2017年8月9日水曜日

ジーザス・クニヒコ・スーパースター


ジーザス・クライスト・スーパースターを知っておるかな?
70年代のいかしたロックミュージカルじゃ。
ニューヨークのブロードウェイで公演された。

そんなジーザス・クライスト・スーパースターがこの夏、四万十川から唐突に湧いて出たからシータ万蔵はたまげたぞ。


あれ、よく見たらジーザス・クニヒコ・スーパースターだった!


なーんて(笑)。
すみません。高知県四万十市 Natural Life Yoga のKuniさんの華麗なるジャンプでした!

昨年、密かに行ったリトリートを、今年は密かではなく開催してみたのです。

三日間、くにさんと私、そしてカフェTaneのちかちゃんがホストとなり、アーサナして、クリヤーもして、瞑想して、キールタンやって、ヴィーガン料理食べて、海へ山へと繰り出す、0代(というの?)から40代まで、個性豊かなメンバーが集まった「大人の夏休み」でした。

三日間、家族のように共に過ごしましたね。本当に楽しかった。



何気ないおしゃべりのなかで、ジーザス、もといクニさんが言ってた言葉。

「遊びがなかったら、いい仕事は出来ませんよ」

結構、深いお言葉。

決して「酒と浮気」についての男の言い訳みたいな話ではありませんよ。


ブラック企業とか、新たな過労死が問題視されてるご時世。

働き方、働くことの楽しさ、働くことの意味・・・いろんなことが分かり難くて、果ては、生き方、生きることの楽しさ、生きることの意味が分からなくなってしまう。

時間を忘れるくらい、いい遊びが出来たときは、生きる喜びを思い出すよね。

私の好きな言葉は「天真爛漫」。
生まれつきの素直な心が、そのままに輝き顕れることです。

以前は、私の趣味を多分に反映した「修行」系の、きつくて長〜いリトリートをやったりしてたんだけど、ほどなくして考えを改めたんですよね。今、多くの人に必要なことは、自己を律して知識を詰め込む以前に、本当の自分、天真爛漫を取り戻すことなのではないか、と。

そんなわけでタイのリトリートも少し趣向を変えましたし、今回の四万十企画もその流れです。




ジーザスと私、シンクロ選手風に入場。

地上での演舞。

沈下橋は、増水したときに橋が流されないよう欄干を省いた橋です。

シータマン余裕を見せる。「飛ぶわよーん!」


ジーザス「ではまず僕が手本を見せます」


ジーザスが行った!

シータマンがへたり込んだ!


ジーザスとチキンズ(チカと私)、長いこと川を下る。

時々、船から離脱。


ゲストをお迎えしてリトリートの始まり!

ちゃんとアーサナもする。毎日2時間。


制服でトゥース!業務連絡サトーリー待ってます。

サットサンガもする。






猛禽類、水面に急降下。

アンパーンチ!

水族館のような海でピクニック!

西瓜を真剣に見守るのは、小さなあんよの持ち主。

ちかちゃんのカフェ、tane。

恒例の「tane前青春ショット」

また明日から元気に働いて、また必ず会いましょう!

おまけ!女子力向上委員会。

この夏の、この瞬間、私が思っていることは、ちょっとばかり遊びが足りないなってことと、ちょっと休みたいってことかな。

昔は年に一度や二度、日本お一人様旅やってたのにねえ。
いつの間にか忘れてしまってた。

ジーザス・クニヒコ・スーパースターの言葉を胸に、計画してみますかな。
明日の良い仕事のためにね。


つぎはどんな出会いがあるのかな〜。
また来年、四万十川で待ってます!
















2017年8月8日火曜日

スピリット

この夏のウパーサナサンガ大阪編も終わりまして、集ってくれた皆さん、ありがとうございました。

この三か月通しての主題はですね、ひとつの事柄にも複数のリアリティーがあるということでした。このことを理解しておかないと、ヨーガやヴェーダーンタの勉強は勘違いの温床になるからです。

・・・といっても、「このこと」自体を理解するのは、やはり簡単ではないのかも知れないんだけどね。

みなさんが、多岐にわたるワークショップやレクチャーに、いろいろと足を運んで、その結果モヤモヤっとする、その原因は、ここんとこにあるんじゃないでしょうか。

「このこと」に関する自身の理解の欠如、もしくは教える側の理解の欠如、両方があると思います。

先日、ここで書いたマエストロ・ミゲルの歌のレッスンでね、身をもって痛烈に感じたことは、「知的に理解してるのと、知識と一如であることは全く別の話」ということでした。

