2018年1月1日月曜日

謹賀新年2018!

みなさま、新年あけましておめでとうございます。
昨年も、みなさんには本当にお世話になりました。
遠く離れて会えないみなさんにも、私の勇気をしっかりと支えて頂いてました。
本当に本当にありがとうございます。

2018年も、みなさんにとって、幸多き、学び多き一年になりますように。
私も頑張ろう。


新年の御祝に、何を書こうかな、って思っていたんだけど、昨年からペンディングにしていたことを書こうかな。

ってことで「巷に溢れるヴェーダーンタを探せ!」

昨年も、渡航前に慌てて一人カラオケに通いまくっていたんだけど、

椎名林檎の「ありあまる富」という曲の歌詞の一部をシェアしましょう。


以下引用。


「僕らが手にしている富は見えないよ。
彼らは奪えないし、壊すこともない。
世界は、ただ妬むばかり。
もしも、彼らが君の何かを盗んだとして、
それはくだらない物だよ。
返して貰うまでもない筈。
何故なら、価値は生命に従って付いている。

彼らが手にしている富は買えるんだ。
僕らは数えないし、失くすこともない。
世界は、まだ不幸だってさ。
もしも、君が彼らの言葉に嘆いたとして
それはつまらないことだよ。
なみだ流すまでもない筈。
何故ならいつも、言葉は嘘を孕んでる。」

私たちの真価は何ですか?
私たちの正体は何ですか?
私たちの本質は何ですか?

放っておいてもいずれ死ぬ者同士が殺し合いをしたり、
仮想の価値を上書きしただけの紙っぺらを奪い合ったり、
追いかけても追いかけても逃げていく、
蜃気楼のようなものに縋って縋って纏わり付いて、
それだけで人生を終えるなんて、時間の無駄っていうか、徒労。
存るものにちゃんを気付いて、「存在」を生きられたら、それを幸せというのかな。

昔、知り合いのおばちゃんが私に教えてくれました。

「愛とは、理解と信頼です。」

若かった私は、すごくアホで、蜃気楼を追いかけることが愛だと思ってたからさ。

今にして思う。

この世界を生きるということは、人生を生きるということは、
理解すること、そして安心、すなわち信頼なんだよね。

生命は愛だなあと。

その安心は、何かに依存している価値ではなくて、自らによって明らかな安心、理解の現れだと思います。

巷にいう自己実現という言葉は、その「理解」のことであるべきでしょう。

自分が届いていない何かになることでは無くて、

自分の真価に還ること。

私もね、こうやって、あれこれ書いていますけど、やっぱり言葉には限界があるんですよ。

だって言葉は知性によって操られる道具だからね。

知性の向こうのことは表せないからね。

「言葉はいつも嘘を孕んでる」とは、よく言ったもんだね。

それでも、こうして綴る言葉のひとひらが、知性の向こうに続く、ヘンゼルとグレーテルのパン屑みたいなものになったら、いいなと、思っています。

私は言葉が好きだからさ。
だって、言葉はいつも、儚く、脆く、そして美しいから。

今年もワクワクする一年になるんじゃないかな。

みんなと一緒に、何かをしよう!

その時はどうぞ、私を助けて下さい。

本年もどうぞよろしくお願いいたします!