2011年9月9日金曜日

夢のあとさき

何かの番組で、なぜ福岡県出身のミュージシャン(勿論ロックの…)が多いのかという疑問に、とてもカッコいい某さんが「あとさき考えないお国柄なのかも…」と言っていて、それ一見問題アリっぽく聞こえるけど、「あとさきしか考えない人」よりも俄然いいというか、正しいのではないか?

…と、ふと思ってしまったんですな。

現代では基本、人って「あとさき」しか考えてないし、それが普通ってことになっているんだけれども。

中学生、14歳の立志式の時に、地元出身の昔凄い記録を持っていたランナーの先生が講演に来てくれて、話してくれたテーマが一所懸命だったんだよね。一生懸命という言葉は、元は一所懸命だったんだって。あとでもさきでもなくて、今に命をかけろ!ということだったんだけど、大人になってみると、なかなかどうして難しい。

実際にやってみると、ものすごい反社会的なことのように感じられるんだな。

あの時こうすれば良かったって思う事あるでしょ?って聞かれることが時々あるが、どう頭を絞っても「無い」。わいの反社会性も板について来たぞ、ふふふ…じゃ無くて、えっ、この方は、あの時こうしてれば、今はもっと違ってたのに!って思いながら生きてんの?ガーーーン!

それじゃ今が可哀相…ええと、つまり自分が気の毒じゃないか。


そこの若人。夢とは今に生きること。結果に、あとさきに生きたらリアルは消滅する。肩書きも、職業も、功績も全部取っ払った自分にOK出せてるようなら、愛せてるなら、それは叶ってるってことじゃないかな。

… って、何言いたいんだっけか?それVedantaってことです。
福岡のあとさき考えない人になりたいものだわい!カッコいいね。