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2017年8月27日日曜日

共感するお言葉シリーズ ①



今や、田中泯さんという舞踏家をご存知の方は、沢山いらっしゃるのではないでしょうか。

泯さんがお弟子さん達と共に活動する場所(身体気象農場といいました)に、親友が昔入門していまして、蚊取り線香届けついでに、私も少しの間、滞在してお手伝いさせていただいたことがあります。その時に描いた公演の看板が「私は土から生まれた」という演目だったので年表調べてみたら、1996年のことだということが、判明。20世紀だったか・・・。

その田中泯さんが、阿川佐和子さんとテレビで対談していたので、すかさずネットでチェックしましたよ。あれ、泯さんて、こんな方だったっけ?この熟味というか、まろみというか、うーん、20年の月日が経ったんだなあ。


面白い30分でした。いろいろとツボなお言葉あったのだけれども、

「それは喜びですか、悲しみですか?」という問いに対する返答に共感。

「どっちとも言えないですね。僕は、あんまり、歓びとか悲しみとか怒りとか何とかとか、言葉のレベルをビシッと決めたくないんです。嬉しいことと悲しいことの間には、ず~っと、あるじゃないですか。」


いやー、まさに今年、私はこのことを思っていた。

泯さんは、あまりトークが得意なタイプではないんだろうな、という感じがするんだけど、でも、やけにシミジミと伝わりました。

グラデーションなんだよね。

それでさ、子供の時って感情に名前つけなかった。
こういうグラデーション全体の中で生きてたな・・・・って。

カテゴライズを覚えて、やがてカテゴライズ無しに生きるのが不安になるのは、一体ぜんたい何歳からなんだろうね。

「例えば文字文化を持たない人達の踊りはすごい。文字を持ってからの踊りって、どこかで文字の翻訳みたいになっていく。」というようなことを仰っているんだけど、ほんとにそうだよね。

言葉は、考えを整理する為の素晴らしい道具であると同時に、本来無限であるはずの世界を制限する枷にもなるんだ。

花に、星に、思いに、名前を付けるってことは、そういうことだ。

ミイラ取りがミイラ。捉われるよね。



それからカッコよかったのがお金の話。


ダンスビジネスに関係するパフォーマンスは全体の一割みたいな話の時。

阿「でも生活はありますでしょ?」

泯「死ぬわけじゃないから~(笑)。正直言って金より俺のが偉いです。」

スタッフから笑い声

阿「失礼しました(笑)。」

いや、まじでそうでしょ。

私も思ってるさ。金より私のが偉いです。


聞き手の阿川佐和子も、うまいね。


・・・てことで、共感シリーズ②に続く。

またね



2016年5月26日木曜日

2016年 ダライ・ラマ法王の来日講演



この5月は、ダライ・ラマ法王14世猊下の講演がライブ中継されましたね。

実際に大阪の会場に行かれた方も、ハイテクの賜物であるライブ中継をご覧になられた方もいらっしゃったことでしょう。私も初日に中継で拝聴しました。


パソコンを立ち上げると、臨機応変で流暢な、素晴らしい通訳が聞こえてきまして、「あ〜、できれば猊下の言葉を直接英語で聞きたかったなあ〜」なんて思ってたら、通訳越しに聞こえてくるのは、耳慣れない言語。

むむ・・なんじゃこりゃ・・・チベット語?

おおー、チベット語の通訳だなんて!すごい!

閑話休題。


今回、一連の講話は、入菩薩行論の解説ということでしたが、最初のクラスは、そのプロローグという感じで、そのテキストに無知な私にも理解できるお話でした。

すっごく簡単にまとめてしまうとですね、

「信仰の形にはいろいろあるが、(例えば仏教徒であったら)ただお念仏を唱えたり、阿弥陀菩薩の名前を繰り返しているだけでは、仏の教えを真に理解しているとは言えない。これは他の宗教にしても同じです。」


というようなことをお話されていました。


まあ信仰ですとか、修行ですとか、いろいろな形式があるわけです。なにかしらの経文を唱えるとか、日本だったらお詣りするとか、韓国のパクさんのお寺では、観音様のお経にあわせて、スクワットして床に額づく礼拝の所作を繰り返すのを見ました。滝行とかもそうなのかしら。

インドだと広大な寺だとか山(それらをご神体として)の周りをひたすら歩いたり、寝転んでゴロゴロ転がりながら何周も回る(いや、まじなんです、これが!)なんてのもある。

