みなさん、いかがお過ごしですか?
じわじわと来てるでしょ、ストレス。
気丈に過ごしているように見えて、実は来てるんじゃないか、と私は思う。
みなさんはどうお感じですか?
これでストレス感じない方がおかしいんだから、いいんですよ。
いいじゃないですか、ストレス。
いいじゃないですか、ストレス。
どんな感情でも、あなたの思考のキャンバスに現れたものを、サプレス=抑圧してはならないよ、とインドで様々な先生達から教わりました。
未曾有の事態の今、当たり前に緊張しますよ。
その心の緊張をちゃんと明らかにして、それに対して「客観的」姿勢をきちんと取れるということ。大切だと思います。
無頼を気取って宴会に繰り出したり、ひたすら楽しい様子だけを発信して周囲の危機感を削ぐでもなく、ブレない冷静さを持ち続けていたいものです。
だから不安を不安と認めることは良いことだと思う。
でも「不安」と「私」を混同視しないこと。
このプロセス、「私」と「私ではないもの」をちゃんと分けるところまで、やりきりましょう。
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「はぁ〜。カツ丼食いてえなぁ〜。」
2009年2月、インドの田舎。あるコースのアシスタントをしていた時、私の耳に日本語が飛び込んできた。
キョロキョロと周囲を見回すも、日本人は見当たらない。
さらに
「はぁ〜。うなぎも食いてえ・・・。」
と続く。
声の主はどうやら、左前方に座っている私と同世代の英国人男性のようだ。
え、なんで?日本語喋れるの?どーゆーこと!
「あ、俺、子供んとき日本だったから。」
聞けば英国人のお父さんとフィリピン人のお母さんが、国連かなにかにお勤めで、当時の勤務地が日本だったとのこと。
「俺、全員集合で育ったからね。ドリフの大爆笑見てえなぁ〜・・・。」
先のカツ丼のつぶやきは、習慣の違うインドで、慣れない菜食料理を食べつつハードスケジュールをこなすなかで、深い溜息と共に漏れた心の声だったみたい。
「もしものコーナーの神様コントが一番好き。」
え、どんなんだった?
「忘れたの?いかりやが神社に行くと志村が『あたしゃ神様だよ』って出て来るやつ!」
そうだった、そうだった!
今となっては彼の名前を思い出せないけれど、海の向こうで我らが「志村」の訃報に肩を落としていると思う。
三月末に志村けんさんが亡くなって、このニュースの意味を二、三日のみ込めずにいたんだけど、急に受け止めて、実は私は泣いた。けっこうしっかり泣いちゃった。
心の中のとても身近な場所に居た人だったんだなって、初めて知った。私の夢に出てきた芸能人て、唯一、志村けんだけだし。側にいたら思わず惚れてしまうであろう、かっこいい男性像でもあった。
知る人ぞ知るヴァルカラ新喜劇で、私はすべての演目の脚本を作っていたけど、弘美さんにあてがった役の演出は、常に志村けんを意識していた。
泣いたらさ、がっくり来て、二、三日体調を崩した。
胃腸の調子が悪い程度だけど、まあ体が休めと言ってきたわけです。
胃腸の調子が悪い程度だけど、まあ体が休めと言ってきたわけです。
それで、アッパラパーな私でさえもこの事態にストレス感じてたんだなぁって気づいたんだよね。
それから笑いの力についてもね。
私もインドでめっぽうシンドイ時には、全員集合のオープニングのコントをYoutubeでこっそり見ていた。
いま、この状況の中で、毎日一人で、道端に笑いを探してるのね。
一人でいても笑えることは結構たくさんあるんですよ。
でも、やっぱりプロには敵わない。
笑いはガソリン。
涙はガス抜き。
泣いて、泣き止んで、笑って、思う。
私の表面は、悲しみや喜び、怒りや愛着、いろんなものを映すなあ。
私は何にでもなる。
なんか、自由だなあ。
湖面が、空をゆくツバメや、空の青、空気の揺らぎなんかを映すように。
「美」とは自由であることなのかも知れない。
思い出した。彼の名前はティム。元気にしてるかな?
遠く日本から、あなたの安全を祈ってます。
遠く日本から、あなたの安全を祈ってます。
(写真→マックス団の仕事として、雪の日にスマイリーを描きまくったぜ!の図)