ラベル greeting の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル greeting の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2022年1月7日金曜日

新年のご挨拶 &言葉とか諸々の話~「伝える」ことについて①

まだ松の内、ぎりぎり滑り込みセーフ!

ということで、皆さま、新年あけましておめでとうございます。

本年もみんなで心身ともに健やかな毎日を過ごして行きましょうね!



インドに居るときは忙しくて、インドから帰国している夏の間もまた忙しくて、この10年あまり、ブログを書くのを縮小気味でした。

おいおいコロナ以降日本にいるじゃないかって?

そうなんですよ~(笑)。

日本にいても、あまり書いていないんです。

それには多少なりの理由があるんだけどね。

一言では表し難い諸々を長々と語るところから、また前向きに書き始めようかなと思ってます。


そういえば年末に「2016年のこの記事で引用されている小説のタイトルを教えて下さい」というお問合せを頂いて、なんだか嬉しかったんですよね。

自分でも書いたのを忘れているような言葉たちが、いまこの瞬間に誰かの心にあるのだと思うと、そっと背中を押された気がしました。


ということで、さっそく言い訳から入ろうではないですか(笑)。

最近書かない理由について。

日々生きながら「伝えたい」と思うことの数々を、毎週のアーサナのクラスで実際にお会いして、ZOOMの講義で顔を合わせて、存分に伝えてしまっているからなんですよね~。


2005年の年末から今の仕事に就いたときから、そのスタンスは変わっていません。

アーサナのクラスでも、ヨーガとは何なのか、体操を通して皆さんに理解して欲しいこととは何なのか、言葉にして伝えてきました。

しかし、如何せん当時はすごい数のクラスを教えていた為、希釈してしまうというのかな、自分でも伝えきってない感がありました。

なのでクラスでお話し出来なかったことを文章にして、生徒の皆さんにお伝えしていたわけです。

今や人にも会えないし、クラスの数も少なくなって、一球入魂に満足してしまうんでしょうね。


しかし時代はコロナで変わった。

私の方は満足かも知れないが、日常的に私の顔を見ている僅かな人達にだけにしか、私の言葉は届いていないわけで、これもまた不公平というか、非均衡的な気もします。

そこを踏まえて、今年はクラスでお話ししたことを、クラスでお会いできない人の為にも書き残して行くことにします。


先日、とある小学校で教えさせていただいた時

「このお話を今度は皆さんがお家の人に教えてあげて下さい。」

と言ったら、本当にお正月におばあちゃんに教えてあげた子がいました。

親御さん曰く「おばあちゃんが、あのお話をお友達にしてあげたいのだけど、分からなくなっちゃったから、このお話が読める本があれば教えて欲しい」とのこと。


しめしめ。まさに私の狙い通りだわ。

でも、こんなにハイスピードで伝染するとは期待していなかった。

これは嬉しいご報告ですよ。


私の仕事とは、この草の根運動、伝播活動な訳ですが、このお話は10年以上も前にスワミジが聞かせてくれたお話で、本も動画もない。


そんなこんなで、書き残しておくことが助けになることもあるかな?と思い至った次第です。


と言う訳で、「ブログ頑張る」を新年の抱負とさせていただきます!

本年もよろしくお願い申し上げます。



②に続く。


















2018年1月1日月曜日

謹賀新年2018!

みなさま、新年あけましておめでとうございます。
昨年も、みなさんには本当にお世話になりました。
遠く離れて会えないみなさんにも、私の勇気をしっかりと支えて頂いてました。
本当に本当にありがとうございます。

2018年も、みなさんにとって、幸多き、学び多き一年になりますように。
私も頑張ろう。


新年の御祝に、何を書こうかな、って思っていたんだけど、昨年からペンディングにしていたことを書こうかな。

ってことで「巷に溢れるヴェーダーンタを探せ!」

昨年も、渡航前に慌てて一人カラオケに通いまくっていたんだけど、

椎名林檎の「ありあまる富」という曲の歌詞の一部をシェアしましょう。


以下引用。


「僕らが手にしている富は見えないよ。
彼らは奪えないし、壊すこともない。
世界は、ただ妬むばかり。
もしも、彼らが君の何かを盗んだとして、
それはくだらない物だよ。
返して貰うまでもない筈。
何故なら、価値は生命に従って付いている。

彼らが手にしている富は買えるんだ。
僕らは数えないし、失くすこともない。
世界は、まだ不幸だってさ。
もしも、君が彼らの言葉に嘆いたとして
それはつまらないことだよ。
なみだ流すまでもない筈。
何故ならいつも、言葉は嘘を孕んでる。」

私たちの真価は何ですか?
私たちの正体は何ですか?
私たちの本質は何ですか?

