2016年5月26日木曜日

2016年 ダライ・ラマ法王の来日講演



この5月は、ダライ・ラマ法王14世猊下の講演がライブ中継されましたね。

実際に大阪の会場に行かれた方も、ハイテクの賜物であるライブ中継をご覧になられた方もいらっしゃったことでしょう。私も初日に中継で拝聴しました。


パソコンを立ち上げると、臨機応変で流暢な、素晴らしい通訳が聞こえてきまして、「あ〜、できれば猊下の言葉を直接英語で聞きたかったなあ〜」なんて思ってたら、通訳越しに聞こえてくるのは、耳慣れない言語。

むむ・・なんじゃこりゃ・・・チベット語?

おおー、チベット語の通訳だなんて!すごい!

閑話休題。


今回、一連の講話は、入菩薩行論の解説ということでしたが、最初のクラスは、そのプロローグという感じで、そのテキストに無知な私にも理解できるお話でした。

すっごく簡単にまとめてしまうとですね、

「信仰の形にはいろいろあるが、(例えば仏教徒であったら)ただお念仏を唱えたり、阿弥陀菩薩の名前を繰り返しているだけでは、仏の教えを真に理解しているとは言えない。これは他の宗教にしても同じです。」


というようなことをお話されていました。


まあ信仰ですとか、修行ですとか、いろいろな形式があるわけです。なにかしらの経文を唱えるとか、日本だったらお詣りするとか、韓国のパクさんのお寺では、観音様のお経にあわせて、スクワットして床に額づく礼拝の所作を繰り返すのを見ました。滝行とかもそうなのかしら。

インドだと広大な寺だとか山(それらをご神体として)の周りをひたすら歩いたり、寝転んでゴロゴロ転がりながら何周も回る(いや、まじなんです、これが!)なんてのもある。

こういった利己行(?)は、自己の怠惰を一蹴したり、生活を律する為に非常に有効で、しかも実は簡単なことではありません。

しかし今回法王は

「形式も大切だけれども、それはあくまでも形骸であって、信仰の道においては初歩である。では、独りよがりの信仰を脱却するには、または真に理解した者とは、どうあるべきか?」

という、より突っ込んだお話をされていました。これは、会場の聴衆を「初歩の人」ではないとみなしてのことでしょう。


数年前に、法王がヴァルカラを訪問された時のお話(聴衆の多くはヒンドゥーの出家者達でした)と同様に、

利他行しなさい。人に繋がって伝えなさい。社会に奉仕し生きる見本となりなさい。

というようなことを徹底して強調されているように思えました。

以前ブログに引用した名言集にもありますが

「あなたの知識を分け与えなさい。そうすれば人に死などないのです。」

ということですよ。



一億総引き篭もり時代(ごめん、作った!笑)は言い過ぎでも、個人の趣向も尊重され、バーチャル傾向が強い社会ですから・・・っていうか、私自身がこっそりひっそり、誰にも関わらずに生きて行けたらどんなに楽だろう・・・と強く思う人間ですから、法王になにげにお説教をされているような、まいどそんな気がしております。


「書を捨てよ町へ出よう」(寺山修司)じゃないけれど、経を捨てよ・・・あ、捨てなくていいか、「経を胸に町へ出よう」ですね。


そんな素晴らしい先生、ダライ・ラマ14世の素敵なお姿を皆さんにもシェアせねば。NEVERまとめ の記事よりお写真拝借しました。


大地をその御足で踏みしめる法王の、真理と愛に満ちた生き様に、本当に憧れます。