2014年11月29日土曜日

みんな愛のせい

私と同世代の人なら知ってるかもしれない。

私の高校生のころに、種ともこ、というシンガーがいまして、ときどき私は、その人に気配が似ている、などと言われたりもしたのだけど、それはさておき、「It must be love」という歌があるのです。


じっとしてるとひそやかににおってくる
すましてるとむくむくとほころんでくる
The one thing we always keep waiting

(中略)

It must be love
ちょっとだけ悲しくなって泣きたくなる
そんな時だって楽しいことふくらんでくる

(中略)

ごはんを食べるのも眠るのも
トイレに入るのもみんな愛のせいね

買い物にいくのも歩くのも
レジで並ぶのもみんな愛のせいね

けんかして泣いて帰ったらお茶をわかす気もない
ひとりの部屋にすわって鼻をかんでるの
元気出して ともこよ 泣くのはやめなさい
いつかきっとうまくいくから愛を信じ続けなさい

(中略)

ごはんをたべるのも眠るのも
お風呂にはいるのもみんな愛のせいね




ここで歌われている「愛」のことを私は「恋愛」の「愛」のことだと、これまでずっと思ってたんだけど、そうだとすると、意味がわからないというか、いまいちピンとこない歌詞なわけです。

しかし、「あれ、もしかしたら違うかもしれない!」と突然に思い出したのですよ。



読者には心あたりのある人もいるかもしれないけど、私はどうも、ヴェーダーンタの知識を駆使した人生相談ばばあ(笑)、みたいな役をこの世でになっているようで、それはインドにいても同じなのね。ヴァルカラの母か・・・みたいな。


それで、先日、へヴィーな人生を経て、トウマによる否定的な思い癖から脱却できないインドの女性に長いことお話をしてたわけです。

「自分が不幸になる理由は全くない、って理屈では分かるんだけど、それでもどうしても自分を愛せない。家族に愛されていることも頭ではわかるけれど、でも全然実感として感じることが出来ない。アシュラムにいる今は幸せだけど、実社会に帰ったらまた、全世界に否定されているような、つらい私にもどってしまう。どうしてシータマは(いろいろトラブルに巻き込まれてる割に)いつも余裕かましてるの?」


という訴えるこの女性に対して、どうしたらニュアンスが伝わるのかなあ、と思ってこういうふうに言ったのですよ。その女性は動物や自然が好きな人だったので・・・



See(これは極めてインド的な英語)!

そこにほら、花が咲いてるけど、

あの花がああやってキレイに綻んでいるのは、

なぜならあの花があなたを愛しているからだよ。

空が青くて高いのも、空があなたを愛しているから。

犬が夜中吼えるのも、雨がどしゃどしゃ降るのも、みんな愛のせい。

ぬかるみですべって転ぶのも、星がきれいなのも、

性悪な夫に罵倒されるのも、涙が流れるのも、

あなたと私が出会ってこうして一緒にいるのも、

怒って悲しくなっちゃうのも、

みんな、みんな、みんな愛のせい。

全部、世界の愛の表現。

あなたは世界に愛されている。

「存在する」ってそういうことだよ。




私がこの話で何を伝えたかったかというと、まあ、

「あなたの好む好まざるで、幸せをジャッジするからつらいんですよ。幸せとか愛とか、そもそも好きとか嫌いとかと別の次元(つまり高い次元)の話ですよ。あなたは世界に愛されてる、なぜなら、つまり、あなたが世界を満たす存在の源とたがわないからですよ」

・・・というようなことなんですが、まあ、伝わった感触はあります・・・てのは置いといて、この一件で、種ともこの、その歌を思い出したのね。


もしや、あの歌詞って・・・、えー!恋愛のことじゃなかったの?もうちょっと大きい愛の話だったのでは?

真偽のほどは分かりません。作詞したご本人に聞かないとわからないことでしょう。

私もちょっとやなことがあって、悲しかったんだけど、でたらめ歌を歌っちゃうな~。

元気をだして ゆみこよ 泣くのはやめなさい
あ でも今日はゆるす 泣きたまえ へこむのもうぇるかむ
知ってるもん 悲しくなるのも みんな愛のせい
It must be love なんてもんじゃない
言い切れるよ あたりまえっす
Everything is just because of love.





