことあるかと思います。どの階級に生まれるか、それはスヴァダルマです。子供を持つ前に出家してしまうのもスヴァダルマ。さらに人間には段階的な四つの欲求というか人生目標があります。


 アルタ=安全や安心を得る。
 カーマ=喜びや楽しみを得る。
 ダルマ=秩序を得る。
 モークシャ=解脱。


 ボロボロの衣キレをまとった私を想像して下さい。飢えて住む家もない。そんなSitaが最初に欲しいのは空腹を満たす少しの飯と、寒さを凌げる屋根と衣服(アルタ)。それらが安定的に確保されると「味のヴァリエーションとしてふりかけが欲しいな、美味しいと噂の店に行ってみたいな」「もっと着心地の良い服が欲しいな」(カーマ)、欲望を満たし楽しい暮らしなのに、何かが足りない。宇宙の規律と調和して暮らすことを、生きる指針にしたいな(ダルマ)。飢え死にそうな時に、「永谷園のおとなのふりかけ、焼鮭味が無いなら食えん」とか言う人はいないでしょ?やっぱり段階的なんですね。


 それでも尚、何かが足りない、私は私自身の正体を知りたい!ダルマ以前の全ての欲求が、who I am を追及したい欲望に吸収されたとき、我々はヨーガを生きる人になります。ここら辺は皆さんご存じでしょう。そして実はヴァイシャとは


ブラフミン(モークシャを追及する。)
クシャトリヤ(アルタ、カーマを得、ダルマを守ることで、ブラフミンの追及活動をサポートする)
ヴァイシャ(アルタ・カーマを得、他にもそれらを供給することで、クシャトリヤとブラフミンの活動をサポートする。)
シュードラ(ヴァイシャ、クシャトリヤ、ブラフミンの活動をサポートする。)

 これはつまり、ピラミッド型押し上げ式のモークシャサポートシステム社会。何度も生まれて、その都度スヴァダルマを一生懸命まっとうして、次に生れる時には進級して、いつかはモークシャを得る。それを社会全体で支えるのがインドの社会構造なのですね~。かなり気の長い話なので、西洋的合理主義的見地からはちょっと理解しがたいと思います。


 ようやく結論なんですが、アルタ・カーマを満たし、感覚や肉体を喜ばせる為の食事ということでしたら、時代とともに変遷していくでしょう。しかし、ヨガで説く菜食=モークシャの為の食事です。時代を経て価値が変わるというものでもありません。主にブラフミンの方々が菜食を厳格に守っていますが、四つのヴァルナのように、色々な役割の人がいて支えてこそ、社会全体が成り立っているのです。


 出家僧には出家僧の、ママにはママの、弁護士さんには弁護士さんのスヴァダルマがある。みんなが同時に欲望を放棄すると仮定したら、ご質問の通り、人類は滅びるかも。でも、考えてみて?全人類が同時に小学校を卒業するなんてことは、ありえない。小学校を6年かけて卒業するみたいに順繰りに、先輩を送りだし、自分もまた時間をかけて卒業していくんですね。後輩は先輩を応援し、先輩は後輩に道を示す。その連鎖。多くの他者の助けがあってこそ、ということを忘れてはいけませんね。常に全体を見て感謝したい。

 欲望を落とすというのは、段階を経て、いろいろな次元において欲望の対象が変わっていくということです。それを成長と呼ぶ。いつかはモークシャへの欲望が1stプライオリティーに躍り出るのかも知れません。


最後に福岡のスーパーマーケットからのメッセージをば。
旬命!さんきゅーっ!

2010年9月9日木曜日

滝コレ 最新版

Om Namah Sivaya.

 夏も終わりに近づきましたが、みなさん無事ですか~?私は、ここ5年くらいずーっと、日曜日のない暮らしだったのですが、タイに先んじてYOGAJAYAのクラスを一旦終了し、早速、久々の日曜日を満喫しました。5年間、誰とも遊ばなかったので・・・。

 で、日本穀物党米派あらため、滝ガールとしては、行く場所は決まってますわな。全国の滝ガールの皆さん、お待たせしました。今回は埼玉県は秩父方面の、秩父華厳の滝ですよ。私は滝に関しては鼻が効きますからね。現地で無理やり発見しました。こじんまりした、滝行にもってこいの滝です。


 友人が、小声で「やめとけよ!」と言ってましたが、そうはいくかのイカリングざんす。でも、一瞬岩陰に消えたと思ったら海パン姿に変身している私を、ほっといてくれたのは、さすが長年の付き合いの妙ですね。ありがとう。
※単なる他人のフリという説も有り。

 ザッバーン浴びてきましたとも。あとは、滝壺で、潜ったり、浮かんだり。一人泳ぐ謎の女。ギャラリーにどよめきが走ったとのことではありましたが、本人は山蛇になった気分で、最高でした。