こういった利己行(?)は、自己の怠惰を一蹴したり、生活を律する為に非常に有効で、しかも実は簡単なことではありません。

しかし今回法王は

「形式も大切だけれども、それはあくまでも形骸であって、信仰の道においては初歩である。では、独りよがりの信仰を脱却するには、または真に理解した者とは、どうあるべきか?」

という、より突っ込んだお話をされていました。これは、会場の聴衆を「初歩の人」ではないとみなしてのことでしょう。


数年前に、法王がヴァルカラを訪問された時のお話(聴衆の多くはヒンドゥーの出家者達でした)と同様に、

利他行しなさい。人に繋がって伝えなさい。社会に奉仕し生きる見本となりなさい。

というようなことを徹底して強調されているように思えました。

以前ブログに引用した名言集にもありますが、

「あなたの知識を分け与えなさい。そうすれば人に死などないのです。」

ということですよ。



一億総引き篭もり時代(ごめん、作った!笑)は言い過ぎでも、個人の趣向も尊重され、バーチャル傾向が強い社会ですから・・・っていうか、私自身がこっそりひっそり、誰にも関わらずに生きて行けたらどんなに楽だろう・・・と強く思う人間ですから、法王になにげにお説教をされているような、まいどそんな気がしております。


「書を捨てよ町へ出よう」(寺山修司)じゃないけれど、経を捨てよ・・・あ、捨てなくていいか、「経を胸に町へ出よう」ですね。


そんな素晴らしい先生、ダライ・ラマ14世の素敵なお姿を皆さんにもシェアせねば。NEVERまとめ の記事よりお写真拝借しました。


大地をその御足で踏みしめる法王の、真理と愛に満ちた生き様に、本当に憧れます。














2014年8月26日火曜日

ダライラマ14世の名言集。

再び閑話休題。親愛なる生徒さん達へ。

ダライラマのお言葉の話が出ましたので、彼の名言集です。名言サイトから拝借してコチラに紹介しますね。

「一年に一度は、これまであなたが行ったことの無い場所に行くようにしなさい。」

なんて素敵な言葉でしょう。お互いとお互いのバックグラウンドを「知る」ということは「友愛」への第一歩だと思います。私は今年初めて、アラブのモスクを訪れて、その祈りの場が大好きになりました。イスラムへの心の距離が消えました。

私と、まだ見ぬその人たちとは、別個のものじゃない、ってことが分かったからです。

「あなたの知識を分け与えなさい。そうすれば人に死などないのです。」

そうね。

「死」の意味を、そして本当の「生」の、「私」の、意味を伝えるのが私たち先生と呼ばれる者たちの仕事です。


どんな大きな流れも、
きっかけは一人の小さな行動から
生まれます。
もしあなたが
「自分には大したことなど出来ない」
と思ってしまったら、
それは世界にとって
大きな損失となるのです。
何事かに九回失敗したとしても、
それでも、
九回の結果を生んだではないか。
他人の何千もの
欠点に目をつけるより、
自分の唯一の欠点に気付くほうが、
よほど役に立ちます。
自分の欠点なら、
わたしたちは自信をもって、
修正できる立場にあるのですから。
自分に親切でなくては、
他人にそうあることはできません。
他人に愛情と優しさを感じ、
彼らが幸福で苦しまないことを望むには、
同じことをまず
自分自身に願わねばなりません。
真の幸せは、
心の平安と充足感から
生まれるものであり、
それは愛他主義、
愛情と慈悲心を培い、
そして怒り、自己本位、
貪欲といったものを、
次々と根絶してゆくことによって、
獲得できるものです。
わたしたち人間には、
愛や思いやりを
称えられる能力があります。
このささやかな能力こそ、
人間のもっとも大切な
天分だとわたしは思うのです。
大きくなるにつれて、
愛情、友情、
助けあいということに、
あまり重きを置かなくなります。
人種、宗教、国籍といったことが
大切になってくるのです。
もっとも大切なことを忘れ、
どうでもいいことに
重きを置くようになります。
哲学にはいろいろありますが、
基本的に重要なのは、
思いやり、他人への愛、
他人の苦しみの気遣い、
そして身勝手さの排除なのです。
思いやりの気持ちは、
この世でもっとも重要なものであり、
人間のみが持つことができるものです。
優しい心や温かい心を備えていれば、
幸せで、満ち足りた状態になれる。
そして、友人たちも友好的で
平和な雰囲気を味わえることでしょう。
これは国籍・文化・宗教に関係なく
言えることです。
1年に1度は、
これまであなたが
行ったことのない場所に、
行くようにしなさい。
あなたが欲しいものを
得られないということは、
時として素晴らしい
幸運の巡り合わせであることを、
忘れてはいけません。
沈黙は時として
最高の答えになる、
ということを忘れないように。
あなたが勝利を
得ることが出来なくても、
そこから学んだことまで
捨てる必要はないのです。
幸福は思いやりの心から
生まれるものであって、
怒りや憎しみからは
決して生まれることはないのです。
自分のことしか考えない人は、
苦しみのうちに人生を終えます。
誰もが生まれつきの敵であったり、
友であったわけではありません。
「敵」も「友」も、
自分が人々とどう接するかで
生まれるのです。
自分には出来ないなど考えていたら、
どんなことだろうと
達成することはないでしょう。
自分には出来ないという考えこそが、
自分を失敗へ導いてしまうのです。
欲望は、
海水を飲むことに似ています。
飲めば飲むだけ、
喉が渇くのです。
心は、水のようなものです。
嵐で乱れれば、
底の泥が浮き上がって水は濁ります。
しかし、水の本質は
汚いものではないのです。