犬が穴掘って寝てるのも みんな愛のせいね。
おやすみ~。














2014年11月15日土曜日

とつぜん読書録、ヴェーダーンタ編。

いつもは気にしないことなのに、複数の蚊が目の前で、いかにもうるさく飛び交うもんで、とっさの無意識に「おすだけベープクリスタル120日」を取り出して、シュシュッっとふた吹きしてしまったんだけど、トイレに行ってみたら沢山の蚊が落ちていた。蚊帳の上にも沢山落ちていた。



説明書によれば、6畳間の場合、部屋の四隅から中心に向けて、トータル4回くらいシュッとすることになっている。が、壁に向かってたったの2回のシュシュッでこんなに・・・。どんだけ猛毒なんだ。うーん、すみませんでした。


さて、私は早くも気持ち的には2014年の総括に入っていますが、インドより久々の今年の読書録。

もちろんこちらで紹介するくらいだから、ターゲットは読者のヨーギー、ヨーギニーの皆さんですね。ヴェーダーンタ、すなわち、宗教とか概念とかじゃなくて、世が変わっても場所が変わっても変わらない普遍的な真実をトピックとする学びです。 

ということで、「ヴェーダーンタで言いたいことはこれなんだよっ!」という本を集めてみました。


一冊目は「日本霊性論」 (内田樹、釈徹宗)


神戸のウパーサナサンガの帰りに、西明石の駅ビルで買いました。いつもは100%古本なんだけどね、頑張ってお仕事を全うしたので自分にお給料を出そうってことで、新品の本を。


出版されたばかりだったので、本屋がクローズアップしてたので目に付きました。

内田樹という人のことを私は良く知らないんだけど、「なんと頭の良い人なんだ!」と新幹線の中で驚愕した一冊です。ヴェーダーンタの生徒さんに読んだ欲しい本。

どっかのアシュラムで特に手ほどきを受けたって訳じゃないのに解かってる人は、解かってるもんんなんだねえ、って感じ。


だれだって、自分の内側から起こる知識を体験しているのだとは思うんだけど、その感じを、では言葉にして他人に伝えることが出来るか、っていうと、別問題になってくる。

内田樹は言葉を使うスキルがすごい。それが五感の届かない範囲のことをを文章化するということです。しかし同時に、この本は読者に、ある程度その言葉を理解するスキルを要求します。万人にとってメリットのある大事なことを語っているけれど、万人がわかる簡単な言葉ではないのが、ちょい難点かな。

とはいえ素晴らしい本でした。


                                              


じゃあ、その話の全体像というか結論をですよ、いかにものすごく簡単な言葉で伝えるかってことになってきます。これも上記の本と一緒に買いましたが、「あなたは生まれた時から完璧な存在なのです。」(鈴木秀子)

おそらく著者の鈴木秀子シスターは、ものすごーく頭の良いアカデミックな人であることでしょ。しかし、女性らしい「コミュニケーション能力の高さ」をもって、ものすごく柔らかく温かい言葉で、大いなる結論を表現している。

なるほどー、こういうやり方もあるのかあ。簡単そうに見えて、これはなかなか難しいと思います。簡単でいて精密かつ親切な文章。いつかこんな風なスキルを身につけられたらなあ・・・。

とても感心したし、感動しました。タイのリトリートのサットサンガでも引用したよ。







そして最後に紹介するのは、「手をつなげば、あたたかい。」(山本加津子)

お馴染みトゥラシマタが貸してくれました。


こちらはですねえ、一番泣いてしまった。

上記のものよりも、もっともっと簡単な言葉で、かっこちゃんの体験と、そして、かっこちゃんの気づきを通して言葉が描かれているエッセイです。


しかもかっこちゃんは天然、ナチュラルボーンです。黒柳徹子を思わせます。


この人のアンダースタンディングはすごい、知識がご本人としっかり一つになっている。いわゆる悟った人ですよ。


ここに引用したい言葉が沢山あったのだけど、出国前のバタバタの時で、メモを取るのを忘れてしまって、だから生徒の皆さんは是非、図書館で借りて、あるいは買って(アマゾンで古本可)読んでみてね。


たぶん、いつもの、ふつうの暮らしが、もっと輝くと思います。悩みで曇っていても、雲の向こうにいつだってある太陽に、いつでも気づけるようになると思います。

毎回、先生、古い!といわれるのを承知の上で言わせておくれ!

