2014年5月29日木曜日

さきがけ



Facebookにも投稿したんだけど「えしか」の思いがやんわりと拡がっている。

嬉しい。

これがやりたかった。


昔、親友の占い師と秘密結社MAX団を結成していた。なんのための結社かというと悪の草の根運動。悪なのに草の根運動なのがミソ・・・という冗談なんだけどね。

私の妄想劇場の中では、えしかも草の根運動系の秘密結社。草葉の陰から胞子を撒き散らして、良い行い菌に感染してもらう。

という私のバカ話は放っておいて・・・・

私は、「えしか」はすっごく楽しくやる。キラキラやる。ただ目の前にあることをやる。一生懸命やる。それだけ。熱く語ったりはしない。困ってる人がいるんです!私正しいことしてるんです!みたいな風にならないようにする。幸せでいる。

(世の中には、せっかく良いことしてるのにヒステリックな表現しか出来ない人が少なく無い。)


好きなことしてたらみんな幸せでしょ?それが歓びだからしてる・・・というそれだけ。

バーンロムサイを支援先として選んだのは、バーンロムサイがそういう集まりだから。子供達の境遇の悲愴さを看板にしない。家族として彼らの幸せを守る強さが光になっているから。バーンロムサイに関わるスタッフの方々は、子供達を誇りに思い愛するお母さん達の姿そのもの。


楽しそうだな、いいな、ってヨーガの子達が真似したがるような、そんなハードルの低いモデルケースをやろう、と思った。(震災のヘドロ掻きのときも同じように思っていたけど、年齢とか体力とか、誰でも真似出来る、ってことでは無かった気がする。)


私はインドでお父さん(スワミG)の手足となって働いている訳だけど、特に、そこに学びに来てくれた人達が、ハードル飛んでみようかなって一歩を踏み出してくれると、先生冥利に尽きると言うか、実はものすごく嬉しい。我が子が育ったみたいな、感慨がある。あるいはお父さんから預かっている生徒達の面倒見役として、お父さんに褒めて貰えてるような気持ちになる。

カリユガ(濁悪の時代)に生きてるんだもの「助け合うことが当たり前」の世の中では、実は、もう無いのである。しかし、カリユガに生きつつ「助け合う」という選択を出来る人間になって欲しい。それが精神的、情緒的、霊的成熟。強さは優しさ、愛だと思う。

※写真はSivananda Yoga Vidya Peetham 初めてのYoga Teachers Training Course. Satori先生は記念すべき第一期生でした。Tulasiも記念すべき第一期スタッフとして私に拘束されてしまった人。

Tulasiはネパールで鍼灸治療を施す治療団に参加したり大活躍しています。Satori先生の初めてのチャリティークラスをチェックしてみて。










2014年5月28日水曜日

fukushima で workshop


これまで、私はいろんな「民」をやってきました。

福島県民、茨城県民、千葉県民、神奈川県民、東京都民。

ズームアップしてみると・・・

いわき市民、古河市民、松戸市民、水戸市民、茅ヶ崎市民、藤沢市民、横浜市民、武蔵野市民、杉並区民、中野区民。


県から県、町から町へと渡り歩いてきた半生。「移民」としての人生でした。


むかし、知り合いが、LED ZEPPELINの「移民の歌」(おなじみ「♪あああ〜あ〜っ!」の雄叫びで始まる曲ですよ)を聞いて「なんか・・・移民て大変なんだなあ・・・」と呟いていました。「転校生」というのはなかなかの萌えワードではあるのですが・・・。東日本限定だとしても、たしかにちょっとは大変だった。



生まれて、最初に住民票に入ったのが福島県いわき市でした。私の「民」の歴史の中で唯一「移民」じゃなかった時代。

温泉がザブザブ湧き、毎日「なんとか」っていう小さなカニを食べていました。それは素敵な素敵な場所でしたよ。そして今、FUKUSHIMAは原発事故によって世界中の誰でもが知っている名前になりました。


私にはこれといって故郷はありません。どこも一緒っちゃ一緒。でも、私は福島県民として人生をスタートしました。一番無垢だった時代に。私にとって福島は少し特別な場所なんです。


満4歳までそこにいたけど、いろんなことを覚えています。

緑の草むらで家族でお弁当を食べたこと。

お母さんが巨大ムカデを大きな石で退治したこと。

向かいの中学校が真っ赤に燃え盛ったこと。

自宅のトイレのタイルの模様。

常磐ハワイアンセンター(昔はこういう名前だった)で金風呂で湯船から溢れる続けるお湯(掛け流しだったんですね)。

そこで飲んだヤクルト。

近所の幼稚園のミラーマン。

(311で強制退去の憂き目にあった)相馬焼きの窯。

父の作った下手っぴな灰皿と私の作ったミミズ。


小さくても人間の記憶ってのは確かだって証拠に、成人してから自分の住んでた家まで、ちゃんと歩いて辿り着けたもん。

だから大人になった私として、こうして福島県にまた繋がっていけることは、幸せであり、また特別なことなのです。


えしかのプロジェクトのプロモーションを兼ねて参ります。

バーンロムサイプロダクツのチャリティバザーも行いますので、北関東、南東北の皆さんも是非、福島へいらしてください。美しい福島へ。





「ethica for Ban Rom Sai Sivananda Yoga ワークショップ」

日程:2014年6月8日(日)
時間:12:00〜14:00 アーサナ
   13:00〜15:00 キールタン
場所:Lotus Yoga Studio 福島市笹谷字稲場35-8
時間:12:00〜14:00 アーサナ
参加費:1クラス 2000円
    2クラス3500円
お申込:lotus_yoga_studio@yahoo.co.jp
    または024-563-1520


