 自分ばっかり楽しんで、連れ申し訳ないという思いも少しあり、この後は大人しく帰ったのですが、後ほど調べてみたら、滝の真上に、お不動様がいらしたらしい。昭和48年に左官屋さんが作ったんですって。Webから写真を拝借したら、お顔かちょっと情けなくて可愛い。日本人の仏教美学からしたら、ちょっと、どうなのよ・・・的な不動明王ですが、インド風情なんですよ。ハリドワールの駅前のSiva像とかさ。






 ・・・でも、左官屋さんは、この巨大なお不動さんに、どんな思いを塗り込めたんだろう・・・。そのことを思うと、時空の狭間に放り込まれて、妙な親近感が。いつの世でも、人は祈りを持ち続けるんだな・・・と。ちなみに、滝は、男性が好む修行場というか霊場という話を聞きました。私は、もしかしたら男なのか・・・?女性の場所はどこなのか?(海?海ならあんま好きじゃないからな~・・・)などなど、疑問が湧いてきてしまった。


いずれにせよ、この滝は、私の身近な滝として、これからも訪れることになりそうですね。

我が夏に悔いなし2010!

またね~。

2010年9月4日土曜日

「さすらいの女王」中村うさぎ著


 女王様は、ナルシシズムの下僕である。(中略)自らに何らかの付加価値をつけたがるナルシシズムの欲求に愚直に応えた挙句、「借金」だの「依存症」だのを抱えて周囲から「イタい女」と認定される、というオチをつけ、結果的には「自分に価値をつける」ための行為がすべて「自分から価値を剥奪する」行為に成り下がる、まるでイソップ童話にみたいに寓意に満ちた人生を歩み続けているのだ。


 私の「主人」であるナルシシズムは、いつになったら満足してくれるのだろうか?「もう、これでいいよ」と、いつになったら言ってくれるのだろうか?

中村うさぎ「さすらいの女王様」(文芸春秋社)より


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 中村うさぎといえば、借金して高級ブランドを買い漁り、ホストクラブで豪遊し、顔や胸を整形し、女を磨く女王様(?)として有名な作家さんですが、この人は、すごいんですね。何がすごいかというと、これだけ迷走しておきながら、巻き込まれて無いというか、首一個分出して、自分の迷走模様をじっと観察分析してる訳です。その分析結果を原稿にして発表してる。ある意味悟ってますよ。面白いので、うさぎ女王様のお言葉を抜粋して、紹介しちゃいます。


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(空腹でカフェに入って、メニューを見ながら葛藤する場面)~それは一見すると「欲望」と「理性」の戦いという同じ構図に見えるのだが、よくよく観察してみれば、神と悪魔の立場が逆転していることに気づくのである。つまり、「欲望vs.理性」ではなく、これは「ナルシシズムvs.自己保存欲求」の戦いなのだ。


 ブランドものが欲しい、高価なもので着飾って周囲の羨望の視線を集めたい、というナルシシズムの声が、私の中に浪費の悪魔を生み出した。それに対して「買うな」と命じる神は破滅を恐れる「自己保存欲求」の声であった。


 一方、ダイエットの場合はどうか。私は自分が健康に悪いほど肥っているわけではないことを重々承知している。それでも「痩せよ」と命じる神は、スリムなボディラインで他者の羨望の視線を集めたいというナルシシズムの声なのだ。そして、その神に対して反抗し、思いのままに食いたがる悪魔は、私の体力を維持しようとする「自己保存欲求」の化身に違いない。


 そう、買い物嗜癖の頃の私にとって「欲望の悪魔」であったナルシシズムは、ダイエットにおいては「理性の神」を装っている。まるで「食べたい」という低劣な欲望と戦う謹厳なる正義のような顔をしているが、その正体は「瘦せて美しいと思われたい」という浅はかなナルシシズム。「他者の目にどう映るか」を至上価値とするおまえは、食欲を抑圧して痩せろ痩せろと命じ、物欲を刺激してブランド物を買い漁らせ、本来快楽であるはずの食事も消費も何もかも悪夢の戦いに買えてしまったのだ。


 ナルシシズムとは何か。それは、他者の視線を満たすことだけを欲求する空っぽの自己なのである。


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 この部分を読んで、現在の日本のヨガ産業も同じカラクリだな~と、思ってしまった。「欲望の悪魔」が、ここにおいては「スピリチュアルと純粋の神」を装っている・・・・と、これ言いすぎですかね。でも、他意はなく、単なる客観的な感想ってことで許してちょ。

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 ナルシシズムの欲求とは、他者の肯定に満たされることで初めて自分を肯定できる、言い換えれば、他者に肯定されなければ永遠に不全感を伴う「空っぽの自己」の表れなのだ、と、ようやく今にして、女王様は思う。


