2020年5月22日金曜日

5月24(日)10:30 ★シータマとサットサンガ


緊急事態宣言が続々と解除されてきましたね。

でも、慌てず焦らず、ゆっくりゆっくり、ね。

稀有な時代、稀有な体験を皆さんと共有したわけですもんね。なんかちょっとだけ寂しいんだか何なんだか、不思議な気持ちです。コロちゃんもやってくれるわ。

お外活動の自粛のお供に、と初めたオンラインのサットサンガですが、この週末もやります。もしかしたらこれがラストになるのかな?次の週はまだ未定ではありますが、今後、少なくとも月に一回くらいは継続していけたらいいなって思っています。

今回のテーマは「LOVE」。

初回でご紹介した「BLISS DIVINE」に再び戻ります。
まだ作業前だけど、明日頑張って翻訳しますね。
これが結構しんどい一日仕事なんですけど、その時間は私に素晴らしい何か与えてくれていて、しかもそれに耳を傾けてくださるみんなの存在がとてもありがたいです。




【5月24日(日)シータマとサットサンガ】
Language : Japanese
時間:10:30am-12:00am
参加費:無料
内容:キールタンとお話。
こちらのリンクから参加→ https://us02web.zoom.us/j/82454650915

キールタンはインドの賛美歌です。皆んなで歌いましょう。
歌詞カードはコチラ→https://yumikosita.blogspot.com/2020/04/51_30.html

ネットのこと(後編)

前編では、インターネットは便利だけど、そこは「操作されまくり世界」だから、そこに本当に知るべきことは見つからない、というお話をしたんだけど、自分で書いた記事が検索に引っ掛かるかどうかの実験でもあったんだよね。案の定、引っ掛からなかったし(笑)。みんなも、私の名前と、その会社の名前で試しに検索してみるといいよ。

件の会社を非難する意図は全然なくて、その会社のサービスは色々と便利に利用させて貰っていて、いつも感謝してるんです。ただ、ネットの世界の常識はこういうんだよ、ていうのを、読者のみんなに見せたかったの。それだけ。

○天さんを、引き合いに出しちゃって申し訳なかったんだけど・・・すみません、てへっ。

でもさ、この時代の商売ってそんなもんでしょ?大きな会社はみんなしている当たり前のこと。

残念なのは、むしろ受け手側の意識なんですよね。ネット上で知れることがリアルって思い込むように思考がリプログラミングされているってこと。いやー、どんだけイイ人なんだ。でも、受け手側の思考が脆弱であるのは事実。

この問題は、箱根のからくり箱(すごい伝統工芸でちょっと欲しい)みたいに多層的なので、悩ましいんですよ。

私の職業は、フリーランスのハタヨーガの先生です。自粛期間にオンラインでそれを教えなかったのは、そこに煩悶があったからでした。


コーチが陸上競技の100メートル選手にオンラインでトレーニング

外科医がオンラインで冠動脈のバイパス法を指導

師範がオンラインでフルコンタクト空手の稽古


・・・無いわー。

(参考図書みたいに使うメディアとしては有りだけど、リアルタイムではやっぱ無いと思う。)

ハタヨーガというのはエネルギーワークで、実は以外と危険で、ゆえにかつては秘められしものでした。だから私達は、簡単に「クンダリニーが〜」とか「チャクラが〜」とか「エナジーが〜」みたいな言葉は口にしない。口にしない=否定しているという訳ではない。

21世紀になって、ヨーガが商人に目を付けられ、祭り上げられた。しかし、そんな自主的な修行みたいなこと教えてお金が儲かるわけ無い。ティーチャートレーニングコースをやって纏まったお金を作らない限りスタジオの存続に関わるってことで、夏の雑草のようにヨーガインストラクターなるものが増殖。オンラインで資格取得とかもバンバン出てきた。

(でもねえ、この道で私たちが進むべき道は、有資格者になるとか、インストラクターになるとか、そういう事じゃ無いんですよね〜。「達人」になっていく、そして先輩は後輩を助ける。それが、どこでこんなんなっちゃったか・・・。)


インスタント過ぎる量産方式の結果、肝心のクオリティーは爆発的に下がり、需要を供給が上回ったので、単価が下がった。自分の足を食うタコのようなビジネス。人類は、本当に学ばない。仕掛けた商人達は、美味しいところ食い尽くしたら、次のターゲット見つけてドロン。

そして、その下がったクオリティーが、今のスタンダードとなった。

今回のオンラインブームで、スタンダードのダンピングは更に加速していくだろう。

私が懸念しているのは、このスタンダードの劣化である。私がどうこういって止められることでは無い。それは明日にもネットの世界で、「普通」の「本当」に捏造されていくのだろう。


煩!悶!

私が教え始めたのは表参道のヨガジャヤってとこで、ラスチカスというカフェが入ってた古い建物の中にあった。

初めての自分のクラスに来てくれた男の子が「ちょっと首痛いんすよ、アシュタンガヨガで痛めて」と言う。

アシュタンガって先生見てくれてるじゃん。どこの先生?「ジョン・スコット」

ええーっ!「・・・のビデオ見て毎日やってるっす!画面見ながらジャンプバックだと首が・・・」

あ、ねえ〜、うーん、それは〜、仕方ないね〜。


・・・という会話が記憶にこびり着いているのも、踏み切れない理由の一つだな。あの時の男の子元気かなあ・・・。



ジョンスコット、かっこよかったよね。


クラスに来て下さったことのある方は、私が一切「実演してる私を見ながら一緒にやってね」というスタンスを取っていないことに、お気づきだと思います。師匠にもそのように強く言われている。ハタヨーガは、意識を「外側の対象」ではなく内的なところに留める練習なので。皆さんとお会いする時はいつも、それを極力阻害しないように、頑張ってます。オンラインクラスには、出来ないたった一つの弱点はコレなんですよ。それこそが一番の目的なのに、ジレンマ。その上エレクトロマグネティックウェーブを発するマシーンに集中!みたいな・・・。

とはいえ、私は、オンラインのクラスに反対派という訳ではないんですよね。

煩!悶!

私だって、お家で悶々と過ごしているみんなに、健康生活を啓蒙したいし、明るい気持ちになって欲しいなって、すっごく思うもん。


しかし、表面的なところをもって「ヨーガ」とする新スタンダード作りに、私が加担しては、どうにもいけないような気がしてならない。それが自分が務めなきゃいけない役どころではないかと。

それに、私は「そのお姿を拝見するだけで恩寵」な先生方とは違くて、ただの普通の人なので、画面の向こうの皆さんに伝えるための道具は言葉だけだから・・・。

というわけで、オンライン方面は他の先生たちにお願いするとして、今後なにかオンラインでハタヨーガを発信する機会があったとしたら、それは、イベント的に「たまには一緒に!ヨーガ実践者の為のガイド(音声)」とかになると思います。

それと「毎日の健康ストレッチ」みたいな名目で、一般の方、今までお会いしたことの無い方達に向けた発信は、これは是非やっていきたいと思ってます。

どっちがオンで、どっちがオフなんだかわからないけど、オンとオフで会おうね!