あなたを傷つける人に出会ったら、
忍耐や寛容を覚える
チャンスだと思いなさい。
もし人間の本性が
憎しみや人を殺すことにあったのなら、
人類はすでに滅亡しているはずです。
あなたの知識を分け与えなさい、
そうすれば人に死などないのです。
私の哲学とは、
「愛」なのです。
新しいルールを作るためには、
今のルールを学ばなければなりません。
愛情とは
他人が幸せになることを、
願う気持ちなのです。
私たちはこの世界において
皆で協力して生きています。
だから、どれだけ他人の役に立てるかを、
人生の目標に
もってこなくてはなりません。
他人を傷つけたり、
邪魔をするなどはもってのほかです。
(宗教の共存について聞かれて)
一輪でも花は美しい。
でも、花束はもっと美しいでしょう?
私たちの苦しみのほとんどは、
私たちが頭の中で
生み出しているに過ぎません。
あなたが成功を得るために
諦めたもの。
これがあなたの成功の価値を
示してくれます。
家庭の暖かさは、
あなたの暮らしの基盤となります。
最高の人間関係とは、
お互いを必要とする気持ちよりも、
お互いを愛する気持ちのほうが、
上回っているものであることを、
忘れないようにしなさい。
変化を恐れない気持ちは大切ですが、
自分の価値観を失ってはいけません。
良き人生を生きなさい。
そうすれば振り返えるたびに、
幸福を感じることが出来ます。
あなたが間違いを犯してしまったのなら、
即座にその間違いを正しなさい。
苦しみがこの世にあることによって、
私たちは喜びを
感じることが出来るのです。
宗教が争いの種になるなど、
あってはならない事なのです。
どれほど崇高な目標があったとしても、
極端な努力をしてしまうと、
続かなくなります。

自分が何も理解してないことを、
理解し始めたときから、
人の成長は始まるのです。
自分のしたいことが、
知らず知らずの内に
人の役にたっている形になるまで、
修行を積む必要があります。
腕と足は
違う役割のものです。
しかし、足に不具合が生じれば、
自然と手がその役割を補うものです。
同じように、
この社会のどこかで不具合が生じたら、
私たちは助けにいかなければなりません。
なぜなら、私たちは
皆で一つの命を生きている存在だからです。

2013年6月15日土曜日

マートゥルパンチャカム

帰国後いろいろ頑張り過ぎたか、疲れが出て、昨日は一日、ぐったりしていました。

うーん。生活のペースを掴むのって難しいですね。


さて、最近クラスでシャンカラさんのお話をしたので、アディ・シャンカラ先生について興味津々な皆様へ。


父の日なのに、なぜか母への詩をおひとつ。

シャンカラーチャーリヤが母の死の床に駆けつけた折に送った詩、マートゥルパンチャカムです。この話をスワミT(Swami Tattvarupananda )が聞かせてくれたときに、その熱い語り口にジーンときちゃいまして、その後ブッダガヤのゲストハウスのベッドの上で、熱にうなされながらこれを訳していたんですな。

熱があるなら寝てろって話なんだけど、何日も具合悪くてどこにも行けず、暇だったんだのよさー。多少意訳してますので原文と語順や行の順が逆転している部分が多々有る筈ですが、あしからず。