2014年5月26日月曜日

東京シティ。



先だってのどうでもいい記事で「疲れが溜まっている」と書いたのですが、昨日、朝7時に起きて、洗顔を済ませてからあらためて布団に入り12時まで寝て、14時頃から夕方まで寝て、23時から翌朝7時までもう一度寝る、というのをやったら少し良い感じです。

・・・というのは朝のアーサナをしてみると体の詰まり具合がよーく解るからですね。まだ今ひとつ足りない気もするけれど、ここ暫くの内で今朝が一番良かった。

ご心配をおかけしましたが、上の写真くらいのレベルでは元気です。でも、もう少し睡眠がんばって見ようと思います。よくよく考えてみると、うっかりすると普通は帯状疱疹だもんね、ってことに気がついたので。タムシでラッキー。

写真はもちろん今日の写真ではありません。元気レベル表示の為の例えです。アムリタプリのビーチにはこんなにお茶目な岩がありまして、アムリタプリというと、つまりアンマのアシュラムなんですが、来訪するならこのビーチでサットサンガがある日が私はお薦めだな。瞑想してから、アンマのお話。このお話がすっごい良かった。

アンマといえばハギングマザーで有名で、まさかお話が上手なんて、正直そこまで期待していなかったんですけどね。解り易い言葉を使って、ヴェーダーンタのど真ん中に触れるお話をしてらっしゃって、すごく楽しめました。


ところで、今、私は横浜にいるってことは先日書いた通りなんですが、横浜は、完結している町です。完結っていっても意味不明かも知れないんだけど、生活があり仕事がありまた生活がある、という横浜一つでまとまった安定感がある。以前横浜市民であったということを差し引いても、東京とは違う不思議な安心感があります。


東京はね「もっともっと」の町なんですよ、生活はもちろんそこに在るけど、資本主義の発展の為の一過性の町の顔が勝っている。東京という町自体が、絶えず変化し続けることを強要されているのでしょう。つまり「都会」なんだよ。底なし沼で泳いでいるような、不安感がある。不安感っていうか、焦燥感かな。

泳ぐのやめたら、沈む・・・。

大阪市にもそれは感じた。

その点横浜にはちゃんと底があるもんな〜。そんな感じ。こういったら浜っ子に叱られるかもだけど、良い意味で田舎・・・「地方」なんですよ。こんなに東京から近いのにね。ありがたいです。


そこで考えるのはですよ。

私は、

自分は大変だけど、東京のもっと大変な人のために生きるか、

それとも、

大変じゃない場所で、自分の楽のために生きるか、

二者択一を迫られている気がするよ。

自分はどの位の強さがある人間なんだろう。


更に、東京も横浜も大阪も、ひっくるめてもっと突っ込むとですね、日本には(どこにいっても共通の感じがある。


閉塞感。


これは都会とか田舎とか、関係ない。もしかしたら田舎の方が、強いかも知れない。


私が日本国民である以上、東京でも横浜でも沖縄でも、これからは逃げられないんじゃないかなって思う。この点においては日本中どこいっても同じ。どうやって上手いこと付き合って行くか、それを模索中です。はい。

ジョーズ岩と戯れている時くらいの開放感がねえ、日本にいるときにもずっとキープ出来たらいいな、と思ってます。なんとかならないかねえ。

ではまた!





2014年5月24日土曜日

どうでもいいこと

・・・が書きたくなったので、今日はどうでもいいことを書きまーす。


今日は、弟にベースアンプを渡す旅でした。

私は今、横浜に住まわせてもらっているので、23区の南の端っこから東京都に入って、西の端にある倉庫に行って、アンプ(とついでに自分のハーモニウム)をピックアップ。北端の方の駅で受け渡し。

このアンプは家用の奴だったんだけど、そうはいっても30W(昔はアパート中の電気が暗くなる500Wでした→ステージ用)なので、結構重く、少なく見積もっても15キロはある。これをゴロゴロ転がしながら肩には楽器屋のケースに入ったハーモニウム7キロ。黒のスリムパンツとTシャツ、黒ハンチング・・・という服装からしても、どうしたって、ヨーガの先生には見えん。ミュージシャンにしか見えん。

それにしても、重い荷物を担ぎ続けている人生だと思う。成人してこの方、他の人よりもずっと重いものをずっと担いできた(物理的に)。昔はエレキベースを背中にしょってアチコチ。ハードケースの時は棺桶の薄切りみたいなのを片手で。そのうちにアップライトの楽器になったので、自分の背より高いのを抱え、今でも、肩に食い込む重いリュックとハーモニウムでどさ回り。オシャレな靴なんて履けないっす。私が欲しいのは重荷に耐える靴。

あの〜・・・もう42歳なんですけど・・・。
ヘヴィーデューティー過ぎるだろ・・・。

仕事柄、荷物と移動が多いけど、空港からと空港までも重いしな・・・、皆どうしてるんだろう、タクシーとか使ってんのかな・・・。

この年甲斐もないヘヴィーデューティーっぷりがたたってか、なんと顔面に銭タムシが出来てしまった・・・。前にもここで銭タムシについて書いたかも知れないが、銭タムシの正式名称は体部白癬。場所が悪けりゃ、水虫だったりイ×キ×タムシなわけですから、あんまり自慢出来るものじゃないわよね。

