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2014年11月3日月曜日

ただいまインディア。


皆の衆、如何お過ごしでしょうか?

ムナール紀行を終える前にインドについてしまった。かたじけないこと限りなし。


しかし、ここ「インクレダブルインディア!」にきても、まったく胸がときめきません。長いこと留守にしたわ~、って程度で、ホーム感ハンパ無いっす。

「あたしゃ、これまでに何度も何度もインド人だったんだろうな~」という妄想も、あながち想像のみにとどまらないのではないか・・・。となると、日本にわざわざ生まれたからには、なにかとっても大事な用事があるんでしょうね、日本に。


それはさておき、本日のガネーシャホーマをもって、我らがSivananda Yoga Vidya Peethamの2014-2015ヴァルカラシーズンが正式にスタートしました。

荷物を運んでから今日までの一週間の間に、もう5人の日本人が代わる代わる来てくれて、本当にありがたいことです。


美保ちゃん夫婦が訪ねてきてくれたとき、スワミジが時々日本語で何か言うので、美保ちゃんがビックリしてたんだよね。そしたら、お父さん「そりゃちょっとくらいの日本語は知ってるさ、シータマともう何年一緒に暮らしてるかって~」とおっしゃった。


そういえば、もう5年目になるんだよね・・・。

本当に、お父さんと私とゴパールジしかいなかったのよね・・・。

しみじみ。


スワミジの新しいアシュラムの建設が終わり、そこを軌道に乗せるまで。いつかは終わりが来ることではあるんだけど、こうしてスワミジの側でたたき上げられることは、ものすごく、幸せなことです。


この11月は、なにがスペシャルかって、4年ぶりにマニと一緒に仕事する。初回が一番良かったと云われているタイのメンバー達と、とても良いスタッフチームが出来上がりました。



私は、スワミジと過ごしたこの4年間で、弱みを見せることが少し上手になった。



最初のころは、強くあろうとするばかりに、よく心がクラッシュダウンしてた。


初めて人前で泣いたら駆けつけてくれた掃除人のマラッカニーと、ワサントおじさん。お腹が痛いのか?と私の腹をさすって、泣くな、泣くな、と。


あるいは、いつもボエーッとしているサトーリーが、「あいつらまたこんなことになったら、俺が日本語で怒鳴り散らしてやる」と言ってくれたこと。


スワミジの前で怒り泣きが止まらなくって部屋で死にたくなっていた私を見舞ってくれたカオリちゃん。

そして、そっと様子を見にきてくれたスワミジ。



みんな、みんな、思い出すだけで胸が熱くなる。


それなら少し、その言葉に甘えてみよう。



実は弱みなんて無かったりするかも知れないんだけど、敢えて弱みを見せることで、物事が円滑に運ぶこともある、それもまた事実でしょう。


かっこつけあって、牽制しあうのではなく、弱いところを曝け出しながら、泣いて笑って、持ちつ持たれつ。今回は、マニを含めて、相互にそれが出来る相手達が集まったんじゃないかな。


そのようにリラックスして仕事が出来るというのは、とても大事なこと。

そんなわけで、いま、とても良い雰囲気が漂っています。


日本でも「弱み見せ上手」の「甘え上手」でいれたらいいんだけどねえ。

来年はその辺を頑張ろうかな。



スワミジにカメラの使い方を伝授してシャッター押してもらいました。

撮影 by スワミジ

というレアな一枚。

ではムナール紀行、近日公開、頑張るねー!


2014年9月24日水曜日

ムナールに行って来た。Part 4

皆さん、スリランカ航空ではリクエストをすれば、コロンボでの長時間トランジットの際、宿泊が無料で付いてくるのをご存知ですか?


日本からの便だけのサービスかな?と思っていたけど問い合わせてみたところ「条件を満たしていればどこからでも」というお返事。


ただし、リクエストの応対をするのは出発地のオフィスのみ。


で、私は今回、マレーシアと電話で話す必要があったわけですな。気が重い・・・けど仕方がない。


私の英語なんて所詮、相手の言っている感じを真似ているだけだから、会話の相手によって発音が違っちゃう。主に、イギリス英語、アメリカ英語、インド英語の括りです。


マレーシアの人とお話しすることがあまりないので、どのパターンなのか分からず、どもるし、新しい感じのへんてこりんな訛りになってしまった。ああ・・・。


自分の英語を確立させたいものです。




さて、ムナールですよ。

ムナールの町から少し下って、自然の中のロッジにやってきました・・・ってとこまで話したよね。アメリカ人とフランス人が出てきます。








夕食時が来て、丘の上のメインコテージへ移動する。


コテージは平屋で、中央はダイニングルームを囲むようにして、4部屋とキッチンがある。管理人家族が一部屋使うから、ゲストは3組しか入れないそうだ。


ツンデレの奥さんを含む管理人の家族は、もとはタミルナードゥの人達だそうで、先祖が越境して移住したらしい。英国統治下は、茶畑ビジネスはさぞ盛況だったことでしょう。

三々五々、住人達がダイニングに現れた。バードウォッチャーのアメリカ人、作家のフランス人、インドは初めてというイギリス人の女の子二人組と日本人の私。他人同士でひとつの食卓を囲んでディナーと相成った。


インドのお母さんが作るご飯を食べられる宿は実にありがたい。レストランの脂っこい炒麺とか、悪くは無いけど、飽き飽きしていたところだ。缶詰になって執筆するのに最高の環境だし、そんな暇ができたら、いつか長逗留してみたいものだ。

夕食を終えて、自分のヴィラに戻る。お一人様好きの私には嬉しいけど、いざという時には決して好ましい環境ではない。叫んでも誰も聞きつけてくれないだろう。門を閉めてチェーンをグルグル巻きにしてから寝た。悪者が車やバイクで来た場合、少なくとも時間は稼げる。



さて、翌朝の朝食はフランス人と二人きりだった。アメリカ人は鳥を観に川にいってしまったし、女の子達は既に次の目的地へ出発してしまった。


私がアメリカ人から聞いていたフランス人の事前情報はこう。


「もう半年近く滞在して書いている作家なんだよ。彼はいいやつさ。でもちょっと厭世的なところがあってね、全てにおいて悲観的なんだよな。・・・You know、この地球は危機的な状況だ、とか、世界は退廃し尽くしている、とかいつも言ってる。」

そこで私は、

「うーん、あなたの言わんとすることは解る気がする。要するにフレンチってことだよね。」

と答えたのだった。


しかし、朝食の席でフランス人がアメリカ人について語るには、

「うん、彼はいいやつさ。でもただ一つ僕は嫌なところがある。世界のいろんな危機的な状況に対していつも“I don't care.”だ。これは彼の性格が悪いってことじゃなくて、アメリカが国民をそういう風にしているってことなんだけど・・・。」

なるほど。お互いがお互いの背と腹みたいなことだ。



I don't care. は「気にしない」って意味だけど、ニュアンスを性格に伝えるならば

「別に、関係ないよ、俺がどうこうしたって、どうにかなるわけではないんだしさ、気にしても仕方ないじゃん」・・・と言葉にしてくればまだしも、いわゆる「見ない振り」みたいなことです。


二人のそれぞれと、じっくり話をしてみて、私はどちらも好きだな、と思う。素敵な大人だった。だけど、フランス人に一票!という気分であることは確か。


フランス人の彼はもともとプロの登山家で、日本の登山家を自宅に泊めて長いこと一緒に暮らしたこともあるそうだ。登山に詳しくないから、日本人の名前を言われても解らなかったんだけど・・・。

