2021年12月31日金曜日

Yoga ~知識と暮らしのリトリート~番外編「やんばるの森のヨーガリトリート」2022年4月1日(金)~4日(月)



こんにちは。皆様お元気ですか?

本日はタイリトリートの再開をお待ちくださっている皆さまへお知らせです。

コロナウィルスの出現以来、ホシハナヴィレッジ(利用することで孤児たちのホームであるバーンロムサイをサポートします)での恒例の合宿をお休みしています。

2021年は本来10周年の特別回のはずでした。
ホームの子供達を招待出来るように、色々なイベントを考えていたんですよね・・・。

でも、私はフェイドアウトはしない。
おろちだから。
必ずや10回目まで漕ぎつけますから待ってて。

さて、年も明けまして2022年。
今年もやはり開催は難しいのだと思っています。

しかし、国境を超えない場所で、小規模な番外編を行うことにしました。

激動の二年間を駆け抜けてきた皆さんが、無理にでも立ち止まって目を閉じる時間を作れたらいいな、と。

必要な方が、辿り着いて下さったら、嬉しいです。

通常タイでの合宿は、心身の習慣の改善を目的として10日間前後の長丁場です。
その為、長くお休みを取れる方だけにご参加いただいていましたが、番外編は短期。

タイ北部と気候が似ていて、全国各地から直行便のある沖縄本島を選びました。

こういうことでもなければ訪れる機会のないであろう森の中ですが、ここ、実は世界自然遺産なんですよ。

ちなにみ初日の4月1日は新月にあたります。
星の数を思うと今から身震い。

また、特別イベントとして、情熱大陸で紹介された森岡農園さん(やんばる野草酵素シロップのふるさと)に野草のワークショップをお願いしています。





タイリトリートにも負けないお土産企画も抜かりなく。

また、ホシハナヴィレッジの美味しい菜食メニューをみんなで再現出来たらいいなと、目論んでいます。


沖縄では旧暦の2~3月頃、梅雨入り前の新緑の時期を「うりずん」と呼ぶそうです。
島の人たちが愛する‟うりずん”のやんばるに ‟めんそーれ”!

詳細は写真の後にございますので、ご確認ください。


ロケハンに行ってきました。12月なのにこの空の青さ!


宿泊するお部屋へはせせらぎを渡って。


森の中の陽の当たるガーデン


ブランコ


南国感ありますね。亜熱帯の植生。


宿泊予定の森の中の古民家


古民家の洋室


古民家の和室


森の中のコテージは男性の方も泊まれるように貸切可能とします。


森の中のせせらぎの傍でアーサナも可能ですね。


周辺に商業施設はありません。あしからず。


でも、お籠り場所としては究極かも。


【やんばるの森のヨーガリトリート】
日程:2022年4月1~4日(三泊四日)
会場:沖縄県国頭郡東村
参加費:65000円(先着一棟コテージ2名貸切の場合は+5000円、3名以上の場合は追加料金無し)
最少催行人数:2名
最大定員:7名
お申込&お問合せ:sivanandakendram@gmail.com またはfacebook
お申込〆切:3月25日(金)※26日以降のキャンセルには宿の規定に沿って料金が発生します。

※相部屋のため、男性のご参加は、ご夫婦やグループでコテージを貸切っていただける場合に限らせていただきます。
※迷惑メールとして認識され不達となるケースが多く発生しています。3日以内に返信が届かない場合はfacebookからメッセージをお願いします。
※現地集合です。交通手段についてはお申込時にお伝えします。
※料金に含まれるもの→宿泊、一日二回の食事、アーサナ他クラス&ワークショップ。

内容:アーサナ、プラーナーヤーマ、瞑想、講義、キールタン、料理実践、その他ワークショップetc. 詳細についてはお問合せ下さい。

僕シロハラクイナに会いに来てね!







 

2021年12月12日日曜日

グループチャンティング 12月24日(金)20:30 Lalitasahasaranamastotram with Swami Nivedanananda ji



12月。

私の住む小さな街のあちらこちらが、意外にもノエル仕様に飾られています。
意外にも「電気を無駄に消費して!ケッ!」とかは思わないのです。

背景に「明るい幸せな時間を過ごしたいね☆彡」という人間のささやかな願いがあって、わざわざそこに電飾が施されるわけで、その人間の慎ましやかな願いを、小さな電球の数々の煌めきが代弁しているようで、それがキレイ。

なんかいいなあって思う。

「街を明るく飾って購買意欲を駆り立てて、バーゲン商戦を盛り上げよう!」という大義名分があるのかも知れないけど、それとて、やはり背景には、命の数だけ「幸せ」を思う慎ましい願いが存在してるんだもん。

みんなに幸せがあるといいね。もちろん私も含めて、みんな。


ということで聖夜のひととき、インドにおられるスワミジとご一緒しましょう。

今月は24日(金)クリスマスイブです。

日本時間の夜8時半。仕事をすべて片付けて、入浴も済ませて、静かな気持ちで座っていただくとよろしいと思います。場所的に声を出すのは難しい場合は、静かにスワミジのお声に耳を傾けて瞑想して下さいね。

スワミジと私

トピック: Lalitasahasranama Stotram Chanting with Swami Nivedanananda Ji
時間: 2021年12月24日(金)08:30 PM 大阪、札幌、東京
ミーティングID: 824 9321 0346
パスコード: 108108


※通信上の問題が発生した場合には、中止または延期になる場合がございますので、ご了承下さい。

※お手元に「Lalitasahasranamastotram」の本が無い方は、WEB上にPDFをダウンロードできるサイトがいくつかあります。(例:サンスクリット版英字音訳版
※入室時にパスコードの入力でミスがあると、誤ったコードをブラウザやアプリが記録してしまう場合があります。何度入力しても繋がらない場合は、アプリやブラウザを再起動して再トライすると良いと思います。
※音声の伝達速度にバラつきが生じるため、スワミジ以外のマイクはミュートして、それぞれスワミジのお声に合わせてご自宅で詠唱します。

2021年11月23日火曜日

パタンジャリスートラについての一家言


ここに古くて巨大な塔がある。シンプルで原始的な外観だが、周囲の景観や空の広がりとの奇蹟的な調和していて、なんとも言えない神々しさを醸し出している。塔は、祖父のその祖父の時代にもあったというし、そのまた祖父の時代にもあったという。災害の多いこの土地で、倒れることなく存在し続けるその塔は、いつしか、土地に住む人々の心の平安と信仰の拠りどころとなっていった。

しかし、これがいつどうやって建てられたものか、具体的なことについては誰も知らない。地質学的な調査によれば、少なくとも三千年はそこに立っているそうだ。火山が近く地震が多発するこの場所で、このような直感的なデザインの建物が無傷で存在し続けていること自体が奇蹟であり、当然、建築家や学者など専門家たちの耳目が集った。

時は21世紀。X線、超音波など様々な技術で非破壊測定したデータを、コンピューターで立体的に解析、計算できるようになった。学者達は、この「子供の作った砂の城」のような塔が、実に緻密な繊細な構造によって、環境変化に機能的に対応しつつ三千年もの間変わらずに立ち続けていることを初めて知ることとなる。

・・・というのは、私が作ったウソの話、もといフィクションです。写真の塔もまったく無関係。綺麗なお寺ですね!