追記:
この問題は、音楽なんかも同様だと思う。オンラインライブとかに慣れすぎて、そういうもんだって言う風に、聴き手の耳のスタンダードが劣化してしまうと、音質の悪いYoutubeのアップロードでいいやーみたいなことになってくるのでしょう。コンサートのチケットが売れにくくなっていく。本当のライブサウンドとは、全くの別物です。

あと、本物のメディテーターが瞑想している写真なんてのはネット上にない。ダライ・ラマ猊下が岩場に座って瞑想してる写真とか、見た事ないっしょ。瞑想してる写真のあるところに瞑想は存在しない。そのへんのシンプルなパラドックスを理解して頂きたい。

2020年5月21日木曜日

ネットのこと(前編)

どっこらしょっと。

重い腰を、いや指を(?)あげて、久しぶりに書くか。

3〜4月、私はネット難民だったので、その習慣が意外と身についてしまった。
気持ちの上では若干ネット離れなんですよ。

液晶画面のブルーライトが人間の皮膚に与えるダメージ。これがなかなかのもんらしいよ。まあ紫外線と波長が近いだろうから、当然だけどさ。

まあ、そんなことは、あとで考えることにして、ネットとの付き合い方について、まだ考えている。

コロナのことが無かったにしても、今はなんでもかんでもオンラインの時代なので、ネットについて考えるべきことは「広範囲」になるし、テクノロジーも日々進化しちゃうので、キリがない。

この人生に残された時間は有限なので、適当なところで自分の中で折り合いを付けて、っていうのを定期的に繰り返してくしかないのだろう。

まとまらないし、話せば長くなる。

これまで利用してきたシェアハウスでは、Wi-Fiは標準装備だったんです。ただ、今年はなんか閃いてしまって、通常のアパートを借りたので、インターネットを自分で契約しなければいけなかったんですね。

ポケットWi-Fiの2年縛りの売り方が嫌いなので、何か良い策はないかと思っているところに楽天アンリミットというサービスが始まることを知ったので、早速申し込んで、四月のサービス開始日を、難民しながら待って待って待ちまくってたの。

しかし、4月になっても、申し込みのプロセスが進行せず、向こうから何も言ってくるでもなく、問い合わせしても梨の礫で、ただ辛抱して待ってたんだよね。

こんな時、皆さんどうします?

「ググる。」

・・・ですよねえ。

(ここからしばらくは、私の鬱憤が続くので、読み飛ばして下さって構いません!)

愚痴
 ↓

他にも同じ目にあっている人が、どのくらいいるのか、どうやって解決したか、なにかヒントを貰いたい。ブログやツイッターで愚痴る人がいる筈だからググってみよう!

ということで「楽天アンリミット」「届かない」とか、入力して検索してみました。

ところが一切検索に引っかからないんだ、これが。

ったく箸にも棒にもってのはこのことだ!(違うと思う・・・byシータ万蔵こころの声)

もう少し待ったら、みんなネットにあげるかな?なんて思って毎日携帯で検索し続けたけど、いつまでたっても出てこない。楽天アンリミットのオフィシャルサイトと、ニュースリリースのみがズラ〜ッと上がってくるだけ。

もしやこれが噂の「Google八分」って奴か!?(ていうかもう確信・・・byシータ万蔵)

ちなみにコールセンターは、1時間たっても繋がらないし、その間の電話料金はちゃっかり取られているし、問い合わせチャットも返事に一週間かかる。都合の悪そうな問いは完全に無視される。

なんじゃこりゃ!

これまでの体験を経て、数少ない情報を組み合わせて思うに、最初の申込みのシステムデザインが大失敗だったように見える。事前申込を受け付けている時点ではこのスキームが運用されていた。実際あまりにも解りにくいサイトだったし。(そのサイトを作ってる本人も解ってないってことでしょ?・・・byシータ万蔵)

しかし、販売を開始してみて初めてミスに気づいた売り手が、しれっとバレないように仕様変更して、ついでに事前申込みの仕様で手続きした人は無かったことにしちゃってるようだ。Google八分するにしても、あからさま過ぎるでしょうに。恥の文化はどこへ行った。

君子危うきに近寄らず。どうせ無かったことになってるならこれ幸いってことで、既存の申込を正式にキャンセルさせて、新たにSIM契約を結び、フリマアプリで端末をとっとと手に入れた。

「おたく流石に詐欺過ぎますよ!キャンセルすら出来ないっていうなら消費者センター行きます」って添えたら、すぐキャンセルしてくれた。

 ↑
愚痴おわり


思い起こせば「4月2日」「コロナ」「政府」「ロックダウン」みたいな語句で検索かけると、検索結果0件になる、というのが報道されていたが、あれは「Google八分」で下手打ったケースでしょう。検索エンジン側は「システムエラー」と釈明していたが「情報をブロックする操作」がなされた、そこでのエラーだろう。そして、その操作を発注したのは・・・

怖っ・・・!


別件で、「すぐ消されるから早く見た方がいいよ」というアドバイスとともに、Jusy Mikovitsという博士のインタビュー映像のリンクを貰ったんですが、見ながら寝落ちして、翌朝にはもう削除。がーん。(でも、日本語訳付けて半分づつにバラしてアップしてる人がいた模様で、そちらで視聴できました。)


本当のことは、多分ネットでも、テレビでも、新聞でも、手に入らないんだってことを、自分の携帯電話の乗り換えで思い知った、そんなうららかな春でございました。


さらに某国の何某さんなどの巧みなプロパガンダと見られる動画が、SNS上の心良き人々の間で出回っているのを目にしたりするたびに、何とも言えぬ気持ちになるんだな。

情報操作、印象操作、なんでもかんでも、ほんとプロデュースお疲れさまですって感じ。

本当の話題を語りながら、そこにほんのちょっとのサブリミナルで宣伝効果を狙った言葉を入れる。回数は多過ぎてはいけない。

もちろんそれが恣意的なものだと証明する術はない。ここでモノをいうのが直観で、私の直観的に、あれはプロパガンダだと思う。きっと心が綺麗じゃない私だから、わかるんじゃないの? 心綺麗な人の、綺麗な心を、そうやって弄ばないで欲しいよ。いやな世の中だ。

ネットで簡単に手に入るものに、本当の本当はないということ。そこは摩耶化しの世界。それをちゃんと解ったうえで、お付き合いしないといけない。

ネットの世界はコミュ障の逃げ場だなんてとんでもない!情報の受け手として、実は、高度なコミュニケーションスキルが必要な場なんだと思います。そうじゃないと摩耶に食われる。

楽天アンリミットですが、事務のシステムは最悪だらけだったけど、それも私の問題ではなくて、彼らの問題なので、結果として乗り換えて良かった。どの道、どこかのキャリアを使わないといけないことには違いないので。おかげでオンラインのレクチャーも出来てるし、別途ポケットWi-Fiを契約せずに済むので節約できるので。

今日はとっても寒いので、海が恋しいシータマンでした。舟の名は・・・。


2020年5月17日日曜日

幸福な日曜のアロマ

たまには、力の抜けたほっこりネタを書きたい。

今年、帰国前にタイのチェンマイに立ち寄りました。ブラブラと休暇を楽しんでいるとき、日本から来た可愛いガールにお目にかかるチャンスがあって、先ほど、その彼女にお願いしていた荷物を郵便局に取りに行ってきました。




じゃーん。珈琲です。

タイ北部は実は、優良なコーヒー豆の産地だって知ってました?