放っておいてもいずれ死ぬ者同士が殺し合いをしたり、
仮想の価値を上書きしただけの紙っぺらを奪い合ったり、
追いかけても追いかけても逃げていく、
蜃気楼のようなものに縋って縋って纏わり付いて、
それだけで人生を終えるなんて、時間の無駄っていうか、徒労。
存るものにちゃんを気付いて、「存在」を生きられたら、それを幸せというのかな。

昔、知り合いのおばちゃんが私に教えてくれました。

「愛とは、理解と信頼です。」

若かった私は、すごくアホで、蜃気楼を追いかけることが愛だと思ってたからさ。

今にして思う。

この世界を生きるということは、人生を生きるということは、
理解すること、そして安心、すなわち信頼なんだよね。

生命は愛だなあと。

その安心は、何かに依存している価値ではなくて、自らによって明らかな安心、理解の現れだと思います。

巷にいう自己実現という言葉は、その「理解」のことであるべきでしょう。

自分が届いていない何かになることでは無くて、

自分の真価に還ること。

私もね、こうやって、あれこれ書いていますけど、やっぱり言葉には限界があるんですよ。

だって言葉は知性によって操られる道具だからね。

知性の向こうのことは表せないからね。

「言葉はいつも嘘を孕んでる」とは、よく言ったもんだね。

それでも、こうして綴る言葉のひとひらが、知性の向こうに続く、ヘンゼルとグレーテルのパン屑みたいなものになったら、いいなと、思っています。

私は言葉が好きだからさ。
だって、言葉はいつも、儚く、脆く、そして美しいから。

今年もワクワクする一年になるんじゃないかな。

みんなと一緒に、何かをしよう!

その時はどうぞ、私を助けて下さい。

本年もどうぞよろしくお願いいたします!







2015年3月12日木曜日

あけましておめでとー!

もう三月だけど、そんなの関係ねー、そんなの関係ねー!


(古いですよね、だいぶ・・・でもボケはこのくらい薄ら寒くなきゃね・・・)


シータマ、インドで頑張ったよー。もとい、まだ頑張っているよー。でもだいぶくたびれてきてます。ボロ雑巾のようですわ。


今シーズンは、なんかきつかった。人間関係とか、男女格差とか。いままで遠ざけていたことですから、まあ、ここらでちょっと考えてごらんよ、ということなのかも知れませんね。



グローバル・ジェンダー・ギャップ・リポートは男女格差の少ないほうから順位をつけてるんだけど、先進国といわれる日本は堂々の104位、残念。インドの114位とたいして変わりない。


・・・とはいえ、教育においてはそこそこ対等なんだと思うのです。なので日本にいてジェンダーギャップというものを、そんなに感じたこと、意識したことは無かった。ライブハウス界隈の世界は男の世界だけど、でもステージできめられれば、逆転は余裕で可能だったと思う。


しかし、インド。


男性側の意地と意識の問題は、日本の明治時代みたいな感じだから、嫌な気持ちにさせられることが多々ある。今年はそれを何度も何度も、目の当たりにしたし、暴力的な目にもあった。


悲しいのと、怒れるのとで、何度も泣いた。


まあ出る杭は打たれるってことで、仕方ないのかもしれない。でもさ~、It's not your businessじゃん、ほっといてよ。なんであんたほっとけないのよ、○玉の小さい男だな!あたしをほっといてくれ!・・・と思ってしまう。・・・すみません。


アーシュラムとはいえどもそれは社会の縮図だし、いいとこばかりを見て「インドLOVE!」とはしゃいでいられない程度に、インド社会に片足を突っ込んでしまったようだ。ほんとに嫌なことだらけ。日本人は精神的に、レベル高いです。その素晴らしさが眩しい。