今日は、一般的な内容でなくてすみません。

俗にヨーガスートラと呼ばれるパタンジャリのヨーガダルシャナについて、思うところを記録しておこうかなと思います。


ヨーガダルシャナはその名がメジャーになったことで多くの人に誤って理解されている文献で、その誤解の種類は主に二つです。

①ヨーガダルシャナに出てくるサマーディは、ヴェーダーンタダルシャナのモークシャとイコールである・・・という理解。

②ヨーガダルシャナは「人生で目指す究極のゴールはサマーディと呼ばれる心の状態である」という説を論旨とし、「私とイーシュヴァラは別のもである」と主張している・・・という理解。


番外編としてもう一つ。

③ヨーガダルシャナは「ドラッグ体験と同等のサイケデリック体験」を述べたものという誤解。


③は「光」などの言葉を一般日常的な意味に解釈することにより起こる誤った解釈で、語るに及ばないので、置いとておくとして、①はきちんと勉強していない人による解説本や、ヨーガスタジオのTTCなどでそういった先生から教わることで発生する、最も一般的な誤解です。


②は有識者によるヴェーダーンタダルシャナの視点に寄せた言語解釈による誤解。

これは読み手がヴェーダーンタの寄りの着地をしたり、ヨーガダルシャナを題材にヴェーダーンタを着地点とする講話を聴いたりした場合に生まれる矛盾が発端かと思われます。


例えば、平面について議論がいつの間にか立体にすり替わってしまうと、ロジックが成立しません。


この「寄せた解釈」による論理の破綻は(③の荒唐無稽解釈もですが)、日本で手に入る訳文の多くに見つけることが出来ます。

「寄せた解釈」は第一章の3節に種を撒かれますが、大きく道を逸れる起点は同じく16節、36節といったところでしょうか。第一章でこのスタートを切ってしまうと、その後は完全に捻じれてしまいます。


ヨーガダルシャナは、「ある種の人」が持っている「揺れない心」を、「心」の立つ次元から観察しています。

大地震にも揺るがずに聳え続けるあの塔を、X線や超音波を使って構造学的に分析したように。

パタンジャリ先生の、凡人のレベルと完全にかけ離れたX線ばり超知性による解析です。


ここに一枚の色鮮やかな写真があるとしましょう。

Aさんの見ている写真は「様々な色が張り付いている平面の世界」。

しかし写真家のBさんにとってのそれは「無限の奥行の中を立体的に走る光の3D世界」です。二人は同じ写真を見ているけれど、実は見ている次元が違う。

「そこにあるのは光じゃなくて色だよ」とAさん。

でもBさんが見ているのは、写真をいっぱいに満たしている光だけなんですよね。


そもそも色とは何か。


すべての色の源である「光」の、一部の波長の反射が「色」です。

その視点からいくと、写真家の言うことは正しい。そこには光しかない。

でも写真家は「色は存在しない」とは言わない。

色が光であることを知らない私はただ色だけを楽しんでいて、写真家は光を知っていて光である色を楽しむ。


②は、「ヨーガダルシャナは光を否定するものだ」「『そこにあるのは色であって光ではない。光と色とは別ものだ!』と主張している」という解釈のことです。

が、ヨーガダルシャナは光の否定を意図するものではなく、光という全体に対して、色という部分視点から「光の構造」を説こうとする「色彩学」のようなものと言えるのではないでしょうか。

Aさんにとっては色だけが確かな真実だから、「光」の存在を実感として知らないけれど、Bさんは画角に入るものすべてを「光」として知っている。そして「色」の存在を否定しない。「光」が一時的な色として顕現していることを知っているからです。だから、そして、その色を自在に扱う。

・・・なんか、写真家ってすごく素敵な仕事ですね。

(ちなみにパタンジャリ先生がAさん側とは到底思えません。)

この例えにおける色の視点からの分析がヨーガダルシャナです。


敢えてヴェーダーンタ用語でいうと、アンタッカラナの構造学でしょうか。アンタッカラナとは「思いめぐらし考える機能」、すなわち「思考」という働きのことです。

「思考」という機能は、「想念」という対象物を扱う道具です。掃除機がゴミを吸うように、冷蔵庫が物を冷やすように、思考はもともと二元的な働き方をします。

そこには必ず、思考(Mind)という「主体」と、想念(Thought)という「客体」の相対的な関係性があります。ヨーガダルシャナは、その二元的な働きをする「思考」機能の構造を分析するものなので、当然のことながら二元的な視点を軸に展開されます。

私がストーカーしたところによると一元論の否定を意図するスートラは、一つも見受けられません。


ヴェーダの世界観の裾野は広大ですが、その世界観はたったつの頂上を目指しています。先ほど「ある種の人」と書きましたが、それって裾野でクダを巻いている人ではなく、私たちが目指すところにある「人」のこと。

ヨーガダルシャナは「その人」の持つ「揺れない心」をアンタッカラナの視点から分析したマインドの構造を示す学問であり、同時に思考野における様々なサーダナを示唆しています。


あの塔さぁ、分析しようがしまいが倒れないで建ってるんだからいいじゃん。

揺れない心揺れなさは揺るぎないんだから、別に分析する必要ないじゃん。


・・・て思うんだけど、「揺れない本人」の為ではなく、「揺れちゃう私達」の「知りたい気持ち」に応える分析なんですよね。構造を知っている方が車を扱い易い。

激動の日常生活・・・好き嫌いや幸不幸にハンドル取られまくるワインディングロードを乗りこなして目的地を目指すための自動車教習みたいな・・・。

教習所に通わなくても自在に車を操れるセンスある人もいるけれど、殆どの人はそうはいかきません。

私も教習所でエンジンルーム見せられたけど、何もかも把握できず空飛ぶ絨毯に乗ってる感じを離れられません。結果、私の運転は人に非常に嫌がられます。


今日は小難しい話になってしまいましたが、印刷技術やインターネットが発明されたことにより沢山の人がすでに混乱していることを鑑み、敢えて忘備録的としてメモしておきました。

次は、小難しくない話でね!

またね!










2021年11月15日月曜日

お久しぶり。みんなのQとしーたのA



お久しぶりでございます。最近、大事な話はいつものクラスで面と向かってお話ししてしまうので、ブログに書くモチベーションをすっかり失っていたんですが、コロナ以来、お会いでいる人の数にも限りがあるし、やっぱりブログ、書いた方が良いかな・・・ってちょっと思い返しまして、久々に。


面白いことに、同じ時期に同じようなことが重なるってありませんか?

先月は複数の人からいただくメッセージに「バガヴァッドギーター」という言葉がやたら出てきました。なので、久しぶりに「みんなのQとシータのA」です。

多少の校正をいれながら、今回はKさんとのやりとりをご紹介しますね。ご質問の内容に伴いちょっとショッキングな単語も出てきますがご容赦下さい。赤字の部分が私です。以下長くなりますのでゆっくりどうぞ。

質問なのですが、自分でもどう伝えて良いかわからないままなので、文章がしっちゃかめっちゃかになってしまうであろうことを、先に謝っておきます。行いをした結果は神がもたらすものなので良いも悪いもないということですが、では、殺人や自死、犯罪などもそうなるのでしょうか?