可愛いガールのお父様が、この北タイのコーヒーを日本で焙煎しているのですよ。それでお願いして送っていただいたのです。

う、うまい・・・。

チェンマイに居るときは、毎日一杯、地場のコーヒーを飲んでいるのですが、それと共通する北タイの味?香り?がありつつ、それよりも微妙に味が繊細・・・・。

むむ~・・・

・・・これは、やはり繊細な日本人の技のせいなのだろうか・・・・。現地で飲むより微妙に美味しいんですけど・・・。

でもちゃんと後ろで「これぞ北タイの豆」みたいな懐かしい味が「ヤッホー」とこだましている。

お、お父さん、出来るな・・・!

娘さんによれば、お父さんはかなりの追求型らしいので、いろいろと極まってるんだろうなあ。

総じていえば、「頑固おやじ」とか「俺系」とか「男のこだわり」みたいな自己主張系と反対の、なんだか優しい系のバランスです。愛情深さっていうか、そういう味。


                                                                                

しかも、2020年、今年のホヤホヤ新豆でラッキー!コーヒーへの表敬としてチーズケーキを捧げましたよ。たまにはいいよね。
       

ケーキは「ターコイズ」というお店の。これも美味。

実は、コロナに纏わるロックダウンの影響で、毎年の恒例行事、9月のタイでのリトリートの分の宿泊予約が白紙になっており、今なお先が見通せません。見通せないとなると、瑞々しい北タイの原生林が途端に恋しくなる無いものねだり。

そして、私は知っている。私の周りには、結構な数のチェンマイファンが居ることを。北タイの森の土の香りが恋しくなったとき、是非、利用してみて欲しいコーヒーです。


でね、目を閉じて飲むんですよ。


(※↑のリンクのインタビューはすごく良いのでぜひ読んで下さい。「ゆれないこころ」はバーンロムサイの活動を紹介する動画に使われている曲。原田郁子さんはご存じクラムボンの原田さん。タム君ことポンニミットさんは、ビッグイシュー日本版で連載している漫画家さんです。)


これで、チェンマイ感、出せます。・・・たぶん。


ということで、チェンマイファンのお仲間に、チェンマイ感を出すための情報をお届けしました。


ヒミツ感が漂うコーヒー屋さんの名は、「フェリーチャ」さん。北タイの豆専門のお店です。たぶん注文を受けてから焙煎して下さっているんだと思われます。しかもえらくリーズナブルです。 個人的には過去の記事が読んでいて楽しい。

サットサンガ終えてから、今日はコーヒー飲んでブログ書いただけのゆるい一日だった。
たまには、いいよね。

ゆるす!

フェリーチャとは「幸福な」という意味だそうです。





2020年5月15日金曜日

5月17(日)10:30 ★シータマとサットサンガ



今回は30分ほど時間が後にずれます・・・が、三回目ですね。オンラインでサットサンガ。

この本「Yoga Quesutions and Answers」 から。何十年も前のインドで、私達みたいな普通の人達が、どんな質問をして、スワミジがどんな風に答えられたのか、見てみましょう、という計画です。

コロナ自粛でなんでもかんでもオンライン・・・というご時世。

私なりに、インターネットとの使い方というのをすごく考えたわけです。そして、未だに考え中。これについては、別途ブログで書こうかな、って思っているのですが、そんな中で、現時点での思いは、いろいろな側面から見て総合的に、結局このサットサンガが、私にできるオンラインのベストな使い方だろうな、ということかなぁ・・・。

毎回、40人以上の人が参加して下さって、密かに熱い集まりの後、遠くに住むYちゃんがメッセージを送ってきてくれた。

「シータマの声を聞くだけで癒されている人が、たくさん居ます。私も勿論その一人です。」

私は逆に思った。

「Yちゃんに癒されている人が、沢山たくさーん居て、私もその一人です。」

Yちゃんに限ったことではなくて、サットサンガに顔を出して下さるみんなとか、とにかく、みんなに対して同じことが言える。

そして、この重大な事実を、みんなに知って貰いたいと、強く思う。

一人一人の皆さんの存在に、癒されている人が、それぞれ沢山いるってこと。

そのことを伝えたいから、やってるんだと思います、はい。

病の友に会いに行くために夜行バスに飛び乗ったり、自分以外に誰かに手を差し伸べたり、感謝を伝えたり、涙の後に深呼吸して前を向こうとしたり、そんなあなた達を、私はとても好きだと思う。

ちょっとだけ時間が変更になっていますが、日曜日、オンラインで会いましょう!




【5月17日(日)シータマとサットサンガ】
Language : Japanese
時間:10:30am-12:00am
参加費:無料
内容:キールタンとお話。
こちらのリンクから参加→ https://us02web.zoom.us/j/82454650915

キールタンはインドの賛美歌です。皆んなで歌いましょう。
歌詞カードはコチラ→https://yumikosita.blogspot.com/2020/04/51_30.html




2020年5月10日日曜日

どうでもいいような日常の話

私好みな昭和なアパートに、三月のはじめに入居して、あっという間に二ヶ月が経ってしまった。家賃のモトを取りまくっている。

それにしても、3月、4月の寒さはこたえた。雪なんか降っちゃって。布団はせんべいだし。

鼻水が止まらまくて埃アレルギーだとばかり思っていたが、珍しく気温の上がった日に、鼻水が出ないことに気が付く。

アレ?治ったかな?

しかし翌日寒さが戻ってくると、また洪水。

ここで初めて、埃アレルギーって勘違いでは?と思い始めたわけです。

で自分でいろいろと調べたら、寒暖差アレルギーと称される症状らしい。

「寒暖差アレルギーは、温度差が大きいときに引き起こされる症状で、実際にはアレルギー反応ではなく、自律神経の乱れに伴う反応です。正式病名としては血管運動性鼻炎になります。

自律神経は、周りの環境に対して体を自動調整します。通常、寒い場所では、血管が収縮します。暖かい場所では、血管が拡張します。しかし、寒暖差が激しいと、血管の収縮が環境に追いつけなくなり、自律神経が誤作動を起こしてしまうのです。

自律神経が、適切な対応が出来るのは大体7℃以内と言われています。7℃以上の気温差で鼻粘膜の血管が拡張して鼻粘膜が浮腫して、アレルギー様の症状が出ます。


な、7度〜っ⁉︎

たったの・・・!人体そんなに軟弱なの〜っ!

30度の気温差の場所から帰って来たのでは、体もそりゃびっくりするわな。ことに私は過去10回分、日本の冬をサボっており、鼻の粘膜も、摂氏10度以下という存在を忘れていたに違いない。どうりで毎年、帰国すると鼻水が出ると思った。日本の家は埃っぽいと、勝手に思っていたが、違う!寒いのだ。

そうなると、手持ちの服も問題だ。持っているのは夏服ばかり。そりゃそうだ。春夏しかいないんだから。長袖だと思っていた服の大半は、首回りスッキリの七分袖で、風がよく通る。これがいけなかったらしい。

「くび」と名のつく部位には、皮膚の直下に大きな血管が通っていて、外気温に敏感なのだそうだ。この部分が冷たいと、体は「冷えてるよ、危険!」と恒常性を過剰に発揮してしまう。

脇が甘かった・・・・。首と手首はノーガードだった。

・・・10年前に気づくべきだった!