お母さんへの五つの詩編

私を産んでくれたとき、歯を食いしばってお産の苦しみに耐えてくれました。
一年もの間、私の汚す寝床で一緒に眠ってくれました。
痛ましく身体を細らせて、9ヶ月の間、私をお腹に宿してくれた
愛しいお母さん。
たとえ私が、どんなに立派な人間になったとしても
あなたの払った全ての忍耐に、何をもってもお返しのしようがありません。

グルの家にて、オレンジ色の衣に身を包み、出家を急ぐ私を
あなたはその理想と涙を押し殺し、毅然として受け止めて
抱きしめて下さいましたね。
グルも他の生徒達もみな、あなたと共に涙していました。
あなたの足元にこの身を投げ出し額ずく他に
私には出来ることがありません。

お産の痛みの中で泣き叫ぶお母さん
「おかあさん!おとうさん!おおシヴァよ、クリシュナよ!
おおゴーヴィンダ、ハリ、ムクンダよ!」
その痛みの代償に、私はただ頭を下げることしか出来ないのです。

あなたの死の床に遅れて参上した私は
あなたの死に水を取ることも出来ず
あなたの死の旅支度も供養することも出来ず、
あなたの耳にラーマの名を唱えることすら出来ませんでした。
おお、聖なる母よ、これらの私の失態の数々を
どうぞあなたのお慈悲によってお許し下さい。

「ぼうや、長生きするんだよ。
私の真珠、私の宝石、私の可愛い二つのお目めちゃん。
私の愛しい素敵な王子様!」
幼い日、あなたはそう歌ってくれましたね。
しかし私はそのお返しに、ほんの少しの干し飯しか
あなたに差し上げることが出来ないのです。



シャンカラは子供に恵まれなかった夫婦がやっと授かった一人っ子で、しかも早くして父を亡くしてしまい、母子家庭だったんですね。さぞお母さんに大事にされていたことか。それでもって幼少期に出家してグルの門下に入ってしまうのですが、お母さんのこと、大、大、大好きだったんだと思うんです。

どんな偉大な聖者にとっても母は偉大なり。

父も偉大なりです。

2012年9月8日土曜日

Sat Cit Ananda


今日はスペシャルデイ。1887年の今日(かどうかは不確かだが・・・・基本インドが太陽暦じゃない為・・・)スワーミ・シヴァーナンダ先生の生まれた日です。グルデーヴ・シヴァーナンダはいつも私とともにあり、いつもギロッと見張ってくれ、悲しい時には「大丈夫だ」と包んでくれ、負けそうな時には叱咤激励してくれる。あなたの支えの中、私はダルマに生きるのです。

今頃、リシケシのアーシュラムではプージャが行われているのかも知れないね。
グルデーヴは遍満している。



「愛と慈しみに満ちた尊き存在よ
 あなたに礼拝し、平伏いたします。

 普く世界に満ちる、全知全能のサッチダーナンダ
 存在、智識、完全なる至福であられるあなた
 生きとし生ける全てのいのちの本質よ。

 どうか私達の魂が、正しい理解と偏りの無い見方
 調和のとれた心と、献身、智慧で満たされますように
 心を統制し、誘惑に打ち克つ強さをお与え下さい。

 私達を、我執、欲望、怒り、貪り、憎しみと、妬みから解放して下さい。
 私達の胸を、その神聖さで満たして下さい。

 全ての名前と形の中に、あなたを見いだせますように。
 全ての名前と形の中の、あなたに仕えることができますように。

 常にあなたを覚え、その栄光を讃えられますように。
 この唇に、あなたの御名を唱えさせて下さい。
 いつもいつも私達があなたの内にとどまって居られますように。」



グルデーヴ、あなたの綴った祈りの言葉を、そのままあなたに捧げます。
今まで翻訳した中で、いまのところベストな訳かな・・。
まだまだ精進します。

あなたの子より


2012年3月9日金曜日

NYの小さな会社の、心打たれるメッセージ。

大分昔に、東京でクラスに来てくれていたKumari Kanakoちゃんのブログ(最近、なぜに更新がのんびりなの~?)。そこにとても良いことが書いてあったので、シェアさせてもらいます。