→まず、言葉を整理するところから始めましょう。殺人、自殺、犯罪というのは私が選ぶ「行い」の選択肢の一つですね。

 人間には選択の自由がありますが、カルマヨーガの「行いを神への捧げものとする」という観点から言うならば、「アンタ、殺生とかそんなもん神様に捧げていいんですか?」ってことですね。愛する恋人への記念日のプレゼントに、墓掘って盗んできた来たネックレスとかあげないですよね。神への捧げものはSattvaなものであるべきです。行いを神への奉納品と考えるとき、我々人間の行動の選択に自然とガイドラインが出来ます。

 

それらも欲を持ち行動を起こした「結果として」他人や自身の命がなくなったにすぎなく、そこに善悪はないのでしょうか。

→この質問は「行いの結果の受け取りについて」と捉えていいですかね?

とすると、他人の選択した殺人という行為の犠牲になることも「結果の受け取り」ということになりますが、ここで原因と結果の関係を思い出して下さい。木製の机(結果)の材料(原因)は木ですので、「木製の机」は姿を変えた「木」にほかならず、この机は「木らしさ」に満ちていますよね。磁石がひっつくなどの鉄らしさは微塵も備えていません。原因と結果は似通った性質を持つことが分かります。これは我々の住む世界における一つの摂理です。

この因果という摂理の視点からお話しさせていただくならば、殺人の犠牲になるという事象は、似通った質の行いを原因とする果報であって、この視点の基準は原因と結果であり、そういった意味では、Kさんのおっしゃる通り善悪云々ではありません。「自分が受け取るもの(結果)は、自分のやった行い(原因)らしさに満ちる」という摂理の視点から見たら、善い結果だろうが、悪い結果だろうが、自分に還ってくるだけのことなんだから等しく受け取るしかないんですよ。でも「イーシュヴァラのプラサーダと思えば受け取れるでしょう?」っていう話です。


アルジュナが王家の人間として既に生まれてしまったというのは、本人の過去の行いの結果なので受け取るしかありません。彼の置かれた状況だと、もう戦う以外の選択肢が残されていないんですよね。(どういう状況かは後で説明しますね。)

 

但しこれは、私たち人間の短い一生のなかに限定された話ではないので、証明も出来ない代わりに否定も出来ない、人智の及ばぬ法則である点に留意して下さい。この全体の摂理をイーシュヴァラと呼びます。

 

もちろん、その先捕まって罰を受けるのも「結果」であるでしょうけど。

→一方捕まって罰を受けるのは、人間の一生という短い時間に目に見える結果ですね。沢山の個人が集まって暮らす為には、社会的なルールが必要です。ダルマという言葉は色々なレベルで様々な意味として使われますが、この社会的なルールもまたダルマと呼ばれます。命を殺めることはダルマに反します。誰も殺されたり傷つけられたりすることを望んでいないからです。Kさんのおっしゃっている善悪は、この社会的視点に立つときに出現する言葉です。良いとか悪いとか、好きとか嫌いなどの相対的な概念です。

大抵、人間の視野は狭く、自分や、自分の家族、自分の仲間、自分の住む人間界のことしか気にしていません。人間社会で鳥の丸焼きは悪と呼ばれまていせん。しかしこの地球上には人間だけではなく、他の沢山の生命が存在しています。広い視野を持つとき、動物や魚を殺すのはやはりアダルマですよね。だって魚だって鶏だって殺されたくないですもん。

とはいえ広く地球上には、肉を食べないと命を繋げない境遇にいる人間(北極圏に暮らす人とか)もいるでしょうし、人間を食べないと今日の命を繋げない状況の獣もいます。もちろんそういう境遇に置かれること自体も過去の行いの結果ですが、今日熊を殺したら、いつの日か熊みたいなものに殺される結果が実ることでしょう。トマトを食べて栄養を得る私たちも、いつか土に還ってトマトに栄養を与えます。因果とは、好き嫌いとか良い悪いとは関係ない、つまり自然のサイクルです。


ギーターの話になりますが、クリシュナがアルジュナに戦えと言ったことも、モヤモヤ納得がいかない所です。

その後クリシュナが説く、カルマヨーガやバクティなどはわかるのですが、「だから」戦いに行きなさいというのが、うーん…と感じる所です。

→ギータ―の中でアルジュナが置かれているシチュエーション。これは我々平凡な民の日常に起こる問題をはるかに超えた、究極の選択を迫られた男性の話です。誰だって人(アルジュナの場合はしかも愛着のある人達)を傷つけたりしたくないのに、戦わなくてはいけない。そんな、人間として一番苦しい状況に置かれた人がアルジュナです。


この戦争に至るまでアルジュナ王子達は、ドゥリョーダナの悪政を食い止めようとあらゆる交渉を行ってきました。しかし絵に描いたような悪代官ドゥリョーダナの暴走は止まりません。越後屋もびっくり。ダルマもへったくれもありません。(国を治める人物として有名どころでいうと)ヒットラーに勝るとも劣らぬ大暴走です。


国民を守るべき役職にアルジュナは「戦争するってことは相手を殺したり傷つけたりしなくてはならない。でも従兄のドゥリョーダナはじめ、兵隊たちもみんな知らない仲じゃないし、オレ嫌だよ。無理、無理、無理、この戦、マジでダレ得?戦うのを辞めて森に行って瞑想する人になりたい・・・」って言いだしました。


(先ほどから個人名出して恐縮だけど、分かり易いように・・・・)ヒットラーの大暴走はご存知でしょうけど、悪政をストップすべき立場の人が「ヒットラーは放置します。私はインドへ行って出家します」みたいなことを言っている。

でももし私がアルジュナの立場なら・・・暴君と化したとはいえ身内と戦うなんて嫌。

でも、懸命に生きている幾億もの尊い命の時間が、暴君によって凌辱されるのも、嫌じゃない?


「結果として」命が奪われるだけだというのが…

→果たして結果は「命が奪われるだけ」だったでしょうか?


私は、戦うことで他人の命を奪ってしまうのが怖いと言ったアルジュナの気持ちの方が良いのかなと思うのです。

善悪は、時代や国、宗教、個人でも判断が異なるものなので、あの時代クシャトリヤとして戦うことがダルマで仕事だから、怯えずその責務を果たしなさいということで、現代(?)に当てはめて考えるのはおかしいのかもですが。戦わず平和に(?)とならなかったのは何故なのか物語だし、深く考えるなって感じなのかな。

 バガヴァッドギーターは「自分で読んで勇気を貰えて、ついでに学ぶところもある歴史ドラマ」ではなく、ちゃんとした先生の解説とセットで勉強するもの (= 厳然たる教え、ヴェーダーンタの聖典)なので注意が必要です。


ギーターは「戦争をしろ」と言っているのではなくて、(だいぶ端折りますけど)「行いを通してイーシュヴァラを理解する」というサーダナについて語っているんです。「その為には好き嫌いを基準にして行いを選択しませんよ」と教えてくれています。すべてにイーシュヴァラを見るという姿勢を貫くことが、その助けになります。


「牛を殺してステーキ食べちゃう☆彡だって美味しくて好きだから☆彡」というのは、サーダカのサーダナとしてはどうでしょう?って話ですね。アルジュナが戦うべき理由は「楽しいから」ですか? 逆に戦わないべき理由は「楽しくないし好きじゃないから」でいいですか?