インドのクルタや、中東のカフタンのデザインは、日本でも流行っていて素敵なんだけど、たとえ袖が長かったとしても、風がよく通り、「くび」の部分が涼しく感じられるように出来ているから要注意だ。

衣服って地域に根ざした知恵が詰まってるんだね〜、感心、感心。(by シータ心の声)

唯一持っていたセーターは道端で買った古着で、若い子向けのブランドのLサイズが、XS位まで目いっぱい縮んだもの。これがフェルト化して逆に可愛くて、ウール100%の目が詰まって温かく、しかも百円!と気に入っていたのだけれど、つんつるてん故に、確かに首も手首も剥き出し。

気に入っていたので悩んだけれど、背に腹は変えられない。リフォームしてみた。


袖と脇の下、身ごろを使って靴下。


身ごろの裾を使って、手首ウォーマーと、頸動脈ウォーマーだ!

足首の90度カーブは、脇の下と袖の角度を利用。


















セーター消滅‼️もはや原型なし。

どうですか、この逆転の発想リフォーム。
今までセーターで温まらなかった部分を積極的に温めるぜ!


すっかり暖かくなった今でも、10度前後に気温が下がる日は、やはり鼻から水が出る。
そんな時は、「くび」を温めてしのぎます。

ちなみに「くび」ってのは何かと何かを繋ぐ部分を表す言葉で、貨車を連結する「くびき」なんてのも語源を同じくします。大事な部分。

YOGAという言葉の源である Yujという音も同じ、繋ぐを意味しているよね。

みなさんも「くび」あったかくしてね。


2020年5月8日金曜日

5月10日(日)10:00 ★シータマとサットサンガ

みなさん、いかがお過ごしですか?
おうちにお籠り中の方、美しい春の日差しを、休日だけじゃなく、しかもこんなに長時間、目に映せる毎日は、子供の時以来では?


次回のサットサンガでは、Swami Sivananda Gurudevのお弟子さんの一人である、Swami Chidananda 先生の小冊子「Success in Life」を開いて見ましょう。




若者に向けて書かれたメッセージなのですが、中年の私にとっても胸に響く本で、なんと、友永淳子先生の美しい日本語訳がついた本が出版されています。




本を開くと、左頁に日本語、右に英語原文という装丁なのですが、シンプルな言葉で、伝わり易く、読書が苦手な人にもオススメ。

私は昔、オーストラリア人の同僚 Ken(アシュターンガヨーガの先生)と、ランゲージエクスチェンジをしていたんですね。というのも、お互い、クラスを教えるときに第二言語を使わねばならない環境にいて、教える時のニュアンスってのは語学の教科書に載っていないから、互いに協力して頑張ろう!ってことになったのです。毎週水曜日に、恵比寿のスタジオの近くでランチをしながら、あーだ、こーだやってました。

彼が国に戻る時にプレゼントしたのがこの本です。原文も書いてあるし、日本語の読み書きを忘れないために良いなと思ったのと、内容そのものに、何物にも代えがたい価値があると思ったからです。

いやー、もうほんとお薦めなので、買ってください。

青年向けでありながら、中高年の我々に響く内容です。私たち大人が、大人を自称するには子供っぽ過ぎる世の中になったのかな・・・。でも、結局は、若かろうが、年を取っていようが、人生において大切なことは普遍的だということなのでしょう。

ということで今回のサットサンガは、友永先生の名訳に私の解説を添えて、読んでいきます。

アプリが無くても、ブラウザから参加出来ますし、リモートワークでお仕事中の方も、スマホでラジオ代りに聞き流していて下さって構いませんので、是非是非ご参加くださいね。



【5月10日(日)シータマとサットサンガ】
Language : Japanese
時間:10:00am-11:30am
参加費:無料
内容:キールタンとお話。

キールタンはインドの賛美歌です。皆んなで歌いましょう。打楽器の参加はご自由に。バイオリン笛など音階のある楽器は、即興でキーを取れる方はどうぞ。
歌詞カードはコチラ→https://yumikosita.blogspot.com/2020/04/51_30.html

ZoomミーティングID: 824 5465 0915
こちらからどうぞ→ https://us02web.zoom.us/j/82454650915


2020年4月30日木曜日

5月17日(日)10:30AM サットサンガ 歌詞カード


①Jaya Ganesa 
(その時々で多少変わりますが、だいたい以下の中からチョイスします。音訳記号が付けられなかったので、SやNなど複数の音がある場合は、耳で真似して聞いてください。)

Jaya Ganesa Jaya Ganesa Jaya Ganesa Pahi Mam
Sri Ganesa Sri Ganesa Sri Ganesa Raksa Mam

Saravanabhava Saravanabhava Saravanabhava Pahi Mam
Subramanya Subramanya Subramanya Raksa Mam

Jaya Sarasvati Jaya Sarasvati Jaya Sarasvati Pahi Mam
Sri Sarasvati Sri Sarasvati Sri Sarasvati Raksa Mam

Raja Rajesvari Raja Rajesvari Raja Rajesvari Pahi Mam
Triprasundari Tripurasundari Tripurasundari Raksa Mam

Jaya Guru Siva Guru Hari Guru Ram
Jagad Guru Param Guru Sat guru Syam

Om Adi Guru Advaita Guru Ananda Guru Om
Cid Guru Cidghana Guru Cimmaya Guru Om

Hare Rama Hare Rama Rama Rama Hare Hare
Hare Krsna Hare Krsna Krsna Krsna Hare Hare

Sadguru Natha Sri Guru Natha Jaya Guru Natha Sivananda
Sivananda Sivananda Sivananda Sadguru Devo
Visnu-devananda Visnu-devananda Visnu-devananda Sri Guru Natha

Hare Rama… Hare Krsna…
Om Namah Sivaya
Om Namo Narayanaya
Om Namo Bhagavate Vasudevaya
Om Namo Bhagavate Sivanandaya
Om Namo Bhagavate Sadguru Nathaya
Om Namo Bagavate Visnu-devanandaya
Om Namo Bhagavate Sri Guru Nathaya
Om Namo Bhgavate Agastya Munaye
Om Namo Bhagavate Sri Rama Priyaya Namah

Sri Ram Jay Ram Jaya Jaya Ram Om

Anjaneya Anjaneya Anjaneya Pahi Mam
Hanumanta Hanumanta Hanumanta Raksa Mam

Dattatreya Dattatreya Dattatreya Pahi Mam
Dattaguru Dattaguru Dattaguru Raksa Man

Sankaracarya Sankaracarya Sankaracarya Pahi Mam
Advaita Guru Advaita Guru Advaita Guru Raksa Mam

Krsnam Vande Jagat Gurum Sri Krsnam Vande Jagat Gurum

Anando’ham Anando’ham Anandam Brahmanandam

Om Namah Sivaya

②はじめのシュローカ
OM GAJANANAM BHUTAGANADI SEVITAM
KAPITTHA JAMBU PHALA SARA BHAKSAKAM
UMA SUTAM SOKAVINASA KARANAM
NAMAMI VIGHNESVARA PADAPANKAJAM