でも、それでもインドを嫌いになれない。


性差別についてだって、そう。
身だしなみや振る舞いの制限が、私をとても女性らしい気持ちにしてくれる。それって悪くないというか、素敵なことだと思うもの。表裏一体なんだよね。ただ、そのダイナミックレンジがワイドすぎて、その両端の価値観を一体ぜんたい、どこで折り合いつけたらいいのかが解からない。インド人も折り合いつけ切れてないように見える。ミキシングがえらく難しいレコーディングみたいな感じ。


本当に、いろいろと考えさせられたシーズンでした。いままで潜らなかった深みを見てきた気がする。なんの結論が出るわけでも無いんだけど、まだまだ考えの深みを探索中なんだけどさ、私なりに、短い私の人生を、どう生きるか、真剣に考えています。いい勉強の機会でした。


今年は真っ直ぐ帰ります。


いつもは帰り道で骨休めしたり、あるいはワークショップしにどこか寄ったりだけど、はやく眩しい皆といっしょに勉強をしたいよ。


不思議なことに、インドに居ながらにして、住む家も決まってしまった。すべてがトントン拍子です。さあ今年はどんな年になるんだろう。わくわくしています。設計図をひかない、お金の計算もしない。打算も予定調和もやめよう。出る杭打ちたきゃ打ってみい、倍光ってやるから。他人の打算やプライドは私には関係ない。それだけはハッキリしたわ。今を、今だけを冒険しようと思います。


だから今年のテーマはトキメキかな。苦しいことや悩みのなかでも、日々の小さなトキメキに導かれて、若々しい、新鮮な気持ちで、生きていこうと思います。


みんな、今年もよろしくね。



ムナール紀行、さすがにもうすぐ書くよ!すまんすまん!わははは!










2012年4月13日金曜日

ごあいさつ、ふたたび。




 昨日、今年も無事に帰って参りました。皆様、お元気でしたか?個々のごあいさつの前に、ひとまずこちらで、帰国のご報告をさせていただきます。近々お会いできるのが本当に楽しみ。

 月並みですが、時の過ぎるのは早いもので、2009年にこのブログを始めて2年と数か月が発ちました。ということは、この仕事を始めてから、もう8年目。長い長い記事になりそうですが、休み休み読んでいただけると幸いです。

 2005年、NYで泣きながらSivananda Yoga Vedanta Center(以下SYVC)の指導者養成コースを受けて帰ってすぐ、東京のYOGAJAYAで教えさせていただくようになりました。その話が決まった時は、当時住んでいた杉並から代官山などという洒落た場所に出るのが恐ろしく、NYに逃げ帰っています。「スワミジー、恐ろしくて教えられませ~ん!」と弱音を吐いたら、「何言ってるの?ユミコはいい先生になるよ!さっさと帰って教えなさい!」とあんまり優しくして貰えなかった。最初のクラスのドキドキは、今でも覚えていますね。声が震えるのは緊張なのか、窓から伝わる空気の冷たさなのか、わからなかった。

 2006年。追ってコースを受けたSivakami久美子さんに「SYVC認可のヨガセンターを作るが手伝って欲しい」との頼まれたのは、小春日和の井の頭公園で、鴨がワーワーいって可愛かった記憶。その時、五位鷺という鳥の名前と、チビクロちゃん(と私が呼ぶ鴨の一種)は潜りの天才だということを彼女に教わりました。

 断ることが苦手な天秤座O型の私。我が性格を悔やんだほど苦しいことばかりだったけど、2007年に、都認可のNPOとして、皆が奉仕をしたり、疲れを癒せたりする小さな小さなセンターが誕生しました。その場所を、愛し、訪れてくれる人が居たということ。ますみちゃん、みゆきちゃん、よしえちゃん等など、当時の生徒さんが、今、立派に、社会のリーダーとして活躍しています。かずよさん、たけしさん、ちずるさん、など当時にちらっと遊びに来てくれた、遠くの方々とも、インドで再び会えたり、あそごは、小さいけど、ほんとに温かいご縁の場所でしたね。

