2016年6月27日月曜日

今日も国際ヨーガエブリデー



25歳はお肌の曲がり角・・・といいますけど、ちょうどそのくらいをピークに、私のイベントへの興味がなぜか著しく減少。それから20年降下しつづけております(笑)。まあ、お正月なんかは子供のころから苦手だったんですけどね。なんだろうね、25歳。


昨年、インドのモディ首相の頑張りで国際ヨーガデーなるものが制定された。

6月21日スペシャル!イェ〜イ!という感じにはなれず、いつも通り地味に一人マットの上でだらだらとアーサナしてました。


・・・・ていうか、毎日ヨーガデーで、それでいいんではないかい?


まあ政治的な意味合いとか、商業的な意味合いとか、いろいろあるでしょうから、なんとかデーっていうのは、もちろんあって良いと思うのだけどね。


訥々と、でも、毎日を生きる。
まあそれだけだよね。



会社を回すために、「売る」ことが目的化してしまってはヨーガを伝えることの原点から離れてしまう。ヨーガを伝えることの原点はあくまでも、「喜び」を交換することにあるはずだ。

というのは、実はある方の文章の一部を置き換えたもので、本当はこういうの。


会社を回すために、「売る」ことが目的化してしまってはものづくりの原点から離れてしまう。ものづくりの原点はあくまでも、「喜び」を交換することにあるはずだ。

計画と無計画のあいだ・・・「自由が丘のほがらかな出版社」の話 三島邦弘 著)


出版業界の方はご存知でしょう。現在進行形のレジェンド「ミシマ社」。


未曾有の出版不況の中で、あらたに会社を立ち上げた三島さんの、「良いものを、感動を、喜びを人から人に伝えたい」という正直な情熱が奇跡を起こしているわけで、すごいなって思います。

というのはですね、私の最初の就職先は、二流だか三流だか、いちおう出版の会社で、入社前に「出版業界には不況はない」って散々聞かされていたんです。

その定説もいまは昔だからね。音楽出版も同様。大変な時代なのはわかる。そのせいか大量に流通するメジャーどころの音楽が、使い捨てみたいに本当につまらなくなった。

もしかしたら利益のみ追求して心の入ってないものを出版するから不況になったんじゃ?と疑っちゃうくらい。きちんと作ろうとするものが売れない、作れないという状況は、消費者にとっては残念以外なにものでもない。


ミシマ社のお話を人から聞いて、おーっ!と思いましたよ。

三島さんは、根腐れしていく出版の世界に杭を打った。
たった一人で、しかもほがらかに。

か、かっこいい!
ロックだわ、アナーキストだわあ。

実は、私には小さな夢がある。本を出版したい。もともと学生の時からやりたかったことなんだけど、でも使い捨ての本では嫌なんだ。

100年後の人たちに福利をもたらせるものがいい。

100年後にそれを見た誰かが、まっすぐに受け取ってくれて、次の100年の人にわかるように伝えて下さるように、偽りのない思いで、純粋な情熱で書かなくてはいけないよ。


まあ本の話には限らないんだけど、その正直な情熱の、いまにも消えそうな灯火を、毎日きちんと守っていくのが、大切なしごとだし、私のヨーガなんだ。


照る日も、曇る日も、毎日がその日。

もうすぐ六月も終わるけど、それでも毎日がその日。


泣いても沈んでも、灯火は消えない。


とりとめのがなくなっちゃったけどさ、また明日も地道にいこう!


写真が古いけど、悪しからず(笑)。

またねー!