SADANANAM KUNKUMA RAKTAVARNAM
MAHAMATIM DIVYAMAYURAVAHANAM
RUDRASYA SUNUM SURASAINYANATHAM
GUHAM SADAHAM SARANAM PRAPADYE

YA KUNDENDU TUSARAHARA DHAVALA
YA SUBHRA VASTRAVRTA
YA VINA VARA DANDA MANDITAKARA
YA SVETA PADMASANA
YA BRAHMACYUTA SANKARA PRABHRTIBHIH
DEVAIH SADA PUJITA
SA MAM PATU SARASVATI BHAGAVATI
NISSESAJADYAPAHA

OM NAMAH SIVAYA GURAVE
SAT-CIT-ANANDA MURTAYE
NISPRAPANCAYA SANTAYA
SRI SIVANANDAYA TE NAMAH
SRI VISNUDEVANANDAYA TE NAMAH

OM SARVA MANGALA MANGALYE SIVE SARVARTHA SADHIKE
SARANYE TRYAMBAKE GAURI NARAYANI NAMOSTUTE

OM SANTIH SANTIH SANTIH

③終わりのシュローカ
OM TRYAMBAKAM YAJAMAHE
SUGANDHIM PUSTIVARDHANAM
URVARUKAMIVA BANDHANAN
MRTYORMUKSIYA MA'MRTAT

OM SARVESAM SVASTIR BHAVATU
SARVESAN SANTIR BHAVATU
SARVESAM PURNAM BHAVATU
SARVESAM MANGALAM BHAVATU

SARVE BHAVANTU SUKHINAH
SARVE SANTU NIRAMAYAH
SARVE BHADRANI PASYANTU
MA KASCID-DUKHABHAG-BHAVET

ASATO MA SAT-GAMAYA
TAMASO MA JYOTIRGAMAYA
MRTYORMA AMRTAM GAMAYA

OM PURNAMADAH PURNAMIDAM
PURNAT PURNAMUDACYATE
PURNASYA PURNAMADAYA
PURNAMEVAVASISYATE

OM SANTIH SANTIH SANTIH

JAYA GANESHA DEVA
JAYA GANESHA JAYA GANESHA JAYA GANESHA DEVA
MATA TUMI PARVATI PITA MAHADEVA
OM NAMAH SHIVAYA


SIVA SIVA SAMBHO
SIVA SIVA SIVA SAMBHO SIVA SIVA SIVA SAMBHO
MAHADEVA SAMBHO MAHADEVA SAMBHO


2020年4月29日水曜日

★シータマとサットサンガ 5月1日(金)★


ずっと寒かった東京も、ようやく暖かくなってきました。
鮮やかな緑の五月が始まります。
ということでオンラインではありますが、みんなで集まりませんか?

「シータマ(ヨーガの先生のときの私のニックネーム)とサットサンガ」とありますが、Swami Sivananda Gurudevの元にみんなで集まってお話を聞きましょう、という集まりです。僭越ながら私、幹事を務めさせていただきます。

オンラインで、果たしてどうなるか心配ではあるのですが、キールタンファンもいらっしゃることでしょうから、少し声に出して歌ったりもしましょうか。聴いてるだけでも勿論大丈夫ですよ。息を合わせたところで、Swami Sivananda 先生の「Bliss Divine」という本の中から一つトピックを選んで、読んでいきましょう。分厚い英語の本ですが、私の方で日本語に翻訳しますのでご心配なく。

Swami Sivananda Sarasvati (1887-1963)は、言語や人種の隔てなく、現代を生きる我々に大切な教えを伝えてくれた近代聖者の一人です。

サットサンガは、Sat (=本質)を知りたい私たちのSanga(集まり)です。その為にそれを知る聖者の教えを求め集います。「Sat」を知るには曇りのない知性が必要で、その曇りの無い知性を得る為には、清らかな心が必要で、心の清浄は身体も、ひいては人との交流含め、行いそのものも綺麗じゃないと叶わない。

宅配ピザとビールとか、パチンコとかも、ストレスの解消にはなるのかも知れないけれど、その効果は限定的で、かつ思考の混乱や重鈍といった副作用付きであることも、一応覚えておいた方が良いと思う。

行いをきれいにする為に、生活の中に、しがらみ抜きの、清々しい交流やアクティビティーをほんの少しでも持つことが出来たら、生活が少しずつ、気持ちの良い、よろこびの場所になって行くんじゃないかな。

サットサンガはその為の、サットヴァな=清々しい集まりです。どなたでもご参加ください。

時間は、朝食後の東南アジア、就寝前の南北中アメリカを考慮して、日本時間の午前10時にしました。話す言語は日本語です。ヨーロッパは深夜になっちゃう。ごめんなさい。

インドの歌とか歌っちゃうけれど、私は決して怪しいものではありません。高額な壺とかお札とか売りつけたりしません。大丈夫です(笑)。

Zoomを使いますが、当日下記のURLより、どなたでも参加できます。

【5月1日(金)シータマとサットサンガ】
Language : Japanese
時間:10:00am-11:30am(15分前から開場しています )
参加費:無料
内容:キールタンとお話。「Bliss Devine」よりSwami Sivananda Gurudevのメッセージを日本語に翻訳して読んでいきましょう。

キールタンはインドの賛美歌です。皆んなで歌いましょう。打楽器の参加はご自由に。バイオリン笛など音階のある楽器は、即興でキーを取れる方はどうぞ。


Zoom Meeting ID : 738-9239-4569
こちらからどうぞ→ https://us04web.zoom.us/j/73892394569










2020年4月28日火曜日

小さな希望

ようやく我が家にインターネットがやってきた。これまでの3日で1GBのやりくりが嘘のようだ。

元来、お一人様好きの天秤座なので、おうち暮らしの日々も楽しく、炊事、洗濯、勉強、裁縫、読書、アーサナ、散歩などのアクティビティーを満喫してきましたが、今日からは、しょうもないことにデータを使い過ぎないように気をつけないと。二ヶ月間のデジタル自粛を無駄にしないように、インターネットとつきあっていきたいものです。

さて、自粛生活はけっこう音楽に彩られています。

部屋ではCD。散歩の時にもMP3プレイヤーを携行してみたり。このMP3は、引っ越しで出てきた10年以上前のもので、何が入っているかも完全に忘れているし、老眼で曲のタイトルも見えないという代物。

マーラーから、ヴェーダのマントラ、キングクリムゾン、ゆらゆら帝国、英語教材、裸のラリーズ、スピッツ、スティング、ジェイムスギャング、早川義夫、ビョーク・・・と次から次へと節操が無い。ゲイリー・ピーコックの演奏は、めっちゃ唸ってる人がいるからキース・ジャレットのトリオに違いない・・・なんて考えながら歩く。ビックリ箱のようで楽しい。

