2013年7月7日日曜日

東京日記

某月某日
少し太ろうと思って、効果を得た。いつものパターンだとこのまま調子に乗って余分にチャビーチャビーになるので、ここでストップのこと。

・・・・といいつつ、ミスドの水色の星形ドーナツを食べてしまう。まいど判を押したように腹が減るので本当に困る。

ななこさんの下さった周作クラブ会報を読んで長崎の遠藤周作文学館に行きたくなった。いつ、どうやったら行けるだろう、と考えている。すごく行きたいな。



某月某日
シェアハウスでの暮らしにも少し慣れて来た。日本でシェアハウスに住むには、おそらく、互いの距離感を絶妙に保ちつつ、互いを思いやる気持ちも持ち合わせるという高度なテクニックを要する。しかしこれが出来る日本人、レベル高い。

午前中はたいてい家にいるので、いろんな事件に出くわす。先日のNさん奈落に落下事件もそうだし、昨日は別のシェアメイトの勤め先の社長が尋ねて来た。ずっと出勤していないとのことで様子を見に来た。本人の部屋をノックしたら果たして部屋にいたので、社長来た旨伝えると、玄関に出て行った。夢に向かってキツい仕事をしている彼女。心が折れる事もあるだろう。多分、ここにいる人々は、それぞれに、ある痛みを分かっている気がする。いざというときに何らかの助けになれるよう、我々は、今は遠くから見守るのみ。

シェアメイトというのは不思議な存在だ。友達、とはちょっと違う。袖ふり合うも多生の縁、という奴だろう。女ばかりの暮らしは思っていたよりも悪く無い。一緒にテレビをみてあーだこーだ言うのも楽し。

最近は、シェアメイト達にアーサナを教えさせてもらっている。面白い展開。


某月某日
毎日毎日よく歩く。駅までの30分の道。毎日ヨガして、ビーチまで歩いたクラビーでの暮らしを忘れない様そうしている。筋肉が衰えないので足はますます太くなるが、お尻の筋肉が落ちない。これが気に入っている。一日最低5kmは歩きたい。

こうして歩いてクラスにいって色々と話すわけだが、人に理解してもらえるように言葉を練って練って話すので、喋っている自分が一番「おおおー!なるほどー!」と歓んでいる気がする。部屋で一人で作業しているときと、自分の声になった言葉を耳にするのは違った面白さ。これで、私はもっともっと理解する。いつでも新しい発見がある。


某月某日
あかねちんのステージを見に銀座に行って来た。今日は丸ノ内線を使うのでいつもよりもずっと長く歩く。距離が長い分、商店街に誘惑多し。Fit Flopの卸業者がテンポラリーに店を開いており、うっかり買ってしまった。Fit Flopの靴は高い。高くて日本では買えないからマレーシアのデパートのバーゲンを巡って7000円で手に入れて歓んでいたのに、なんと同じものが4200円。まあいいか。サンダルだが長距離歩行に非常に適している。お薦め。

外に出ると、資本主義の罠に引っかかる・・・が、今のうちに必要なものを買っておこう。消費税が上がったら消耗品以外には何も買わん。

あかねちんのステージ、前半、泣く。歌も踊りもピカイチで胸に響くパフォーマンス。この人の痛みが全部優しさに変っている姿が透けて見える。こんな優しい人、誰かが絶対守らなくちゃいかん。

友達を連れて来て欲しそうだったけど、人と一緒に観劇というのが苦手なので一人で来てしまった。ごめんね、あかねちん。


某月某日
ジョシュから久しぶりのメール。西村虚空という尺八の巨匠の音源を探しているとのこと。そういえば以前京都のフルートフェスティバルがどうとか言ってたが、あれは尺八のことだったのか。納得。相変わらず面白い人だ。

私が今の仕事をしようと思いついた、あの夏のサウスダコタで私はジョシュに出会った。あまりに心がキレイで強い人だったので、私はジョシュを大好きだった。でもその夏、私は自分のことを大好きではなかったから、NYで一緒に住もう、という彼の申し出を断ってしまった。どうにもまぶし過ぎた。

「こんなにいい人間が世の中にいる訳がない!それにこんなにいい人間が私のようなロクでなしと釣り合う訳がない!」

と思っていたので。

私もジョシュも、それぞれの修行の道をとことん突き進み、今も突き進んでいる。彼がアジア人の奥さんを貰った事も、それを知らせてくれた事も、実はとても嬉しかった。あの時彼と付き合っていたら、若い私たちのことだ、きっと今頃は別れ別れになっていたんじゃないかな。

彼は私にとって鏡のような人だ。この世のどこかで生きている。たとえ生きていなくてもそれでも変わらん。あの勇敢さと、あの誠実さと、あの慈悲深さと、あの楽天的な性質は、普遍であり、この世の真実だ。そして、ありがたいことに、私は決して彼を失わない。

何年もその姿も見ていないし、声も聞いていない。一緒にご飯も食べなければ、お喋りもしない。極めて観念的に思えるジョシュの存在だが、観念ではなくてリアルなのだ。そのリアル達が、孤独な私を支えているのだと思う。


西村虚空という人のことを初めて知った。その60年代の宅録音源は、瞑想の為の演奏だという。早速注文してみた。


某月某日
登場人物が全員ダークに変貌して読むに耐えない・・・とファンの間で酷評されていた「ダーク」を読んでみたが、これってそんなにノワールか?

そもそも、絶対悪とか、絶対善とかないんだと思うんだけど。どんな人間でも縁に触れて罪を犯す可能性があるんだと思う。

私の中にだってあるよ、そんなダークサイドは。そんなのちゃんと見据えてれば分かるわけで、だから私たちは油断してたらいけないし、自分の考えの手綱をしっかり握っておく必要があるんだ。善100%、悪100%で産まれてくるなんて稀でしょう。多くはミックスですよ。

その「縁に触れて・・」という点について、ことさら良く描けている作品と言えるのでは?まあ、身も蓋もない話といえばそうなんだけど。