チェケラッ!






2014年11月3日月曜日

ただいまインディア。


皆の衆、如何お過ごしでしょうか?

ムナール紀行を終える前にインドについてしまった。かたじけないこと限りなし。


しかし、ここ「インクレダブルインディア!」にきても、まったく胸がときめきません。長いこと留守にしたわ~、って程度で、ホーム感ハンパ無いっす。

「あたしゃ、これまでに何度も何度もインド人だったんだろうな~」という妄想も、あながち想像のみにとどまらないのではないか・・・。となると、日本にわざわざ生まれたからには、なにかとっても大事な用事があるんでしょうね、日本に。


それはさておき、本日のガネーシャホーマをもって、我らがSivananda Yoga Vidya Peethamの2014-2015ヴァルカラシーズンが正式にスタートしました。

荷物を運んでから今日までの一週間の間に、もう5人の日本人が代わる代わる来てくれて、本当にありがたいことです。


美保ちゃん夫婦が訪ねてきてくれたとき、スワミジが時々日本語で何か言うので、美保ちゃんがビックリしてたんだよね。そしたら、お父さん「そりゃちょっとくらいの日本語は知ってるさ、シータマともう何年一緒に暮らしてるかって~」とおっしゃった。


そういえば、もう5年目になるんだよね・・・。

本当に、お父さんと私とゴパールジしかいなかったのよね・・・。

しみじみ。


スワミジの新しいアシュラムの建設が終わり、そこを軌道に乗せるまで。いつかは終わりが来ることではあるんだけど、こうしてスワミジの側でたたき上げられることは、ものすごく、幸せなことです。


この11月は、なにがスペシャルかって、4年ぶりにマニと一緒に仕事する。初回が一番良かったと云われているタイのメンバー達と、とても良いスタッフチームが出来上がりました。



私は、スワミジと過ごしたこの4年間で、弱みを見せることが少し上手になった。



最初のころは、強くあろうとするばかりに、よく心がクラッシュダウンしてた。


初めて人前で泣いたら駆けつけてくれた掃除人のマラッカニーと、ワサントおじさん。お腹が痛いのか?と私の腹をさすって、泣くな、泣くな、と。


あるいは、いつもボエーッとしているサトーリーが、「あいつらまたこんなことになったら、俺が日本語で怒鳴り散らしてやる」と言ってくれたこと。


スワミジの前で怒り泣きが止まらなくって部屋で死にたくなっていた私を見舞ってくれたカオリちゃん。

そして、そっと様子を見にきてくれたスワミジ。



みんな、みんな、思い出すだけで胸が熱くなる。


それなら少し、その言葉に甘えてみよう。



実は弱みなんて無かったりするかも知れないんだけど、敢えて弱みを見せることで、物事が円滑に運ぶこともある、それもまた事実でしょう。


かっこつけあって、牽制しあうのではなく、弱いところを曝け出しながら、泣いて笑って、持ちつ持たれつ。今回は、マニを含めて、相互にそれが出来る相手達が集まったんじゃないかな。


そのようにリラックスして仕事が出来るというのは、とても大事なこと。

そんなわけで、いま、とても良い雰囲気が漂っています。


日本でも「弱み見せ上手」の「甘え上手」でいれたらいいんだけどねえ。

来年はその辺を頑張ろうかな。



スワミジにカメラの使い方を伝授してシャッター押してもらいました。

撮影 by スワミジ

というレアな一枚。

ではムナール紀行、近日公開、頑張るねー!


2014年10月3日金曜日

ホシハナのシータマメモ。

みなさん、こんにちは。

ムナール紀行の途中ですが、タイに来ちゃったのでまたしても閑話休題です。

週末からスタートする10日間のリトリートの準備と、自分をいたわる為に、一足さきにホシハナヴィレッジに到着。なので、自慢ブログです(なんじゃそりゃ!)