確かに、アルジュナの置かれているのは極限的な状況で、平凡な私たちには計り知れない。

でもアルジュナ程では無いにしろ、私たちの人生にだって時には受け入れがたい苦しい状況ってあります。

その時、私は、何を基準に次に取るべき行動を選択したらよいかって話です。好き嫌い、快不快を基準にしたらいいのでしょうか?


 先生達やクリシュナの言うことはよくわかるのですが、犯罪を正当化させる (?) 理由になり得るよなぁと思ってしまうのです。

→「よくわかっていない」んですよ。確かに、ちゃんと資質のある先生の解説とともに学ばないければ、ギータ―が犯罪を正当化する理由になってしまいます。だからこそ、きちんと学んでいただきたい。700節、長い道のりですけどね。一緒にどうですか?


人殺しや自死が「悪」というのは、今私たちにある倫理での話だし (動物には良いも悪いも無いですもんね)、神からしたら命が失われるのはどんな風に失われたとしても、ただの事象でしかないのですよね。

善悪でジャッジしようと考えるから混乱するのでしょうけど、やっぱりモヤモヤします~。

そこを超えた次元にいかなきゃなんですよね。。。

→人間が十人いたら十通りの「悪」があるんですよ。それぞれの立場の正義がある。動物にだって動物の立場ですべきことがあるし役割もある。人間のいう正義は絶対的な次元の話ではなく、相対的な次元の話ってことです。

一般的(=相対的)な視点でお話しますが、国によっても善悪は違いますよね。インドの大抵の場所で女の人がふくらはぎなんて見せていたら悪です。でもゴアでは女性がふくらはぎを露出しています。ヒンドゥー・ムスリムの非常識が、クリスチャンの常識だからです。リシケシで日本人の女性がドゥパタを着用しないでウロチョロしていますが、インドの非常識が日本では常識だからです。

ヴェーダーンタというのは、そういう相対的な次元(=それぞれの立場)の話ではなく、普遍的、絶対的な価値の話なので、それを混同をしないクリアーな知性を得るための、いろんなサーダナが細かく聖典に示されています。


普遍的な視点を持つことは、人生における良き衝撃吸収システムとなります。愛着あるものを失った時に、悲しみは悲しみとしてあるけれど、それでも寿命尽きるまで生きて自分に残された時間を、本質の追求に邁進する強さを与えてくれます。


ということで、こんな感じでよかったかな?またクラスでお会いしましょう!


長々と失礼いたしました。

お勉強したい方は先生を紹介できますので声かけてね。

写真は近所の空。


 

2021年10月10日日曜日

10月24日(日)晴れたら!久しぶりに青空ヨーガ in 青梅。

18時間くらい前、ホヤホヤの筆者近影

ネット上にあまり顔を出さないどころか、あいつは一体何処で何をやっているんだ?

と・・・ますます謎を深める写真で失礼します。日本にいます。


いや~、引き籠った。とても引き籠った。

暖かい日が続いていますね。

気持ちはまだまだ引き籠っていますが、本格的に寒くなる前に久々に行っておきたいな、

あの場所に・・・。


・・・と、思っていたらタイミング良くリクエストをいただいたので、寒くなる前に行っときましょう。

ガンガー上流気分を味わう、あのクラスです。

といっても通常クラスのオフ会的な気軽な回ですので、たまに自然に触れたい方は青梅へ。

アーサナクラスをして現地解散ですが、お弁当をお持ちの方は、外で一緒にご飯しましょう。

その後は、電車移動で多摩川沿いを散策(からの甘酒)も良し、気候条件と気分が揃ったら10kmのハイキングコース(からの甘酒)も個人的には行きたい。

まあハイキングコースは今回でなくとも年内に一度は歩きたいと思ってます。ご同行希望の方は歩ける靴でいらして下さい。

なぜ甘酒、甘酒言っているかというと、初回、アフターヨーガの散策で皆さんと飲んだ甘酒が衝撃的に美味だったため、次の開催のリクエストが速攻で入ったという・・・。

甘酒ついでにヨーガ・・・アリだわ。

「なんじゃこりゃ、うまっ!」と久々に私の目から鱗が落ちましたからね。


雨天延期になりますが、紅葉が散る前に、一回行きたい。

ということで、とりあえずの予定は10月24日です。晴れて下さい!

 

【概要】

日時:10月24日(日)9:30am JR青梅駅改札口に集合、昼前に現地解散

持ち物:ヨガマット、マットの下に敷くレジャーシート、必要に応じて防寒、虫よけ、日焼け対策

参加費:毎週のサークルクラス同様に自由料金 (・・・と言われても・・・という方は、ヨガスタジオのレッスンに行ったつもりでご自身で設定してください)

最少催行人数:3名(上限6~8名)

※ご予約が必要です→ sivanandakendram@gmail.comまでメール、またはMessengerでご連絡下さい。

 

【当日の流れ】

・集合場所から現地まで20分程度のウォーキングからヨーガ

※歩きやすい靴、アーサナの出来る服装でいらして下さい。

2021年7月12日月曜日

その窓の話。ヨーガとか瞑想とか聖典とか。

長い雨降りの合間、昨日は毎年恒例の横須賀のクラスにお呼ばれしてきました。


毎年お伺いしているにも関わらず、会場がこんなに駅近で海近であることを認識していなかったのは、なんという節穴なお目目。

港に臨むモールのフードコートがまた綺麗に作られており、

「いいんですか?素うどん一杯で、この景色?」って感じ。


昨日の座学のテーマは瞑想だったんだけど、こちら側~私の個人的To Do List~の視点からいうと

「言葉の指し示す意味と目的をハッキリさせるため の”くさび”を打つ、という草の根運動」の一歩でした。

瞑想っていう言葉がマーケットで独り歩きしている時代に、言語化して頭の中をキチンと整理する。人に対して、それから自分に対しても。

まあ相手が子供さんだったら、方法はまた違ってくるのですけどね。



最近では、友人や生徒さんのなかで道場に通う人も多く、ドラマや映画の世界でもフツーに出てくるようになった「瞑想」という言葉。日常会話の中でもチョイチョイ出てくる。

その中でモヤモヤすることも多くて、しかし、単なる世間話の中で議論する気もないので、口をつぐんでいる。これは「ヨーガ」や「聖典」などの言葉もそう。雑誌の対談とかに引っ張り出されたりすると、こちらの意図と正反対の言葉に置き換わっていたりするから、もう恐ろしいので近づきたくない。


モヤモヤの正体。


「瞑想」をする、「ヨガ」をする、「聖典」を勉強する、というように、これらの「目的語」は、ちまたでは純粋に「行いの対象」と認識されている。


・・・私はとても美しい風景を見つけた。他の人にも見せてあげたい。
その人をこっちに連れて来て、

「ねえ、見て、キレイなの! ほら、あそこ!」

と窓の方を指さすのです。


すると、その人は

「ほんとだ!素晴らしい意匠の立派な窓枠だねえ!」

・・・!