主体と客体のヨーガ(融合)は、いやはや、「言うは易し」ですよ。

話が逸れた。

多様な次元におけるリアリティーの話。


ここんとこ気になっていた「スピリチュアル」という言葉を例に挙げると、

江原さんがスピリチュアルカウンセラーを名乗ってから日本でもこの言葉が使われるようになった。江原さんがなぜスピリチュアルという言葉をそこに使うかというと、英国のSpiritualist Association of Great Britain でお勉強されたからでしょう。

Spirit-ism、心霊学の協会です。

巷でいうスピリチュアルという言葉は「心霊」にまつわることを指していることがわかります。

Spiritを辞書で調べてみると・・・

①精神、心
②気分、精神状態、快活、元気
③気力、気迫、勇気、熱情、気質、気性、心的態度
④(形容詞を伴って)・・・の人
⑤忠誠心
⑥特質、傾向
真意、意図
⑧霊、霊魂、神霊、精霊、幽霊、亡霊、悪魔、妖精
⑨ a 蒸留酒、火酒、
    b エキス、エッセンス

巷のスピリチュアルは⑧番に対応する言葉です。スークシュマな次元の話。

一方、我々の現場で使われるSpiritの意味は⑦なんですよ。もっと言えば⑨bに出てくるエッセンスという言葉。エッセンスとは「本質」のこと。ストゥーラ、スークシュマ、カーラナの次元の向こうの話です。

生徒の皆さんの理解のために、これらを混同して欲しくないんです。

Spiritualという言葉を翻訳する時に本当に頭が痛い。

Our spiritual pathとかいうセンテンスを「スピリチュアルな道」と訳すのは言語道断。逃げだわ。

精神的な道と書けば、心理的と紛らわしく、仕方ないから霊性という言葉(物質を超える精神性)とか使ってたんだけど、日本語をよく知らない若い人とかは、勘違いするかも知れない。

つまりヨーガ、ヴェーダーンタで「spirit」とは「本質、真理」のことなんだよね。これから全部「本質、真理を求める道」って直すわ。

・・・と、このようにですね、言葉一つとっても色々な次元での意味を持っているでしょ。


複数の次元のリアリティーがある。

リアリティーの奥行きについて理解がなければ、自分の傾向という一方的な立場から、様々な誤解をするでしょう、ということです。

この、相対的な世界において、良心は一つではないんですよ。

いろんな立場の良心がある。

みんながそれぞれの良心と正義を一生懸命に守ろうとしているんだよね。

それぞれの幸せの為に。

だから戦争が起こる。

どっちが悪いとかの話じゃない。

だって、みなが相対的なリアリティーから世界を見るのであれば、それば当然起こって来ることだもん。

この勉強は、相対的なリアリティー=対比の世界の向こうにある、絶対的なリアリティー、万物共通の意識の追究なわけですよ。

たとえ知的な理解だけだとしても、頭の中でシミュレーションが出来る。

「こちらが正しい」「あちらは正しくない」「私は○○については認めない」みたい主張が、どれだけ虚しいことか分かる。

毎年、夏になると、やはり戦争のことを思ってしまいます。

なんかねー、結局、その辺のところが気になる為に、私はこの仕事してる気がするんだな。



人類の思考の望遠鏡。

願わくば、

互いの違っているところ(ウパーディ)に焦点を合わせるのではなく、共通する次元(アートマーの本質)に焦点を合わせられないものか、と。

学術的なこととか、聖典の細かい部分とか、細部に興味もあるし、個人的に知的欲求を満たしたい気持ちもある。だれど、そればっかりに捉われず、みんなに伝えるべき大義がちゃんと伝わるようにしないと・・・。

勉強のための勉強みたいなことにならないように。

みんなが幸せになるにはどうしましょうか、と。

それはともかくとして、この夏も一緒にそんな勉強をしてくれた素敵なみんなに感謝です。東京チームも頑張ってますよ!

ちなみにスピリットの語源は、ラテン語の「息」。プラーナ(息)がブランマンの顕れと言われるのと同じことでしょう。


































2017年8月3日木曜日

炎のマエストロ!