ヨーガを教え始めてから、首やスネなんかにたまに出来るようになった。白癬菌なんてその辺にゴロゴロいて、でも環境が整わなくちゃ感染しない。靴やパンツの中じゃあるまいし、顔やスネがジメジメしているわけもなく、これは単に免疫力の低下なのである。

誤解しないで欲しいのは、ヨーガをすると免疫力が下がるのではなくて、私が自分に対して労働基準法違反だってこと、それだけ。


日々、ティートゥリーオイルを塗って、菌を殺しているのですが、これもやっぱり殺生なのかも知れないよね。

もうヘヴィーデューティーはやめた!と言いたいところだけど止められないのが私のカルマなのでしょうね。


タムシが出来るくらい疲れているこんな時だというのに、インドでの癒しの砦、イケメンの友人サジュ先生(アユールヴェーダ)と急にスカイプすることになって、頭モジャモジャだし、顔はタムシだし、クマが酷いし、ダサいTシャツ着てるしで、本当に悲しい気分だったよ。それでもビデオを切らないのが自分なのだけど・・・。


これからは顔のことも大事にしようと思います。


わー、左肩にも変なのがモリモリと出て来た。何じゃこりゃっ!!痛いし・・・!
ハーモニウムの後遺症ですね、きっと。一応ティートゥリーを・・・と。

もう寝ます。寝るのが一番。南の海に独りっきりで行って寝たいです。ううう。


今日の靴・・・クラークス(履きやすいので有名なイギリスの靴)
今日のリュック・・・グレゴリー(言わずと知れたバックパック界のロールスロイス)
今日のコロコロ・・・西友980円(侮れない。タイヤの径がデカい!)


グレゴリーと同様、もう8年くらい履いてる。
長寿命のうえ長距離歩行もなんのその。











2014年5月21日水曜日

続・お金の話

みなさんこんにちは。

5月17日のナーダヨーガワークショップと、18日のえしかfor Ban Rom Saiのイベントと、いらして下さってありがとうございました。




大阪まで駆けつけて下さったバーンロムサイジャパンの名取美穂代表(中)
司会を引き受けて下さった理加ちゃん(右)
みんなバーンロムサイファッション全開バリバリで!


無事に平べったい関東平野に戻って参りまして、久しぶりに心地よい疲れを味わっています。新幹線で居眠り、帰って来て昼寝、それでも足りなくて、一日置いて10時間の泥寝をしてみました。でも、まだ眠い。一度、16時間以上の馬鹿寝をしないと駄目かも。ドバイからの疲れの蓄積がチャラになっていないようです。

睡眠は主に脳の疲労回復の為なんですって。


それはさておき、です。


ここで書いた「お金の話」の反響が行く先々でありました。ブログの編集ページでは、どの記事を何人の人が読んで下さったかがわかるカウンターがあるんですけど、「お金の話」は他の諸々の記事の2倍。興味深かったです。

「お金のこと」はなんとなく社会に押し付けられるのではなく、自分主体でしっかり考えないといけないことなのかも知れませんね・・・。深いな。

今日は続編っていうか、またお金の話が出てきます。


えしかの「タイのエイズ孤児院が運営する宿泊施設にコミュニティースペースを」寄贈するプロジェクト。このクラウドファンディング、日本ではまだちょっと解りづらいのかな、という感はあるのですが、そんな中で、多くのご支援の意思を表明していただいていて、本当に感謝です。

プロジェクトページの検索方法をお知らせする為の新しいフライヤー


私たちはREADY FOR という日本で初めてのクラウドファンディングサービスを利用してスポンサーを募集しています。クラウドファンディングには寄付型、投資型、購入型とありまして、READY FORは購入型。「買って頂く」というかたちです。

ちなみに、こちらでは、自分の設定した目標金額に達成した場合のみ、スポンサーの皆さんのクレジットカードの決済がおりるシステム。設定されている目標は皆さんに購入して頂く商品や発送代、READY FORに支払う手数料の全て込みで130万円。ちなみに期限内に129万円しか集まらなかった場合は、決済されず、皆さんのカードにも課金されません。私たちには129万どころか、1円も入らないという、ALL OR NOTHING システムです。わあ、ドキドキ!


誤解を恐れずに言うと、日本では、海外諸国と違って「本当にお金に余裕のある人」は他人の為にお金を使わない傾向がある。今現在、READY FORのサイトを見ると、私たちのページは130万円の目標のうち、88万1千円の達成額ですが、この88万円は、ふたたび誤解を恐れずに言うと「すっごくお金に余裕がある訳じゃない人」達の、身を削ってのご支援なんだってこと。

この愛の重みをずっしりと感じます。その愛の分だけ、もっと馬力がでます。頑張ります。

今回のこの計画は、またもや誤解を恐れずに言うならば、いまこの日本のヨーガの世界で「私にしか出来ないことなのかも知れない」とふと思ったのですね。だから私のところにお鉢が回って来たのだと・・・。だから絶対にやりとげなくてはいけない。


そうはいっても私は、福祉の専門家ではありません。それに、胡座をかいていても出来るという種類のことでは決してない。だって、みんなが色んなことを犠牲にして稼いだ大事なお金をお預かりするんだから。頑張って頑張って頑張って、達成出来るかもしれない可能性を持っているということです。それが多分、今は私なんだと。


世の中にはメディアに沢山でることで知名度や信用を得ている先生も沢山いらっしゃって、どっちかっていうと日本のヨーガ界ではそちらのやり方がマジョリティです。でも私は自分の好みとしては、そういうのが嫌。他の人がする分にはいいけど、自分がそうなのは嫌なんです。自分以上でも以下でも無く、でもって質実剛健がいいし、そのうえアンダーグラウンド、ハードコア派なので、出来るだけ潜っていたい願望がある。

そもそも、バンド時代から、振舞いや装いを地味に、「以下」に設定しておいて、いざ舞台に出るときに「おおーっ!」ってギャップで点を稼ぐという性格の悪い奴だったんですよ。

それは置いといて、なんだっけ?