登山をやめてから、もっとみんなに、大切なこととか、(ことに山男の視点からは)地球のこととか、を伝えたくて作家に転身したとのこと。



仏「フランスも終わってるよ。国民はすっかり骨抜きだ。これじゃまるでアメリカだよ。本当に悲しいよ。」

私「EUになったから?」

仏「それだけじゃないね。」

私「日本もそうだよ、グローバルになって、町も店もアメリカっぽくなってしまって、没個性でつまらないよ。なんでかっていうと、アメリカはどこの町にいっても同じモール、同じ都市計画、でしょ。日本の政治家はアメリカに骨抜きだしね。」

仏「グローバライゼーションっていうけどね、あれ言葉を間違ってるよ。本当はあれはアメリカナイゼーションなんだよ。」

私「!!確かに!そうだわ。その通りだわ。」




私が初めてインドに来たのは十数年前のこと。

シッキムの山奥のカフェで、朝食の席でこの手の話になったことがある。メンバーは台湾人、アメリカ人、フランス人、そして日本人の私だ。言いたいことは沢山あったのに、あの時は、一言も口を挟むことが出来なかった。人は変われるもんだな。英語は便利だ、と思う。



私は、基本的にアメリカの友人達が大好き。一緒にいて、なんだか楽。何故かは解らない。あの大ざっぱさが、大ざっぱな私の性に合っているのかもしれない。言葉は悪いけど、褒め言葉として、あのバカっぽさが、バカな私にしっくりくる。


ただ、日本と同じように、なんだか盲目化させられてる感は確かに否めない。

考える力を搾取されてしまっているというか・・・・。

事実、日本人の盲目っぷりの加速に、私は帰国するたびに土肝を抜かれている。



「もう止められないのかも知れないけれど、それでも、納得出来ないことには僕はNOと言いたいんだ、おかしいだろ、原発だって何だって。納得がいくまで話合いたいし抗いたいんだよ。」というフランス人の思いが、私にとっては正しい姿勢に思えたのだった。


大自然の懐で過ごし、人知を凌ぐ山の頂から「世界」を見てきた人の言葉として、余計に身に滲みた。


フランス人に別れを告げて、午前10時、迎えの車にのって、友人アニーシュの実家に向かうことになっている。とくに行きたいわけじゃないんだけど、断れなくて、そのストーリーに乗っかってしまった。

途中、バードウォッチングから帰ってくるアメリカ人とすれ違った。狙っていた鳥は見れたかな?自然を愛する、おおらかで朗らかな男だ。みんな、みんなが、そしてその家族が、どうぞ幸せであって欲しい。





















2014年9月13日土曜日

ムナールに行って来た。Part3

ムナール。


インド人憧れの避暑地。


なんにもすることがない。


ここ、ホテルグリーンビューの受付にいる兄ちゃんは、馴れ馴れしくない代わりに、あまりにも無愛想で、こんなに愛想の悪いヒンドゥーに会った事がなかったので、勝手にムスリムだろう、と思っていた。

が、よくよく話してみると、ヒンドゥーらしい。


そこで、思い出した。ケララは非常に保守的な土地柄なのだった。ヴァルカラだって今でこそ近所の人と仲良しだけど、最初の一年目は犬でさえよそよそしかったもの。こんな山奥だったら尚のことだろう。


あまりにも退屈なので(大阪人になったつもりで)こっちからしつこく絡んでみると、しかし、ポツリ、ポツリと会話してくれる。


「タミル語の新聞読んでるの?タミルの人?ワナッカム、エップディイルッキングラー!オンガペールイエンナー?」

「・・・・・」

「ねえ、このカードのコテージだけどさ、コテージもやってるの?ねえ、いいとこ?」

「静かなとことだよ。」

「イドゥッキのセナパティーってとこに行くんだけど、そっから近い?」

「どこだって?」

「ラージャクマーリーからバス乗り換えるの。」

「通り道だね。」

「じゃあ、一泊したい。空いてるかな?」

「いける。」


ということで、翌朝「グリーンウッズコテージ」を目指すことになった。

バスを待っていると、無愛想な兄ちゃんがわざわざ追いかけて来て、目当てのバスに乗せてくれた。ヒンディー及び、英語の表記がないからだ。なんて親切なの!

「家族は?」と聞くと、「子供が二人、まだ小さい」んだそうだ。こういう島国っぽい保守的さに出会うと日本を思い出す。本当は優しいんだよね。ありがとうね。


アディマリ経由でラジャクマリで下車。速攻でオートリキシャーを拾う。いろんな人に聞き込んでくれて、無事に到着するも、50ルピー。これは結構ぼられた。一瞬がっかりしたけど、たったの100円なんだよね。そのお金で子供にアイスクリームでも買って貰えるなら、いいよね。





宿についてみたら、これまた強烈に無愛想な奥さんが応対。

「なんだかなあ」と思っていると、強面のご主人がバイクでやってきた。「バス停まで迎えにいったのに入れ違いになっちゃったよ!」とのこと。や、優しい・・・・。


どうやら私の泊まるのは「リバーグリーンヴィラ」で「グリーンウッズコテージ」は満室らしい。1階と2階に一部屋ずつあって、それぞれ1LDK、バルコニーとWiFi付き。これは絶対高いよ!と思ったけど、コテージが急遽満室になった為、私はこっちになったのだそう。コテージの料金でいいとのこと。う、嬉しい・・・。


もしや・・・「ツンデレ」とはこういうことを言うのではないか?

(違うかもしれないけど当たらずとも遠からずだろう・・・。)


ヴィラから少し坂を上ったところに、コテージがあって、夕食はそこで19時だそうだ。回りに食堂の類いは一切ない。ムナール以上に何もない。でもムナール以上の「何もない」がそこにはあった。私の求めていたのはこれだよ。

ああ、また来る事があったら、今度はここに長逗留したい、と思う。



実際に半年住んでいるフランス人がいる・・・と教えてくれたのは、バードウォッチャーのアメリカ人。やたら遠目が効く私が「ねえ、あの瑠璃色の、あれは!」と聞くと、望遠鏡で追って、あー、基本のキングフィッシャーだよ!と教えてくれた。

アメリカ人というのは、基本的におおざっぱでフレンドリー、お喋り好き。

「ここは最高だよ!すごく鳥がたくさんいる。初めて見るやつもいた!明日は早朝から川で張るんだ!」

お喋りついでに、フランスから来て住み着いている男についての情報を与えてくれた。


ディナータイムでその人に会うことになるのだが、アメリカ人とフランス人。この対比。私の中の劇場では、フランス映画のような、アイロニカルで退屈で、面白いストーリーであった。そのお話は、また次回に。


続く



2014年9月5日金曜日

ムナールに行ってきた。Part 2

さて、ムナールシリーズの続きです。

ムナール紀行 予告編
ムナールに行ってきた。Part1 


寝床があるってしあわせー!

暑くなくてしあわせー!