まずは、このブログでたびたび姿を現す、I love India号を紹介しましょう。OSは、ときどき私をイラッとさせるWindows 7 starterです。私の、忍耐強さと寛容さを鍛えるためのツール。




昨日、今日と、すいかハウスに泊まっていますが、明日から土の家に引っ越します。

日本からの深夜のフライトで一睡もしていないうえ、東京のウパーサナサンガ・ダクシナムールティクラスの面々の到着を受け、深夜までトークをしてしまったので、今朝は8時半まで寝てしまいました。目覚めて最初にみる風景は、この光の窓ですよ。

ああ、独り占めしているのが勿体無い。誰かに見せたい!

でも、惜しくも独り占めなんだなあ~、それもまた大人の贅沢です。くふふ。




昨晩のうちに、リトリートで使う品々を搬入。



参加者の皆さんの殆どはまだ日本にいらっしゃるので、ネタばれになるといけない・・・ってことで遠巻きですが、われらがグルデーヴ・スワミシヴァーナンダ先生もご到着、深夜二時半まで、リトリートバッグのオーガナイズしておりました。いつもアーシュラムでせっせとTTCバッグを作っている、まさにあの感じ。


まあ、そんな徹夜&夜更かし明けの今日は、まあ眠くて眠くて仕方がなかったのですが、

・近所の洋風のカフェで昼食バカ食い


・打ち合わせ

・ショップでバカ買い



・プールでバカ泳ぎ

・近所のタイ料理屋で夕飯バカ食い。(まぶたが腫れちゃって大変よ!)




など、とバカアクティブに過ごしました。

バランスの為、明日は、バカパッシブにいこうと思います。



リトリートするってね、結構、大変。

いやいや、これほんとなのよ。だって、ガキの使いじゃないんで。

企画。打ち合わせ。ことにお金の打ち合わせは、私とホシハナ、そして参加者に三方にとって、損失が無いように。

(みんなにメリットがあるように、みんながちょっと得した気分になれるように、そういう落としどころが、探し出すのは難しいけど、あるんですよ、きっと。自分が沢山お徳感を得るために、人のお徳感を搾取してはいけない。)


頭の中の準備と、沢山の机上の準備と、体を使った準備。


私は、自分でこれらの仕事をしますので、企画をたてて、私を招いてくださる方の大変さは骨身にしみてわかります。いつも本当にありがとう。


この大それた企画を、全力でサポートしてくださるバーンロムサイのスタッフの皆様には、それこそ足を向けて眠れません。感謝、のひとことに尽きます。


それから、今年の私の一大イベントだった、ヨガの出来るホール寄贈プロジェクトに、お力添えを下さった全ての皆様。


READY FORのプロジェクトサイトの新着情報と、支援者の皆様への報告書において、近々、正式にご報告させていただきたいと思います。

が、一足先に・・・



無力な私に力を貸してくださって、本当に、本当に、本当に、ありがとうございました。


道端でほころんで、行く人にそっと微笑む、小さな花のような、皆さんの優しさの結晶がいまここに、形となって顕れました。

その「名前」と「形」と「福利」は、子供達の生きる、大きな糧になるでしょう。

そして、この世界で、私の生きる、強い支えになるでしょう。


この建物の姿は私にとって、百七十余名の他人同士の「たったひとつの愛」の象徴です。

名前と形の背景に、それは在ります。

それは、神とは、愛のことをいうのでしょう?



愛を、信じることが出来る者は、きっと強く生きるでしょう。優しく生きるでしょう。



私は、「好き嫌い」のことを言ってるんじゃありませんよ。

燃えるように欲っする気持ちのことでもありません。

念のため。




みんなに、見せたいな。

きっといつか、あなたの建てたこのシャーラーを見に、チェンマイを訪れてください。

愛をこめて。


Sita













2014年10月1日水曜日

シータマ・オン・ザ・ウェイ

ひさしぶりにウィンドウズを使っています@クアラルンプール。

この「I love India」と名づけられたパソコンは、一時、ONKYOがSOTECを買った時にONKYOの名義で出していた激レアノートブックで、私は家でのスピーカーとか、ずっとONKYO製品を愛用していたので、お気に入りなのですが、オフィスソフト込みで19800円だったので、当然ながら頭はそんなに良くありません。メモリーを増設したんだけど、それでも限界があるよ。

