2020年4月28日火曜日

小さな希望

ようやく我が家にインターネットがやってきた。これまでの3日で1GBのやりくりが嘘のようだ。

元来、お一人様好きの天秤座なので、おうち暮らしの日々も楽しく、炊事、洗濯、勉強、裁縫、読書、アーサナ、散歩などのアクティビティーを満喫してきましたが、今日からは、しょうもないことにデータを使い過ぎないように気をつけないと。二ヶ月間のデジタル自粛を無駄にしないように、インターネットとつきあっていきたいものです。

さて、自粛生活はけっこう音楽に彩られています。

部屋ではCD。散歩の時にもMP3プレイヤーを携行してみたり。このMP3は、引っ越しで出てきた10年以上前のもので、何が入っているかも完全に忘れているし、老眼で曲のタイトルも見えないという代物。

マーラーから、ヴェーダのマントラ、キングクリムゾン、ゆらゆら帝国、英語教材、裸のラリーズ、スピッツ、スティング、ジェイムスギャング、早川義夫、ビョーク・・・と次から次へと節操が無い。ゲイリー・ピーコックの演奏は、めっちゃ唸ってる人がいるからキース・ジャレットのトリオに違いない・・・なんて考えながら歩く。ビックリ箱のようで楽しい。

ちなみに、リアルタイムのBGMはスーザなどの行進曲のCDで、これはかなり斬新です。行進したり指揮棒を振り回したくなって大変楽しく、掃除もはかどる。

ますますアタマのおかしい家になっていますが、音楽は、素晴らしいものですよ。もやーっとする時は、踊れる曲をかけてとりあえず踊ってみるといい。音はエネルギーだということがわかる。


ネット環境の改善によって、星野源さんの「うちで踊ろう」も初めて観ることが出来ました。イイ曲ですね。YouTubeには数々のコラボレーションが上がっていて、明るい気持ちが自動的に連鎖していく、この理屈抜きの作用に、音楽の力を見ることが出来ます。

音楽だけではなく、文学、舞踊、美術、他の芸術表現の大切さを、国の偉い人が見直してくれたらいいのにな。

たしかに、音楽聞いても、絵画を観ても、空腹は満たされないし、貯金も増えない。

だけど、ここまで乾いた今だからこそ、くっきりとわかることがある。

「それ」は砂漠のオアシスのように、心に染み込む。


昔、参加していた幾つかのグループのうちの一つに、(私にとっては珍しく)若干シャレオツでアンビエント感もあるポップというのか、なんでしょう?まあそいういうのがあったんですよ。

「大切なのは、ほんの小さな希望です。」

ヴォーカルがMCの冒頭で自分たちを紹介する前に、必ず言っていたセリフ。


音楽は、私という存在全体を救済することは、出来ない。

だけど、道にへたり込んだ人間の、胸のうちに忘れられていた希望を、そっと照らすことがある。芸術は、小さなともしび。

打ちひしがれた人間を、立ち上がらせ、導き、救うことになるかもしれない「小さな希望」は、本当は私たちの中にある。今は小さく “ちょい見せ” かも知れないけれど、それは本当は無限の輝き。

大切なのは、一生暮らせる大金とか、終身雇用とか、一生涯入院保険とか、そういうものじゃなくていい。ていうか、そもそも、そんな保証の類は、この世界に存在すらしていないってことに、気づかなくてはいけない。


もう15年以上も前のことなので、名前も思い出せないけれど、テレビ東京の日曜日の午前中にやっていた番組があったんですよ。道で拾ってきたミュージシャンを対決させ、勝ち抜いたグループは渋谷AXでライブという、「なぜ朝に?」的な内容であったが、視聴したことのある早起きさんは激レア。最後にAXで演ったうちの一組でアップライトのベースを弾いていた女が私です。バンドの名前は「a little hope」といいました。

写真は、当時、自主制作のCDジャケットに私が描いたもの。引っ越しで出てきた。


たいせつなのは、ほんの、小さな、希望です。