2016年4月30日土曜日

神様の手足

みなさま、こんにちは。

またもインドで働きすぎて満身創痍の感があったものの、
シータマン、少しお目覚めしてきました。
本当はもう少しだけ、ひとりで毛布の中で眠っていたいのだけれども、
そうもいってられないでしょ。

ってことで、私ですね、東京の代官山というところに行ってきました。
このようなオシャレな町は、シータマンにとって本来パラレルワールドなのだけれども、5年以上教えていたスタジオがある土地なので、とっても馴染み深い。

毎日毎日、ここ歩いてたよなあ・・・と。

ところで、なぜ代官山に行ったかというとですね、昨年のタイのリトリートに来てくださった、しーちゃんのデザインするブランドの、秋冬の展示会だったんです。

スリムでキレイでスキルもある彼女。

上部だけをみたら、スリムでキレイでスキルな人、という印象だけが際立ってしまうのかもしれない。

でも、仕事の話をしている時のしーちゃんが、なんだかとても、なんだろう・・・すごく良かったんです。わー、忍耐とド根性とユーモアのある人だ・・・と。つまり好きなことをするために努力が出来る人ということか。とにかく幸せそうに仕事をしている。

でも、ゼロから何かを生み出すってことは、本当に大変なことですから。彼女の愛するそのお仕事を見てみたかった。





ヨガウェアというのはですね、私にとっては、パラレル服(?)ですね。そりゃルルレモンとか着てたこともあるけどさ、いまの快楽追求主義というか、素材第一主義の私にとって、まず用のない衣類。

化学繊維が苦手なんですよ。体の何かが滞るっていうか乱れるし、レーヨン(にも色々と種類があるけれど)もモノによっては合わない。

オーガニック路線のアースなウェアもあるけれど、デザインがフーテンぽくって私のようなボサボサの女が来たらシャレにならない感満載ですからね。あまりブカブカしたものも着たくないし・・・。


服は素材とつくり、それからピシッと的を外さない的確な機能性。


なので、今回、いち消費者としてですよ、製品に興味があるかといわれたら正直なかったんだよね。だってパラレル服だからさ、ヨガ服は。あたしゃ、しーちゃんの仕事が見たかっただけなの・・・・


し・か・し・・・がーん!予想を裏切られた!





その結果、テンションが上がり、試着しまくり、協賛のアイス食べまくり、居座ってなかなか帰らない、ときて最終的に3着もオーダーしてしまいました・・・。


やられた 〜。

まず、素材がとても良かった。
コットンの混率が高い(95%とかも!あとレーヨンも竹布だったり!ツボ!)製品がたくさんあって、しかも洗練されている。40過ぎの私が着ても問題ない上品さがある。

素材の次に私が気にするのは肋骨周り締め付けだけど、ブラトップとかも、苦しくなかったし、しっかりしている。

吊るしてある時と、身につけた時では全然違うもんだなとも思いました。着た時の形がとてもキレイな服が多かったし。

三次元の、立体の状態を見越してデザインされているし、パターンが作られているってこと。それがプロの仕事だから当たり前といえば当たり前なんだけど、どのジャンルにも、プロがいるんだな、って心の底から感心しました。


ヨガウェア界の新たな刺客、しー様とパチリ。



昨日読んだ本に、こういう一節があった。

不遇の幼少期を送った著者が、神社の境内でたまたま会った宮司さんの言葉。

「神はこいつを使おうと思ったら、小さい時にさんざん試練を与えるんだよ。試練にあって曲がったりへこんだり歪んだり、耐えきれない人間は使わない。試練に耐えて、真面目にまっすぐ生きてきた人間を自分の手足として使うんだ。」

有り体な言葉、といったらそうかも知れないのだけれど、これは的を得た言葉だと思う。しかも「小さい時」だけに限らないんじゃないかな。

神の道具といえば、万人がそうなんです。しかしながら素直に鍛錬するってことは、実に難しい。

実は、自分の「好き」や「得意なこと」「向いていること」と寄り添って生きる時にこそ、大変なのだと思うんだよね。それでも道を踏みしめて、踏みしめて、逆風にも耐え、転んでは起き、そういう泥臭さがある女の人はカッコイイなと、思う。しかもそれを表に見せないで、明るさとか、爽やかさとか、を振りまけたら、それは最上級。


読者の中には、いま、さんざんな試練の渦中にいる人だっていることでしょう。

でもそれって神様に目を掛けられてるってこと、かも知れないよね。

だから大丈夫なんじゃないかな。

て、思ったりもします。

またね!

しーちゃんのブランドjulierはコチラだよ。
スタジオなんかで買えるようになるといいね。







2016年4月23日土曜日

帰国後のごあいさつ

皆様、ご無沙汰しています。
先週、日本に戻ってまいりました。

熊本の震災から一週間が過ぎました。私はその当日の夜に帰国しましたが、空港近くのホテルで深夜までテレビに張り付いていました。

亡くなった方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

また、終わりの見えない余震の恐怖の中、まだまだ大変な時期が続くと思われますが、被災された皆様の、安全で平穏な生活が、一日も早く戻りますように。

私の実家は、北関東の太平洋側なのですが、陸の方に入ったところで、東日本の時は、外塀が崩れたり、家に多少のヒビが入ったりとのダメージはあったものの、家族は無事でした。

しかし、あれ以来、夜、両親はラジオをつけっぱなしで眠るようになりました。音があったら落ち着かないじゃないの、と思うのですが、5年が過ぎた今でも、どこかに不安が根ざしているのでしょう。


天災のこと。

社会の情勢のこと。

政治のこと。

自分の人生のこと。


全部ひっくるめて、なんというか一つの生命というか、時間というか、そういうものを成しているわけで、いろいろ考えるのと、複雑すぎるように思え、正直、うまく言葉に表すことができません。


自分と同じように、幸せになりたい、苦しみたくはないと思っているであろう全ての人類とか、生きとし生けるものが、自分も含めて、少しでも幸せであれたらいいのにな、と、頭の中の迷路の奥底で、ひっそりと思う。


今日が闇でも、明日がある。

諦めないで、今日のこの一歩だけ踏ん張るんだと、自分に言い聞かせている毎日です。

インドに滞在中は、だいぶ余裕がなく、またもブログの更新を怠ってしまいました。というより、一切更新できませんでした。

5月からまた、地道にクラスを再開していきますので、どうぞよろしくお願いします。


今日を踏ん張るパワーが被災地の皆様に、チャージされますように。
温かいご飯と安心が皆さんに届きますように。