ちなみに、リアルタイムのBGMはスーザなどの行進曲のCDで、これはかなり斬新です。行進したり指揮棒を振り回したくなって大変楽しく、掃除もはかどる。

ますますアタマのおかしい家になっていますが、音楽は、素晴らしいものですよ。もやーっとする時は、踊れる曲をかけてとりあえず踊ってみるといい。音はエネルギーだということがわかる。


ネット環境の改善によって、星野源さんの「うちで踊ろう」も初めて観ることが出来ました。イイ曲ですね。YouTubeには数々のコラボレーションが上がっていて、明るい気持ちが自動的に連鎖していく、この理屈抜きの作用に、音楽の力を見ることが出来ます。

音楽だけではなく、文学、舞踊、美術、他の芸術表現の大切さを、国の偉い人が見直してくれたらいいのにな。

たしかに、音楽聞いても、絵画を観ても、空腹は満たされないし、貯金も増えない。

だけど、ここまで乾いた今だからこそ、くっきりとわかることがある。

「それ」は砂漠のオアシスのように、心に染み込む。


昔、参加していた幾つかのグループのうちの一つに、(私にとっては珍しく)若干シャレオツでアンビエント感もあるポップというのか、なんでしょう?まあそいういうのがあったんですよ。

「大切なのは、ほんの小さな希望です。」

ヴォーカルがMCの冒頭で自分たちを紹介する前に、必ず言っていたセリフ。


音楽は、私という存在全体を救済することは、出来ない。

だけど、道にへたり込んだ人間の、胸のうちに忘れられていた希望を、そっと照らすことがある。芸術は、小さなともしび。

打ちひしがれた人間を、立ち上がらせ、導き、救うことになるかもしれない「小さな希望」は、本当は私たちの中にある。今は小さく “ちょい見せ” かも知れないけれど、それは本当は無限の輝き。

大切なのは、一生暮らせる大金とか、終身雇用とか、一生涯入院保険とか、そういうものじゃなくていい。ていうか、そもそも、そんな保証の類は、この世界に存在すらしていないってことに、気づかなくてはいけない。


もう15年以上も前のことなので、名前も思い出せないけれど、テレビ東京の日曜日の午前中にやっていた番組があったんですよ。道で拾ってきたミュージシャンを対決させ、勝ち抜いたグループは渋谷AXでライブという、「なぜ朝に?」的な内容であったが、視聴したことのある早起きさんは激レア。最後にAXで演ったうちの一組でアップライトのベースを弾いていた女が私です。バンドの名前は「a little hope」といいました。

写真は、当時、自主制作のCDジャケットに私が描いたもの。引っ越しで出てきた。


たいせつなのは、ほんの、小さな、希望です。




2020年4月17日金曜日

何者?

皆さんいかがお過ごしですか?

「我ながら志村ロスに陥るなんて脆弱な!」・・・と一瞬思ったけれど、ビートたけしの「訃報のショックでしばらく鬱っぽくなった」発言を目にして、感受性なるものの存在をしかと受け止めたシータマンです。

私はというと、これがなかなかどうして、幸せな毎日を送っています。まるで、思いがけず、お金では買えない貴重なプレゼントを貰ったような・・・。

この思いがけない感を説明するならば、入院保険に入っていて、10年ごとに保険金支払いが発生しなかった場合に貰える「健康お祝い金」にみたいなのを、今まさに受け取っている・・・・みたいな感じですかね。

突然のライフスタイルの変化に際し、脳の中で組み替えられたシステムが、安定して駆動し始めた。もしも不安があるとしたら、再び古いシステムに戻ることに対しての不安・・・かな。

日本のほとんどの地域において、人の生活のメインは「消費」の一言に尽きる。はっきりいって消費以外にやることがない。

いやいや、私は一生懸命働いて蓄えをクリエイトしている!世の中に価値あるものを提供している!という声もあるけど、それはやっぱり巨大な「消費」の構図に組み込まれたアクションに過ぎない場合がほとんど。

私たちは、さながら「消費」を捧げる家畜のようだ。

じゃあ牧場主は誰だ?という疑問があるけど、それについての議論は他にお任せするとして、行いの結果として手に入るものは、私たちを決して満たしはしないという点が重要。

そういうものを目の前にチラつかせれば、欲求の無限ループを目に見えない柵として、人を放牧できる。

牧場主、なかなか頭がいいじゃないの。


目に見えぬ柵は、恒常的に手に入れられると思っていたものが、手に入らなくなる不安、すなわち失うことへの不安でしょう。


失いたくないもの人気ナンバーワンはお金だけど、地位とか役割とか、そういうのも含む。それはだけど仕方がないのかも知れない。すべての生命体は「死にたくない」という願望を生まれつきプログラムされているからね。死の恐怖がお金にすり替わっているだけのこと。


むかし見た刑事ドラマで、薬物依存症にされた刑事が自らを監禁状態にして、薬が抜けるまで壮絶な禁断症状と戦う、みたいなシーンがあったんだけど、多かれ少なかれ、現代人は「刺激」というドラッグに漬けられている。

(自粛生活で多くの人が感じるイライラも、毒を抜く過程で現れる禁断症状みたいなものなのでしょう。)

刺激を煽るエージェントの大手はインターネットをはじめとするメディアなので、本当に気をつけて付き合わないといけない。

そうはいっても相手はプロですから、巧みですよ。まったく洗脳されないというのは、本当に難しいことだと思う。

今回、神様がくれた「独り静かに過ごしていい時間」に、「デジタルデトックスのチャンス(というとカッコイが、単に自分の不手際が招いたインターネットがあまり使えない環境)」がうまく掛け合わさったのがラッキーだなあ、と思うのはそういう点においてですね。

自らをソフトに監禁して、毒を抜く。


高城剛氏の著作に言い得て妙な文章があったので、引用します。


 あらゆる科学的データから検証しても、ブッダが言うところの「幸せは外的要因に左右されない」のは正しい。言い換えれば、外的要因に左右される幸せは錯覚に過ぎず、セロトニンは出ないのだ。

 収入の多寡や物質的なものでは、人々は幸せを感じないのは科学的に証明されている。一瞬、消費によって幸せを感じたように思っても、セロトニン量を計測すれば、ただの興奮に過ぎず、

(~中略~)


よくスピリチュアルや自己啓発のメソッドでドキドキワクワクに従うようなことを本気で話しているのを目撃するが、それはドーパミンとノルアドレナリンによって、ごまかしているにすぎず、いわゆる幸せとは離れていくことを意味している。 ー「多動日記」より抜粋


お金の不安だけじゃない。何もしない人であることの不安。「役の価値=私の価値」という役への依存は「持っている資産の価値=私の価値」という勘違いと同じくらい多い。

人に求められる人材、社会の役に立つ人材、価値ある人材、愛される人材。

もちろん人を助けたり助けられたりすることはとても大切なことだけど、それ自体が人の存在の価値とは直接関係がないことを忘れてはいけない。


冒頭で、幸せな毎日を過ごしていると言いましたが、それは「何ものでもない私」を享受できることが、静かに幸せなんだよね。


ずいぶんと前は、毎日、そんな時間を生きていた、そんな記憶がある。

何ものでもない。
何にもならなくていい。
わたしだけがそこに在る。
とても静か。

そんな時間を、いつの間にか忘れてしまっているということすら、いつの間にか忘れてしまっていました。

コロナよ、ありがとう。




かつてないくらい睡眠をしっかり取れてるのも、ご飯を毎食家で作れるのも幸せ。写真はある日の晩ご飯。やたら緑色なのと、納豆がパックのままなのはご愛嬌。胡瓜のピリ辛炒めと、ピーマンと油揚げを煮たやつです。人生始まって以来のレベルで家賃の元を取りまくっていることも密かに嬉しいシータマンでした。

またね。

2020年4月4日土曜日

「あたしゃ神様だよ!」



みなさん、いかがお過ごしですか?