 とめどなくほとばしるナルシシズムの欲求と、自己確認の欲望・・・・・・それらに踊らされる自分がいったいどこまで行くのか、いつになったら女王様の流浪の道行きは終焉するのか。 


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 自分に何らかの価値を付加しようとせずにはいられない不全感。これがYoga・Vedantaでいうところの無智であります。ここでの女王様の言い分は「無智蒙昧の旅の末路に答えはあるのか?」ということですが、なんのことは無い、女王様は知ってるんですよ。「そこに答えは無い」と。いやはや、作家とは、つくづく面白い構造の人種だわ。
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 欲望というのは、歴然とそこにある。今ここにある自分と同じように歴然としている。消す消さないとか、どんな行為を選べば純粋になれるか、とか、そういう問題じゃない気がする。自己確認の欲望が、ナルシシズムという無智を離れ智慧という道具を得た時に・・・・自己は現実となって確認されるのではないでしょうか?結局、対象ではなく、自分自身の気づきと、気づく勇気と覚悟の問題だと。女王様、ある章に「事実を認めよ」という見出しを付けてますが・・・
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あっぱれ女王様!
追伸:女王様は自称「自分研究家」であり、ついつい「自分の謎解き」に熱中してしまうそうですよ。
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2010年9月2日木曜日

ごはんのこと

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 私の定番の晩御飯を紹介しましょう。納豆飯と千切りキャベツ。えっとですねぇ、別にカッコつけてる訳でも、貧乏自慢をしているわけでもなくて、これが好きっていうか、これのどこが悪い?というか、・・・要するに変わり者だと考えて下さい。体の遡及に応じて、キャベツが茄子味噌炒めになる週とか納豆が豆腐になる日とか、ヴァリエーションもあり。
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 ちなみに朝は、この一年間、毎日、クロワッサン一個と、お湯で薄めたコーヒーです。こちらはノーヴァリエーション。殆ど儀式化。 休みの日の朝は、8時に開くパン屋にクロワッサン一個、買いに行きますし、それ以外は翌朝の分を一個だけ買います。


 10年近く日記付けてるんですけどね、随分前にもこれを食べてる記述があるので、頻度こそ低かったけれど相当な年数ですよ。ここにアボカドを加えて私の好物御三家なので、「今日は御三家丼を食べた、うまい!」とか書いてある。ちなみに、食事は床で食べてます。調理も結構床にしゃがんでしてる。親に見つかったらメッチャ怒られますが。
 
 万一、嫁にいったりしたら、毎日のこんな食事はきっと許されないでしょうね~。それはまじで困るのよね・・・というか無理です。パガニーニという天才変人バイオリニストの食事も、すごく地味で毎日同じものだったと聞きますが、人に問われたり咎められたとき、答えはいつも「粗食で死んだ人はいない」とだったとか。 パガニーニと結婚したい。



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 サーダナインテンシヴコースといって、資格とかそういうんじゃない自己修行の場が用意されてるんですけど、かなりハードな修行なので食事が制限されます。油っ気と塩気を抜いた粗食になります。
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 噂で「食事がショボくて、毎日しんどいのよね・・・」とは聞いていたけど、私はなんといっても ↑ アレですからね。実際にコースに参加して「えぇっ!こんな御馳走頂いちゃっていいんですかぁ?!」と目を輝かせる私に、周囲は「?」顔でした。キッチディ(粥)とダール、サブジ、チャパティ、フルーツ。チャパティは食べずに断っていました。





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 床で調理することに長年後ろめたさを感じていた私なので、インドの台所に入った時「ここが私の天下だぜー!」と叫びたかったですね~。コンクリートの土間に座って野菜切ったり、粉こねたりします。ナイフの切れ味が悪くなったら(インドの刃はすぐになまる・・・)そのまま床で研ぎます。潔癖症の人にはドッキリなネタかしら・・・。
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 チャパティを上手に延せずにいたら、マスターとパルティバンが交代してくれました~。マスターは当然ヨーガのマスターですが、完全にチャパティマスターでもありましたね。パルティバンはビミョ~。ま、男子ですからね・・・。


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 もちろん、食べる時も床。マナ板やらココナツ削り期にどいてもらって。写真は友達のプールニーマとカルキです。プールニーマはお嫁にいってしまった。奥にあるのは若いマンゴーだね。ピクルスにします。ヤシの若木とかもよく食べた。バナナの花の下ごしらえの仕方は(なぜか)カルキのパパに教わりました。そういう時はね、お母さんと一緒にエンドウ豆のスジ取るような、静かで優しい時間。
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 ちなみに最後に、まったく関係ないけど、私の好きなコリウッド・アクター、ヴィジャイのムービーを紹介しましょう。この人を「キャー!カッコいい~!」と思ってしまう自分が、ものすごく謎なんだけど、とにかく膝が良い!しなやかでしたたか、コンドロイチンたっぷりな膝に注目!お楽しみあれ。
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