ああ、私にしか出来ないことって話ですね。メディアの利用で全国的に知名度の高い人気の先生達や、立派な組織の名のもとで活動される方たちも沢山いらっしゃるけど、多分、今回のことは、そういった方々でも難しいことだったことなんじゃないか・・・って・・・。「いま、日本中で私にしか出来ないことなんだ」ってことが、きのう道を歩いていたらフッと頭に入って来たわけです。怖っ。

おごっているとかそういうことではなくて、なんかそういう宿命を感じるというか・・・。私がやらなくてはいけないことだったんだと思う。

そうなると絶対に避けて通れない・・・っていうか責任重大・・・っていうか、しかし私なら絶対に出来るってことには違いない・・・っていうか、ほんならやったるわ!

そこでふと思い出したのが、私が10年以上愛読している石井ゆかりの筋トレ週報。
(※なんのこっちゃとお思いの方、石井ゆかりさんは西洋占星術のライターさんです。)


[]天秤座 2014/5/12-5/18の空模様。Add Starmoonshot_69warmth-of-the-sunwarmth-of-the-sunwarmth-of-the-sunwarmth-of-the-sunwarmth-of-the-sun


今週貴方の手の中にもたらされる果実は
ずしっと重みがあって、
それを自分の手で掴んだ、という事実が
貴方の心の中に深く根を張って
それが、この先長く、
確かな自信として貴方を支えるようになるでしょう。


世の中には、自分が手に入れた力に縋ってしまい
自縄自縛になる人もいますが
そうしたかたちに陥らず
自分の実現したことや、用いた力を
それにすがりつくことなしに、
自然な「自信」へと結びつけていくことは可能だと思います。
ひけらかすためでも、防具にするためでもなく
自分を確かに充足させるためにその果実を用いることが
そうした「自信」に繋がるのだろうと思います。

まさに、これは私の人生の美学。

神様が私に与えてくれた試練なんだから。
私を信じてご協力を申し出て下さる方がこんなにも沢山いてくれるんだから。

見ててバガヴァーン!私はやる!














2014年5月12日月曜日

dearests

今日は、帰国後初のクラスでした。誰も信じないかも知れないけれど、私は知らない人がちょっと怖い、人見知りです。不特定多数の人たちの前に、身一つで立たなければならない状況は、多くの皆さんが感じるのと同じように、ちょっとしたチャレンジです。

本日のチャリティーイベントに、35名もの皆様が駆けつけて下さいました。いらしてくれた方、そして裏方でお手伝いして下さった皆さん、本当にありがとうございました。上記の理由もあって、至らない点、あるいは不躾な点も多々あったと思いますが、どうぞお許し下さい。

このブログは極々個人的な発言の場、つまり私のガス抜きの場でもあって・・・ああ、今日は書かずにはいられない。緊張したー。緊張が覚めやらず、鎌倉で一人ウロウロ歩行して気持ちを鎮めてから帰ってきました。遅く帰って、独り味噌汁を飲む時、風呂に浸かる時に溢れ出すため息の数々。頑張った。あんたシータマ頑張ったよ。

一人でその舞台に立ってしまえば、もう頼れるものは自分だけ。でもそこに一人で立つ私を、支えている無数の「存在」達がある。目の前に見えている存在。そして見えていないけど、確かにある存在。

目に見えてない存在も、見えている助けと同じくらい大きい。

Facebookのメッセージなんかに乗って、それは存在を主張してきます。今日なんかだと、インドでの私のストレス解消となっていた談論相手の「やたら頭のいいアーナンダ」や、「イケメン先生サジュ」からのタイミングよくやってきた「All the best!」とか「Dear!」とか、そんな言葉に乗って・・・。

一見(自分の弱さと)一人で戦っているように見えるんだけど、一人で戦えるスーパーマンなんて居ないよ。教えている私のことをみんなは「寺崎由美子先生」と思っているだろうけど、実はそれは私ではない。そこに由美子はいない。

それは、All the best や My dear やOm om!や、世界中の沢山の小さな温かな思いの集合体だ。

こんなことを書いている今も、インドの生徒さんから「なんでかわからないけどすごくストレスを感じて苦しい」なんてメッセージが来て「Don't worry」なんてことを返しているわけで、このdon't worryが、その人の明日の生きる支えになるものかも知れないし・・・。


今日私は、トークのなかで、バーンロムサイの名取美和代表のことを「ちょっとコワい」って沢山言ったけど(名取さん、ごめんなさい!みんな、コワく無いですよ、とても優しい美和お母さんです)、嘘やごまかしが通用しない人、って感じがするんですよ。嘘やごまかしってどういうことかっていうと、私は名取さんに嘘ついても仕方がないし、つかないから「私が私についている嘘」ってことです。