「窓の話してねーよ!向こう景色だよ!」

と心の中でズッコケ・・・

みたいな話。


野球はするし、映画は見るし、ご飯は食べるし、小説は読む。

でも瞑想をする、ヨーガをする、理論や聖典を学ぶ、というのは、そういう一般的と視点の異なる、特殊な対象物なんですよ。

それらは、それ自体を「する」とか「学ぶ」ために存在するのではない。

窓枠を見ようとしていたら、窓の向こうの景色は見えないんですよ。


「それらを通して自分を知ろう」という姿勢と目的が定まっていなければ、それらを使いこなせず無意味なものにしてしまうし、余計に人間をこじらせる。


ヨーガも聖典も瞑想も、自分自身を見るための窓。


単なる知的欲求を満たすことでも、読んだ本リストを増やすことでも、RYT200だの500だのを修得することでもない。


それは、それぞれが自分自身の人生を愛して生きることなんだよ。


私が普段、生徒の皆さんと親しくやりとりしたり、年に一度はタイで(ここ数年は高知でも)みんなと寝食を共にして、瞑想や体操や講話の合間に、一緒に笑ったり、美しい自然を体験をしたり、語り合ったりする機会を設けているのは、

「ねえ、見て!ほら、キレイだよ!」

っと言うために、心を開き合って窓辺に並んで立とうとしてるの。

「違う違う、窓枠じゃなくって、あなたのキレイは、ほら、その向こうだってば!」

ほら、見える?私の窓枠も、あなたの窓枠も、まあまあオンボロだけど、ほら、窓の向こうの太陽は、隔てなくキレイだね!私も生きているね、あなたも生きてるね!キレイだね!

・・・・と。

皆さんが学ぶのは窓枠の方じゃなくて、その向こうですよ、という話でした。


今週末の草の根運動は、たつの&京都です。地道にくさび打ってきます。
まだ空きがあるかもです。詳しくはお問合せを!



2021年6月17日木曜日

7月19日(月)京都シータマサンガ ★ キールタンとお話しの会

じゃーん。
見ておくんなまし、うちの新入り。


 ここ数年、夏は四万十のクニさんとこでリトリートをさせて貰っているんだけど、講義とかレクチャーなどのアクティビティのトピックは生徒さんのリクエストに出来るだけお応えするようにしています。

で、「キールタン」のリクエストが来ることを見越して、今年は小さなアコーディオンを入手した。というのも、他の荷物があるので、重いハーモニウムを持ち歩けないのです。私の楽器は大きい方は10Kgあるし、ポータブルのは7Kgなのです。

しかし、この可愛い子ちゃん、なんとたったの3Kg。

安物といえど造りもちゃんとしているんですよ。音がデカい→自分の声が聞こえない。

これは、なんとかしてミュートしましょう。

それに子供だから肺が小さくて、息を継がせるタイミングにテクが要るようだ。

まあ、隣人の留守を見計らって研究あるのみだな。


せっかくこの子を携行するので、7月19日に伏見でキールタン(マスクでよろしく💖)集会を開こうと思います。

場所は、リョウちゃんという素敵マンのコーヒー屋さん、向島のリタ coffeeです。

リョウちゃんとのファーストコンタクトは、彼の焙煎したコーヒー豆でした。感想は「なんだっ!この優しい味は!」でした。

そのあと連れて行っていただいた甲山の神呪寺で、ご本人に直接お会いすることが出来ました。メディスンドラム造りでもお世話になりましたね~。

そんなリョウちゃんの拠点が京都の伏見にあるという。ずっと訪れてみたかったんですよね。そしてついにそのチャンスが来ました。訪問ついでに皆も連れて行っちゃえってことシータマサンガを執り行います。

日時:7月19日(月)14:00-16:00

会場:リタ coffee (京都市伏見区向島中島町112-6)

参加費:1000円 + ドリンク or フードオーダーお願いします。

定員:6名(残4席)

お申込:sivanandakendram@gmail.com


早めに行ってランチという手もアリだよね。宇治近辺の方、是非ご一緒しましょう。妊婦さん、赤ちゃん連れウェルカムです。


リョウちゃんのコーヒーの独特な優しさは、丁寧な洗いと生豆の選別にあるようです。この段階で余剰なカフェインなどは落とされてしまうらしい。でも、最終的にリョウちゃんの人柄なんだろうな。癒しの味。是非お近くの方は足を運んでみて下さい。遠くの方は、発送もしてくれる筈。

ちなみにアコーディオンと私は、その後、四万十に向かいます。

リトリートは、週末プランを作りました2名様追加募集してます。

ピンときたらご連絡下さいね。





2021年6月7日月曜日

甘やかな六月の憂鬱




ここのところ、どうも気分が乗らなかった。

うまく説明出来ないんだけど、曇天にふさわしいメランコリーが、体の中のどこかで芽吹いていた。

こういう気配の時どうなるかというと、私の場合は引き籠りたくなる。

丸っきり一人の世界というんですか、精神的に。

いまやコミュニケーションのほぼ全ては回線を通してという時代だから、つまりネットに繋がるのが嫌になってしまうのである。

「することリスト」に書かれている事の多くが、その先でネットに繋がっているので、「その先」とやらを思うと、目先の作業すら気が重い。

そのくせ真面目な小心者だから、サボって小説など読んでると、心のごこかに後ろめたが湧いてきて落ち着かない。

よろしくない。もっとふてぶてしくならないとな。

気圧の変化とか、ホルモンの変化とか、環境の変化とか、そういう外的要因も無関係ではないと思う。

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3月末、昔お世話になった人が亡くなったらしい。

こんな時代で集まれないからか、情報も乏しく、故に実感に乏しく、ふわ~んと暮らしていたが、昨日の夢にその人が出てきた。夢の中でも既に亡くなっていた。

4月に知らせを受け、

「〇〇のこと聞いてる?」
「まさか?亡くなったの?」
「そういう話なんだけど情報が無くて。何か分かったら教えて。」

・・・というところから宙ぶらりんになっていたので、飛び起きてネット検索してみた。夢の中の死因とは違ったけど、ようやく情報がネットの世界に降りてきていた。

私の心の引き籠りも、何故かここで一旦終了。

そしたら、ようやく色んなことが思い出されるようになった。

故人に対して、当時「ほんとしょ~もね~な~」と思うこともあったが、それは、その人のほんの一部であって、その人のお陰で色んな経験をさせて貰えたし、そうやって私たち若いモンに世界を見せてくれようとした、その兄貴心はやっぱりありがたかった。生命にきちんと備わっている後続の者への愛情。

その人だけじゃなく、沢山のお兄さんお姉さん達に注いでもらったその愛情の中に、私は育まれたんだな。

お別れするのは、やっぱり少し寂しいけれど、この年になると少しずつ慣れてきて・・・人の体はちゃんと死ぬんだ、ということを人生の中で教わってきて、訃報に天変地異のような衝撃を受けなくなった。

そのかわりに、なんともいえぬ甘い回想がある。

それは先輩たちが注いでくれた愛情の甘さなんだと思う。

その甘さが、時代の中に途切れないように、また誰かに分けて行こう。

それが故人から渡されたバトンかな、と思います。



















2021年6月6日日曜日

「ヨーガスートラ」7月からのウパーサナサンガ



私にこの書を教えて下さったのはSwami Haribrahmendrananda Tirta 先生で、2019年のお正月のことでした。

アーシュラム仕事の自分の役割もあるので、例によってかなりの身体的負担ではあったのですが、Swami Gが私の仕事を減免してくれたので、ヨーガスートラの生徒向けのアーサナだけ教え、あとは事務仕事をこなしながら、授業に出させて貰っていました。本当に感謝しています。

日本語で出版されている本もあるけど、一葉に判然としない内容だったので、この機会に恵まれたことは本当に有難かった。そもそも読んだからとて解るような書物では無いのですが・・・。


