2014年9月5日金曜日

ムナールに行ってきた。Part 2

さて、ムナールシリーズの続きです。

ムナール紀行 予告編
ムナールに行ってきた。Part1 


寝床があるってしあわせー!

暑くなくてしあわせー!

と毛布の中でぬくぬく丸まって、鼻先の冷たさに気づくと、そこに朝がありました。

ベッドの中から。ちょうどいい長袖が無かったのでデニムのシャツで眠った。



反対側から見るとこう。


部屋がどのくらい狭いかというと、四角い部屋の角にシングルベッドをドーンと置いて

そのベッドの足元と右側にちょっと歩けるスペースがある。三畳間といったところ。

これで450だか550だか・・・・。高い・・・。でも・・・


窓の外をみて、やっぱりここでいい、ここにする!と決めた。





ここは4階、つまり最上階。ほかに住人はおらず、隣にあるのは、一応屋根を取り付けてあるが、屋上である共同スペース。つまり私の部屋はペントハウス。

さっそく、その屋上に無理矢理マットを敷いて、アーサナをする、ちょっと時間が遅くなると途中で他の住人が上がってくるので、翌日からは結局、自室の“隙間”で洗濯物に絡まりながらすることになる。

アーサナを終えたら、階下でお茶を頼んで、ルーフトップのテーブルに陣取る。チャイは20ルピー。高い。電化製品使用禁止の張り紙があり、使えそうな電源もみあたらないので、仕方ない。


お茶を飲み飲み、ここ数年溜め込んでしまった、講義の聴講ノートの清書。目が疲れたら目薬さして外を眺める。




あの丘は茶畑。


午前11時になるとサイレンがなるなあ、と思っていたら、それは休憩時間の合図で、みんな畑から道に降りて来る。座り込んで、お茶を飲んでいるようだ。お茶が終わると、三々五々畝のなかに戻って行く。




2、3時間勉強したら、お腹も減ったことだし、最初にバスで到着したニュームナールまで歩いてみた。散策大好き。なにか面白い物が見つかるかも知れない。


・・・が、しかし、である。


うーん。何も無い。これといって、何も無い。カフェもなけりゃ、泊って楽しそうな宿もない。ローカルの商店街があるが、これ以上サリーを買っても仕方がない。唯一、地元産のチョコレート(これはヴァルカラに店を出していたムナールのスパイス農園のおやじの店でも売っていた)が魅力的だったけど、新しいハーモニウムを買ってしまったので、飛行機の荷物重量制限がある。


とぼとぼと辿る帰路、八百屋で蜜柑とバナナを買って、また勉強。


結局、四日間の滞在中、勉強しかしてなかった。ポストカードも書いたけど、投函出来なかった。ムナールを貫通する一本道をただ歩いた。外国人のバックパッカーも少しだけいたけど、友達も一人も作らなかった。ただ静かなだけの時間。




「パ〜プ〜!」

遠くから懐かしい豆腐屋さんのラッパの音。

ビックリして、窓の下を見下ろすと、三輪オートで魚を売っている魚屋さん。懐かしい光景、「三丁目の夕陽」みたいだね。だけど、太陽は燦々、ここはインド。はためく洗濯物の赤の、逞しい木々の緑の、鮮やかなこと!近所の奥さん達が出てきて、車を止める。

私は、やっぱりインドの人の、この暮らしが好きだな。都会のシャレた大きな家もいいけど、つつましくて温かい、この暮らしぶりがいい。とてもとても普通だと思うから。

裕福ではない。家も小さい。トイレは外。だけど、みんなが重なり合うように眠る夜に、みんなが幸せを感じていることは、わかる。いいなって、思う。


そんな暮らしを、こうして空から眺めて、いいね、って思うのが、好きなのかも知れない。




屋上で出会った日本人風の男性に、本をあげようと思って声を掛けたらアメリカ人だった。ムナールでの唯一のアクティビティであるトレッキングに行くという。せっかくムナールだもん、こんな街道沿いで燻っているよりも、大自然に分け入りたいよ。私も行きたい。だけど靴が無いから行かれない。

勉強、勉強、勉強ばっかり。すごく楽しい。でも・・・。



これは2012年の2月、アンボリのノートだね。
Swami Tが毛糸のチョッキ着てるからわかる。




そんなある日、お茶を頼みにいったレセプションで、発見したビジネスカード。ここのホテルは、もっとへんぴなところにコテージを持っているらしい!

大量にあったノートの、全ての清書も、今日、終わってしまった。

なんとかここに行けないものだろうか!


続く