 実は、自分の周辺・・・って訳でもないか・・・、自分の大切な人たちの周りで、起こっているちょっとした(・・・全然ちょっとしてないか!)混乱がありまして、陰ながらだけど、私は、こんなことくらいしか出来ないからさ。・・・というか、私に誰かにしてあげられることなんて、本当は無いんだよね。出来ることは、自分が輝いて幸せに生きることしかない。その姿をさらしていくことしか。だから、これは自分の為のシェアなのかも・・・。

 愛する友よ。以下、読んでちょうだい!
 ネタ元はここ→http://www.sircus.tv/2012/02/ny.html。

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 NYに「持続可能性、地球に優しい」をモットーに、より良いデザインの服や小物を作って販売する『HOLSTEE』という会社があります。彼らは起業するにあたり、最初に「事業計画」を書くかわりに、下記のマニフェストを書いたそうです。そして、その内容には心打たれるものがあります。シンプルだけど力強いメッセージです。なにかに行き詰まったり、落ち込んだり、新しい事を始めたいときや、モチベーションを上げたいとき、非常に勇気付けられる言葉です。ひとりになってじっくり読んでみてください。

これはあなたの人生です。
自分が好きなことをやりなさい。
そして、たくさんやりなさい。
何か気に入らないことがあれば、それを変えなさい。
今の仕事が気に入らなければ、やめなさい。
時間が足りないのなら、テレビを見るのをやめなさい。
人生をかけて愛する人を探しているのなら、それもやめなさい。
その人は、あなたが自分の好きなことを始めたときにあらわれます。
考えすぎるのをやめなさい。
人生はシンプルです。
すべての感情は美しい。食事を、ひと口ひと口を味わいなさい。
新しい事や人々との出会いに、心を、腕を、そしてハートを開きなさい。
私たちは、それぞれの違いで結びついているのです。
自分のまわりの人々に、何に情熱を傾けているかを聞きなさい。
そして、その人たちにあなた自身の夢も語りなさい。
たくさん旅をしなさい。
道に迷うことで、新しい自分を発見するでしょう。
ときにチャンスは一度だけしか訪れません。しっかりつかみなさい。
人生とは、あなたが出会う人々であり、その人たちとあなたが作り出すもの。
だから、待っていないで何か作ることをはじめなさい。
人生は短い。
情熱を身にまとい、自分の夢を生きよう。

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そう、Life is short. Go for it!

でしょ?

2011年8月26日金曜日

これだーれだ?



 答えは、近代インドの父、ガンジーの若い頃でした。イケメンではないか!

 昔見た映画「ガンジー」が見たくなったので見ました。

 DVDというものが出来てから、特典映像が楽しめるのが良いところで、まず、主演のベン・キングスレーが、(インド人と英国人のハーフということですが)脂ののったイギリス人の普通のオッサンなのにびっくり。舞台役者にありがちな、ギラッとした英国紳士です。しかし、ものすごい役作り。ダイエットと日焼けサロンとモノマネだって。

それから、「ガンジー語録」ね。

Strength does not come from physical capacity. It comes from an indomitable will.
力は肉体的能力から来るものではない。それは不屈の意思から湧き出るものだ・・・と力強い言葉。

satisfaction lies in the effort, not in the attainment.
満足は努力の中にあるのであって、結果にあるのではない・・・などなど。



劇中の台詞も面白かった。ニコニコしながら、すごい正論を吐くのが痛快。

「インドは英国だ。外国では無い。」

と主張するイギリスの偉い人に

「あなたたちは他人の家の家主になっている。」

とガンディージが言うんだけど

偉い人は、まあその通りなので、言葉に詰まってしまう場面とかね。

 

 よそ様のものを力づくで自分のものにしたがる傾向というのは、それが偉大な西洋文化を築いた原動力でもあるので、なんとも言いがたいのですが、個人的にはあまり感心できませんね。


 1947年。そんなに昔ではないので、今なおインド人にとって、インディペンデンス・デイは大きな意味がある日と思います。ガンディージは、ムスリムとヒンディーと諸々の他宗教と、それぞれお互いの妥協点をもって=譲り合いの心をもったインドを取り戻したかったけれど、ムスリム側が俺ら妥協はいやだよ!と主張したことで、独立と同時に、マハーバーラタは東西パキスタンとインドに分かれることになりました。さぞ心残りだったと思います。

 さらに1971年、パキスタンからバングラディシュが独立します。アラブのあたりから、ミャンマーくらいまで、でかい国だったらしいですよ、マハーバーラタ。近代インド周辺史の第一歩として、見ておくと良い映画かも知れませんね。もっとも貧しい国の一つであるバングラディシュの今後の経済成長が、今、最も注目されているようです。