さて、Haribrahmentrananda スワミジは、最初のクラスで、とても意味深い役立つこの教典について、「学んで、またそれを求めるあなたの生徒に伝えて下さい」と仰いました。

「ハイ」と頷いたからには、私は、いつかそれを実行に移そうと思っていたのです。

しかし「学んで」というのはつまり「理解して」ということ。かなりハードルが高い。


更に、こうも仰った。

「私の本懐はアドヴァイタ(一元論、ヴェーダーンタ)です。この教典はドヴァイタ(二元論)の視点において説かれる物で、私にとって副次的な位置にありますが、あなた達に役に立つものとして解説します。」

「ただし、アドヴァイタとドヴァイタをごっちゃにしては、意味を成さず、混乱するだけです。その区別をしっかりつけた言葉でお話ししますので、皆さんも頭を切り替えて下さい。

(↑ いや、だから、それがいちばん難しいよね・・・シーター心の句)

そんなわけで、私自身が覚悟を決めるのに時間を費やしたと同時に、ご希望下さっていた生徒の皆さんには、この一年をかけて、頭の中の整頓作業に勤しんで頂いたわけです。


ということで、ようやく意を決して、7月からのウパーサナサンガのトピックは「ヨーガスートラ」となります。「読む」というより、逐一解説しながら進めていきます。週一回なので、期間は半年以上見て下さい。


もちろん7月からの新たに参加希望の方も、ご相談下さい。


「ヨーガスートラ」はヴェーダのメインストリームに位置する文献ではありません。そのトピックは人生のゴールや、存在の根源の追求ではなく、社会に生きる人としての生き方を説くものでも無い。

また、皆さんが知っている「ヨーガ」の話でもありません。

極めて狭い範囲に焦点を当てた、副次的な専門書になります。

いわば、「思い巡らし考える機能」=「思考」の解体新書。

それを解明するのに使える道具は、当の「思考」だけ。しかも、それがまた落ち着かない道具でやっかいなんですよ。

そこでパタンジャリ先生が、ガイドしてくれているのです。


この本は、静寂かつ統合された精神の醸成を目指す、瞑想者のためのマニュアルブックです。

正直簡単ではありません・・・というか、むしろ難解。

なので多分、根性が要ります。

アーサナクラスで使える「ネタ」にもならないと思います。


しかし・・・

自分自身の修練実践の指南にはなる。


さて、静寂な精神をもって何をするかは、

おわかりですよね?



ちなみに、写真は上野、不忍池の弁天堂の宇賀神さま。


ウパーサナサンガ「ヨーガスートラ」(月4回)

①木曜クラス:毎週木曜 8:30-10:00am(調整中)

②土曜クラス:毎週土曜 8:00-9:30am(調整中)

会場:オンライン(ZOOMを使います)

月謝:8000円(開催の為のネット回線とZOOMpro契約の維持費となります。)

お申込・お問合せ sivanandakendram@gmail.com またはSNSでご連絡下さい。




2021年5月27日木曜日

久しぶりに娯楽の話でも。最近見た映画その1。

コロナで生活が変わってから、なんだかまたブログをあまり書かなくなった。

話したいことは沢山あるんだけど、なんでだろ。

実際、頭の中では、ぐるぐると、そりゃいろんな言葉の世界が繰り広げられるてるんだけど、一人の時間が沢山あるから、文字になる前に自己完結してしまっているのかも知れない。

今日はスッキリしてしまう前に奮って書こうと決めた。


さて、コロナで一人でも楽しく生きているけど、やはり心のどこかで自粛ムード(?)っていうのかな、社会全体を覆っている「楽しそうにしているのが 憚られる」という風潮にのまれている感じがある。

震災後とかもちょっとあったし、昭和天皇の崩御のときはまさにそうでした。

第二次世界大戦中の日本も、こんな感じだったのだだろうか?


まあ、そんなこんなで、いつの間にか無味乾燥な心になっていたらしい・・・ということに気づいたのは、せっかく会費を払っているんだからアマゾンプライムで映画でも見るかってことで、最近見たからでございます。


「おおっ!私の情緒、乾燥してたかっ!」・・・・て。


自分では、毎日やりたい勉強もして、アーサナもして、気に入りのインコのYoutubeも観て完璧だと思っていたんだけどね。


情緒ね~。抜かってたわ。


ということで、私の好きだった映画を紹介しようと思います。


「ブランカとギター弾き」。



何の前情報も無しに選んだ作品なんですが、これが良かった。

舞台はフィリピンのスラム。親無し家無しの少女ブランカと、盲目のホームレスギタリストのお話です。

「子供」という生き物の、真っすぐで切ない心の中を見事に描いています。人に伝える表現力や、生きるため知恵が発展途上である子供故に、様々な場所で損を被っている主人公を見ていてハラハラしました。

「将来の為にこの選択は間違いじゃないの?」と言われそうなラストシーンは、子供にとって一番に必要なのは、経済的安定なんかではなく愛情である、という重要な事実を思い出させてくれます。

映画を見終わるまで全然気づかなかったけど、監督はなんと日本人の長谷井宏紀さんという方でした。

物語はフィクションですが、主人公以外の主要キャストは、本当にストリートで暮らす人達で、路上でスカウトしたそうです。

この映画がどうやって出来たかは、コチラの記事で読むことが出来ます。


久しぶりにシンプルで良い映画に出会ったな。

見終えた後に、あ、私の心、けっこう乾いていた、と気づける映画。

良かったらみんなも観てみて。


ブランカが物質的な安全確保よりも愛情を求めたように、映画を始めとする芸術表現は「不要」では無いんじゃないかな。

「愛」とか「本質」の、追求表現なんだと思う。

これを不要と定義するならば、人類は人類でなくなる。

「家畜には芸術や娯楽は必要ない、だまって管理されていなさい」という理由で不要不急のカテゴライズしているのならば、それはお偉方さん、大きな間違いだよ。逆に気の毒な人達だ。


不要不急ではないモノの頂点、愛。

自分と非自分の違いが無いこと。

「愛」という言葉の追求については、またちゃんとしないといけないんですけどね。


次回は、また別の映画の感想文書きますねー。









2021年5月25日火曜日

6月12日(土)「土曜の午後のキールタン」シーター友永先生にご恩返し!


自然界のバランスというのは持ちつ持たれつで、人間の社会もやっぱりギブアンドテイクで成り立っている。

職人になりたい人が師匠について教わったり、学びたいことがあって先生から教わったりの場合も同様で、インドでも昔から、何かを受け取るときに、対価として何かを差し出す慣わしがあります。

よく知られるのは①貨幣の奉納。現代では一番シンプルで分かり易いかもしれないですね。

それから②必要とされる労働の奉納。私はインドでコレでした。それまで私のモノだと思っていたプライベートタイムが、完全に私のモノじゃなくなるというのは、なかなか衝撃的な体験でしたが、慣れました。

①はそのお金を稼ぐ過程そのもの、②では労働そのものが、知識の定着のための布石になっている筈です。どちらも嫌な仕事もあるし、理不尽な要求と思われることに黙って対応したりして大変なのですが、その大変さが精神的成熟度を高めてくれるのは間違いない。

そしてもうひとつ、③自分の持っている知識を奉納するというパターン。「お琴の先生に、生け花の知識を差し出すことでお琴を学ぶ」みたいなことです。

20年前、私は友永淳子先生の教室を訪ねて以来三年間、毎週金曜日に通っていました。先生のお言葉や立ち居振る舞いに、私は、なにか心髄みたいなものを垣間見て、追及心を高めました。先生は、私の道の初めに無くてはならない存在だったと思います。

ちなみにその前は、教室から100Mくらい離れたスポーツクラブで習っていたけど、混んでいるので続かなかったのよね。(ちなみにその時の先生にも一言お礼を申し上げたい願っている。名前も知らないけど、髪の長い綺麗な先生で、総武線の車内で一度お見掛けしました。お心当たりあったら教えて下さい。)

話を戻して・・・

お世話になった先生達に恩返しをするには、教わったことを次の世代に伝えていくことが一番な訳ですが、自分が歳をとり、先生達もお歳を重ねるなかで、気持ちを先生達の前で表現したいなあ・・・と思っていました。

そんな時に突然③の機会を頂いてしまった・・・。

「友永淳子院長先生にキールタンを教えて下さいませんか?」

ええーーっ!恐れ多くて昇天!