涼しかった昨日、整体院で首をチョチョイっと整えてから、東京文化会館に東京都交響楽団、略して都響のコンサートに行ってきた。


クラスがお休みなのでチケットを取っておいたのです。

「コバケン真夏のシンフォニー」



コバケン



東京文化会館という古いホールの音は、二階の最前列が・・とか五階の左右が・・音響マニアの皆さんに色々と言われるホールです。

今回は、一階の中央右寄り、7列目。

サウンド的にベストポジションではないかも知れないけど、綜合的に良かったんじゃないかな。一点だけ気になったのが、客席の中央奥の方で「チーン」という高周波が頻繁に鳴る。高音域が何かに共鳴してしまっているらしい。あと目覚ましアラーム鳴ってた人がいた(笑)。

座席の位置がステージと同じか若干低いので、管楽器隊とチェロ軍団の姿が見えなかったけど、

・指揮者の横顏が見える
・低音クラブの私としてはコントラバス隊の目の前というのが良い
・コンサートマスターがよく見える。

という点も含めて良かったです。どの席に座っても、楽しみ方はあるのでしょう。
オーケストラの舞台というのは実に多面的。


交響楽の良いところはですよ、音域、音量の両方における、ダイナミックレンジの圧倒的な広さですね。

本当に全身全霊、響きまくって癒されまくり。

炎のマエストロの異名をとる小林研一郎氏ですが、日本の指揮者として世界での知名度は小沢征爾氏に続いて二番手くらいなのかな。私は幼少期に東京文化会館、昨日同じ会場、サントリーホール、杉並公会堂の四ヶ所で、聴きました。子供の時のことは覚えていないけど、チャイコフスキーとマーラー。

ほら、日本はさ、メジャー主義というか、何か流行すると皆同じものを買うような文化があって(ある年インドから帰ると町中の人の殆どが anelloというブランドのリュック背負ってて、まじで仰天しましたからね)、二番手以降は、その道に無知な一般の人に「2ちゃんねる」みたいな場所でムダに叩かれるようなところがある。

でも、素晴らしい指揮ですよ。私は好きです。

指揮をしながら唸るのが嫌、というけどね、キース・ジャレット好きなんですよ、あたしゃ。

同じように好きです、キース・ジャレットとコバケン。


あとね、コバケンのシンフォニーは、なぜだかわからないのですが、聴いた後にものすごく温かい気持ちになる。これは理屈を超えた何かなんだろうけどさ。

なんか愛がいっぱいだなあ、と。


そりゃもう、炎のマエストロと呼ばれるくらいだから、熱いんですよ・・・激しいし。

今回のコンサートだって、「暑い夏にこそ、暑苦しいコバケン聴こう!」みたいコピーだったからね。

でも、オケとのコミュニケーションが人間的というか、個人的な喜びの表情も隠さないのね。そんな時のコバケンは、孫に相好を崩す好々爺みたい。

なにかが優しい。

いやー、良かったです。

必要だわ、こういう時間・・・としみじみ思った次第。

演目は、

ベートーヴェンのエグモント序曲
ベートーヴェンの5番
ドヴォルザークの8番



ということで、以下は完全なる萌え萌え独り言ですから、スルーして下さい。

5番の第2楽章のあたま、ヴィオラ、チェロ隊、美しかった〜!情緒〜!萌えーっ!。美しくも切ないその音に、コバケンも「孫の前のお爺ちゃん顔」で答えていた。


5番は1楽章の「ジャジャジャジャーン」で有名な「運命」、ジャジャジャジャジャのスタッカートが激しく極まるところ。7名の弦バス隊の弓が、弦にバッチバチ当たる音が(目の前だから)聞こえて萌えーっ!

コンマスが「北の国から」の純くんみたいな人のに、体がついていってしまうタイプ、深く抉るようなノリに萌えーっ!

オケの中で一番に指揮者を凝視しているであろうティンパニーの人の眼光の鋭さ。激しい時に鬼瓦みたいな顔から繰り出される雷鳴に萌えーっ!

ドヴォルザークの最終楽章で、ホルンのボリュームが突然最大になるところ、楽器を高々と掲げ、天を引き裂くような音で吠える。勇壮なサウンドに萌えーっ!しかも数回しか出てこないよ。カトちゃんの「ちょっとだけよ〜」だよ。作曲家っていのは良くわかってるわね。


いやー、萌えた萌えた。

閑話休題。

指揮だけをとってみても、鼓笛隊や、「8時だよ全員集合」のポップス歌手のバックバンドの指揮とは違い、オーケストラの指揮って抽象的で分かりにくい。

音そのものにしても、ポップやロックの情緒表現は分かり易いよね。たとえば悲しい音、フラストレーションの音、うきうきする音。その中の一色のみ。あるいは一色から一色への移行。

