2014年11月29日土曜日

みんな愛のせい

私と同世代の人なら知ってるかもしれない。

私の高校生のころに、種ともこ、というシンガーがいまして、ときどき私は、その人に気配が似ている、などと言われたりもしたのだけど、それはさておき、「It must be love」という歌があるのです。


じっとしてるとひそやかににおってくる
すましてるとむくむくとほころんでくる
The one thing we always keep waiting

(中略)

It must be love
ちょっとだけ悲しくなって泣きたくなる
そんな時だって楽しいことふくらんでくる

(中略)

ごはんを食べるのも眠るのも
トイレに入るのもみんな愛のせいね

買い物にいくのも歩くのも
レジで並ぶのもみんな愛のせいね

けんかして泣いて帰ったらお茶をわかす気もない
ひとりの部屋にすわって鼻をかんでるの
元気出して ともこよ 泣くのはやめなさい
いつかきっとうまくいくから愛を信じ続けなさい

(中略)

ごはんをたべるのも眠るのも
お風呂にはいるのもみんな愛のせいね




ここで歌われている「愛」のことを私は「恋愛」の「愛」のことだと、これまでずっと思ってたんだけど、そうだとすると、意味がわからないというか、いまいちピンとこない歌詞なわけです。

しかし、「あれ、もしかしたら違うかもしれない!」と突然に思い出したのですよ。



読者には心あたりのある人もいるかもしれないけど、私はどうも、ヴェーダーンタの知識を駆使した人生相談ばばあ(笑)、みたいな役をこの世でになっているようで、それはインドにいても同じなのね。ヴァルカラの母か・・・みたいな。


それで、先日、へヴィーな人生を経て、トウマによる否定的な思い癖から脱却できないインドの女性に長いことお話をしてたわけです。

「自分が不幸になる理由は全くない、って理屈では分かるんだけど、それでもどうしても自分を愛せない。家族に愛されていることも頭ではわかるけれど、でも全然実感として感じることが出来ない。アシュラムにいる今は幸せだけど、実社会に帰ったらまた、全世界に否定されているような、つらい私にもどってしまう。どうしてシータマは(いろいろトラブルに巻き込まれてる割に)いつも余裕かましてるの?」


という訴えるこの女性に対して、どうしたらニュアンスが伝わるのかなあ、と思ってこういうふうに言ったのですよ。その女性は動物や自然が好きな人だったので・・・



See(これは極めてインド的な英語)!

そこにほら、花が咲いてるけど、

あの花がああやってキレイに綻んでいるのは、

なぜならあの花があなたを愛しているからだよ。

空が青くて高いのも、空があなたを愛しているから。

犬が夜中吼えるのも、雨がどしゃどしゃ降るのも、みんな愛のせい。

ぬかるみですべって転ぶのも、星がきれいなのも、

性悪な夫に罵倒されるのも、涙が流れるのも、

あなたと私が出会ってこうして一緒にいるのも、

怒って悲しくなっちゃうのも、

みんな、みんな、みんな愛のせい。

全部、世界の愛の表現。

あなたは世界に愛されている。

「存在する」ってそういうことだよ。




私がこの話で何を伝えたかったかというと、まあ、

「あなたの好む好まざるで、幸せをジャッジするからつらいんですよ。幸せとか愛とか、そもそも好きとか嫌いとかと別の次元(つまり高い次元)の話ですよ。あなたは世界に愛されてる、なぜなら、つまり、あなたが世界を満たす存在の源とたがわないからですよ」

・・・というようなことなんですが、まあ、伝わった感触はあります・・・てのは置いといて、この一件で、種ともこの、その歌を思い出したのね。


もしや、あの歌詞って・・・、えー!恋愛のことじゃなかったの?もうちょっと大きい愛の話だったのでは?

真偽のほどは分かりません。作詞したご本人に聞かないとわからないことでしょう。

私もちょっとやなことがあって、悲しかったんだけど、でたらめ歌を歌っちゃうな~。

元気をだして ゆみこよ 泣くのはやめなさい
あ でも今日はゆるす 泣きたまえ へこむのもうぇるかむ
知ってるもん 悲しくなるのも みんな愛のせい
It must be love なんてもんじゃない
言い切れるよ あたりまえっす
Everything is just because of love.