2016年6月15日水曜日

雨の日のシータマ書店 ヴェーダーンタ篇




梅雨ですね。
うーん、けっこう嫌いじゃない、かもしれない。

中学校一年生のときの国語の先生が言っていた。
文学とは真実を伝えるものであると。
フィクションだけど真実を伝える。

ファクトではなくて、フィクションだからこそ、真実にフォーカスすることができる のかもしれない。もちろん読み手がそこにフォーカスしてくれるかどうかは別問題ではあるのだけれど。作者が投げてくる真実を拾うと感動する。


それでは勉強会のみなさま。いつも私がクドクドお話していることを、文筆家の美しい文章で見てみましょう。


ヴェーダーンタのテキストでは、真実を明確にするために、真実でないもの、世界とは何かが細かく解かれていますよね。世界とは何かということが。それからもちろん私とは、真実とは何かということ。

そういったことが、美しい文章で表されているから、小説好き。



たとえば、よしもとばななの「スウィートヒアアフター」。
 
 そうだ、交換してるんだ、お互いに。

 私はこの世界にこんなに影響を与えている。そのことを知らなかった。世界は私が輝くと輝きをきっちり同じ分量で返してくれる。ときにはすばやく、ときにはゆっくりと、波みたいに、こだまみたいに。

 こんなちっぽけな私がどういう気持ちでいるか、そんなことが世界を確かに動かすことなのだ。
 目に見えない世界で確かにそれは起こっていることで、見る目を変えればいつでもその影響を見ることができるのだと、私ははっきり知って戻ってきた。


主人公が、真実でないもの(世界つまり客体)を語ってるんだけど、実に美しくジャガット(世界)と、その法則性であるカルマというものを含めて捉えてますね。


それを客体化できているということは、裏を返すと、語り手は、真実(私つまり主体)をある程度つかんでいるということです。九死に一生を得、ニッテャーニッテャヴァストゥヴィヴェーカした人のお話でした。

「私」の本質は死なないことを知る人は、恐れを超えます。

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お次。

田口ランディの「キュア」。これはガンを得て、多くのことに気付いていく人の話。


人間てなんだろう。いろんな微生物やウィルスと共生している。一つの生命じゃない、無数の生命の共生体だ。自我だけが、勝手に自分を一人だと思っている。バカだな自我って。愚かだ。

そうなんです。バカなんです自我。だってそもそも自我も客体だから。ものです。追ってクラスで詳しくお話しましょう。

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以下、二つの生命の対話。


じゃあ、なぜ人間は意識をもったんだろう?人間だけが・・・

理由はない。それも因果による必然。意識もまた反応の一部だわ。



「意識」って言葉は守備範囲が広いので、区別するために、「認識」とか「思考」に置き換えてください。「認識」や「思考」は「私」の本質ではなく、反応であり、ジャガットの一側面です。

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どうしたらこの意識から抜け出せる?

思い出して、海で生きていたころのことを。魚だったとき、あなたは水を意識できたかしら。水のなかで生きている魚が水について認識できるかしら。魚が溺れることがあるかしら。


もがかないことよ。もがくと溺れる。あなたはもともと泳げる魚なの。

だからそのままでいいのよ・・・・。


私の本質をあらわす美しい比喩だよね。

ここでも、各箇所で別のことを意味する「意識」という言葉が複数でてきますので、冒頭の「この意識」を自我や思考を私と勘違いする「誤った自己認識」に置き換えます。もがくことは混乱した知性ですよね。

ヨーガは、自己についての正しい知識がやどる綺麗な体と心と知性をつくる道のことです。もともとの私を思い出すために。


あなたはもともと泳げる魚なの。
だからそのままでいいのよ。

これがヴェータンタの答え。

詳しくはまたクラスで!

追伸:妙なところばかり勝手に切りとって紹介しましたけど、小説として普通に面白い本です。読んでみて。


2016年6月14日火曜日

メールに関するお願い!

みなさまお元気ですか?

今日は緊急にお願いです。

タイのリトリートの件で、お問い合わせやお申し込みのメールを頂戴するのですが、返信すると、不達になってしまうケースが多くは発生しています。とくに携帯電話のアドレスからメールくださった方、セキュリティの設定を変更していただくか、パソコンで開けるアドレスをお教えくださいますでしょうか?

お友達に、リトリートの情報をシェアしてくださった方、こちらの記事をシェアしてくださるか、お心当たりのお友達がいらっしゃる場合は、その方にお伝えいただけると大変助かります。

どうぞよろしくお願いいたします!