と言っている場合ではなく

「やらせていただきます!やらせて下さい!」

と即答しました。

だって、こんな機会はもう二度とないかも知れない。躊躇している間にチャンスの女神は走り去るに違いないのです。つかめ、女神の前髪。

なので、皆さんも、どうぞどうぞこの稀有なイベントをお見逃しなく。

開催はオンラインです。お夕食の準備の前に是非。リアルタイムが難しい方は、録画で受講も可能です!

クラスでは「キールタンて何?」「インドの神様とは?」などのお話も併せつつ、実際に声に出して歌ってみましょう。お部屋で一人で、或いはご家族と。人目を気にせず皆さんの思いの丈を表現して下さい。院長先生が皆さんのお供をして下さいます。ご唱和下さいね!

【土曜の午後のキールタン(オンライン)】

日時:6月12日(土)16:30~17:30(録画での受講も可能)
参加費:1000円
主催:友永ヨーガ学院
詳細&お申込フォームはコチラ
※当講座はキールタンのオンラインレッスンです。Sitaのリードで友永淳子先生にご唱和下さい。


2021年5月21日金曜日

港のシータ♪ヨコハマ横須賀「7月・8月☆ おうち時間充実スペシャルWS」

 


おうち時間は好きですか?おひとりさまは得意ですか?

関東は夏の横須賀ワークショップ、今年は2ケ月連続企画になります。

(関西では7月に会場を分けてたつの京都です。)

ステイホームを求められる今日この頃。退屈している人も多いのではないでしょうか?ヨーガの立場から見てみると、一人で過ごすおうち時間は実はとっても贅沢です。なぜならヨーガとは、瞑想とは「私が私と一緒にいること」だから。この貴重なチャンスを有意義に使って、精神と肉体に安らぎをもたらしてみませんか?

今回のシリーズでは、「体」と「思考」という異なる二つの媒介を通して、自分自身に向き合うプロセスを確認してみたいと思います。

 


7月は「身体と思考を観察する」をテーマに、一人で行う身体運動、通称「ゆみこストレッチ」と「ひとりで行う瞑想」の手順をお伝えします。巷では「ヨーガ=先生の号令に合わせてポーズを取ること」、「瞑想=先生のガイドに合わせて考えを巡らせること」と認知されていますが、それは間違いです。余分なものを一つずつ削ぎ落して、自分自身に安らいでゆく道程の、最初のステップを学びます。

 


8月のテーマは「身体と思考の向こう側へ」。伝統的なポーズと呼吸法を通して、体や心など区別される「意識」の可能性を確認することが目標です。座学では、ヨーガのポーズの中でもっとも奥が深く難解とされる「シャヴァ―サナ(屍のポーズ)」について解説し、ガイド付きで体験して頂きます。短時間で精神の深いレベルまで癒すシャヴァ―サナ。ヨーガニドラや他のポーズとの違いを理解し、方法を学んで下さい。あらゆる条件から自由になる“ひととき”を、ご自身で再現出来るように練習しましょう。

 

『疲れちゃってるから今日はとにかく癒されたいの💖』という方もヴェリーウェルカムです。

 

おうち時間充実スペシャルワークショップ(全2回)in 横須賀

7月回〉711日(日)「ゆみこストレッチ&おひとりさま瞑想」13:0017:00

8月回〉8月1日(日)「シヴァーナンダヨーガ&究極のリラクゼーション・シャヴァ―サナ」13:0017:00

会場:横須賀駅から徒歩8分、汐入駅から徒歩6分(本町コミュニティーセンター)

参加費:各日程ともに、前半(120分)3500円、後半(90分)2500円、通し5500

※入場時の手指消毒、マスクのご着用をお願いしています。

お申込・お問合せは yogasalaleela@gmail.com 迄

※お名前(複数の場合は全員)・電話番号・参加希望のクラス日時をご明記ください。Yogasala Leelaからの返信をもってお申込み完了となります。

 

★7月の内容

     前半13:00-15:00 アーサナクラス「ゆみこストレッチ講座」

ゼロから身体と向き合う「ゆみこストレッチ」は誰でも簡単に出来るホームストレッチです。全身の隅々まで呼吸させて、体に対して意識的になることが出来ます。身体が硬くても、まったく問題ありません。

     後半15:30-17:00 座学と実践「おひとりさま瞑想」

基本的な知識を得て一人で座れるようになりましょう。あとは実践あるのみ。

 

★8月の内容

     前半13:00-15:00 アーサナ「シヴァーナンダヨーガ」

ウォーミングアップから、アーサナ・プラーナーヤーマまで、Sivananda Yogaのフルシーケンスをガイダンスに沿って行います。ポーズのバリエーションが豊富なので、あらゆるレベルの方にご参加いただけます。

     後半15:30-17:00 座学と実践「究極のリラクゼーション・シャヴァ―サナ」

基本的な知識を得て、全てのプロセスを一人で出来るようにしましょう。

2021年5月1日土曜日

5月13日(木)「新月の夕べのサットサンガvol.7」 ~カワシマ君の先生の話

こんにちは。久しぶりにこのイベントのためのブログ記事を書いてみる。

というのは、自作の告知用素材の出来に気を良くしているからです(笑)。

 


・・・我ながら・・・良き!

とは言え、我々チーム”シー友”。

手持ちの写真素材が少ない(とくに私は持ち前の添乗員気質のため、人の写真を上手いこと撮るものの、自分の映っている写真が無い)ので、来月は早くもネタ切れの予感。

ま明日は明日の風が吹きましょう。ふははは。

前にも書いたかも知れないんだが、昔、カワシマ君という人が「中学の先生が『続けることが大切ってこともある』って言ってたぞ」と私に言った。

バンドをやっていた私には、当時j、割と引くあまたな時代があった。神奈川県の片隅にいる名も無き一人のベーシストとして、「人の目にとまったら話に乗っかってみて、違うと思ったらバシバシ切る」。そんな感じで、波を乗り換え、乗り換え、云わば「わらしべ長者的」に道を開拓しようと思ったわけですよ。

そんな私を引き留めようと、カワシマ君は、中学の先生の話をしてくれたわけです。

結局、音楽で人前に立つのは辞めてしまったんだけど、今は、続けることも辞めることもどちらも大事だってことがわかる。

もちろん、何をどのような目的の為に続け辞めるか、が重要ではあるが。

引き留めてもらったにも関わらず、結局そのバンドとはサイナラした。

でも、あの時のカワシマ君の言葉を、私は、実は胸に大切に保存している。
あれから三十年近く、思い出さない年は無い。

タフだったけど、スワミジのお手伝いを10年も続けられたこと。京都のワークショップや、タイでのリトリートも然り。

(タイでのリトリートは、コロナで途切れてしまっているけれど絶対に再開させる意気込み!)