名取さんは私の憧れ「人」だけど、名取さんだってお釈迦様だってスワミジだってみんな、私と同じように、つらいことも悲しいこともあるという大前提があっての憧れなんです。そして名取さんだってお釈迦様だってスワミジだって、私と同じように、沢山の誰かさんに(そして誰かが自分を必要としてくれる、その温かさに)支えられて、歩いたし歩いているんだと思う。

「まるごと自分と対峙する」という背水の陣に立つ勇気を貰えるんだな、多分。名取さんがコワいんじゃなくて、自分に対峙することが「コワい」んだと思います。コワいけど、コワいから向き合うんです。コワくても私には All the best がついているから大丈夫なんだ。

たくさんのmy dear 達へ
つまり、一つの大きな「存在」へ
あなたの為に祈ります。

Sitaより。


2014年5月10日土曜日

あなたにとって日本の色は・・・

ブログの更新をほめられたので、気を良くして頑張る私。

皆さんはゴールデンウィークは楽しく過ごせましたか?READY FORの新着情報でも書いたのですが、私はけっこう悶々とダメダメ〜な感じで過ごしてました。でもダメダメも悶々も悪かないですよ。


私の身近にいる人は知ってる人も多いのだけど私は緑色が好きです。最近はインド人にもバレていて緑色のサリーをプレゼントして下さったり・・・。




「こういう緑」っていう色があるのですが、一言でいうとですね、6月の田んぼの色です。「がまくんとかえるくん」だと「かえるくん」の方。




ところで皆さんは関東平野を見たことがあるかい?日本最大の平野だぜ〜!私は実家が北関東にあるので、帰省の際はこの平野をバスでと北上していくんですけど、どこまで行っても衝撃的に平らなんですよ。ずっと平ら。このことについて、いつも感嘆しているのですが、これって私だけ?他の関東の人はどうなんだろう・・・。


驚愕スクープ!これが関東平野だ!


ね、すっごく平らでしょう?びっくりしますよ。

ちょうど今が田植えの頃ですけど、6月くらいになると、このドでかい平らなところが大麦若葉青汁みたいな緑色に染まるのです。

私にとっての日本の色は、このグリーンなんだよね。桜でもサムライブルーでもない、若い希望に満ちた稲の色。春の新緑の森の色です。インドの森はもっと大地から沸き起こる歓喜の雄叫び、みたいなダイナミックな感じなんだけど、日本の森はどこまでも優しい。調和的な感じがします。この緑が映る水の淵で、森に守られながら蛇のように泳ぐのが好きなんです。早く夏にならないかな・・・。タイで泳いでみたりドバイで泳いでみたり、いろいろしてますが、私は日本の山の水が一番好きです。世界でいちばん清らかな水だと思います。



ゴールデンウィーク明けに、関東平野の外れの方に行ってみました(↑)。里の営みは驚くくらいインドの村に似ている(日本はとてもインドに似ていますよ)。平野が終わりを告げて、水温は検温(当然持ってるでしょう、温度計と方位磁針)してみたら9度くらいだったけど、皮膚がちぎれそうに冷たかった〜。身が引き締まる感じがとてもいい。それでも森の気配は優しかった。

そこで、ガンジス河の源ゴームクで全身沐浴したことを思い出して、自分ぜったい頭おかしいわ・・と寒々とした気分になりました。ゴームクの水温は・・・1度くらいじゃないでしょうか・・・?頭蓋骨が冷えすぎて頭痛になったよ。

奥に見えるの、あれ氷河です↓



「え、平野の話だけ?もうちょっと役に立つ話はないの?」と言われそうですが、役に立つ話は特にしません(笑)。緑が綺麗だなってお話でした。だってそれが全てだもん。

明日11日は帰国して初のヨガクラス。しかも久々の日本語で・・・。ドキドキしますけど、頑張ってくるよ!

お金のはなし。




いつものことだけど、時差ボケから全然立ち直れていない私。これ、長いこと続くんだよね。全然気にしてませんが(笑)。


みんなが興味のあると思うので今日はお金の話をしましょう。いま、ヨガホールを寄付する為に皆さんからの募金をお願いしている状況もあるしね。写真はインド人男性が婚活の為に作った黄金のシャツ165万円だって。ぶっ飛んでていいんじゃない?金で服。すごくウィットに飛んでいて面白い。

今日は私にとってのお金の話。だからあんまり役に立つ話じゃないかも知れないんだけど、とりあえずいってみよう。

【えしかの募金のこと】
いま、私が「えしか」というチャリティーグループの代表というのをやっているのは、ご存知の通りなんですが、このグループは「誰かの為になんかいいことをしよう」という「行い」をテーマにしたヨーギニーの集まりです。今回は「お金を集める」という「行い」にチャレンジしてみてる。前にも書いたけど、一人でコツコツお金を作って一人で寄付する「シータマファンド」という手もあったけど「みんなでやること」の大切さと、難しさに挑んでみようと、思った訳です。


【難しいわけ】
難しい、というのには2つの理由があって、まず自分自身が団体行動を不得手としている点。それから日本でこういった募金活動をすること自体難しいってこと。