とうことで、作業が遅い。無料のネットワークは嬉しいけど、それもやっぱり遅い。軽~くイラっとしてみたり・・・。



ここで私が何をしているかというと、チェンマイ行きの飛行機をかれこれ8時間待っているところ。


この長い待ち時間を想定して、読み終えていなかった本を読もうってことで、ジャスティン・オブライエンの「ヒマラヤ聖者の教え」という分厚い本を持ってきた。

・・・んだけど、ご飯食べたり、隅のほうの床で昼寝したり、足裏マッサージうけたりしていて、全然進んでいません。


この本は、筆者がヒマラヤでスワミジと25年間ともに過ごした日々を綴った記録ものですが、これは私にとっては泣いちゃうこと必至の本。語りだしのとこで、もう泣いた。


お父さんこと Swami G とのことを思い出してしまうから。

Gは私にエラい厳しかった。こんなに厳しくされたことはありません。人としての徳を積むための、それはまさに躾でした。いい年して恥ずかしいんだけど、親の躾以上の効力があったと思う。そして親以上に、あきらめずに、エゴを絡めずに、私を躾けてくれるグルの愛の偉大さに、ありがたくってどうしていいのやら・・・。私も、泣きながらもよく諦めなかったよね。それくらい厳しかった。


お父さんはいま中国。私はこれからタイです。

最近はあまり怒られなくなった。寂しいというよりは、信頼してもらえているのが分かり、またありがたい。


お父さんが私をこうして躾ける、その意図は、人に優しくできる強い人を作りたいんだと思います。困った人や悲しい人が一人でも少なくなるように。お父さんは優しい。君は沢山のろうそくに火を灯せる人間になりなさい、と言っていました。

それは大それたことではなくて、まあ「遠くにいる沢山の人」もそうなんだろうけど、「隣にいる一人の誰か」から始まることでもあるんだよね。そしてその為の絶対の資質は「ここにいる私を幸せにできる」ってことでしょう。


お父さんは私を、本当の意味で成熟させてくれました。感謝しても感謝しても、尽くしきれません。


ではでは、タイにいってきます。




2014年9月24日水曜日

ムナールに行って来た。Part 4

皆さん、スリランカ航空ではリクエストをすれば、コロンボでの長時間トランジットの際、宿泊が無料で付いてくるのをご存知ですか?


日本からの便だけのサービスかな?と思っていたけど問い合わせてみたところ「条件を満たしていればどこからでも」というお返事。


ただし、リクエストの応対をするのは出発地のオフィスのみ。


で、私は今回、マレーシアと電話で話す必要があったわけですな。気が重い・・・けど仕方がない。


私の英語なんて所詮、相手の言っている感じを真似ているだけだから、会話の相手によって発音が違っちゃう。主に、イギリス英語、アメリカ英語、インド英語の括りです。


マレーシアの人とお話しすることがあまりないので、どのパターンなのか分からず、どもるし、新しい感じのへんてこりんな訛りになってしまった。ああ・・・。


自分の英語を確立させたいものです。




さて、ムナールですよ。

ムナールの町から少し下って、自然の中のロッジにやってきました・・・ってとこまで話したよね。アメリカ人とフランス人が出てきます。








夕食時が来て、丘の上のメインコテージへ移動する。


コテージは平屋で、中央はダイニングルームを囲むようにして、4部屋とキッチンがある。管理人家族が一部屋使うから、ゲストは3組しか入れないそうだ。


ツンデレの奥さんを含む管理人の家族は、もとはタミルナードゥの人達だそうで、先祖が越境して移住したらしい。英国統治下は、茶畑ビジネスはさぞ盛況だったことでしょう。

三々五々、住人達がダイニングに現れた。バードウォッチャーのアメリカ人、作家のフランス人、インドは初めてというイギリス人の女の子二人組と日本人の私。他人同士でひとつの食卓を囲んでディナーと相成った。