実験音楽も面白いが、無作為とか抽象という概念に執着し過ぎて、かえって作為的に聞こえたりもする。

そこいくと、ありとあらゆる情緒が、互いに矛盾を孕みながら、ぎっしりとつまっているのが交響曲の魅力でしょうね。さまざまなコントラディクションを一緒くたに包括している。まるで世界のように自然。

そう、シンフォニーは世界だ。

そして、少なくとも子供時代から十代まではこんな気持ちで生きてたな。

悲しさと嬉しさ、怒りと許し、さまざまな矛盾を同時に包括しながら。

いつしか大人になって、その時々の感情を、「怒ってる」「悲しい」「嬉しい」・・・一つのカテゴリーに閉じ込めてしまうようになったのは、一体いつからだろう。

小賢しくなったもんだ。

「地獄に落ちろ!」で読者にはお馴染みの伊藤康麿先生は、ゼミでこのように仰っていた。

「すべての芸術は音楽に憧れる」

それは、その抽象性、包括性によるところなのでしょう。

音楽は言葉を持たない。
意味も持たない。


ただただ果てしない空間の存在を、知らしめるだけ。

音楽は、言葉を超えた向こうにあるもの。

前衛的な現代詩人であった先生は、お若い頃に、切々と音楽に嫉妬したのでしょうね。


そうそう!

小さいお子さんがいらっしゃる方、子供達が交響楽に触れる機会を作ってあげるのはどう?

たとえば今週末の都響だったら、上野の東京文化会館で、夏休み子ども音楽会がある。

小・中学性は1000円。親は座席によって1000〜3000円。

この企画のすごいところはですね、コンサート当日限りだけど、コンサートの半券を、動物園などの無料1dayパスと引き換えて貰えるところですよ!

夏休みの絵日記ネタ満載の一日になるしね。
お子さん喜ぶと思います。


というわけで、皆さんも良い週末をお過ごしください!






2017年7月24日月曜日

数秘とカウンセリング

いつもお世話になってる、マーキチの母、岩原京子さんのヌメロロジーカウンセリングを受けました。


これは昭和の写真ではありませんよ。お揃いのサリーで京子さんとパチリ。れっきとした平成写真です。でも、私は帰国前夜で祭りのあとだったかな・・・見よ、このお疲れフェイス!

京子さんに出会ったのは数年前の大阪のクラスです。が、私は東京に住んでいるので、実際にいろいろお話させていただくようになったのは、私がスワミGと一緒にいるところに彼女が遊びに来てくれてからです。

関西の人と密に接することが稀だった私にとっては「さすが大阪!テンション高いお母さんだなー!」という印象でしたが、なぜか最近それが揺らいできました。

「あれ?この方もしかして、なんかちょっと小綺麗なキチンとした人?」って。

なんでだ?と思っていたら、以前カウンセリングのお仕事をしていた京子さんが、最近カウンセラーとして復活してたんです。

どうりで。

なんだか客観的な視点に立つ人になってたんですね。


「子育てが苦手なお母さん」が、子育てと向き合ってきた経験を通じて、主に子供とのコミュニケーションの相談を受けていらっしゃる。

そんな彼女のお仕事を覗いてみたかったのだけど、私は子供がいないので、チャンスがないと思っていたら、彼女のもう一つの得意技、数秘術を生かしたカウンセリングを始めたらしい。

ということで、私さっそくお願いしました。


数秘術が語る「私」に関しては、とくに目新しいことはありませんでした。
全部よく知ってることです。

ただ、これは私が自分に対して、偏執的な分析&観察マニアだからであって、みなさんはきっと目新しい情報が出てくるはず。

それにしても、数秘も、ジョーティッシュや四柱推命と同じことを言ってくるのが不思議なのよね。

カウンセリングはスカイプで、最初に送られてくるPDFのファイルを見ながら対面で行われます。

PDFのチャートに京子さんが手書きで、短いメモを書き足してくれているから、分かり易い。

例えば

・持って生まれた才能は忍耐強く面倒見がいい
・献身的な生き方で名をはせる人
・極上のお世話好き、伝統的、保守的、几帳面、良心的
・人に特別な貢献をする人、好き嫌いがハッキリ、一匹狼
・今回の人生で信頼について学ぶと決めている
・願望、内なる動機は分析好き、ひとり好き
・他人からの目は寛大であったかい人、知的、哲学的
・感情的、直感の人、ぼんやりしている
・頭が固くて融通がきか無い
・せっかちで移り気
・がまん強く、もの静か、仕事好き
・知性の面では創造的で楽観的