じわじわと来てるでしょ、ストレス。

気丈に過ごしているように見えて、実は来てるんじゃないか、と私は思う。
みなさんはどうお感じですか?

これでストレス感じない方がおかしいんだから、いいんですよ。
いいじゃないですか、ストレス。

どんな感情でも、あなたの思考のキャンバスに現れたものを、サプレス=抑圧してはならないよ、とインドで様々な先生達から教わりました。

未曾有の事態の今、当たり前に緊張しますよ。

その心の緊張をちゃんと明らかにして、それに対して「客観的」姿勢をきちんと取れるということ。大切だと思います。

無頼を気取って宴会に繰り出したり、ひたすら楽しい様子だけを発信して周囲の危機感を削ぐでもなく、ブレない冷静さを持ち続けていたいものです。

だから不安を不安と認めることは良いことだと思う。
でも「不安」と「私」を混同視しないこと。
このプロセス、「私」と「私ではないもの」をちゃんと分けるところまで、やりきりましょう。


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「はぁ〜。カツ丼食いてえなぁ〜。」


20092月、インドの田舎。あるコースのアシスタントをしていた時、私の耳に日本語が飛び込んできた。

キョロキョロと周囲を見回すも、日本人は見当たらない。

さらに

「はぁ〜。うなぎも食いてえ・・・。」

と続く。

声の主はどうやら、左前方に座っている私と同世代の英国人男性のようだ。

え、なんで?日本語喋れるの?どーゆーこと!

「あ、俺、子供んとき日本だったから。」

聞けば英国人のお父さんとフィリピン人のお母さんが、国連かなにかにお勤めで、当時の勤務地が日本だったとのこと。


「俺、全員集合で育ったからね。ドリフの大爆笑見てえなぁ〜・・・。」


先のカツ丼のつぶやきは、習慣の違うインドで、慣れない菜食料理を食べつつハードスケジュールをこなすなかで、深い溜息と共に漏れた心の声だったみたい。

「もしものコーナーの神様コントが一番好き。」

え、どんなんだった?

「忘れたの?いかりやが神社に行くと志村が『あたしゃ神様だよ』って出て来るやつ!」

そうだった、そうだった!

今となっては彼の名前を思い出せないけれど、海の向こうで我らが「志村」の訃報に肩を落としていると思う。

  
三月末に志村けんさんが亡くなって、このニュースの意味を二、三日のみ込めずにいたんだけど、急に受け止めて、実は私は泣いた。けっこうしっかり泣いちゃった。

心の中のとても身近な場所に居た人だったんだなって、初めて知った。私の夢に出てきた芸能人て、唯一、志村けんだけだし。側にいたら思わず惚れてしまうであろう、かっこいい男性像でもあった。

知る人ぞ知るヴァルカラ新喜劇で、私はすべての演目の脚本を作っていたけど、弘美さんにあてがった役の演出は、常に志村けんを意識していた。

泣いたらさ、がっくり来て、二、三日体調を崩した。
胃腸の調子が悪い程度だけど、まあ体が休めと言ってきたわけです。

それで、アッパラパーな私でさえもこの事態にストレス感じてたんだなぁって気づいたんだよね。

それから笑いの力についてもね。

私もインドでめっぽうシンドイ時には、全員集合のオープニングのコントをYoutubeでこっそり見ていた。



いま、この状況の中で、毎日一人で、道端に笑いを探してるのね。

一人でいても笑えることは結構たくさんあるんですよ。

でも、やっぱりプロには敵わない。


笑いはガソリン。

涙はガス抜き。

泣いて、泣き止んで、笑って、思う。



私の表面は、悲しみや喜び、怒りや愛着、いろんなものを映すなあ。

私は何にでもなる。

なんか、自由だなあ。

湖面が、空をゆくツバメや、空の青、空気の揺らぎなんかを映すように。



「美」とは自由であることなのかも知れない。


思い出した。彼の名前はティム。元気にしてるかな?
遠く日本から、あなたの安全を祈ってます。


(写真→マックス団の仕事として、雪の日にスマイリーを描きまくったぜ!の図)








2020年3月27日金曜日

意見めいたこと。

毎日天気予報をチェックしている私。
気温の動きを見ている。
それなりの準備が必要なのである。

・・・で、来たる日曜日の予報が8℃/4℃。

がーん・・・・。

セーターが無いし、布団が(人が横たわった状態で)厚さ2㎝くらいなので、寝るときに寒い。

うーむ。コロナよりも、うーむ。困るわー。


・・・なんていうのは冗談で、コロナウィルスの状況は結構シビアだと思っています。


今日は、すこし、意見めいたことを書いてしまうんだけど、お許しください。


あのね、状況をありのままに見据えることって、大切だと思うんですよね。

でもこれって私達人間に複雑に備わっている要素によって、実に難しいことなんです。

個々人の思っているリアルが、アクチュアルとイコールかというと必ずしもそうではない。

犬と聞いて思い浮かべる姿形は、10人いたら10通りあるということです。あれ?なんかヴェーダーンタで聞いたことあるかも?

そうです、そうです。

私たちの思考野で繰り広げられるリアリティー(と思っているもの)はみんなバラバラなんです。そもそも、そういうものだからです。

このパンデミックの状況も、捉えられ方が違って当然なわけですね。でも各々が「リアル(と思っているもの)」に沿って各々行動したらいいじゃん!ということになると、世界人類の集合という「一つの生命」は危機に瀕するでしょう。

過大に受け止めてはいけないのと同様に、過小に受け止めてもいけないということです。


「私の心象世界にはコロナありませーん」と無視するのもナシ。ちなみにこれは現実逃避。

「全ては生まれ落ちたときから破滅に向かっているんだ!デストローイ!」みたいなデカダンスもダメ。これは文学の中の話じゃなくて、アクチュアルだから。

アクチュアルにおける共有認識の軸を、今は世界中が ーたとえそれが完全なものでは無いとしても ―「現代科学を土台とする常識」に据えて様々な努力をしているところです。

自己の願望や使命感の達成のために、自分以外の誰かを危険に晒すことも、結果の付きまとう「行為」であることを忘れないで欲しい。

「私は恐れない!勇敢に立ち向かう!人との交流の中にすべきことがある。人に出会い、人を励ますことをやめません!」

という人は、それなりの持論があるのだと思うのですが、その思いの辿り着く先を想像してみて欲しい。


「愛する人に幸せになって欲しい」という皆さんの優しさを、自分自身から、身近な人、身近な人に繋がる知らない人、どこか遠くの見たこともない人へと、広げてみてはいただけないでしょうか?