 いろいろな意味で私を育ててくれた東京に恩返しをしよう!と勝手に決めて、休みも取らず、ひたすら同じ場所で、教え続けてきた三年間。2008年に上級の養成コースを取った際に、またも「次はインドと世界に恩返しだ!」と思ってしまったのね。それで2009年、レギュラーの仕事を全部辞めた上でインドに行った訳です。

 SYVCの主催する養成コースらのアシスタントを二つほどして、それから、自分の修行と巡礼を少しして、後はインドのセンターで汗疹だらけになって働いていました。「長い間、日々の暮らしの中で私のクラスを楽しみにして下さっていたすべての生徒さんを、ほったらかしにして申し訳ない、でも皆にはちゃんと精進し続けて欲しい・・・。」実は、そんな気持ちから、このブログを始めたんです。

 しかし帰国後、心の中に澱のように沈んでいたモヤモヤが、ついに爆発。センターで奉仕してくれるのTTC卒業生たちの知識レベルが「?」なことに、フラストレーションがたまっていました。2010年のある日。(本人よ、暴露してごめん。読者よ専門話でごめん。)ある先生が生徒さんに「大丈夫、フィジカルボディは貴方の本当の姿ではない。アストラルボディでもない。コーサルボディよ!」と諭すところに遭遇し、「シータ後ろにグィ~ンと90度のけぞる事件」が起こるのですね。もう、「まことちゃん」(・・・て知ってる?)バリでしたよ。

 私は、本当にガッカリしてしまった。ヨガブームで多くの人が先生を目指してコースを取りに行くようになって、もちろん本人たちの姿勢にも問題があるのだろうが、コースのクオリティーがなんだか、低くなっているような気がする・・・と自分で手伝ってみて思っていたのです。いくら私が東京でせっせと補講しても「ああトコロテン式に押し出されたらぜんぜん追い付かない。」・・・と。


 それで、人見知りの私には「無理!」的存在だったSwami Govindananda先生に、初めて個人的なコンタクトを取るのです。この時SYVCは既に、この最後のインド人スワミを追い出してしまっていたのだけど、私は数年ぶりに弱音と愚痴を吐きます。なぜなら、この人だけが私の知っているSYVCのスワミの中で「真実」を知っている先生のように思えていたから。


「スワミジ、私はほとほと嫌になってしまいました。多くのコースはインスタントで、人ばっかり何百人も集めてるのに、どうしてちゃんとしたことを教えないのですか?私が日本で教えても教えても、どんどん聖典にない間違ったことや勝手な解釈を教える人が送り出されてくる。もう疲れました。」

 
 これが、私とスワミジの下で働かせてもらうことになった直接のキッカケ。だから「貴方はコーサルボディ」発言にすごく感謝してるんだ。

 その時のスワミジからの返事は

「おー、シーター・ヨーギーニー!確かに今のSYVCは間違ったことや独自のアイデアを教えているね。だけど僕らのやっている仕事は、組織の仕事ではなくSwami Sivananda Gurudevの仕事だよ。僕の師匠だったSwami Vishnudevanandaも紛れもなく正しい先生でした。だから心配しないで。あなたのダルマ(正義)に従って正しく生きなさい」と。



 2010年、SYVCのタイTTCでボランティア。そのあとインドで、独立されたSwami Govindananda先生と、ゼロから、アシュラムづくりの活動を始めました。2011年6月。かねてからSYVC本部が兼ねてから欲しがっていた私達の小さな認可センターが、正式にSYVCの名義となり大きな場所でオープンします。私はそこに合わせて帰国したわけですが、ブッキングされていたクラスは一方的にキャンセルされ続け、こちらからの問い合わせには応じて貰えない、という状況で出入り禁止だけ言い渡されます。

「追い出した後にやっぱり戻ってきてくれと頼んだら断ってきたようなSwami Govindanandaは、Sivanandaファミリーじゃない。君はその人を手伝ってるから」