などなど。


ま、そのまんま、自分てこういう奴だなって思ってる通りでした。

一番うれしかったのは、だあれも信じてくれない「私ひとりが大好き!」という事実を数秘術がしつこく語ってくれたことですね。

警戒心が強い私は、駅のプラットフォームにも「ゴルゴ13」のつもりで立ちますからね。




少なくとも、京子さんだけは、こんな私を理解してくれていると思うと、とても安心しました。世界に2、3人くらいの人しか知らないと思うが。


面白かったのは、京子さんが時々、手元でゴニョゴニョやってるんですよ。何してるのかと思うと、一言で言い表したい時に、カードを引いたりしてるのね。

時系列で話してる時だったんだけど、そのカードが、私の30代前半までは「Patience」、今「Efficiency」、将来「Awakening」と(笑)。

だって「忍耐」→「能力」→「覚醒」だよ。

わくわくですわ、人生。

10代から30くらいまで、なんかね、本当にしんどかったんですよ。どうにも誰とも心から分かり合えてる気がしなくて、文学を地で行っちゃってましたから。中学、高校時代も、周りの女子達の考えてることなんてまったくの意味不明でした。

通じていると思えた人は二人だけ。ひとりは死んじゃったし。

でも、今はだいぶ良い感じに人生を廻せてると思う。

忍耐な時代はね、苦く、甘く、あれはあれで魅惑ではあったのだけどね。

時は戻せないから。


私の場合は、総じて

「繊細で内向的だけど人の上にたち、クリエイティブな考え方と高い言語能力で仕事を手際よくこなします。警戒心が強いけど善悪を見極める目はある。生まれながらの人道主義者でありヒーラーで、直感を使ってお金の為ではない働きをする人。共感力が強く、包容力もあるし、人からの助けをたくさん頂く人」

ということでした。

これらの情報を踏まえた上で、社会で迷子になった人達に、どのように社会と付き合うか、ということを本人に整理整頓させるのが京子さん達カウンセラーのお仕事なんだなって思った。

社会とはつまり家族、学校、職場、地域。

核家族が主流となった今、近所の相談役のおっちゃんみたいな人はもはや絶滅。

家庭という一番小さな単位の社会が陸の孤島になる時代です。

いままで見たどの京子さんよりも、どっしりと落ち着いて、カウンセラーでした。

人が、地に足をつけて生きていく為に、このようなお役目の人がいてくれるのは良いことだなあと思いました。

個人的に共感を持てたのは「収入が何倍にもなる」「勝ち組になる」とか、そういう如何にも的な私の嫌いな言葉が一切出てこ無いところですね。

興味のある方は、あと若干名ですがモニターを募集してらっしゃいますよ。

「お母さんでいること」が苦手で仕方が無かったお母さんは、苦手だったからこそ、懐の深いお母さんに進化した。

「才能を発見するカウンセリング」という主旨のタイトルですが、内容はもっと汎用性が広いという印象です。誰にも相談出来ない悩みがあるときには、ダウントゥーアースな京子先生のドアを叩いてみてください。子供達に綺麗な未来を贈りたい、大阪のお母さんです。お願いしたら講演などもきっと受けてくださると思うよ。


詳細はこちら




















8月のシータマコさん



椎田万蔵先生は「おろち流(サリー)着付け教室」の師範ですが、名前の似ている「さいたまんぞう」の「なぜか埼玉」はどんな曲だったかチェックしてみた。

♬ なぜか知らねど〜
夜のシータマは
老けていく老けていく
シータマの夜
どうにもならないあなた
あきらめないで ああ〜


・・・なんだっ!この歌はっ!


どうぞスルーしてください。ぜんぶ私の妄想劇場です。

だって、みんながいろんな名前で呼んでくれるんだもん。楽しくてさ。
シータマ、スーパーティーチャーシータマン、シータマコ、などなど。
いろんな人が私の中にいるみたいで面白い。
でもしーたまんぞうは自分でつけました。

あ、着付けもちゃんと教えますよ。
これまでに「パイソン」と「うわばみ」がオロチ流を卒業しました。
現在「青大将」は修行中です。

なぜオロチかというと、なんででしょうね。

蛇のようなパワーと執念でぜったいに修行を成し遂げよう、ということで、パイソンと作った女子会「ナーガルサンガ」が前身ですね。私オロチとパイソン弘美、他にうわばみとつちのこがいます。