犬が穴掘って寝てるのも みんな愛のせいね。
おやすみ~。














2014年11月15日土曜日

とつぜん読書録、ヴェーダーンタ編。

いつもは気にしないことなのに、複数の蚊が目の前で、いかにもうるさく飛び交うもんで、とっさの無意識に「おすだけベープクリスタル120日」を取り出して、シュシュッっとふた吹きしてしまったんだけど、トイレに行ってみたら沢山の蚊が落ちていた。蚊帳の上にも沢山落ちていた。



説明書によれば、6畳間の場合、部屋の四隅から中心に向けて、トータル4回くらいシュッとすることになっている。が、壁に向かってたったの2回のシュシュッでこんなに・・・。どんだけ猛毒なんだ。うーん、すみませんでした。


さて、私は早くも気持ち的には2014年の総括に入っていますが、インドより久々の今年の読書録。

もちろんこちらで紹介するくらいだから、ターゲットは読者のヨーギー、ヨーギニーの皆さんですね。ヴェーダーンタ、すなわち、宗教とか概念とかじゃなくて、世が変わっても場所が変わっても変わらない普遍的な真実をトピックとする学びです。 

ということで、「ヴェーダーンタで言いたいことはこれなんだよっ!」という本を集めてみました。


一冊目は「日本霊性論」 (内田樹、釈徹宗)


神戸のウパーサナサンガの帰りに、西明石の駅ビルで買いました。いつもは100%古本なんだけどね、頑張ってお仕事を全うしたので自分にお給料を出そうってことで、新品の本を。


出版されたばかりだったので、本屋がクローズアップしてたので目に付きました。

内田樹という人のことを私は良く知らないんだけど、「なんと頭の良い人なんだ!」と新幹線の中で驚愕した一冊です。ヴェーダーンタの生徒さんに読んだ欲しい本。

どっかのアシュラムで特に手ほどきを受けたって訳じゃないのに解かってる人は、解かってるもんんなんだねえ、って感じ。


だれだって、自分の内側から起こる知識を体験しているのだとは思うんだけど、その感じを、では言葉にして他人に伝えることが出来るか、っていうと、別問題になってくる。

内田樹は言葉を使うスキルがすごい。それが五感の届かない範囲のことをを文章化するということです。しかし同時に、この本は読者に、ある程度その言葉を理解するスキルを要求します。万人にとってメリットのある大事なことを語っているけれど、万人がわかる簡単な言葉ではないのが、ちょい難点かな。

とはいえ素晴らしい本でした。


                                              


じゃあ、その話の全体像というか結論をですよ、いかにものすごく簡単な言葉で伝えるかってことになってきます。これも上記の本と一緒に買いましたが、「あなたは生まれた時から完璧な存在なのです。」(鈴木秀子)

おそらく著者の鈴木秀子シスターは、ものすごーく頭の良いアカデミックな人であることでしょ。しかし、女性らしい「コミュニケーション能力の高さ」をもって、ものすごく柔らかく温かい言葉で、大いなる結論を表現している。

なるほどー、こういうやり方もあるのかあ。簡単そうに見えて、これはなかなか難しいと思います。簡単でいて精密かつ親切な文章。いつかこんな風なスキルを身につけられたらなあ・・・。

とても感心したし、感動しました。タイのリトリートのサットサンガでも引用したよ。







そして最後に紹介するのは、「手をつなげば、あたたかい。」(山本加津子)

お馴染みトゥラシマタが貸してくれました。


こちらはですねえ、一番泣いてしまった。

上記のものよりも、もっともっと簡単な言葉で、かっこちゃんの体験と、そして、かっこちゃんの気づきを通して言葉が描かれているエッセイです。


しかもかっこちゃんは天然、ナチュラルボーンです。黒柳徹子を思わせます。


この人のアンダースタンディングはすごい、知識がご本人としっかり一つになっている。いわゆる悟った人ですよ。


ここに引用したい言葉が沢山あったのだけど、出国前のバタバタの時で、メモを取るのを忘れてしまって、だから生徒の皆さんは是非、図書館で借りて、あるいは買って(アマゾンで古本可)読んでみてね。


たぶん、いつもの、ふつうの暮らしが、もっと輝くと思います。悩みで曇っていても、雲の向こうにいつだってある太陽に、いつでも気づけるようになると思います。

毎回、先生、古い!といわれるのを承知の上で言わせておくれ!