・・・という幼稚な理由でした。これでは「追い出したことが間違いだった」と認めているようなものですしね。

 どんな組織でもヤッカミとか、政治的なしがらみはありますが、クラスを楽しみして待って下さっていた生徒の皆さんにまでご迷惑をおかけしたことは、本当に申し訳ありませんでした。遠方から状況して下さった方もいらっしゃったのに。日本的な消極性からこの状況を皆さんに、これらのことお伝えすることを控えさせていただいていましたが、一年近くの時を経て、何もそんなにコソコソする必要もないか、とふと思いついてしまって、ここにオープンにします(笑)。私らしくないし、暗い。

 インドで懐かしい再開を果たした人達に「実はこういう理由で蹴りだされたんだー!」と告げると「みんな知ってるよー!」(私「どうやって?」)「そんなのBBCフラッシュニュースだよ~!」「でも心配しないで。僕らの家はいつでも君の為にオープンだよ!」と言ってくれる。そっか、日本の生徒さんも知ってることだしね。そもそも私なんて、単なる名もない一介のボランティアだったわけで、首にされるとか、辞めるとか、そういう大袈裟な話になる程のことでもないのよね。

 実は私の元にも、幾たびか「東京センターに戻ってきて住んでくれないか?」という打診が何度かありました。声を掛けてくれる皆さんの温かさに感謝しつつ、しかしお断りさせていただきました。

 2009年の時点から「チェータナ先生を手伝うな、Vedanta習いに他のアシュラムに行くな、一生お金の心配はさせないから本部の永久スタッフになれ」などとSwami Mahadevananda先生から制限と打診をされていました。全ては一つというVedantaの教えと矛盾するように思えました。 センターやアシュラムで起こっている数々の教え・・・道義?に反する出来事も見てきたし。


 でもね~、そんな危ない結婚のような話を、この私がホイホイ聞くわけないじゃないですか。肩書や実績なんて所詮「名前と形」にしか過ぎないんだし。「そんなの私の生徒さん、みんな知ってるよ~、Swamij Mahadevも分かってないな~?」と正直思ってた。この矛盾を抱えたまま暴走する組織にどうしてコミットできましょう。だから「所属していない組織からのクビ宣言」は、生徒さんには申し訳なかったけど、私にとっては実はラッキーなことでした。もしかしたら、この記事を記していること自体、保身であるのかも知れないけれど、自分を偽らず、正直に生きていくのが一番。そんな訳で私は、どこにも頼らない、変わらぬ私のまま、Swami Sivananda GurudevとSwami Vishnudevananda Maharajの道具として、この仕事に身を捧げるのみ。


 親愛なるわが師Swami Govindanandaをはじめ、多く師、人生の先輩の口から「十分なキャパシティーがあるのに、何もしないのはダメだよ。本当の意味で自立し、人々をリードし、為になることをしなさい。」と言われ、長年の消極的な考えを捨てました。「自分のヨガセンター?そんなの人が沢山来ちゃったら嫌だからやらないよ!」という変な考え。私は子供のころから、お芝居でいうと脇役の小動物みたいな、責任のない立場が好きなのです・・・が、皆さんの言うとおり、いつまでも子供では(いたいけど)いられません。


 私が場所になる覚悟をしました。「Sivananda Yoga Vidya Kendram」という場を作ります。物理的な場所もありません。何もありません。つまり、私しかいません、うははは(笑)。名前はSwami Govindanandajiと話て決めました。Sivananda先生のYogaの知識の中心、あるいは心臓、という意味です。「いいんじゃない?でも英語読みでKendraにするのはやめてよ、ちゃんどKendramね!」というスワミジらしい細かいアドヴァイスを貰いつつ。


 今は、先生たちを指導することが多く、時には厳しく接しなくてはいけない場合もあるかも知れない。しかし、私自身、師匠に叱られながら、これからも変わらず努力研鑽してまいります。そして明るく、明るく。今後とも、どうぞ、よろしくお願いします。


故・沖正弘先生の著書の中にこんな記述があります。

「物事の真実を把握して、人に正しさを教えることのできる人のことを霊格者といいます。」

・・・そういう人ってどんな人かというと、

「感謝心、懺悔心、下座心、奉仕心を持ち、愛の心で愛の生活ができる人のことです。」

・・・では愛の心って何?