と毛布の中でぬくぬく丸まって、鼻先の冷たさに気づくと、そこに朝がありました。

ベッドの中から。ちょうどいい長袖が無かったのでデニムのシャツで眠った。



反対側から見るとこう。


部屋がどのくらい狭いかというと、四角い部屋の角にシングルベッドをドーンと置いて

そのベッドの足元と右側にちょっと歩けるスペースがある。三畳間といったところ。

これで450だか550だか・・・・。高い・・・。でも・・・


窓の外をみて、やっぱりここでいい、ここにする!と決めた。





ここは4階、つまり最上階。ほかに住人はおらず、隣にあるのは、一応屋根を取り付けてあるが、屋上である共同スペース。つまり私の部屋はペントハウス。

さっそく、その屋上に無理矢理マットを敷いて、アーサナをする、ちょっと時間が遅くなると途中で他の住人が上がってくるので、翌日からは結局、自室の“隙間”で洗濯物に絡まりながらすることになる。

アーサナを終えたら、階下でお茶を頼んで、ルーフトップのテーブルに陣取る。チャイは20ルピー。高い。電化製品使用禁止の張り紙があり、使えそうな電源もみあたらないので、仕方ない。


お茶を飲み飲み、ここ数年溜め込んでしまった、講義の聴講ノートの清書。目が疲れたら目薬さして外を眺める。




あの丘は茶畑。


午前11時になるとサイレンがなるなあ、と思っていたら、それは休憩時間の合図で、みんな畑から道に降りて来る。座り込んで、お茶を飲んでいるようだ。お茶が終わると、三々五々畝のなかに戻って行く。




2、3時間勉強したら、お腹も減ったことだし、最初にバスで到着したニュームナールまで歩いてみた。散策大好き。なにか面白い物が見つかるかも知れない。


・・・が、しかし、である。


うーん。何も無い。これといって、何も無い。カフェもなけりゃ、泊って楽しそうな宿もない。ローカルの商店街があるが、これ以上サリーを買っても仕方がない。唯一、地元産のチョコレート(これはヴァルカラに店を出していたムナールのスパイス農園のおやじの店でも売っていた)が魅力的だったけど、新しいハーモニウムを買ってしまったので、飛行機の荷物重量制限がある。


とぼとぼと辿る帰路、八百屋で蜜柑とバナナを買って、また勉強。


結局、四日間の滞在中、勉強しかしてなかった。ポストカードも書いたけど、投函出来なかった。ムナールを貫通する一本道をただ歩いた。外国人のバックパッカーも少しだけいたけど、友達も一人も作らなかった。ただ静かなだけの時間。




「パ〜プ〜!」

遠くから懐かしい豆腐屋さんのラッパの音。

ビックリして、窓の下を見下ろすと、三輪オートで魚を売っている魚屋さん。懐かしい光景、「三丁目の夕陽」みたいだね。だけど、太陽は燦々、ここはインド。はためく洗濯物の赤の、逞しい木々の緑の、鮮やかなこと!近所の奥さん達が出てきて、車を止める。

私は、やっぱりインドの人の、この暮らしが好きだな。都会のシャレた大きな家もいいけど、つつましくて温かい、この暮らしぶりがいい。とてもとても普通だと思うから。

裕福ではない。家も小さい。トイレは外。だけど、みんなが重なり合うように眠る夜に、みんなが幸せを感じていることは、わかる。いいなって、思う。


そんな暮らしを、こうして空から眺めて、いいね、って思うのが、好きなのかも知れない。




屋上で出会った日本人風の男性に、本をあげようと思って声を掛けたらアメリカ人だった。ムナールでの唯一のアクティビティであるトレッキングに行くという。せっかくムナールだもん、こんな街道沿いで燻っているよりも、大自然に分け入りたいよ。私も行きたい。だけど靴が無いから行かれない。

勉強、勉強、勉強ばっかり。すごく楽しい。でも・・・。



これは2012年の2月、アンボリのノートだね。
Swami Tが毛糸のチョッキ着てるからわかる。




そんなある日、お茶を頼みにいったレセプションで、発見したビジネスカード。ここのホテルは、もっとへんぴなところにコテージを持っているらしい!

大量にあったノートの、全ての清書も、今日、終わってしまった。

なんとかここに行けないものだろうか!


続く

2014年8月25日月曜日

ムナールに行ってきた。 part1

2014年4月6日。午後12時30分。コーチン。

私にしては大奮発なゴージャスな空港ホテル。


ネットで見つけたこのホテルを選んだのは、偶然、マー君とママの京子さんがフライト前の短時間ステイをするって事と、ムナールに行っている間に荷物を安全に預かってくれそうだったから。

私にとってはそれくらい高価なホテルってことだ。でも、かつて住んだどのアパートよりも広いスイートだし、キッチンも冷蔵庫もあるし快適。バスタブもあって、栓がなかったけど、化粧品の瓶を排水溝に突き刺したら、かろうじてお湯にも浸かることが出来た。おかげで、あの悪夢の荷造り強行軍の疲れも緩んできた。


ともかく、30Lのバックパックに必要なものだけを詰めて、ここからムナールへと出発だ。久しぶりのインド一人旅。


ホテルの車でオートスタンドに運んで貰う。Aluvaからバスに乗ろうと思っていたが、オートワーラーのおじさんがPerumvavoorの方が近いというのでそっちへ。ちなみにオートというのはオートリキシャーのこと。人力車はほぼ絶滅していて、リキシャーワーラーといったら、それはサイクルリキシャー夫のこと。サイクルリキシャーの免許の新規発行はもう無いので、いずれ絶滅するでしょう。現在、限られた地域のみで営業が許可されている。


半年のデューティーから解放された脱力感と、オートでインドの湿った風を切るこの感じ。ああ、久しぶりだよ。幸せ。


途中、見覚えのある町を通り過ぎる。シャンカラアーチャーリヤの生誕地であるKaladiを通過。2年前にアンボリから引っ越してくる途中に寄ったよね。スワミジ達、ボーイズ、それからゴパールジとのタフながら楽しい道中が思い出され微笑ましい。プラヴィーンが木から逆さに落ちて首を痛めた後だよね、くっくっ。

20分の後、250ルピーでPerumvavoorのバスターミナルに到着するも、外国人は当然ながら一人も居ない。バスの行き先表示、英語どころかヒンディーも無く、まったく読めない!

通りまで出て行って交通標識を撮影。ムナールというマラヤラム語を暗記して目的のバス探し。結局なにやら分からぬままに、近くにいたオジさんの薦めてくれた一台に飛び乗った。




さて、空いている席に座ってみたが、どうも居住まいが悪い。これはつまり、男子と女子の座る位置が分れているということだと思う。それで間違いない筈。加えて、インドでは女は一人で旅などしない。奇異な目を向けられるのもまたしんどい。

私は、(スワミジの教育の賜物か)こういった空気を読むのだけは得意で、独自のルールのあるインドでは外さない。場違いな服装や行為をしないから地元人に好かれるのだが、空気を読んだところで、旅は始まってしまっているし、車内は混んでいて動けない。万事休すと思ったら、後々車掌さんが来て、前方の女子ゾーンの空席に誘導してくれた。

しかし、このバスで合っているのか、どこに行くのか、何もかもが全くもって不明だ。そのうえ過酷な仕事からの開放感のためか、頭の中、放心状態。「どこに着いたって怖くない」へんな安心感もあって、ただそこに居ることだけを味わっている。


バナナの葉っぱを通り過ぎてきた、森の、湿気を含んだ風。

目を閉じる。

そう、これがケーララだった。



結局、Kottumangalamで長らくの時間調整をしたあと、Adimali(多分)でバスを乗り換えた。開け放した窓から入る風の温度が下がるにつれ、標高の高さが感じられる。


ところで、男子と女子が席を分ける、というのは、当然、痴漢防止の為である。とくに外国人の女は、外国人ゆえに「ちょっとくらいのお触りは許されるだろう」と思われている節がある。今回も運転手の真後ろの席に座ったのだが、この運転手、シフトチェンジをする左手が空いている時に、その手をダラーンと垂らしてさり気なく、後ろにいる私の脛を触ってくる。だんだん、私との接着時間が長くなるのと、掌がこっちに向き変わるので分かったので、触れない位置にキュキュッと移動。


触るってアンタ、脛だよ。そんなもん触って楽しいか?!たとえ脛でも触りたいってか?!脛でいいのか?!え?!ええ?!