チェケラッ!






2014年11月3日月曜日

ただいまインディア。


皆の衆、如何お過ごしでしょうか?

ムナール紀行を終える前にインドについてしまった。かたじけないこと限りなし。


しかし、ここ「インクレダブルインディア!」にきても、まったく胸がときめきません。長いこと留守にしたわ~、って程度で、ホーム感ハンパ無いっす。

「あたしゃ、これまでに何度も何度もインド人だったんだろうな~」という妄想も、あながち想像のみにとどまらないのではないか・・・。となると、日本にわざわざ生まれたからには、なにかとっても大事な用事があるんでしょうね、日本に。


それはさておき、本日のガネーシャホーマをもって、我らがSivananda Yoga Vidya Peethamの2014-2015ヴァルカラシーズンが正式にスタートしました。

荷物を運んでから今日までの一週間の間に、もう5人の日本人が代わる代わる来てくれて、本当にありがたいことです。


美保ちゃん夫婦が訪ねてきてくれたとき、スワミジが時々日本語で何か言うので、美保ちゃんがビックリしてたんだよね。そしたら、お父さん「そりゃちょっとくらいの日本語は知ってるさ、シータマともう何年一緒に暮らしてるかって~」とおっしゃった。


そういえば、もう5年目になるんだよね・・・。

本当に、お父さんと私とゴパールジしかいなかったのよね・・・。

しみじみ。


スワミジの新しいアシュラムの建設が終わり、そこを軌道に乗せるまで。いつかは終わりが来ることではあるんだけど、こうしてスワミジの側でたたき上げられることは、ものすごく、幸せなことです。


この11月は、なにがスペシャルかって、4年ぶりにマニと一緒に仕事する。初回が一番良かったと云われているタイのメンバー達と、とても良いスタッフチームが出来上がりました。



私は、スワミジと過ごしたこの4年間で、弱みを見せることが少し上手になった。



最初のころは、強くあろうとするばかりに、よく心がクラッシュダウンしてた。


初めて人前で泣いたら駆けつけてくれた掃除人のマラッカニーと、ワサントおじさん。お腹が痛いのか?と私の腹をさすって、泣くな、泣くな、と。


あるいは、いつもボエーッとしているサトーリーが、「あいつらまたこんなことになったら、俺が日本語で怒鳴り散らしてやる」と言ってくれたこと。


スワミジの前で怒り泣きが止まらなくって部屋で死にたくなっていた私を見舞ってくれたカオリちゃん。

そして、そっと様子を見にきてくれたスワミジ。



みんな、みんな、思い出すだけで胸が熱くなる。


それなら少し、その言葉に甘えてみよう。



実は弱みなんて無かったりするかも知れないんだけど、敢えて弱みを見せることで、物事が円滑に運ぶこともある、それもまた事実でしょう。


かっこつけあって、牽制しあうのではなく、弱いところを曝け出しながら、泣いて笑って、持ちつ持たれつ。今回は、マニを含めて、相互にそれが出来る相手達が集まったんじゃないかな。


そのようにリラックスして仕事が出来るというのは、とても大事なこと。

そんなわけで、いま、とても良い雰囲気が漂っています。


日本でも「弱み見せ上手」の「甘え上手」でいれたらいいんだけどねえ。

来年はその辺を頑張ろうかな。



スワミジにカメラの使い方を伝授してシャッター押してもらいました。

撮影 by スワミジ

というレアな一枚。

ではムナール紀行、近日公開、頑張るねー!