2019年6月20日木曜日

愛の欠落

こんにちは。

今お借りしているお家には、山岸涼子作品(漫画だよ)がズラリとあって、暇さえあれば、片っ端から読み漁っている日々です。




いや〜、深い。10代の頃もインパクトあったけど、やはりこの歳になったから理解できることが増えて、山岸涼子、すごく好きになった。今更ながら素晴らしい作家で、大家さんに本当に感謝です。

作品もさることながら、私が思う芸術家の姿、真理を勇敢に貫いていく姿勢に、そのアーティストとしての不純の無さに感じ入っています。

とある文庫版の解説に

”無神論者である日本人は、物事を善悪ではなく、損得で判断する”

という一文があり、「山岸作品のメッセージはその正反対を行き」「それは作者が無神論者では無い」ことを意味する内容なわけです。不思議な話や怖い話、目に見えない世界を匂わせる話が多いのも納得。

神、すなわち愛と平和を作品を通して訴えている、そういう感じが伝わるんですよね。
 
チェルノブイリの事故を受けて、日本の原発の是非について問う「パエトーン」は、ギャグ漫画調の画風で親しみやすく、右とか左とかに偏るのでもなく、まっすぐに、ピュアに描かれているエッセイ漫画で、1988年に少女漫画誌に掲載されたもの。

これ、今だったら「大人の事情」・・・「忖度」って奴で絶対掲載できませんよ。

また、別の話には

”人間は知性を得たが、知性が暴走すれば、謙虚さを失いがちになる”

といった内容が描かれていて、この連日、包括的な山岸作品からしみじみと考えさせられましたね。



先日、某国の労働者送り出しを管理する機関に、通訳として訪れる機会がありました。

そこのオフィサー(女性)の我々に対する姿勢は非常に厳しく、最初ちょっとピリピリしてたんですね。自国民の尊厳を守るのが彼女の仕事なわけです。ピリピリもするわ。

しかし、だんだんと、私のハートはオフィサーの方に寄って行きます。

ある労働者の受け入れ先(もちろん日本の会社ですよ)「社長に熱湯をかけられて」さらに「ぶん殴られた」という話を聞いて、ついに私の怒りはマックス。オフィサーの怒りもマックス。

怒りのタッグを組んだ「オフィサー&相手方の通訳」・・・というシュールな空気が出来上がってしまい、話し合い自体はなんだか大団円、みたいに終わったんだけど・・・・

私はとても悲しかった。

立場の強いものが、弱者に熱湯をかけるというのは、確かに物理的にひどい虐待だ。

でも、お湯だけじゃなく「お前なんて嫌いだ」「お湯を掛けられても良い人間なんだ」という愛の欠落・・・、憎しみと人格否定のメッセージを投げつけられたら、それはどんな身体的暴力よりも、禍々しい。

人間は、いつから、物質のみを真実と思うようになったんだろうね。

火傷や打撲は、人格を殺さない。

でも人間は単なる肉体だけですか?


かつて日本は、大きな爆弾を落とされた。
降ってきたのは、爆弾だけじゃない。
それは「死ね」という憎しみの、人格否定のメッセージだった。


今、人は「神」すなわち「みんなで一つの生命を生きている」という認識を離れ、知性を奢り、富を奢り、金を拝んで生きている。搾取する側と、される側の二極性の、どちらか一方的な立場でしか、世界が見えない。

逆に、上級国民という揶揄の言葉を、最近ネット上でよく見かけますが、それも私は嫌いですね。人に上下があったなんて、知らなかったよ。

金と地位がある人のことを、それらを持たぬ人がそう呼ぶのでしょうか?なんでそんなに卑屈に走るのか。それでは同じ穴のムジナじゃん。

「上級国民よ、不幸になれ!」

それも、あの夏空から降ってきた、あの爆弾たちと同じ。


大事なことは、金とか地位とかには無いと思うんだよ、うん。
金を持っていても、持っていなくても、人は奢る。

神を忘れるとはそういうことだ。

持っていても、持っていなくても、人はみな胸を痛める。

忘れないで、生きていけたら、いいね。

わたしも、あなたも。