これが得てして遭遇する一般インド人の抑圧された性欲とピュアさ加減である。気持ち悪いんだか可愛いんだか情けないんだか、本当にわけがわからなくなる。


そうこうしているうちに、車内に入る風も、頭になにか巻かなきゃいけないくらいに冷たくなってきた。遠くに見える山々、見渡す限りの茶畑。ああ、もうすぐムナール。サジュが行ったことの無い、素敵なムナール。



景色の険しさは全然ちがうけれど、初めてインドに来た時のヒマラヤへの道のりを思い出す。とても懐かしい匂いがした。

Perumbavoorから乗り換えながらおよそ100キロ。73ルピーでMunnarに着いてしまった。かかった時間はだいたい5時間。日本だと遠く感じる5時間もインドに居ると、近く思える。

日のあるうちに安い宿を探さなければ。

ガイドブックどころか、何の情報もないので、とりあえず勘にまかせて川沿いに元来た道をたどる。途中私を拾ったオートワーラーの紹介してくれた「ザ・無愛想ホテル」に聞くとエラく狭い部屋が一泊400ルピーという。高いと思ったけど、日も暮れてきたし、最上階だし、明日探せばいいか、ということで決定。オールドムナールと呼ばれるエリアの外れ。


電気湯沸かし器で、申し訳程度のお湯がでるけど、寒い。ヒーヒー言いながら埃だらけの体を洗う。それでも自分のベッドと暖かい毛布があるというのはいい事だ。近所の食堂で焼きそばとチャイ。


洗濯禁止とあるが、明日着るものが無いし、まともに聞いてられるか。さっと洗濯をして得意の紐テクノロジーで干場を作り、衣類を吊るして床に着く。ベッドのお供は糸井重里の「イトイの通販生活」だ。


年に一度は、これまで行ったことの無い場所を訪れなさい。


・・・とダライラマ14世が言った。


狭い。寒い。けれど幸せ。

His Holiness!

私は、来ました!



part 2 へつづく









2014年8月11日月曜日

ムナール紀行 予告編

フラワーエッセンスが効いているのかなあ・・・、きも〜ち、やる気が出てきたかも知れない。あらためて最近のブログを読むと、やっぱりちょっと病んでた感有りですね。ま、生きてりゃ、いろいろとあるよ。


今日はハタヨガティーチャーズクリニック東京版でして

「教える自分に自信がない」

みたいなトピックの時

「やるべきことをやるだけだしね、あたしゃ落ち込まないな」的なこと言っておきながら、

帰り道には「あ〜!全然伝え足りてない!」なんて先生落ち込んだりしてみました。

大丈夫。みんな一緒ってことよ(笑)。



来週末は神戸です。翌日追加クラスが決定しましたので、詳細はティケティケさんにお願いします。


ところで、今日のタイトル「ムナール紀行」。ムナールというのは茶畑で有名な(インド人の)避暑地。標高が高いヒルエリアで涼しい場所なのです。

行く迄の道のりと現地の風情が「どローカル」だった為、カメラを出すのも恥ずかしくてあまり写真が無いのが残念なんだけど、地味に興味深いところだったので紹介したい。ちなみに地味度は高めです。



今年も例年通り、3月末を持ってヴァルカラの期間限定アーシュラムを閉めました。毎年恒例「深夜まで続くパッキング、4トントラック1台分」。あー、だから女の仕事じゃないし・・・。


この夜ばかりは、私は日本から持参しているコーヒーを淹れ、スウェーデン人の経営するABBAレストランで、デカいケーキを2個も買い、マー君とママが差し入れてくれたチーズナンをガンガン食べて乗り切る。それだけカロリーを使うし要アドレナリン。


Sivananda Yoga Vidya Peethamも、最初のころと違って、スタッフという名の人も格段に増えているというのに、誰もが逃げ出すキツい仕事です。今年は「モヒニ」こと美穂ちゃんだけが付き合ってくれました。本当に感謝。スワミジ達もあなたの働きをしっかり見てたよ。日本でもインドでも、女子として滅多にありつけない重労働の数々。モヒニと一緒にこなしました。


推しメン、モヒニは笑顔が素敵な働きもの。


推している人。毎年この時期は痩せ細っている。
荷物の運び入れ先の掃除に行った時の写真。
インドで私がドゥパタ(ショール)をしていない姿はレアで、
つまり完全なるガテン系の覚悟が見て取れます。



全てを終えて、ようやく布団に入れたのは朝の4時なんだけど、気づくと私の部屋の玄関回りがざわついている。「何ごと!?」と寝ぼけ眼で外に出てみると、お父さんことSwami Govindanandaji、お兄ちゃんSwami Nivedanananda、そして我らがヒーローGopaljiの三人組が洗濯ロープを、「あーでもない、こーでもない」と外してくれようとしている。


え、何やってんですか?
っていうか今、何時ですか?
ええーっ!ろ、6時い〜?
あーっ!それ、私が後でサクッとやりますから!
寝たの4時だし!!
私、寝ます!寝かせてくださーーーーい!


というと

「あ、そう?」といってお戻りになられました。

本当に働き者のスワミジ達です。



そんなこんなを経て、数十人分の洗濯ロープを回収し、スワミジとダンプカーを送りだし、立派だった勉強と生活の空間を、無機質な宿泊所に戻し、さあ、どこでリゾートしてやろうかな、ということで向かったのがムナールなんですよ。


同じ高原地帯でも、ムナール(ケララ州)とコダイカナル(タミルナードゥ州)のどちらを選ぶかにあたって、結構な数のインド人に聞き込みをしました。

「あんたはどっちが好きか?」

Swami Tattvarupanandajiのグルクラスタッフ
デヴァダス(中央)にも聞き込み。


その回答の集計が50/50だったので、空港からほど近いムナールを選んだわけです。

しかしねえ・・・

あとあと考えてみると、インド人特有のテキトーな回答も多かったに違いないんですよ。近所の仲良し、アユールヴェーダのサジュ先生なんて


「断然ムナールだよ。コダイカナルよりもっと母なる自然のままに違いないしね!君はムナールに行くべきだ!」と熱く長い演説をブチかまし、最後にこう言ってたもん。

「行ったことないけどね。」


マジかっ!

ムナールに行ったことのないサジュ。


とにもかくにも、半年を共に過ごした皆さんと離れ、本当に久しぶりの「インド一人バス旅」。

果たして本当にムナールで良かったのか?

かなりモヤモヤしたムナール紀行を、次回、レポートしたいと思います。


乞うご期待!