10年同じことを、同じように繰り返していける「価値」を、私は扱いたい。

このトークライブも、毎月「もうそろそろ辞めよっか?」と言いながら、生後7カ月になります。めでたいね。

今月のテーマは「老いと病」です。


トークライブ『シー友の 新月の夕べのサットサンガvol.7』
日時:2021年5月13日(木)20:00-21:00
開催場所:オンライン(録画視聴も可)
チケット:500円
お申込&詳細はコチラから




2021年4月27日火曜日

5月8日(土)ティケティケ☆春のヨーガまつり(垂水)

 


ううむ。

マスク無しでこんなに近く集まっていた日々が、もはや遠い昔の様だな。

BUT!

体の距離は離れていても、心の距離は今も変わらず近い・・・ていうか重なり合うぜ!


来たる 5月8日(土)。

わたくし、当初の計画通り、垂水のオカン達のお膝元、ティケティケに馳せ参じる予定です!

換気、消毒、マスクのエチケット、お互いに ”いつも通りきっちり” と守って今後の人類の暮らしに役に立てる一日にしたいと思います。

感染拡大防止対策として、定員を少なくさせていただいて申し訳ありません。その分7月に「ゆみこストレッチ」と「Sivananda yoga」のクラスをもって、もう一度関西に参りますので、お許しください。

〽ほ~ら、春先、神戸に!見に見に見に来てね♪(←わかる人、いますかね?)


以下詳細です。

お申込はリンクのティケティケHPから。

初心者から指導者まで!多彩なクラス開催〜Sitama 春のヨーガ祭り(詳細


今年もティケティケにSItamaがやってくる!!!

インドのアシュラムと日本をまたにかけ、ヨーガの指導を絶え間なく続けているSItamaことYumiko先生。
その経験豊富な指導経験を活かしてヨガのレッスンをはじめ、ヨーガの聖典の教えなどの多彩なクラスを展開。

今回は前回もとても好評だったヨガ初心者の方もご参加大歓迎のストレッチのクラスから
リクエストのあったヨーガ指導者向けのマニアックなクラスまで!
幅広いクラスを開催します。

そしてもちろんシバナンダヨガのクラスもありますよ〜
こちらのクラスもどなたでもご参加いただけますのでぜひぜひ。

無理なくほぐれていく身体と
ちぢこまった心が大きく開いていくクラスを体感しにきてくださいね。

開催日:2021年5月8日(土)

①10:45~12:00 「ゆみこストレッチ」※どなでも参加出来ます
参加費 2500円
呼吸を深めながら床で行う全身ストレッチです。怪我や病後のリハビリとしてもおすすめです。

②12:45~14:45 「Sivananda Yoga」※どなたでも参加出来ます
参加費3500円
シヴァーナンダヨーガのフルシーケンス。Body、Mind、Spiritのすべてを整えましょう。

③15:30~19:00 「ハタヨーガ指導の実践のための講座(実技編)」※インストラクター向け
参加費:7000円
ハタヨーガは身体運動を伴うヨーガです。指導の際に生徒の体に触れなくてはいけない場面で、相手を傷つけることなく身体にコンタクトするためには、相応の経験を要します。それは、生徒を尊重しその安全を確保するために、身に着けておくべきスキルです。本講座では、アジャストメントのテクニックとその理論的裏付けを学び、実際に身体を触りながらトレーニングします。

複数クラス受講の方は500円割引となります。
定員:各クラス10名
ヨガマットご持参ください。(レンタルマットは220円です)

Yumiko Sita Terasaki
Sivananda Yoga の講師。 2000年 Hatha Yogaを学び始める。 2002年 友永淳子先生に師事。 2005年 Sivananda Yoga Vedanta Center の講師資格を取得、講師としての活動を開始。 2008年 同師範資格を取得、インド国内のヨガ教室や小学校などでも教える。 以降、東京およびインド各地の Sivananda Center、スリランカのヨガ教室やアーユルヴェーダ施設などでローカル向けの指導を行うほか、Ashram での指導者養成、および上級指導者養成コースにて後進の指導に当たる。現在 インドNPO法人のSivananda Yoga Vidya Peetham にてSwami Govindananda Saraswatiの助手として教鞭をとる。日本に、皆がよく学び、よく地域に貢献できるような場所づくりを目指します。Sivananda Yoga Vidya Kendram主催。






2021年4月26日月曜日

7月18日(日)京都『シャヴァ―サナ大研究~究極のリラクゼーションを求めて』




「シャヴァ―サナ? 先生の子守歌付きの昼寝の時間でしょ?」

いやいやいいやいや、とんでもない!

シャヴァ―サナは、数あるアーサナの中で最も難しいとされるポーズです。

魂が抜けたかのような休止状態で身を横たえる姿から、”シャヴァ・アーサナ(屍のポーズ)”と呼ばれます。

シャヴァ―サナは、肉体、感覚、感情、知性、潜在意識にいたるまで、あらゆるレベルにダイレクトにアプローチするという点において特殊なポーズと云えます。その癒しの効果は、他のあらゆるヨーガ行法の追随を許しません。

インストラクターの仕事はガイドに過ぎず、シャヴァ―サナの完成は、実践者本人によってのみ可能です。ヨーガニドラや、他のポーズとの違いを理解し、方法を学んで、時間を掛けてシャヴァ―サナマスターになって下さい。精神と肉体のそれぞれに調和をもたらすのは、あなた自身です。

ストレスに負けない心と体で、ステイホームの時代を美しく乗りこなしましょう。

このワークショップでは、セオリーに併せ、実際にシャヴァ―サナを実践していきます。もちろん「もう疲れちゃったから癒されたいの!」というだけの方もウェルカム。私シーターが、魂の底の底まで、精一杯ガイドさせていただきます。


誓願寺さんでのワークショップも10年目の今年。

自分自身の中にある極上の癒しを体験しに来てください。

Sivananda Yoga WS in 京都 『シャヴァ―サナ~究極のリラクゼーションを求めて』

日程:7月18日(日)京都誓願寺 講堂
 第1部 12:30-14:30 アーサナクラス
   第2部 15:00-16:30 講義「シャヴァ―サナ大研究~究極のリラクゼーションを求めて」
参加費:第1部 4000円、第2部 3000円、通し6000円
定員:各回20名ずつ(状況に応じて定員を減らす可能性有り)
お申込&お問合せ:sivanandakendram@gmail.com

※入場時の手指消毒、マスクのご着用をお願いしています。
※水分補給以外の飲食はお控えください。
※誓願寺へのお問合せはご遠慮ください。

参加して下さる皆さんへのお願いは、日頃より、ご自分の健康にお気をつけて、そして他者への思いやりをもってお過ごし下さい。盛り場とかに繰り出すのはちょっとまっていただいて。あたらしい楽しみ方を見つけていくのも楽しいものですよ!


今年も、夏の京都で会いましょう!