・・・と思っている人が少なからずいらっしゃるみたいで、よく、遠回しに聞かれる。
きっと謎に思われている違いない・・・・。
主に、ヨーガのインストラクターの方に質問されることが多い。
おそらく以下のような事情でしょう。
ヨーガがブームになった
↓
スタジオが増えた
↓
ヨーガは商売としてはそんなに儲かるもんではない
↓
スタジオ経営を成り立たせる為に、指導者養成コースを提供
↓
結果、インストラクターの数が多分1000倍以上になってる
↓
インストラクターの価格、値崩れ
・・・という様な事態で、ヨーガのインストラクターだけで食べていくのが困難。
シータマは一体どうやって暮らしているのか。
まず二つの要因が先にあると思います。
①ブームの前にこの仕事についているため、自動的に中堅どころとなって、スタジオ勤めの時もギャラはそのままだった。
②そもそもシータマという人間のランニングコストが低い。
皆さんのイメージと相違があると思われるのは、おそらく②の部分。
まずですね、私、十数年間ずーーーーっと風呂なしアパートに住んでました。
家賃は四万三千円だった。
東京のシャレオツ(笑)なスタジオで教えている時代もです。
ヨーガがオシャレエクササイズとして流行ってきて
「先生インド行っている時は、マンションどうするんですか〜?」
とよく聞かれたけど、
「マンションじゃないし・・・ていうか風呂も無いし!」
と心で呟いていました(笑)。
風呂なしの後は風呂付きに引っ越したけど、「神田川」を地で行く素敵なアパートだったな。
私、真面目に東京に住んでいた時、五万三千円以上のアパート住んだことないです。
テレビは無い。
古本屋が大好き。
古着屋も好き。
キャベツは100円以下の時だけ買う。
トイレットペーパーは12ロール200円まで。
遊びは月1回まで!と決めて、食事会の誘いなどは殆ど断ってました(笑)。
好物がキャベツと納豆というのも、勝因ですね。
まあ、いわゆる変わり者という・・・。
現在はどうしているかというと、インドにいることが多いので、物置を月1万円で借りて、荷物はそこにしまってます。
日本にいる間は、無料で居候させていただいたこともあったし、お家賃払ってルームシェアさせていただくこともある。あとは6ヶ月契約のシェアハウス。居抜き(?)で半年だけアパート借りたこともあった。
スタジオを辞めた時点で、月収をいただく仕事はなくなったので、一年間のトータルで収支を考えます。
その為には、一年間の収支を先払い出来る程度の貯金が常にキープしておければいい。
家賃5 万円のシェアハウスに半年住んだら30万円の家賃出費。
物置は年間12万円。
仕事上、移動が多いので、航空券などをババッと買える分くらいのお金も必要。
携帯は格安SIMに変更して、日本に不在の間は月1000円で番号をキープ。
その他諸々の必要な出費を加味して、一年のランニングコストとしては7〜80万円くらいの経費が必要。
つまり、それを少し上回る位稼げば、家計はまわせるということだ。
家賃出費が低い年は、その分お仕事を減らして、他にやりたいことをする。
そりゃシェアハウスというのは、なんでも揃っていて本当に便利だけど、一人みたいにリラックスは出来無い。
でも自分の経済力を、自分でそのレベルに設定しているんだから、文句は言え無い(笑)。
「設定」をどう変えるかについては、私の自由であるというのも良い。
将来、趣向が変わったら、それなりの設定に照準を合わせる。
今のところ、この「設定」が私は楽なんですよね。
なぜか。
お金は大事。
だけど余分にあると疲れる。
どういうことかというと、付き合い、外食、購買、というのはエネルギーと時間を喰うものだから、疲れるんですよね。
とくに私は人疲れするタイプなので、人付き合いが好きじゃない。
やれるだけの能力は持っていると思うけど、それは私にとって、人一倍の労力を使って初めてできること。
だから「付き合い」が出来ない程度の状態を維持する。
物理的に断るしかない経済状態ですね。
なんでかというと、私は断るのも苦手で、断ることで胸を傷めがちなタイプなんです。
超精密性格診断エムグラムというのがあって、これがその結果の一部。
noroというのは診断時適当に記入した自分の名前で、その時ノロウィルスが流行ってたから(笑)。
そうなんです。
塩対応でおひとり様な不思議ちゃんなんです。
そうはいっても、私にだって会いたい人間もいるし、行きたい場所もあります。
衝動買いもすれば、無駄遣いすることだってある。
なのでプライオリティーが明確であることが重要になってきます。
自分で使いたいと思ったことにお金は使うし、今後「設定」も変わるかも知れないしね。
最近は、電子書籍を頻繁に購入する。
Kindle便利ですよ。
古本党だったけど、それだと作家さんにお金が届か無いな、って多少の反省も込めて。
それから、小さくてもいいから、シータマファンド(誰か必要な人にお金をお届けする、シータマの、シータマによる、シータマのなかの基金)では、毎年必ず何かする。
それから東京の毎週のクラスは、参加費をナナ子さんが作ってくださった通称「神様袋」にドネーションを入れていただくようにしてます。
ギリギリの生活ではあるんだけど、自分の都合とか原価計算とか、抜きにしてみる仕事をキープしておきたい。
それで、どうなるか、を知りたい。
そこに私の役割があるかどうかが、一番純粋な状態でわかるから。
シータマファンドを継続できること。
それが私の生計の一つの基準だと思います。
お金って、物差しのようなもの。
幸せを測る道具として使われているようです。
安全と安心を確保するのにお金が必要な場合もあるから、一理あるとは思う。
だけど、幸せを求めて物差しを集めたがるのが、人間の阿呆なところなんだよね。