出発はコーチンから。30Lのバックパックとチャッパルで。








2014年5月4日日曜日

2014年。

貧乏暇なし。なんでこんなに忙しい人生になってしまったんだろう・・・。

といいながらも、実家でパソコンに向かってパタパタする日々。これは暇って言うのかもしれないしなあ・・・。よくわかりません。

インドにいてとにかく恋しいものは、お湯のシャワー、全自動洗濯機、良く繋がるインターネット回線・・・と、どのアシュラムに居た人も声を揃えていう。インドからドバイにいって、イラン人と、オランダ人と、日本人の私で「だよねー!」と盛り上がった。(あと日本人の場合はそれに加えて湯船ね。)

でも、洗濯機の御陰で浮いた時間を、良く繋がるインターネットに食いつぶされ、私はパソコンの前に座る。どこにでも繋がって、そこはかとなく忙しい。うーん。現代的なテーマだよね。

もちろん、そこから受ける恩恵は多大なるものなので、良いとか悪いではないんだけどね。少しだけホームシックです。人間はかくも無い物ねだりなのですね。それはさておいても、白髪が増えても、シミが出来ても、シワだらけになっても、インドの暮らしはやはり魅力的。

さて、私にとってのインドの魅力の中で絶対的な位置を占める人がある。これまでの人生で、もっとも貴重な出来事、お父さん(Swami Govindananda先生)をついに見つけだしたこと(地球のどこかにいる筈のたった一人のこの人をずっと探していた気がします)と、読者の皆さんは既にご存知のゴパールジに出会ったことです。

ことにスワミジとは、他の生徒さん達のように、近くに座ってお喋りする機会もないし、仕事があるから講義に始終張り付いているのも無理。スワミジに伝えたい感謝の気持ちも山盛りあるけど、それを言葉で伝えたことも無いです。本当は伝えた方が良いのかも知れないけれど、私は照れ屋だし、近くて遠いお父さんなのです。叱られる回数も減ったしね。それでもまだ叱られてるけどねぇ・・・(笑)。最近は「やっちまった!」と思ったら、自ら謝り&叱られに行きます。そんな時はめっちゃ怒られます(笑)。あ、写真の中でも軽く叱られていますな。私の背後にいるのがスワミジです。



スワミジを手伝い始めて四年目のシーズンが終わりました。日本のヨガスタジオのクラスを全部辞めたし、アパートも引き払ってしまって住むところも不安定。ホームレスの低額所得者。犠牲にしたものは大きい。それでも、スワミジとの生活のなかで得たものは、失ったものなんて目じゃないくらいに大きい気がします。インド人にすら言われるけれど、このような環境に身を置ける幸運を噛み締めなくてはいけない。誰でも出来ることでは無いのだから。


生徒さんのみならず、短期間手伝いにきてくれる子達が、スワミジとのお別れの時にみんな号泣するのね。それを見ていて、そうだよねえ〜、わかるわあ、と思う。

私は泣かない。ちょっと前までは、後でこっそり泣いたけど、今はもっと強くなった。スワミジは私のラーマ・・というと、私は妻のシーターだ、って思うでしょう。違うのよ。私はスワミジのハヌマーンになるんだ。だから泣かない。

恵まれた人生だと思う。こうして自分が日本に生まれたことも相当恵まれている。その平行線上にインド人のアイデンティティーを生きることになった、この妙な状況も。でも、ときどきわからなくなるんです。私、いったいナニ人?ナニ人でもいいのかもしれないね。地球人である必要も宇宙人である必要もない。2014年は何者でもない者として、何者かを演じながらもう一頑張りする年のような気がします。社会的にはかなりのダメ人間だけど、それでも社会と関わりながら・・・。

者にも物にも惑わされず、もっと自由に、もっと強く、もっと輝くように生きよう。グル達の愛と、生徒達の情熱に背中を押されて。私の人生。私が人生だもの。
















2013年6月29日土曜日

ブッダガヤのシータマ②

4月8日(日)

走る、走る、列車は走る。ランクとしては上から二番目に良い2ACなので毛布1枚とシーツ2枚、枕1個が付いてるが、とにかく具合が悪いので体力温存の為に寝る、寝る、寝る。揺れる列車の中で、幾らでも眠れる。インド人達は、一食目のお弁当は確実に持参しているが私は何も持っていないので、昼も夜も車内の食事を注文する。インド人は晩ご飯が遅い。9時頃。そして食べたら即寝る。

コーチの入り口のカーテンをペラリとめくって車両スタッフがゴミだのメシだの言いにくるのだが、東部インド人と思われているようで一切の声かけはヒンディ。しかしこの程度の会話なら全部理解出来ている自分が不思議。「ネイ〜」とか答えている。

予定では翌深夜3時に付く筈だが、スタートからして6時間遅れている。一応アヌープには連絡を入れておいた。


4月9日(月)

3時なんてとっくに過ぎている。その後、遅れがどれだけ拡大しているのか分からないが、一応6時間後の午前9時くらいからはスタンバイする。一駅止る度に手元に書いておいた駅順と照らし合わせなくてはならず、気が休まらない。インドの列車には到着アナウンスは無く、いくらヒンディが読めても寝過ごしたりしたら大ごと。しかも、そういう時に限って睡魔が襲ってくるのだ。

結局ガヤ駅に到着した時はに、既に正午をまわっていた。9時間の遅れ。なにはともあれホームでアヌープを発見。AC付き車に乗り込むが、窓全開、エアコンは付ける気配なし。ガヤは騒々しい町だ。車中からゴパールジに到着を知らせる電話をかけるも、騒がしすぎて会話にならぬ。窓の外から熱風がしんどい。

30分ほどして、ようやくブッダガヤに到着した。ガヤからのバスはないのだそうだ。アヌープが取っておいてくれいたゲストハウスの部屋はダライラマの灌頂広場に面している。一瞬、日本人的感性で

「広々して日当りもいいし、大きなベランダもGOOD!」

と思ったが間違えた!インドで日当り良好は超BADなんだよー!

危険な暑さ!


2日ぶりの水浴びをして休んだ後に、アヌープが彼の地元スジャータ村につれていってくれる。スジャータの墓の遺跡や、私のリクエストでマータンギー寺など。アヌープ家でご飯を勧められたが、結構具合が悪いので気合いもお愛想もここが限界。

町に戻って、露店でムサンビ(蜜柑の一種、ビタミンCが豊富)ジュースを飲んで、アルティキ(マッシュポテトにグレイビーをかけたもの)を食べてそれで夕食を済ます。ちなみに、私はインドの露天でバクバク食べているが、それでお腹を壊した事は一度もない。熱が出ていてもそれは同じ。日本人とドイツ人は神経質過ぎる。

熱は38°弱。完全なる風邪の兆候。数日移動が激しすぎて疲弊したのだろう。

スジャータ村。小麦畑に沈む夕陽。



ところで、


皆さんは、インド人の音響が凄まじい大音量だということをご存知だろうか?


私はそんなに沢山の国に行った事がないけど、世界中どこの国だってインドの比ではないことは間違いない。自信を持って言える。

この日、私の部屋の目の前の灌頂広場では労働組合の大会が開かれていた。ものっ凄い爆音スピーカーで労働組合の力強いシュプレヒコールが・・・・。

「カイダーヴァー、カイダーヴァー!」(Never die ! Never die ! 絶対負けないぞー!)

とマイクの人が叫ぶと群衆がそれに応えて復唱する。


そして・・・

皆さんは、日本語は現存する中で唯一の母音主体言語だということをご存知だろうか。日本人の脳は子音よりも母音をピックアップして言葉を認識するのだ。

したがって日本人である私の耳には


「ai aa aa, ai aa aa !」

と聞こえる。

「ii aa aa, ii aa aa !」

「sii taa maa, sii taa maa !」

先週ようやく終わりを告げた五ヶ月間のアシュラム生活で、毎日、毎日、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も聞いた言葉!