スルーしてください(笑)。



サリーは、これまた不思議な衣料なんです。私にとって。

ものすごい安心感というか安定感をもたらす。

「I'm home!」

って感覚です。

当初、何度教わっても難しかったのが、ある時、突然に思い出した。

「あれっ!私、これ、毎日着てたわ!」

それ以降するするっと着られるようになったわけです。

そして、教えてくれてたトゥラシマタは、私に伝授したあと、きれいさっぱりそれを忘れた(笑)。

ちなみに写真は、カマレーシュ・コウキさんに撮っていただいた大好きな写真。

一般的なサリーではなく、ケーララの衣装、上下セパレートです。通称セットゥムンドゥといいます。セットゥというのは英語のセット、ムンドゥは男が腰に巻いているドーティーのこと。正装ではアンガヴァストラム(マラヤーラム語はド忘れした!)上衣の布も着用するので、ケーララは男女が同じ服ってことです。無漂白のさらし綿でとても気持ちいいよ。



8月はいつも通り、芝浦での水曜19時オープンクラス(どなたでも予約なしでOK)に加え、過去のウパーサナサンガ参加者向けのステップアップグループ120分が、毎週木曜10時半より。

8月19日(土)には港のヨーコの横須賀で、ゆったり系アーサナと、ヨーガの意味をお伝えするお話。一般の場でイキナリ難しいことをお話しても伝わらない場合がほとんどである、という経験をふまえ、聴くだけではなく、みなさんに自分で考えてもらうワークを行います。自分的にはちょっと新しい試みですね。

8月20日(日)は鎌倉のいつもの由比ヶ浜公会堂でサットサンガです。瞑想して、ジャヤガネーシャ歌って、そのあとお話しますけど、今回、トピックは皆さんご自身に決めていただこうと。日頃の悩みや疑問、なんでも構いません。

実は私がやっているウパーサナサンガではこういった疑問をみんなでシェアして話し合う時間が多いんだよね。これが本当に実になる時間というか。ということで、どしどし質問待っています。

詳細はコチラのスケジュールページでご確認くださいね。お申し込みは主催してくださっている方へ直接お願いします。

懐かしのさいたまんぞう、チェックしてみてください!



2017年7月22日土曜日

真夏の夜は・・・

私にとって、梅雨明け前の7月といったら、ユーライアヒープの「July morning」、梅雨明け後は「Summer Breeze」のアイズレーブラザーズによるカヴァー版・・・・な季節なんですよ。

しかし、今年・・・なんだかちょっと違う色に塗り替えられた気がするんだな。


マエストロ・ミゲルとの三日間に続き、大阪から始まる近畿地区での濃い四日間を終えて、しばしの放心タイムを経て、ようやくコンピューターの前に戻ってきました。

大阪で打ち合わせ。


たつの。りっくん、ありがとねー。


あらためまして、皆さんに感謝をお伝えしたい。たつの、京都でのワークショップと講義、そして大阪でのCD発売ライブに足を運んでくださった皆様、遠くから応援して下さった皆様、ありがとうございました。

普段お話をする機会がない方々ともおしゃべり出来て、また一つ世界が広く、そして近くなった。

綺麗な心に、会いたかったの。

そして沢山たくさん会えました。

なんと、九州とか東京とか、本当に遠いところから来てくださった方もいて、もうどっちに足を向けて眠ったらいいのやら・・・って感じです。


本当にありがとうございました。




ちょっと話題が偏りすぎて反省している京都



この間、とても慌ただしく、のんびり屋(・・・という職業があったらやりたい)の普段の私のマイペースはすべて放棄という感じでした。

野犬と同じなので、私は、実は社交的な場面において人になつくのにとても時間がかかります。社交の場面の私は、あれは結構、社会的に当たり障りのない人格を演じてますからね。人に慣れてきて気が緩むと、自分でも、ちょっと、この人は何を言い出すか分からないというか、地味なくせに意味不明なことも多いので、気をつけてる。