 
「暴力は西洋の持つ不幸だ。それを輸入するのは進歩ではない」

 ガンディージの誕生日は、国連の国際非暴力デーで、私の誕生日はこの翌日なので、インドの人には良く覚えていただけます。


 日曜日のキールタンではガンディージのメッセージの歌も歌おうかな。

2011年7月27日水曜日

雨ニモ負ケズ


有名な賢治の遺作メモを、なんとなく散文調に直してみました。

・・・というのも、前に岩手県に足を踏み入れたのは、花巻市の宮沢賢治記念館を訪れた時だった・・・と思い出したから。18歳でした。



『雨にも負けず、風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けぬ、丈夫な体を持ち、慾は無く、決して瞋らず、いつも静かに笑っている。

 一日に玄米四合と、味噌と少しの野菜を食べ、あらゆる事を、自分を勘定に入れずに、よく見聞きし解かり、そして忘れず、野原の松の林の蔭の、小さな萱葺の小屋に居て、東に病気の子供あれば、行って看病してやり、西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い、南に死にそうな人あれば、行って怖がらなくてもいいと言い、北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろと言い、日照りの時は涙を流し、寒さの時はおろおろ歩き、皆に木偶の坊と呼ばれ、褒められもせず、苦にもされず・・・

そういう者に私はなりたい。』


ソウイウモノニ、ワタシモナリタイ。


「Ame nimo makezu~not losing to the rain」

not losing to the rain
not losing to the wind
not losing to the snow nor to summer's heat
with a strong body
unfettered by desire
never losing temper
cultivating a quiet joy
every day four bowls of brown rice
miso and some vegetables to eat
in everything
count yourself last and put others before you
watching and listening, and understanding
and never forgetting
in the shade of the woods of the pines of the fields
being in a little thatched hut
if there is a sick child to the east
going and nursing over them
if there is a tired mother to the west
going and shouldering her sheaf of rice
if there is someone near death to the south
going and saying there's no need to be afraid
if there is a quarrel or a lawsuit to the north
telling them to leave off with such waste
when there's drought, shedding tears of sympathy
when the summer's cold, wandering upset
called a nobody by everyone
without being praised
without being blamed
such a person
I want to become

~From Kenji Miyazawa(=Japanese poet)'s death note~

2010年4月26日月曜日

Amazing Grace


 この歌を歌っていると、なぜかいつも、胸がいっぱいになって、「ウッ!」とこみ上げるモノがあります。歌詞のせいです。「ゆみこさん・・・あなたまさか!」ちなみに、吐き気ではなく、涙ですよ、念のため。
.
 そういえば、Vedanta Campでもスワミジが仰ってましたね~。我々が神の恩寵=graceと呼んでいるモノも、全体の秩序の一部分であると・・・。主にpunya(良い報い)に関して、「神様の恩恵だわ!」と思う訳ですが、私たち日本人はまた「日頃の行いがいいから」「功徳だねえ」とも言います。 功徳という言葉は、行いと結果の両方を差しますが、punyaを訳す時にビンゴかも知れませんね。いやはや日本語というのは、便利ですよ、本当に。
 
 話が難しくなるけれど、カルマのネットワークというのは、一対一の単純論では語れない複雑なものです。だって、この地球だけとって見ても、どれだけ多くの生命体が、同じ時と場を共有しているか、瞭然。我々は「結果の原因となる行為」を自由意思で選ぶことは出来るけれど、「行為の結果」を選ぶことは出来ない、ということを理解しておかなければなりません。punyaもpapa(良くないと思える報い)も、結果としてはイーヴンなんだな・・・と思います。スワミジはこう仰っていましたよ。「人生に失敗という言葉は無い」。 全てがgraceであり、意味のあること。
                             .
 この歌は、一般的に「神が私に良い計らいをしてくれる」というニュアンスで、二元論的に理解されることが多いのですが、「盲目だったけど、今は見える」とか、「恐れもgrace、恐れからの解脱もgrace」という部分なんて、まさに一元論的な真理を突いているって思います。いつもいつも、泣けちゃうんですよね~。罪深き魂なんです・・・とほほ。私の思いと、私の言葉で訳してみました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                         ・