 「シーターマー!シーターマー!」

「シーターマー!シーターマー!」

「シーターマー!シーターマー!」

やめてくれーっ!


こちとら熱を出して真夏の最中に毛布かぶって寝てるってのに気が休まらない!組合長、私の名前を呼ぶな!群衆も応じるな!しかも真夜中の12時まで!

頭が痛い時の爆音というのは、実に身体に障ります。

(続く)


やっぱり瞼が目に被さっている・・・。アヌープの作った学校です。






2013年6月21日金曜日

ブッダガヤのシータマ①

そろそろ、書こうではないですか。

私のブッダガヤにまつわる紀行を。

うーん。

書いちゃうのか・・・というのは、なんだかねえ、思い出すのもシンドイ旅だったような気がしないでも無いからだねえ。


ブッダガヤといえば、お釈迦様が悟られたということで超有名な聖地。読者の皆さんには既にお馴染みのアヌープ君の出身地なわけです。

「シ〜タ〜マ〜タジ〜、来て来て、絶対に絶対に来て、来て来て来て!」

というアヌープ君の熱烈なお誘いを受けて、キッチンボーイズの故郷ウッタラカシに行くのは来年に回し、取りましたともブッダガヤ行きのチケット。



4月1日(月)
朝。私は5ヶ月を過ごしたヴァルカラの仮アシュラムを畳んで、最後まで残ってくれたマー君親子、地元でお世話になったカオリちゃんに涙のお別れ。そしてお父さん(スワミG)との涙をそそる別れ。・・・といっても3日後にマンガロールで落ち合う約束なんだけどね、毎年シーズンの終わりにはジワーっと来ちゃうのよね。

ウェイティングリスト6番だった私のチケットも当日朝にコンファームされ、久々に列車の揺れに身をまかせ。この旅のことはまた後日書きましょうね。


とりあえず、ここではざあっとなぞることにしましょ。
「アイマン坊主」という髪型(すなわち坊主)が流行


4月2日(火)
早朝にアンボリ着!懐かしの面々に挨拶をし子供達と遊ぶ。一緒にお寺へご挨拶にいくと、ニキタなんか作法がしっかりしちゃって、お姉さんになった。




4月3日(水)
子供達を公園に連れて行ったり、宿題を代わりにやったり。深夜にマンガロール行きの列車に乗る。

ラジャンおじさんとアイマンにアシュラムからの日の出を見せる事ができた。


4月4日(木)
朝マンガロール着、スワミジと合流、車でシュリンゲーリへ。一日中走って夜はアシュラム建設予定地である農場へ。ゴパールジとラジャンジは外で寝る。私は一応小屋の中にヨガマットを敷いて。熱が有るらしく、深夜に数えきれないくらい、オシッコに起きる。
外の物置き場に寝るといって驚喜のゴパールジ。


4月5日(金)
早朝、スワミジと農園をまかされてるオジさんと、敷地内の森を見て回る。私は具合を悪くしているらしい。年に一回飲むか飲まないかのバファリンを飲んで再び車へ。頭が割れるように痛い。ラジャンジとお別れし、例のいつもの3人組(スワミジ、ゴパールジ、私)でお寺を巡る。午後マンガロールまで戻り、スワミジとお別れ。10日後にシンガポールで落ち合うのにまた寂しくなるアホな私。ムンバイ行きの列車に乗る。

初めて行ったジャイナ教の聖地。とにかく古い!



4月6日(土)
ウドゥピで降りる筈のゴパールジがムンバイまで来ちゃったので、ゴパールハウスに泊めてもらう。半年ぶりのご帰還なので、まず、二人で手分けして大掃除。これ、毎年の恒例行事。この日の夜にコルカタ行きの列車でブッダガヤに向かう筈なのだが、だいぶ早い段階から「すでに6時間遅れの出発」という情報・・・・。

掃除をしてスッキリのゴパールハウスその①


4月7日(日)
未明。ムンバイ駅。ああ、ゴパールジが一緒に来てくれていて本当に助かった。もし一人だったら、熱があるのに大荷物を抱えて駅で一晩眠れずに列車待ちをしているところだった。ああ、神よ、ゴパールジよ!

初めてインドに来たのは、たしか10年くらい前。カルカッタから北東インドを旅したが、電車が遅れまくるなあ、というのがその時の印象。しかし5年前くらいに再び訪れて(今度は西、南方面)から印象が変わった。列車があまり遅れない。列車が遅れない代わりに、大奮発して買った二泊三日の2AC車両に私が遅れて呆然とした。乗れませんでしたよ、勿論。お金もだいぶ損しました。(どういうアホだ、私は・・・)。


だから、このコルカタメイルという列車の出発が6時間遅れたのも、レアケースだろうって思ってたのですよ。

しかし・・・

そうは問屋が卸さないってことを、この時の私はまだ気付いていなかった。

なんとここまでで、乗った列車の数は4本。この一週間の内に何時間寝台の上にいたのか。少なくとも数十時間でしょう。走行距離は・・・あまり考えたく無い。

相変わらず、颯爽と去って行くゴパールジの背中を見つめながら、ブッダガヤへの旅が始まったのです。



サイドロウアー寝台も悪く無い!と思った私の寝床

(続く)








2013年3月15日金曜日

その後

なんとか元気にやっているSitaです。最近、パソコンを見ると目が疲れる!ということが分かってきて、IT離れの感ありですが、スワミジが「ウェブサイトやブログは更新してるのか?」と突然おっしゃるので、「はっ!してませんっ!しますっ!」ということで今ここに座っております。


アユールヴェーダでいうところのヴァータ(移動性の性質)バリバリの私。ただでさえフワフワ、スカスカしてるのに移動が激しいとあっという間に消耗してしまう。なので一箇所にじっと暮らすことの良さは身にしみますね。インドでしかそれが出来てないので。

スワミジのSivananda Yoga Vidya Peethamの目下の仮の宿りであるここヴァルカラは、美しいビーチが売りのリゾート地ですが、もともとは小さな村。地元の人の家と、旅行者向けの宿が隣り合わせで、生活の音が、沢山聞こえてくる。隣のおやじが娘と喧嘩する声、朝のうがいのガラガラ~ペッ!。赤ん坊が一生懸命泣いている声に、子供達のはしゃぐ声。

旅行者向けのカフェでは「ズンドコ、ズンドコ」パーティーサウンド。インド恒例、寺のラウドスピーカーから聞こえる爆音のご詠歌にモスクからはコーラン。風の強い日は磯に砕ける波の音、椰子の木が唸る音。遠くを渡るカラスの声に、色んな種類の鳥の声。猫に犬に、ねずみの運動会。木と間違えて窓にドリルを打つキツツキ。

中でもかわいいのは、「ポッポー」でも「ポッ」でもなくて「ぽ」と鳴くウッパンという鳥で、思わず「だから何!」と聞きたくなるような中途半端ぶり。

そのウッパンに「ぽ」で返事をすると近くに寄ってきて会話を続けてくれます。

まあ、一言で言えば賑やかなところです。前にいたアンボリアシュラムと反対で、修行には正直向かない場所なのかも知れない。いやあ、瞑想のしにくいこと、しにくいこと。

でも。

この幸せな騒音だな・・・とも思うのです。

サッチモの歌う「What a wonderful world」の心境かな。瀬戸内寂聴さんの小説の中で、お釈迦様が「アーナンダ、それでも世界は美しい」という台詞があるんだけど、そんな感じです。


幸せな騒音のもとを紹介しましょう。



となりのジミー君うたたね。

インドでは飼い犬が飼い主にコントロールされていないのでストレスなさそう。


夕暮れ時のアラビア海と、そこに浮かぶ漁師のカヌー。
小さな小さな船ですが、「ふぁいとぉ~!いっぱあ~つ!」って感じで荒波乗り越え沖へ出ます。



今回のTTCはとても良いグループで先生感激です。
近所のカーリー寺院のお祭りへ。10日間に渡って夜通しうるさかったなあ。


地元町内会と思われるが、お寺に奉納する太鼓の演奏。
このチームが一番人気。本当にクール!