無駄に人を傷つけたく無いし、みんな同士に良い感じに仲良くしていて貰いたいし。
結構ちゃんと計算してます。

ただ、演台とか、音楽のためのステージに上がっている時が、素の私に近いのかなって、今回思ったのでした。

「私」がとても楽なのでした。

とくにステージの上はねえ。

こんな楽なところがあったのかあ。忘れてたわ。すっかり。

マエストロも仰ってた通り、アートには今と主体しか無いからね。

過去を悔いている間に、今がどんどん、先にいっちゃう。

必死に今にいないと、それは成立しなくなっちゃうから。


↑「今だけがある」例
JUNさんとAMALAさん


以前、預言カフェにいった話を書いたけど、ライブ後に「最前線が一番安全ですよ」って言われた例の話をしていたら、岡野さんが仰った。


「最前線は一番安全だよ。正直でいれば。」


この7月。

私は、いちばん正直な自分に還っていく、その道標を定めたような気がする。

これは、私にとっては、かなりわがままなことですよ。

でも、自己を中心とするところに、一番自然なところに、何年後になるかわからないけど、きっちり帰り着こうと思います。

その時、私はどんな姿になっているんだろうな。

最後になりましたが、 オープンハートで野犬を手なずけて下さった皆様に感謝です。

さあ、夏は始まったばかり。

次は、四国、関東、北陸で会おう!


広本さん、岡野さん、あゆみちゃん、まほちゃん、あかねちゃん
そしてマーキチでかくなったな。

才能に満ちたプロデューサー栄子さん
もしかして自分では気づいて無い?


楽屋メンズクラブ!


光の人は純子さん!


朱夏と聖歌隊と私。


チーム受付、一番のしっかりもの達。
眩しい若い力。


またこのメンバーで集まれたらいいな。

またきっと皆さんにどこかで再会したいな。

シータマンの練馬の夏は、今宵JBとともに更けていく。

またね。

























2017年7月11日火曜日

マエストロに会って来た!

みなさん、こんにちは。すっかり夏模様ですね。



さっき外に出たら、なんだか気持ち良くて、「いや〜涼しいわ〜!」なんて呟いていたんだけど、勘違いだったみたいです。暑いわ(笑)。

ちなみに写真は本文と全然関係ありません。もうすぐ夏の恒例の誓願寺ワークショップなので、四年前の誓願寺さんの時の写真を。

うどんが・・・身長より長くてショックを受けました。


さて、先日、このブログにて紹介させていただいた、歌の先生、マエストロミゲルにお会いしてきました。


初日の、レクチャーでのお話がすごく良かった。私らが普段扱っているテーマだったから、余計に楽しめました。なので、このお話をみなさんにシェアさせて下さい。今日はちょっと長い記事になります。

以前、ダライ・ラマ 猊下のお話をシェアしましたが、あの時は、ペンや電子機器の持ち込みが禁止されていて、最初から脳内ハードディスクに録音スイッチを入れていたの。今回はリラックスして聞いていたのでザックリ要約になります。ご勘弁を。


歌のマエストロ、ミゲル・アンヘル・クルティ先生のお話です。


「今日は皆さん、ようこそお越しくださいました。

私は歌を教えています。教えるというと、一般的に「テクニック、技術を与えること」と捉えられますが、私の場合はそうではありません。音楽の本質は技術にはないからです。

世界のトップを走るテクノロジー大国ニッポンで、こんなことを言うのは、アルゼンチンで「肉食は良くない!」と言っているようなもので、非常に恐縮なのですが・・・。

人類には知性があり、この知性によってさまざま技術が革新され、世界は発展してきました。技術は素晴らしいものです。とても役に立ちます。

しかし、知性というは、自分の外側の世界を克服する、あるいは侵略する為のものです。それは内側の世界には及びません。

声は、実は外側の世界に属するものではありません。主体である自分自身の投影なのです。自分が原因であれば、声は結果です。原因をさておいて、 結果である声をコントロールしようなんて、無意味なことです。

技術が外側の世界を対象とするのとは反対に、芸術は内側の真理を追及するものです。アートとテクノロジーは対極にあるといってもいい。

そういう意味で、テクニックの追及に明け暮れたこの200年間の芸術界はひどいものでした。

テクニックに雁字搦めになって、自分の声を失っているとしたら、それは残念なことです。それらの障害物を一つ一つ取り外して、もっと自由になる。そのお手伝いをするのが私の仕事です。音楽は技術ではなくて芸術だから。

自身の声を、客体(自分ではないもの)として捉え、侵略(コントロール)しようとするのではなく、全てが包括されなくてはなりません(自分と自分じゃないものの区別がなくなる、全てが自分になる)。」


・・・と、こういうお話をされていました。

参加者からの質問に対するお答えで、一瞬私が通訳させていただいた場面がありました。日本語向きに言い換えれば良かったな・・・と後悔してる。ちなみに質問は役者さんからで「外で役を演じ続けているせいか、家に帰るとなんとも言えない疲れがあって、もはや自分の本当の声がわからない」というものです。