日本は・・・敗戦後のGHQの為か・・・「一億総中流」といって世界で一番、中産階級の人口割合が多い国だと思います。(だから貧富の差が小さくて平和なんだよね。とってもいいことだと思います。最近はアメリカナイズされて貧富二極化の傾向にあるけどね。)しかし、海外に出てみて初めて解ったんだけど、同じように海外に旅に出てくる他の国の人達と比べると、自分たち日本人はハッキリと貧しい。他の国の人で、自国の外に旅行に行く人達は、ある程度お金持と時間がある人だってこと。


人様に差し上げるほど余裕がないのと、物質至上主義が未だに横行している(これは大変遅れている感覚だと思う)のとで「知らない人にお金や物をあげる義理はないわ」というのが日本人の普通の感覚だね。かといって貧困ではないんですよ。財布のヒモが固いので有名なイスラエルの人にの感覚に似てるかも。閉鎖的なのかも知れない。

すっごく面白いのは、ヴェーダーンタの勉強などにやってくる人って、海外ではお金持ちがメインだけど、日本ではどっちかっていうとお金持ちじゃない人が多いってとこ。これとっても特徴的だと思う。日本だけですよ。

原因はわからないけど、精神的な向上よりも、みんな物質的な向上のをほうを向いて歩いているということなのかなあ。極めて象徴的な物質であるお金の限界を、未だ知らないっていうことだから、「一億総中流」と関係があるのかも知れない。寄付なんかをする人も、お金に余裕がない人間の方が圧倒的に多い気がします。「他人事じゃない」という思いやりが発揮出来る距離感なんだと思う。お金が余ってる人は、海外の人と比べるとあんまり寄付しません。

アンマ=Mata Amritanandamayの日本アシュラムの方に伺ったけど、日本はアンマが自腹で祝福を与えに来られる唯一の国だって。

まあ、そういうことで、難しいってこと。

インドで「でシータマはいったそのプロジェクトで何ルピーくらい集めるんだい?」って聞かれたの。

「70万ルピーくらいだよ。」
「え、ゼロ間違ってるだろ?何ルピーなんだ?」
「間違ってないよ、70万だよ」
「えーっ!それだけ??」
「日本ではそれだけ集めるのも難しいんだよ!」
「そうだったよね、日本人は貧しいよね・・・」
 シーン・・・

その通りだと思います。だからチャレンジってことで。


【チャリティーについて】
さて、こういうことを書いている私も日本人なわけ。しかも貧しい方の。お小遣い少なかったから10代の頃から貧乏性だし。

なので、やりたくてもドカーン!ていう大それた寄付が出来ない。(大それた寄付といえば、タイの○○○先生ですわ。タイでの月給5万円なのに、5万円寄付してましたからねえ!ロックだわあ!)だから自分の持っているほんの少しだけ影響力を「価値」と仮定して「えしか」の代表を引き受けさせて頂きました。

結構な反社会的な人間で、かつ金持ちじゃない私が、出来ることをしたいなあ、と思ってやった初めてのチャリティーは、二十代のころに、中国残留孤児の方の支援団体に、お下がりですけど生活用品や衣類などの寄付活動。なにしろ反社会的ですから税務署と喧嘩とかしてましたから、そんなことやってるより自分の生活をなんとかしろよって感じなんだけどさ。

【宇宙に捧げるもの】
お金の話は、日本人だけじゃなくて、各国の人からもよく聞かれるんですよ。ヨガ教えるだけでどうやって生計を立てるのかって。特に私はスタジオ全部やめてインドなんか行っちゃってますからねえ。我ながら頭おかしいわ。あはははは。

2009年に「お金必要だからクラス増やさなきゃな」って思った時にはゾッとしたので、平日のクラス全部辞めてOLになってみた。心ってのはある程度調教しとかないと、止めどないからね。我ながらちょっと変ってるというか、どうかしてる、とは思うんですが、仕方ないね、実際変なんだから。私の人生だし。

しかし、そんな私でも、自分なりのお金に関する方針というか拘りがあるんですよ。

得た収入の中から、ほんの少しでも(量は関係ない)、助けの必要な人の福利となるように寄付なり何なりする。5円でも10円でもいい。純粋に、自分以外の誰かの幸せを願って何かを放棄することが出来るということは、それ自体が恩寵そのものだと思う。

それをするだけの金銭的な余裕が無いときは、行い自体を施します。お金にしたって、行いにしたって、宇宙全体がよりよく働くように、宇宙への捧げものみたいなもんです。

行為や金銭を施す対象が重要にはなります。社会全体のハーモニーを乱す人や団体に貢いだらそれでは意味がありませんから。

私自身が、宇宙の一員として、そのハーモニーを乱さないように気をつけて、ハーモニーをより良くする行いをしている限り、宇宙は私をきっと生かしてくれる筈、と信じています。私がヨーガを教えることで宇宙(あるいは全体)の調和に役に立つならば、私には必要な分のお金が入ってくる筈だと。必要以上分は来ないしね。もし、これで食べられない、というのであれば、それ以外のことをした方が世の為だということから、何か他に役に立てることをすればいい。これで食べられてるうちは、OLするより主婦をするよりも、ヨーガを伝えることが最も全体の為になってるってこと。そこでベストを尽くすのみです。そもそもお金なんて、他の全ての物質と同じで、誰のものでもないし。


【お金との生活】
そうはいっても不安定な収入でどうしてるの?と聞かれるのですよ。

まずですねえ、私は人と遊びに行きません(笑)。皆で晩ご飯とか基本お断りしてます。スタジオで教えてた5年前くらい前も遊びの約束は月2回までって決めて、あとは全部断っていました〜。会話が賑やかなところが苦手なので。もちろん「ここは行かねば!」っていう大事なオケージョンでは行きます。