そうそう、話をもどして、スワミジに言われて反省し、ホームページを英語、日本語とも少しだけ更新しました。インドでのコーススケジュールを紹介しているのと、6月からウパーサナサンガ大阪篇が始まるので、その件もチラッと。二ヶ月に一回、2日通しで行う予定です。先生からのお願いなんですが、東京と同じように、ドロップインの方式は予定していません。3回分、半年間のコミットをお願いしたい次第です。お世話係のまりちゃん、まだ詳細を送ってなくてごめん!ばばっと閃かして追ってお送りします。

日本語での通訳つきのTTCですが、可能性としては来年の4月から5月、東南アジアのどこかで、という線が濃厚なのですが、まだ分からない。

そこでですよ、もしも来年インドでのコースに、日本人が今のように沢山きて、私の仕事を代わってくれる有能なアシスタントが用意できるなら、私が通訳に入ってもいいよ、とスワミジが言ってくれたの。送受信機もないし、どこまで出来るかは分からないんだけど、そうなると、三回あるうちのTTCのうちの一回にまとまって日本人が来てくれるのがありがたい。来年の2月のコースでそれが出来ないか、早速検討に入りたいと思います。


明日は、今シーズン最後のTTCの試験&卒業式。外で生徒達が問題の出し合いっこをしている声が聞こえるな。本当に良いクラスだったから、またお別れが寂しいよ。みんなありがとう。さよなら三角またきて四角、シーユーレイター、アリゲーターだよ。

Om Om


Sita





2013年2月2日土曜日

近況報告。

時は二月・・・。今シーズンもインドに来て早三ヶ月が過ぎてしまいました。三つ目のコースがもうすぐ終わろうとしています。今行っているのは一ヶ月のアドヴァンスコースで、スワミジが独立されてから今回で二回目なんだけど、生徒さんの構成によって内容がガラッと変わるんだ!っていう面白い現実をダイナミックに見せてもらってます。

例によってアドヴァンスコースは殆どの生徒が既に先生なので、とても成熟した雰囲気なんですが、生徒さんたちの雰囲気に乗じて先生のレクチャーの内容が深く、一歩も二歩も進んだ内容になりました。以前、私が一生懸命 Pujya Swami Dayananda 先生のお話を聞いている姿を「美しい」と評してくれた先生がいましたが、本当に私もそう思う。学びたい気持ちの皆さんの、学ぶ姿の美しさ。輝き。

         

日々のスケジュールは、朝4時半に始まって、21時半に終わるまで、合計6コマのクラスがびっしり。全部英語。そんな中に、よっちゃんが、たった一人の日本人としていらっしゃいます。しかもよっちゃん、ノーストレス。本当に幸せそうに、熱心に勉強している。そんな姿を見てると私も頑張ろうって心底思う。先生達の講義に熱が入る気持ち、よーく分かるよ。


よっちゃんは、私が日本で始めた最初の勉強会に、6ヶ月間一回も欠かさずにクラスに来続けてくれた唯一の生徒さん。ハッキリいってそんな人、滅多にいないっす。

「あ~、この人はよっぽど学びたいんだな~」って、胸の奥にずしん来まして、「そんなら私が手伝わないでか!」って思ったの。で、六ヶ月頑張りました。これまでに出した宿題も、家事とお仕事の合間を縫って、完璧以上にこなしてくれた。その結果、今の、幸せそうに学ぶ彼女の姿を見れて私も幸せ。よっちゃん、また次のステップへ、一緒に頑張ろう。

麗しきかな、二児の母よっちゃんと。
          





昨日久々に時間が出来て、ちらっとフェイスブックで遊んでいたら、高校の時のY先輩が記事をアップしていた。それが特に練習もしないながらもフルマラソンをここ10年位、毎年走っているっていうお話だったんだけど、よくよく考えてみたらなんかすごいな・・・と思えまして、その旨コメントさせて貰ったの。それに対して「たんなる物好きです」とのお返事。

いやいや~、待てよ、もの好きといったら世界で一番絶賛される対象のうちの一つではないか?10年続いたら立派なポリシーでは・・・。よっちゃんじゃないけど、よっぽど走りたいんだな・・・と私は思った。

で、思い出したんですな。マネージャーだった私が何で選手になろうかと思ったかというと、その先輩が駅伝を走るのを見たからなんだよね。なぜ他でもなくY先輩だったのかというと、先輩は、対戦相手への熱い闘志バリバリって訳でもなく、楽しそうに走ってるって訳でもなく、暑苦しい男の戦いの中で、なんか静かって言うか、一瞬エゴがないみたいな感じ?(なんじゃそりゃ?)みたいな・・・。

まったく言葉で説明できないんだけど、そんな風に見えたんだと思います。

「いいなー。走ると何が見えるんだろうなあ」・・・と。

エゴの塊の私は、この新たな思いつきに興奮しまくって「先生!選手にしてください!」と熱く宣言した訳ですが、二年ほど走りました。楽しかった。


その時にみた風景は、後に音楽を通して見た風景と、あるいはヨーガや瞑想を通して見た風景と、たぶん一緒です。そして、その風景はたぶん、本当は、いつでも見ている風景なんではないだろうか。透明すぎて無いみたいに見えるけど、その気になればいつでもそこにある風景では?
・・・という気がしている今日この頃でございます。




先日は、我らが愛すべきゴパールジの65歳のお誕生日でした。この三年間、毎年ゴパールジのお誕生日をお祝いさせて貰えて幸せ。今年はなんとプージャまでやっちゃいました。



ゴパールジ、長生きしてね。



ではまた!

2013年1月5日土曜日

つぶやき


ノッてるついで・・・というか、今シーズン二つ目のコースの試験が終わって、ひとときの静寂の間に書いちゃうんだけど、先日、私の頭頂部に鍼をうって風のようにスリランカへ飛び立っていったTulasi マタとおしゃべりをしていたのね。気を許した相手との本音ポロリトークというか、個人的な好みの話なんだけど、「確信犯的なちゃっかりさん」というのは、あまり好みではないのです。

「人の脳みそを使って、自分は何もせず、おいしい所だけが欲しい」というのは・・・まあ、人のことなのでどうでもいいことなんだけど・・・やっぱり粋じゃないなあって思う。Tulasiマタと一緒に結婚式に出席したとき(ここにも書いたかもしれないけど)神父さんが「人は、人の“本気”に触れるときに初めて心動かされるんだと思う」と語っていて、まったくもってその通りだと強く頷いた記憶も新しいね、ってな感じでおしゃべりしてたんです。「セルフエフォートのある人がいいね、人の上前をはねるようなちゃっかり物は魅力的じゃないね」って。だから自分たちも努力を積み上げようと。

そしたらTulasiマタが「シータマはいつも本気だから人が集まるんですよね」と言ってくれた。確かに、笑っちゃうくらい本気かも(笑)。超一本気だし。もうちょっと何とかしろよって感じではありますが、いずれにせよありがたいお言葉でした。

人は、表の美しさ・・・姿かたちや名声・・・だけはなく、内側をちゃんと見てるんですよ。2メートルにも足りない、ちっぽけな人の体、その内側から私たちに向かってくる絶対的な感動を。

昨年も、日本各地で、タイで、そしてインドで、多くの人に恵まれました。心から皆さんとの出会いに感謝しています。どうもありがとう。だってそれがまた勇気に変わるからね。本気というのは体力が要るのです。

↓ こちら、いつも本気の男。
おとうさん、かっこいいです。


本気の一年を!
アディオス。

謹賀新年!