寒い夜に、定食屋でテレビを見上げながら、仕事の後のビールの旨さにしみじみと癒されているくたびれたオジサンとか、泣いているところママに慰められて安心し、もっと涙がでちゃった喘息持ちの小さな女の子とか、そういう知らない人のところまで、私たちの「行為」は響いていく。

あの独り身のオジサンが、この夏も元気で鯖の味噌煮でほっこり幸せだったらいいな。あの病弱な女の子が大きくなって、小学生になったと思ったら、いつしかキレイなお嬢さんになって初恋して、失恋して、青春を謳歌したらいいな。

・・・・と、思えたら、いいな、と。


(ヨーギーの皆さん、私は敢えて、ビールを飲んで魚を食べるオジサンを出しましたよ。思うところをわかっていただけるといいのだけど・・・。)

私たちの行為も、知らない間に誰かを救い、誰かを殺してる( ― だからこそ謙虚さと感謝をもって生きることが大事なんです)。それを知ったうえで、私たちが今すべきことをし、すべきでないことをしない。目に見えないものをコントロールする力を私は持たないからこそ、心して決断をしていくわけです。

それと、買い占めとか流行っていますけれど、人類は互いに守り合わないと絶滅してしまう、生態系の中でもっとも弱いグループの生き物ですから、そこ、冷静に考えないと。

「恐怖」は、私たちの授かった優秀なプログラムなんですよ。それは私たちの生命を、安全を、守るためにある機能です。

しかし、蒙昧な無知によってそれを暴走させれば、それが私達を滅ぼす刃にもなるということを覚えておいて下さい。


最前線で任務につく医療従事者の皆さん、お店で物を売ってくれたり、野菜を作ったり、流通してくれたり、役所や会社に出勤して社会を回してくれてる人達の、尊い自己犠牲に感謝して、最小限の混乱で切り抜けられるようco-operateしていきましょう。

ということで皆さん、

今はカーマよりアルタ。
そしてその土台にダルマ!

そして、この機会に、真のリアルと、そうでないものを見極められる力を鍛えましょう。

まんまのまんまを映すキレイさを。


よろしくね!

写真は私の大好きな俳優さんSuriya。コロナ感染拡大阻止のための自粛によって仕事を失うコリウッド(タミル映画)のワーカー達の生活費を寄付しました。どこまでも男前。私の名前間違ってるけど心のイケメンだから許しちゃう!








2020年3月23日月曜日

徒然雑記帳


みなさん、お元気にしてますか?

私の知人で、アフリカやイギリスでコロナウィルスに感染した人が出はじめて、こういうのはやっぱり他人事ではなくて、わが身のこととして謙虚に向き合うべきことなんだな、と思います。そして皆で助け合わなくては。

個人的に友達に会ったりすることは時々あるけど、私がイベントを以て人を招集することは、まだ今のところは控えています。

なんでかと言うと、たいして人が来ない行事だとしても、多少なりとも人の手本になってしまう可能性のある仕事?立場?にあるので、「シータマやってるから私もそれに続こう!」という判断の基準になってしまうといけないからです。状況が状況ですから、出来るだけ感染しないし、させないということ。

ということで、いま、フーテンです(笑)。

この機会にあえてがっつり内向しようということで、人にも極力繋がらず、ネットにも極力繋がらず、孤高の独り身暮らしを満喫しています。私も社会の一部として生きている以上、また社会がもとに戻ったら、こういうチャンスって、無いと思うので。インフラが整っていないせいもあるけど、敢えて今は、オンラインのクラスなどもせず、SNSにも極力触れてません。


ということで、元気に生きてることのご報告の記事です。


今回のコロナの日々は、かなりいろいろなことを教えてくれて、毎日毎日、じつに感慨深い。これからブログで時々追々呟いていくと思いますが、とりあえず一つ気づいたことは、ネットがしょぼくても、声が聴けなくても、顔が見えなくても、繋がるべきところにはちゃんと繋がれているということ。

テレパシーじゃないけど、寡黙のなかに、思いを一つにしている人達の存在とか、どんな思いを共有しているか、などがハッキリわかってなんだか、ものすごい安心感を再認識しています。

ノイズが減った分、画面がクリアに見えたテレビ、みたいな感覚。


それはさておき、どんな暮らしをしているかというと、まず、部屋を借りました。

往復3キロの道のりを徒歩で引っ越し(マジか!)していたのだけど、救世主が現れて車を出して下さったので、作業の日程が劇的に短縮されました。Mさん、Kさん、本当にありがとうございました!

ちなみにこの引っ越し作業は、まだ継続中です。実家でテレビショッピングを見て即買いした「アップカート」というやつを転がして運びます。高かったけど、これは本当に買ってよかった。

10年前にすべてを物置にぶち込んでインドに奉公に出てしまったので、10年前の玉手箱から必要なものを分別する作業。アホらしいものを溜め込んでいたりして、ゲンナリする時もあるけど、本当に少しずつ、苦しみも楽しみながらやってます。

一番つらいのは、寒さです。

昔、江の島で「お前がこの浜に居ること自体犯罪!」と言われるほど、青白ヒョロヒョロ夏嫌いだった筈が、長年のインド生活により一転。桜咲けども身は凍え、煎餅布団がいけないんだろうけど、そこはもう我慢することにする。白髪を(ヘナで)染めたいけど寒いのでなかなか出来ません。まあ、誰にも会わないし、いいかな。

久しぶりに睡眠をきちんと取っています。

食事も取っています。

今日のお昼は、パンと珈琲とブロッコリー。ディナーは湯豆腐(もめん半丁、ブロッコリー、人参スライス入り)と納豆ご飯。おやつにみたらし団子食べました。米は一日半合です。昼はパンかパスタ。朝は無し。珈琲は一日一杯。寒いのでやたらと茶を沸かして飲んでいます。

部屋は狭いけど、ミニマムな生活には持ってこいで、毎日の掃除も楽。美食に走らぬよう、調理器具と冷蔵庫も超ミニマムにしました。

窓は二面だけど北向きなので、晴れた日は、直射日光を求めて歩きに出ます。蓄熱、蓄熱。真夏の長時間の日光浴はダメージだけど、赤外線だけじゃなくて紫外線も体が求めている気がするので。

公園に行くと、右のベンチにネパール人家族、ひとつ飛ばして左側のベンチにインド人の若者3名がいて、ボーダーレスな感じ。なんだか安心する。

左に聞き耳を立て、どこの人か判別しようとするも、ちょっと遠くて判らない。辛抱強く聞いていたらマラヤ―ラムだった。ケーララ確定(笑)。

まあ、当面は引っ越し作業を頑張らないといけない。室内の生活環境を整えたら、追ってネット環境が整って、多分、この麗しき孤独の日々は終わるのだろう。ウィルス活動の終息を見込んで、夏のイベントの告知なんかもせねばなるまい。

でも、今の、この感じ、ずっと忘れたくないな。思考が外に外に向いていかない感じ。私と私の逢瀬。今だけは、神様がくれたこの心静かな時間を、じっくり楽しみたいと思う。

そうだ、明日は武田百合子の「富士日記」でも読もうか。きっと明日にピッタリの本だと思う。

写真は10年前の部屋。かわゆい鳩二匹。