「愛とはいちばん正しく物事を把握し、いちばん正しく物事を実行することですが、この基本が感謝、懺悔、下座、奉仕の心なのです。このためには体を柔らげること、心は安らげること、生活は楽しむことが必要です。ヨガの肉体的訓練はすべて体を柔らげるものであり、この原則が笑いです。そして、体全体を笑わせるものが呼吸法なのです。
 心を安らげるためには喜びを感じる必要があり、喜びを感じるには感謝心がなければならないのですが、おかげを感じないと感謝心はでてきません。」


 人を指導する人間、つまり先生とは「真実を知る人、つまり正しさを実行し、教えることのできる愛の人」ということですよね。私たち日本人はこんなにラッキー。こんなことを日本語で教えてくれる尊い先人がいるのですから。精進します。

 写真は洞窟に入っちゃったスワミジの鞄持ちをしつつニヤニヤする私。ありがたいことです。これからも一緒に楽しいことを沢山しよう。



ご挨拶にかえて。

Sita 寺崎 由美子

2012年1月1日日曜日

謹賀新年




新年、明けましておめでとうございます。

本年も、皆さんと、世界中の人々の心が、日々満ち足りて、幸せでありますよう、お祈りいたします。



 アンボリは、まだ2011年。外からディスコ音楽がズンドコズンドコ、聞こえてきます。花火もね。インドも年越しをお祝いするんだなあ、と気づきました。

 私は、というと、来月の引越しに向けて、部屋が倉庫のようになっており、しかも今週、インテンシブコースが終わって、タットヴァボーダというテキストを勉強するコースが始まったので(2009年にケララで手伝ったTTCの生徒3人が来てくれてますfrom Europe)、また悲惨なほどに忙しいので、部屋が大変なことになっている。事務と、ヨガクラスも教えなくてはいけないから、自分の時間といえば洗濯する位しかないです。


 今日のQ&Aの時間に出た質問。

Q:グルクラム(先生と生徒が同居する寺子屋みたいなところ)では、師匠は生徒の資質を見極めて選ぶ(ふるいにかけていく・・・というような意味と思われる・・・)のですか?

A:新しい子が入門してくると、先生はその子に何かしらの仕事を与えて、様子を見ながら資質や傾向を判断する。しかし、先生がふるいにかける、ということはしない。奉仕の仕事と、勉強の時間と、想像を絶するタイトスケジュールが、結構しんどい。それに耐えられない子達は、自分達から去っていくからね。資質のある子は自動的に残っていくし、残っていられる子が資質のある子ということになる。


・・・というような話。どれだけグルクラムの暮らしが大変かを、「自由時間は洗濯の分くらい」と先生が説明してくれるのを聞いて、「ん?これ私じゃん!」と思ってしまった。人使いの荒いこと!と思っていたけど、どうやら私はスワミジのグルクラム(私しかいないけど)に入門していたらしい!!もうしばらく必死にしがみついてますよ。



◆2012年の展望

 今年も「生徒」として、同時に「先生」として、与えられた仕事を一つずつ、こなして乗り越えていくのみ。 


具体的には、

①タイのマッサージ学校から、ヨガのコースのオファーをいただいたので、今年、それを実現できるかどうか、見てみましょう。タイマッサージを習得する時間も組み込まれるのではないかと思うけど、私サイドでは、

「一ヶ月のTTCに行くほどの休暇は取れないけど、ヨガとヴェーダーンタの世界観全体を把握して、身近な人とシェアしたい」

・・・と思っている方に、確実に対応できるような、1週間から2週間の少人数のコースを出来たら・・・と思ってます。それが定期的に開催できたら、いいかな。皆のスピリチュアルヴァケーション。何度来て貰っても変わらぬ価値のあるような・・・。私達の小さなグルクラムを。



②それから、司祭のSwami Nivedananandaに略式のPujaの儀礼を授けて貰う事になってるので、日本で皆とPujaをしよう。


③あと、昨年から思いついている本を書き始めたいですね。出版にこぎつけるまで、どれ位かかるか解からないけど。

 
まあ、それらが、時間の都合などで実現出来なかったとしても、それはそれで全然オーライです。


小さなことを、コツコツと、大切に。


本年も、何卒、宜しくお願い申し上げます。


バーラタより愛を込めて

寺崎 由美子 Sita