2013年6月11日火曜日

読書の梅雨



こんにちは。東京は雨です。いいね。恵みの雨。

駅に向かう25分の道のりの途中に、愛すべき変人の店主がやっている開いてたり開いてなかったりする古本屋があり、待ち合わせに急ぎつつも100円ワゴンの中から適当に選んで購入した本。白石一文。この作家を初めて読んだんだけど、当てずっぽうに掴み取った割に大ヒットだった。恋愛を題材にした中・長編が集められた本だが、恋愛というセットを通して、もう一つ多くにある大事なテーマを見ようとする、深い本でした。

あとがきから抜粋。

〜この五編を通して私が描きたかったのは、一言で言うならば、

 —目に見えないものの確かさ。

ということである。



ちょっと禅問答風に言わせてもらうと、この世界の完全性というものは、


 —目に見えるものの不確かさの中に目に見えないものの確かさが隠され、目に見えないものの不確かさによって、目に見えるものの確かさが保証される


ことで実に巧妙精緻に成立している、と最近の私は考えている。



いやはや、最近の私も、考えている。


 つまりは、この世界は私達が想像する以上におそらく完成され尽くしているのである。

 それは科学的にというのではなく、むしろし非科学的にそうなのである。
 ちなみに、先の一節の中の「目に見える」を「科学的な」に、「目に見えない」を「非科学的な」に置き換えてもう一度読んで貰えると、私の言っていることが少し分かりやすくなるかもしれない。(また「科学」を「物質」に換えてもいい)


やってみよう。


物質的なものの中に物質的でないものの確かさが隠され、物質的でないものの不確かさによって、物質的なものの確かさが保証される

 いまも戦争やテロ、犯罪、疫病、天災などによって大勢の無辜の人々(ことに子供たち)の過酷な死や不幸が絶え間なく繰り返されるこの世界に、我々はともすれば絶望感を抱きやすい。だが、それでも尚、世界は十分に完成されているのだと私は思う。つまりは、この悲喜劇的世界の悲惨さや救いようのなさは、それ事態に何らかの重大な意味が籠められているのである。
 無理を承知で、一度みなさんもこう思ってみて欲しい。

 — こんなにひどく見える世界ではあるが、それでも、ここは完璧な世界なのだ

と。
 そして、そうやってこの世界の完全性を認めたとき、我々の思考は大きな伸長の契機を得るのだと私は考える。
 世界の完全性を所与のものとして受け入れれば、それはいわば揺るぎない大地のようなもので、私たち一人一人はただその大地に立ちつくすのみである。足元の世界の成り立ちや存在理由、その全容などに関心を持つ意味も必要もなければ、そんな能力も余裕も実のところ私たちにはない。
 私たちは、大地を踏みしめて、私たちが本当に知らねばならないたった一つの問いに向かって、限られた短い人生の中でその答えを見いだすための旅に出発しなくてはならない。
 その唯一の問いとは、
 — 一体、この私は何ものなのだろうか?

 という問いである。

〜そして、人間にのみ与えられた「私とは何者なのだろうか?」というこの難問を解くためには、私たちは目に見えるものだけを追いかけていては駄目なのである。問いの答を導きだすには、どうしても目に見えない世界に「目」を向けなければならない。それは好むと好まざるとにかかわらず、絶対に不可欠なことなのだ、と私は思う。



このあとがき、名作でした〜。

生徒さん達へ伝えたい言葉を代弁してもらった感じ。別の作品も読んでみようと思います。古本専門だけど・・・。そうなるとやっぱブックオフだな・・・。

慌ただしい気持ちの抜けない日々だったんだけど、勇気をだして読書に時を費やして良かったな。なんかちょっと落ち着いた。明日はレディースデーだから映画にいっちゃいます。何の映画か予測がつく人、いるかな〜?

ふふふ・・・