すばらしき恩寵。

なんと妙なる響き。
私のような罪深き魂を、救いあげてくれた。
世界に迷える私を見つけ出し
盲目の闇から、目覚めさせてくれた。


恐れを知ったこともまた恩寵であり、

恐れから解放してくれたのも恩寵。
その存在の顕れを知ることが、
私にとってどれだけ尊いことであったか・・・。
それはまた、私が、信じる強さ得たときでもありました。


これまでの人生に訪れた、多くの危険と苦悩、そして誘惑。
それらを乗り越えて、今ここにいる私を、
守り導いてくれたのも恩寵であり、
それはまた、私を、我が家へと導いてくれることでしょう。


どんな辛い出来事も、私にとっての最良の働きであることは、

あなたのなかに約束され

それはつまり、 私の希望は
なにものにも冒されないものであるということ。
この命の永らえる限り、
その存在は、私の盾となり、私そのものとなるでしょう。


この肉が、心が朽ち果て、

限りある命が終わる時
私は、よろこびと安らぎのヴェールの中へと還ります。


いつかは、この大地も、雪のように淡く消え去り、

太陽も、その輝きを失うことでしょう。
しかし、私に呼びかけるあなたと私自身は
永遠に分かたれることはありません。


人々が生きた幾千年ものあいだ、

日の光のようにまばゆいその存在を
私達は讃え、歌い続けてきました。
初めて歌われたときよりも、もっと高らかに。
そして、これからも絶えることなく。




『Amazin Grace』

Amazing grace! How sweet the sound!
That saved a wretch like me!
I once was lost, but now I am found;
Was blind, but now I see.

'Twas grace that taught my heart to fear,
And grace my fears relieved;
How precious did that grace appear!
The hour I first believed.

Through many dangers, toils and snares
I have already come
'Tis grace hath brought me safe thus far
And grace will lead me home


The Lord has promised good to me
His word my hope secures
He will my shield and portion be
As long as life endures


Yea, when this flesh and heart shall fail
and mortal life shall cease
I shall possess within the veil
A life of joy and peace


When we've been there ten thousand years
Bright shining as the sun
We've no less days to sing God's praise
Than when we've first begun
            


                ― Jhon Newton―

2010年2月15日月曜日

「わたしと、わたしの内なる神の・・・」

人は不合理、非論理、利己的です
気にすることなく、人を愛しなさい
あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
気にすることなく、善を行いなさい
目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなく、やり遂げなさい
善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく、し続けなさい
あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい
あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう
気にすることなく、作り続けなさい
助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく、助け続けなさい
あなたの最良のものを、世に与えなさい
蹴り返されるかもしれません
でも気にすることなく、最良のものを与え続けなさい
最後に振り返ると、あなたにもわかるはず
結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです
あなたと他の人の間であったことは一度もなかったのです

マザー・テレサ

2009年12月11日金曜日

「if 」

 成田エクスプレスの中で繰り広げられた、熱~いミーティングの最中。スワミ・マハデヴァナンダジがこう仰った。「んも~!キプリングの有名な詩でイフってのがあるから読みなさいっ!」

 「ジャングルブック」のラドヤード・キプリングのことです。ネット上ではあまり良い翻訳が見つからなかったので自分で訳してみました・・・ら、あ、これはヴェーダンタですね。・・・ということなので、みんなで読みましょう。


「もし」

:

もし、迷える人に謗られても、冷静を保つことが出来るなら

もし、人に疑われても、己を信じ、彼らを許せるのなら

もし、待つことが出来、しかも飽かずに待てるなら

あるいは 人に騙されたとて、自ら人を騙さずに

あるいは 誰かに憎まれたとて、人を憎み返さずに

しかも気取らず、賢者のふりをせぬのなら

:

もし、夢を見ることが出来つつも、夢に支配されぬなら

もし、考えることが出来つつも、それを目的とせぬのなら

もし、勝利も災難も、虚像と等しく扱えるなら

あるいは 悪意の者が、真実を捻じ曲げ

あるいは 人生を賭けた何かが、目の前で崩壊しても

身をかがめ 古い道具で 作り直すことが出来るなら

:

もし、過去の勝利の結晶を、賭けてコインを投げれるのなら

もし、負けて不平の一つも無しに、一からやり直せるのなら

もし、その心臓も、神経も、その腱さえも衰えて

あるいは 意志の力しか

あるいは 残っていないとしても

わずかな気力を振りしぼり 頑張ることが出来るなら

:

もし、その美徳を損なわず、群衆の中で語れるのなら

もし、民の心を失わず 王者と共にも歩めるのなら

もし、友であろうと無かろうと、誰によっても傷つけられず

もし、万人の中に価値を見出し、さりとて崇め過ぎもせず

もし、緊張に満ちた一分間を

あるいは 六十秒の長距離走のごとく

あるいは 捉えることが出来るなら

すべてを包括する世界は 君のものとなる

我が子よ そのとき 君は大人なのだ

:

:

「If」

If you can keep your head when all about you

Are losing theirs and blaming it on you;

If you can trust yourself when all men doubt you,

But make allowance for their doubting too;

If you can wait and not be tired by waiting,

Or being lied about, don't deal in lies,

Or being hated, don't give way to hating,

And yet don't look too good, nor talk too wise;

:

If you can dream -- and not make dreams your master;

If you can think -- and not make thoughts your aim;

If you can meet with Triumph and Disaster

And treat those two imposters just the same;

If you can bear to hear the truth you've spoken

Twisted by knaves to make a trap for fools,

Or watch the things you gave your life to, broken,

And stoop and build 'em up with worn-out tools;

:

If you can make one heap of all your winnings

And risk it on one turn of pitch-and-toss,

And lose, and start again at your beginnings

And never breathe a word about your loss;

If you can force your heart and nerve and sinew

To serve your turn long after they are gone,

And so hold on when there is nothing in you

Except the Will which says to them: "Hold on!"

:

If you can talk with crowds and keep your virtue,

Or walk with kings -- nor lose the common touch,

If neither foes nor loving friends can hurt you,

If all men count with you, but none too much;

If you can fill the unforgiving minute

With sixty seconds' worth of distance run --

Yours is the Earth and everything that's in it,

And -- which is more -- you'll be a Man, my son!

            ‐Joseph Rudyard Kipling


大人のハードルってなかなか高いんですよね。

大人に、なれてるかな?

2009年11月8日日曜日

My Dear Child,


Swami Sivananda Gurudevの高弟の一人である偉大な師 Swami Chidananda ji (右から二番目、ちなみに左から二番目がSwami Krishnananda ji だと思いますが・・)の書かれた、若者向けの本の序文が美しく、心を弱くしたとき、揺るぎそうになったとき、折に触れ目を通すごとに、支えとなってくれます。私の最初の、そして永遠の師である友永淳子先生の名訳でご紹介しましょう。 (「ヨーガ 幸福への12の鍵」東方出版 スワミ・チダナンダ著、友永淳子訳)
Hari Om Tat Sat,
Sita

「親愛なる子供たちへ」
あなたは今、10代。覚えておいてください、何歳であろうと、どのような状況の中にいようと、あなたは神の神聖な子供であるということを。ですからどんな時も、思い、言葉、行動において神聖であってください。強くあってください。真実に対して勇敢であってください。あなた自身であることに、ゆるぎない勇気を持っていてください。弱気になって他人の真似をしようとしてはなりません。精神的に強く勇敢であってください。そして、あなたが正しいと思うなら、他の人々の意見が違うとしても恐れてはなりません。
  川に浮かんだまま流れて行くのは易しいことですが、流れに逆らって泳ぐには勇気が必要です。神聖であるとはそういうことなのです。言い換えれば、AさんやBさん、......Zさんが最近どんな風にしているかといったことに巻き込まれず、有るがままの自分で居る勇気を持つということです。誰にも依存せず、独創的であってください。いつでも、どんな時でも、どんな状況の下でも、どんな人々の中に居ても、そうあってほしい。それが私の願いです。頭と肩は体の中で一番高い所に置かれています。しかし、いばったり他を見下したりはしません。ただ謙虚で力強くそこに在るのです。
  あなたは尊敬されるようになるでしょう。過去25年間、10代の若者は混乱に陥っていました。あなたが新しい道を示すことで、その人たちを混乱から導き出し助けることができるでしょう。あなたに神の恵みがありますように。そして、光のように輝きますように。
  優れた学生であってください。分別の有る息子や娘であってください。理想的な人間でありますように。また善良で、高潔で、美しいものすべてを真に愛する者であってください。
  簡素な生活を送り、高潔な思想を持ってください。神聖さを感じとり、理想的な行動をとってください。どんな小さなことにも完全であってください。そうすれば、偉大な栄光に満ちた人生となるでしょう。なぜなら、あなたの人生は一日一日の積み重ねで出来ているものだからです。あなたの一日を、配慮して過ごされますように。                                                  Swami Chidananda