「あなたではない役を演じるのではなく、役そのものになってしまいましょう。全てが包括、統合されれば疲れません。」

これ、ちょっと難しい表現です。

シータマン的にいうと、

自分以外のものになろうとするから疲れる。自分でいれば疲れない。

全てを自分として受容してしまえばいい。

これ、すごいこと言ってますよ。

ヴェーダーンタだね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は、あかねちゃんとのグループレッスンに加え、2回の個人レッスンを受けてきました。最初の時に「時間が必要な人」と言われてたのですが、結果的には、早かった気がする。最後のレッスンの時に、これまでの人生で自分の喉から聞いたこともないような声が出てビックリ。

ペーパードライバー教習2時間というのに行った時、あまりの運転の下手さに教官が「むううう、こ、これは・・・ちょっと一日じゃ無理かもしれない」と眉を寄せていたのだけど、結局2時間で卒業。「あんた性格いいからすぐ上達したね」となりました。

どの治療家にも「うわっ!反応が速いっ!」と言われる。これに関しては我ながら瞬速ですよ。先週も「体が素直っていうか単純てことだな(笑)」とある先生に言われました。

マエストロが「時間のかかる人」と仰ったのは、私が、他人に心を開くのに時間が掛かるってこと、見抜いてのことだったのでしょう。

ただ先生は別。危険な冬山では、山に精通したガイドの言うこと聞かないと死んじゃうし。そこ、専門家に身を委ねるのはけっこう得意です。

自分の話になりますが、

私は自分のことを客観的に観察して、

「あっちの端っこと、こっちの端っこを同時に持っている人間」

と思っていました。

よく言えばダイナミックレンジが広いんだけど、真ん中がない。

エクストリームなドンシャリサウンド。

これをラジカルと表現した人もいた。

いろんな側面においてそれが言えますが、マエストロは、この内ある一つの面についてズバリ指摘してきた。

声を聞いただけなのに!なんでだー!

「一方の端が、もう一方の端を否定していて、自分が引き裂かれそう。」

「そのうち一方は持って生まれた性質、もう一方は外から植えつけられた価値観。持って生まれた性質を尊重して、受容しましょう!それは悪いことじゃない。美しいことです。もっと自由に!音楽です!自分です!」


その受容を、歌うという行為を通して試みるわけですよ。

その結果として、聞いたことのないような声が出た・・・と。
まだ、始まったばかりだけどね。

音楽療法ともまた違う。

結果だけみると、カウンセラーの人達が臨床で行っていることですね。セラピーです。

しかも、もやっとしたスピリチュアルみたいなことではなく、はっきりした現象であったリアル。

ただ、声に精通している人間じゃないと、これは出来ないねー。

どんな分野でも、その道に精通しまくった人というのは、こういうことなんでしょうね。

マエストロすごい。



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私は、ヨーガの先生という肩書きだけど、体操よりはお話をしていることが多い。マエストロが講義で仰っていたようなことを、言葉を使って他者の知性に訴えかけています。

教えているからには、多少なりとも知的な理解があるということです。しかし、知的に理解しているからといって、それを体現出来ているかというと、それは別の話だ。今回マエストロと時間を共にすることで、それをハッキリと認識しました。

知性はすごい。すごく機能性高い。でも、すごいからこそ私たちを捕らえて離さない。知性は私じゃないものなのに、私のフリをしてくる。自分がいかに知性にコントロールされているか。

「頭でっかちにならないで、私たちはもともと自由なんだから」

っていつも言ってるのに、知らないうちに頭でっかちになってる。歌ってみてハッキリそのことに気づきました。逆に、歌わなかったら気がつかなかった。まじで。


今回、一日、通訳としてマエストロにアテンドさせていただいたのですが、自分も含め、他の方のレッスンに立ち会っていても、そのことについて、ヒシヒシと考えさせられましたね。

三回のレッスンで、私が変わったかどうか。それは目に見えないから自分でも分からない。分かってるのは、思ったよりもずっと早く、私がマエストロに心を開けたということだけ。

求めるものは認識の変化なんですよ。

もっと自由に!もっと自分を楽しんで!

それがマエストロからのメッセージです。

私は、これまで歌を演じてただけ。

歌を真似してただけだったんだな。

自分が歌になっていなかったんだな。

おそらく、このブログの読者もたくさん、マエストロに会いに行くんじゃないかな。グループレッスンに申し込んでる方いらっしゃったら、個人レッスンを複数回受けてみることをお勧めします。

今回逃した方は、来年一月に再来日される予定です。

チャオ!