あと、人とショッピングとかも好きじゃないので行かないなあ。買い物はネットショッピングが好き。結構衝動買いとかもしますよ〜。そんなに倹約家ってわけでもないし、服とか好きだし。でも高いものは買わない(買えない)。そういうキャラじゃないから自分を飾ることにお金がかからないし、食べ物にもそんなに興味がない。菜食だから外食の選択肢も少ない。質実剛健なモノが好き。必要なものにはキチンと必要分のお金はかけるようにしてる。でも身の程を超えない範囲で。

安宿と安いフライト探しはすごーく得意。趣味は一人どこかで静かにすること。

それから、生徒さんから頂くダクシナ(教えに対して生徒が下さるお金)は、手渡しで頂くことを多くしてまして、皆が一生懸命働いて下さったお金だって思うと変な使い方は出来ないな。

いただいたお金は通称「神様袋」に入れて帰宅したら、まず祭壇にあげて、そこから必要な分をいただく形にしてます。

これで生活出来ちゃってるのは、交際費が少ないのが大きいと思う。


【まとめ】
「生徒さんが定着しなくて収入に不安ある」と言っていたある人に、こうアドヴァイスしたことがある。月に一回でも二回でも、借りてるスタジオの大掃除をしたらいい。なんなら生徒も巻き込んでやったらいいと思う。お金払って借りてるんだから、そんなことする必要ないのかもしれないけど、騙されたと思ってやってみ、と。生徒と大掃除するなんてお金にならないけど、そこに動く小さなお金じゃなくて、大事なのは宇宙全体のバランスなんだ。私はそこを100%信じてる。


・・・とまあ、まとまりが無いんだけど、今日はこれで終わりたいとおもいまーす!あ、ちなみにお金への不安っていうのは、心理学的には死への恐怖の顕れだってさ。またねー!

2014年5月4日日曜日

2014年。

貧乏暇なし。なんでこんなに忙しい人生になってしまったんだろう・・・。

といいながらも、実家でパソコンに向かってパタパタする日々。これは暇って言うのかもしれないしなあ・・・。よくわかりません。

インドにいてとにかく恋しいものは、お湯のシャワー、全自動洗濯機、良く繋がるインターネット回線・・・と、どのアシュラムに居た人も声を揃えていう。インドからドバイにいって、イラン人と、オランダ人と、日本人の私で「だよねー!」と盛り上がった。(あと日本人の場合はそれに加えて湯船ね。)

でも、洗濯機の御陰で浮いた時間を、良く繋がるインターネットに食いつぶされ、私はパソコンの前に座る。どこにでも繋がって、そこはかとなく忙しい。うーん。現代的なテーマだよね。

もちろん、そこから受ける恩恵は多大なるものなので、良いとか悪いではないんだけどね。少しだけホームシックです。人間はかくも無い物ねだりなのですね。それはさておいても、白髪が増えても、シミが出来ても、シワだらけになっても、インドの暮らしはやはり魅力的。

さて、私にとってのインドの魅力の中で絶対的な位置を占める人がある。これまでの人生で、もっとも貴重な出来事、お父さん(Swami Govindananda先生)をついに見つけだしたこと(地球のどこかにいる筈のたった一人のこの人をずっと探していた気がします)と、読者の皆さんは既にご存知のゴパールジに出会ったことです。

ことにスワミジとは、他の生徒さん達のように、近くに座ってお喋りする機会もないし、仕事があるから講義に始終張り付いているのも無理。スワミジに伝えたい感謝の気持ちも山盛りあるけど、それを言葉で伝えたことも無いです。本当は伝えた方が良いのかも知れないけれど、私は照れ屋だし、近くて遠いお父さんなのです。叱られる回数も減ったしね。それでもまだ叱られてるけどねぇ・・・(笑)。最近は「やっちまった!」と思ったら、自ら謝り&叱られに行きます。そんな時はめっちゃ怒られます(笑)。あ、写真の中でも軽く叱られていますな。私の背後にいるのがスワミジです。



スワミジを手伝い始めて四年目のシーズンが終わりました。日本のヨガスタジオのクラスを全部辞めたし、アパートも引き払ってしまって住むところも不安定。ホームレスの低額所得者。犠牲にしたものは大きい。それでも、スワミジとの生活のなかで得たものは、失ったものなんて目じゃないくらいに大きい気がします。インド人にすら言われるけれど、このような環境に身を置ける幸運を噛み締めなくてはいけない。誰でも出来ることでは無いのだから。


生徒さんのみならず、短期間手伝いにきてくれる子達が、スワミジとのお別れの時にみんな号泣するのね。それを見ていて、そうだよねえ〜、わかるわあ、と思う。

私は泣かない。ちょっと前までは、後でこっそり泣いたけど、今はもっと強くなった。スワミジは私のラーマ・・というと、私は妻のシーターだ、って思うでしょう。違うのよ。私はスワミジのハヌマーンになるんだ。だから泣かない。

恵まれた人生だと思う。こうして自分が日本に生まれたことも相当恵まれている。その平行線上にインド人のアイデンティティーを生きることになった、この妙な状況も。でも、ときどきわからなくなるんです。私、いったいナニ人?ナニ人でもいいのかもしれないね。地球人である必要も宇宙人である必要もない。2014年は何者でもない者として、何者かを演じながらもう一頑張りする年のような気がします。社会的にはかなりのダメ人間だけど、それでも社会と関わりながら・・・。