2016年6月2日木曜日

拝啓ウパーサナ様

北国に縁のあるウパーサナさんに向かって、ガンガン更新宣言をしたので、有言実行を目指します。るんるん。

ウパーサナさんは北国で元気にしているでしょうか?
ウパーサナさんじゃない人も、各地でお元気に過ごされているでしょうか?

私は、東京で、比較的のんびり過ごしています。

このギャップ・・・。

インドでちょっと働き過ぎた分、取り返すようにのんびりしています。


最悪の時は2時に寝て5時に起きてたからねえ。その場合1時間の昼寝が必要だったけど、1日20時間労働って・・・禿げるわ。

インドでなにをしているかというと、お父さん(スワミジのこと。北国のトゥラシーさんと私が勝手にこう呼んでいる)のもとで、ヨーガのコースの運営をしています。事務部門と、経理とまではいかなくともお金の出し入れ窓口。


そんな私の事務職経験は、たったの1年。なんとかやれているのは、あの時に色々なことを教えてくださった社長と専務のおかげです。


それから生徒を教える部門。生徒の相談窓口。スタッフをなんとなく管理する部門。


6年前に、アンボリで細々と始まった頃には、それこそ他に誰もいなかったので、すべてを自分ですれば良かった。日本人だし器用だし、忍耐力あるし、そこそこ一人でなんでも出来るし。


いまは人もわんさか増えて、ジュニアスタッフを管理、育成する中間管理職っぽい感じ。
「中間で管理しやがって!」という、まあ、ちょっとした憎まれ役です。


正直いうと、自分でやった方が早い場合も多い。

これまで全部自分でやってたんだから当然できるし、教える為の時間が二倍かかる。

小心者の私には「人に頼むことで嫌な顔されるんじゃないのストレス」もある。

しかし、お父さんに「全部自分でやるんじゃない!」と怒られた。



お父さんがそう仰るのは、後輩の育成という意味も大きいでしょう。

私の大好きな松岡修造は、合宿で子供たちを大声で叱りつけもするけれど、出来るだけ褒めるようにもしているのだそうです。

「人間には圭のように叱咤激励されると気持ちが引けてしまうタイプもいれば、追い詰められる方が力を発揮できるタイプもいます。部下を指導するときも、一人ひとりの性格をあらかじめ知り、タイプによって対応を決めるべきでしょう。」

「そして、 僕が圭に人前でスピーチをたくさんさせたように、その人が自分の弱い部分と戦わざるをえない環境をつくり、どうすれば弱い部分を克服できるか、答えを自分自身で出させることが大事です。」

課題を与え、叱咤しつつ、褒めることを忘れないこと。

タレントショーでおかしな芝居(コント?)をいろいろやらせましたけどね、それはすべて、ま、いわば「弱い部分の克服」「自分強化」の課題ということでね、ご勘弁ください。うはははは。




みんな目を閉じていて、誰だか判別できませんからね(いやバリバリわかるって・・・)h写真載せますよ。


ライターは私だけど、脚本は毎回違うものを書いてます。英語劇ですが、毎回知的(そうは見えないけどねえ・・・)な内容でインターナショナルに爆笑をかっさらっている。


若手女優の卒業に伴い、来年から名前変える。「ヴァルカラ新喜劇」、俳優スタッフ随時募集中です。



後続の育成という点ではウパーサナサンガという私塾のような、少人数の勉強会をやっています。今年も東京で始まりました。



ヨーガが爆発的なコマースとなってからは、ワークショップとか、コースには、手っ取り早く肩書きが欲しい人や、明日自分のクラスで使えるネタを拾いにくる人が(ますます)増えた。

そんな中で、本当に理解したい生徒さんたちと、彼らの理解を確認できる距離で、お互いに誠実な気持ちで向き合いたいと思い、この勉強会を始めた。それももう5年目だ・・・。

肩書きをあげることは出来ないけれど、いつか彼らがクラスで生徒につっこまれた時に、ちゃんと説明出来るようになって欲しいし、自分もそうありたいから、まだ続けてる。

これまでにドロップアウトの人の数はたくさん。だけど、しがみついてくる人の数もけっこうたくさん。

大阪での特別編は来月始まります。


北国のウパーサナもいつか参加してください(笑)。


またね!