 新年明けましておめでとうございます。皆さん、良いお正月を過ごされましたか?
本年も、世界中のあらゆる生き物と、皆さんのご健康をお祈りしています。
どうか今年も学び多き一年となりますように。

もう十年くらい、というかそれ以上かも知れないけど、石井ゆかりさんという方の西洋占星術のサイトを楽しく読ませていただいていて(サイトのデザインがとってもクラシカルで歴史を感じさせるのだ)、今年も年報(←要チェック!)が出ましたー。

この方の文章のファンなんですよね。「占い」というんじゃなくて、宇宙の摂理の微かな声をキャッチした挙句、静かな熟考~言葉を探る内なる一人旅~の末にこう書こうと決めましたー・・・という感じ。言葉の美しさと、そして内容の美しさ!森羅万象の鋭さ、厳しさ、儚さ、しかしその影には大きな大きな温かさがあるってことを、よーく表してくれていて、それがとっても好き。

言葉は、ときに記号でしかないけれども、しかしその背景にあるのは大いなる意識で、言葉は生きている。今年のてんびん座をチェックしてみると、やっぱり素敵な言葉が発見されましたよ。ちなみに「成功」というのが今年のてんびん座のキーワードらしいので、その流れから・・・


精神的な「高さ」というものも、大切かもしれません。
心清らかであること、真に大切なものを大切にすること。
「成功」という社会的な基準からすると、
そうしたことはなんとなく「別世界」のような感じもするのですが、
この時期は、貴方が得て行く社会的な力と
人としての「美しさ」のようなものが、
強く結びついているように見えます。
日々、行っていることを誇らしく思えるか、
それが本当に人としての名誉なのか、というところに、
意識のスポットライトが当たることがあるかもしれません。



まったくもって賛成でございます。

気になる人はぜひ自分の星座をサイトをチェックしてみてください。週報もあるでよ。

さて巷は「おせちもいいけどカレーもね!」なんですが、こちらカレーばかり食べており、いつもは好きでないおせち料理が恋しい気もしてきます。人間はいつも無いものねだり。暑いのであまりお正月な気分になりにくいのですが、クリスマスからトゥラシマタが来印していたので、なんとか頑張って気分を盛り上げてみてます。

ちょっと、この10日間を写真で振り返ってみましょう。


七夕!
・・・ではなく、クリスマスツリーなんですけど~、やっぱり変じゃないすか?


ゴパールサンタ現る!ほとんど銀行強盗。


 サンタの手下トナカイはナイフを持っており危険でございます。


 明くる年、めでたいかな新年。ココナツの殻にお汁粉作りましたー!
私痩せたなー。



がんばれ日本!本年も宜しくお願いいたします。

平成25年 1月
Sita

2012年12月16日日曜日

ティーチャー・アヌープ参上!

ノッてるうちに、立て続けに更新!

このブログの読者の皆さんは、アヌープをご存知でしょう。

この夏も、日本とタイのワークショップやリトリートをさせていただきましたが、ヨーガを通して皆さんから頂戴したお金の一部を使って、11月、我らがアヌープ君をSivananda Yoga Vidya Peethamの参加してもらいました。

私が一人で勝手に作って勝手にやっている 「シータマ・ファウンデーション」=シータマ基金の初仕事でした。


おさらいですが、アヌープ君は18歳のときに貧しい子供たちのために学校をつくってしまった青年です。自身も一度も教育を受けていません。英語もヒンディー語も、書き方を習っていませんし、歌の歌い方、なんてのも習ったことがありません。一見、普通の20代前半の男の子なんですよ。

でも、これはスワミジにも話したんだけど、アヌープに2度目にあったとき、これは神様が私の前にあらわれたー!と思ったのね。これは神様にサーブしないと!でシータマ基金を考え付いたのです。彼の学校に寄付するのとは別の話として、彼のためにお金を使うのが良いのではないかと。なぜなら彼が世の中に良いことをすることが出来る人間だからです。

 なにはともあれ、かのトレーニングコースは、彼にとっては始めてのスクールライフとなりました。週末に二人でお寺にお参りに行った折のこと。

アヌープ 「シータマタジ。ありがとう。いま本当に楽しい、私、時々、泣いちゃうの」
シータ 「なんで楽しいのに泣いちゃうの?」
アヌープ 「もし自分が8歳とか、10歳とかの時に学校に行けていたらきっと楽しかったろうな・・・と思うと可哀想になっちゃうの。」

そんなこと言われたら私が泣いちゃうよ。


大変なことも沢山あったけど、いつもニコニコ笑って、周りの人を励まし、逆立ちが出来たら「やった、やったー」と満面の笑みで喜ぶアヌープは、私には、やっぱり神様にしか見えない。

面白かったのは、私の友達のあかねちゃんとアヌープのコンビネーション。

「アカチンさ、オレはもう疲れちゃったよ、全然わかんない。」
「アヌープ、あたしはもう頭がパンパカパンだよー。無理・・・(顔面蒼白)。」
「アカチン、ガンバロウ。全部覚えるのは無理かも知れないけど出来るところまでガンバロウ!」

中学生男子みたいなふたりの日常会話が面白かった。アカチンていうネーミングが、すごく日本ぽい。

あとアヌプの音痴(リズム音痴も含む)も微笑ましかったです。

アヌープはブッダガヤに帰ってすぐ、学校の子供たちに教え始めました。まだ2週間くらいしか経ってないけど、もう10人位の子供たちが頭立ちが出来るようになったそうです。

見よ!このうれしそうなアヌープ!


子供たちも元気でなによりです。


 アヌープの作った学校の支援をする日本のNPOが無事申請を通って設立されました。ご寄付などの方法についても、近々シェアさせていただこうと思います。

村の人にやっかみを買って、学校のトイレを壊されたときのことを熱く語っていたアヌープ。

「それで、あーして、こーして、こうなって、車で駆けつけたら、村の人がトイレをハンマーで壊してて、私、興奮して、車降りて走っていって、おじさんのことぶっちゃったよ!」



「おいおい、ぶっちゃだめでしょ、ぶっちゃ」・・・というのが私の役目かな。みなさん、引き続き、我らがアヌープを応援してくださいね。




ちなみに、シータマファウンデーションの将来の展望はですね、

1.ウッタラカシ(インド)に何人か住んでヨガもできる庵を建てる。
  Swami Govindananda先生に住んでもらう。

2.日本にヒンディー寺院を建てる。
  やっぱり場所は葛西でしょうか?

3.ワダッパウ(これ美味しいのよー)スタンドをつくる。
  ワダッパウ一個200円、チャイ200円・・・いや300円か?

Hari om.

Sita