者にも物にも惑わされず、もっと自由に、もっと強く、もっと輝くように生きよう。グル達の愛と、生徒達の情熱に背中を押されて。私の人生。私が人生だもの。
















2014年5月2日金曜日

奇跡の脳

みなさん、こんにちは。

まず、はじめに、クラウドファンディングでのヨガホール建設&寄贈プロジェクトにご協力下さった皆様、ありがとうございます。終了まであと60日を切りました。目下、36%のご支援表明を頂いており、私は、ビビりですから、あと64%と思うと、もうパソコン開く度にドキドキしちゃって、心臓が・・・。ひきつづき応援よろしくお願いします。

このプロジェクトの新着情報をなるべくマメにアップして、訪れるのが楽しいページにしたい!と思ってるのですが、先ほどトライしたら、何故かアップロード出来なかったので、とりあえず、こっちをアップデートしようってことで・・・。

いやはや、インドにいる間に、多くの方から「ブログアップしないんですかー?」「なかなかアップしないから、過去の記事を片っ端から読んで凌いでますよ?」などなどのお声を頂いていましたからね、これからは頑張るのです。ロシアのウパーサナー、三浦半島のユウジさーん、鹿児島のミポコー!ほらほら〜、更新してますよー!




ところで私、水戸におります。納豆の水戸、黄門の水戸です。今日は大阪のイベントの為に新幹線の格安チケットを買いに町にいってきました。(注:田舎では繁華街に出向くことを町に行く、と言うのです。)

水戸駅の北口にでると、そこには水戸黄門の銅像がベベーン!と立っていて、そこから国道50号線がズズイッと真っすぐ伸びています。お天気も良かったので、この50号線を市の外れにある実家に向かって歩いて帰ったのですが、途中「笠間24km」の標識に「む。徒歩圏内じゃん!」と思った自分が大変たくましく思えました。いくら私でも昔は笠間は徒歩圏内では無かったぞ(笑)。

田舎にいるとねえ、本当に運動不足になります。実家で落ち着いてアーサナを出来るスペースも無く、歩くのが唯一の慰めなんだけど、誰も歩かないのよ。駅から8キロ歩く、というと変人扱いで全力で止められます。変人なんで勝手に歩かせてくれいただくんですが。

(脳の)茂木さんもテレビで言ってたけど、二足歩行のひとときは「歩行禅」といって格好の瞑想時間だし、やはり足腰鍛えておかないとなあ、って思う。私はねえ、人は、歩かなくなると、生き物としての大事な能力が削ぎ取られるような感じがしてならないのですよ。右脳と左脳のバランスと、そして右脳のアビリティーが。

まあ、そんなこんなで、今日は、本の話。


〜どんなときに、深い心の安らぎのループが働いているのかに気づくことができれば、その回路に意識的につなげることが容易になります。どんなときにこの回路が働いているのかわからず、悪戦苦闘している人もいるでしょう。その唯一の理由は、他の思考に心が向かっているせいです。これは、当然のことです。なぜなら、西洋の社会は左脳の「する」(doing)機能右脳の「ある」(being)機能よりずっと高く評価し、報酬を与えるものだから。あなたが右脳マインドの意識に近づくのが難しいのは、あなたが成長するあいだに「こうしなさい」と教えられたことを実にうまく学んできたからにほかなりません。細胞達のこれまでの成功を、褒めてあげてください。そのうえで、わたしの仲の良い友人、カット・ドミンゴ博士が宣言しているように、「悟りは、学ぶことではなく、学んだことを忘れること」だと知りましょう。(※ 守破離ですねえ・・・byシータ)

(中略)

左脳マインドはわたしを、いずれ死にいたる一人の脆弱な人間だと見ています右脳マインドは、わたしの存在の真髄は、永遠だと実感していますいずれ、わたしは自分をつくっている細胞を失い、三次元の世界を知覚する能力を失うかもしれませんが、このエネルギーはただ幸せに満ちた穏やかな海に還ってゆくだけ。〜


これはある脳解剖学者の手記です。以前この人のトークをYoutubeで見たことがあったのですが、最近、活字で読みました。

若くして有能なドクターでしたが36歳の時に脳溢血になるのね。この手記は脳溢血が起ったときと、快復における脳感覚、身体感覚、超感覚の記録になります。

後半は殆ど、瞑想者とか、いわゆる聖者=悟った人、お釈迦様みたいな人の言っていたことに似た体験が書かれているのが面白い。「瞑想とか、そういうのがどうしても嫌!」と抵抗のある方には良いと思いますね。科学者の左脳を駆使して書いた右脳体験の記述。です。

それからもちろん、脳溢血が我が身に起ってしまった人だけでなく、脳溢血がこれから起る可能性のある人、すなわち私たち全ての人間にも、勇気と知識を与えてくれる本です。女性の口語体で書かれているので、気楽な感じで一般的に読み易って言われてるよ(私は女性語に慣れてないのでちょっと読みにくかったけど・・・)。


右と左を繋ぐんですよ。あるいはバランスするんです。「人間そんなコントロール権は持っていない」と皆は思ってるんでしょう?ここはひとつ、科学者ではない単なるヨガの人である私に言わせてください。

それは「わたし」によって可能なんです。


ヨガの先生は是非読んどいて下さい。