インドのお母さんが作るご飯を食べられる宿は実にありがたい。レストランの脂っこい炒麺とか、悪くは無いけど、飽き飽きしていたところだ。缶詰になって執筆するのに最高の環境だし、そんな暇ができたら、いつか長逗留してみたいものだ。

夕食を終えて、自分のヴィラに戻る。お一人様好きの私には嬉しいけど、いざという時には決して好ましい環境ではない。叫んでも誰も聞きつけてくれないだろう。門を閉めてチェーンをグルグル巻きにしてから寝た。悪者が車やバイクで来た場合、少なくとも時間は稼げる。



さて、翌朝の朝食はフランス人と二人きりだった。アメリカ人は鳥を観に川にいってしまったし、女の子達は既に次の目的地へ出発してしまった。


私がアメリカ人から聞いていたフランス人の事前情報はこう。


「もう半年近く滞在して書いている作家なんだよ。彼はいいやつさ。でもちょっと厭世的なところがあってね、全てにおいて悲観的なんだよな。・・・You know、この地球は危機的な状況だ、とか、世界は退廃し尽くしている、とかいつも言ってる。」

そこで私は、

「うーん、あなたの言わんとすることは解る気がする。要するにフレンチってことだよね。」

と答えたのだった。


しかし、朝食の席でフランス人がアメリカ人について語るには、

「うん、彼はいいやつさ。でもただ一つ僕は嫌なところがある。世界のいろんな危機的な状況に対していつも“I don't care.”だ。これは彼の性格が悪いってことじゃなくて、アメリカが国民をそういう風にしているってことなんだけど・・・。」

なるほど。お互いがお互いの背と腹みたいなことだ。



I don't care. は「気にしない」って意味だけど、ニュアンスを性格に伝えるならば

「別に、関係ないよ、俺がどうこうしたって、どうにかなるわけではないんだしさ、気にしても仕方ないじゃん」・・・と言葉にしてくればまだしも、いわゆる「見ない振り」みたいなことです。


二人のそれぞれと、じっくり話をしてみて、私はどちらも好きだな、と思う。素敵な大人だった。だけど、フランス人に一票!という気分であることは確か。


フランス人の彼はもともとプロの登山家で、日本の登山家を自宅に泊めて長いこと一緒に暮らしたこともあるそうだ。登山に詳しくないから、日本人の名前を言われても解らなかったんだけど・・・。

登山をやめてから、もっとみんなに、大切なこととか、(ことに山男の視点からは)地球のこととか、を伝えたくて作家に転身したとのこと。



仏「フランスも終わってるよ。国民はすっかり骨抜きだ。これじゃまるでアメリカだよ。本当に悲しいよ。」

私「EUになったから?」

仏「それだけじゃないね。」

私「日本もそうだよ、グローバルになって、町も店もアメリカっぽくなってしまって、没個性でつまらないよ。なんでかっていうと、アメリカはどこの町にいっても同じモール、同じ都市計画、でしょ。日本の政治家はアメリカに骨抜きだしね。」

仏「グローバライゼーションっていうけどね、あれ言葉を間違ってるよ。本当はあれはアメリカナイゼーションなんだよ。」

私「!!確かに!そうだわ。その通りだわ。」




私が初めてインドに来たのは十数年前のこと。

シッキムの山奥のカフェで、朝食の席でこの手の話になったことがある。メンバーは台湾人、アメリカ人、フランス人、そして日本人の私だ。言いたいことは沢山あったのに、あの時は、一言も口を挟むことが出来なかった。人は変われるもんだな。英語は便利だ、と思う。



私は、基本的にアメリカの友人達が大好き。一緒にいて、なんだか楽。何故かは解らない。あの大ざっぱさが、大ざっぱな私の性に合っているのかもしれない。言葉は悪いけど、褒め言葉として、あのバカっぽさが、バカな私にしっくりくる。


ただ、日本と同じように、なんだか盲目化させられてる感は確かに否めない。

考える力を搾取されてしまっているというか・・・・。

事実、日本人の盲目っぷりの加速に、私は帰国するたびに土肝を抜かれている。



「もう止められないのかも知れないけれど、それでも、納得出来ないことには僕はNOと言いたいんだ、おかしいだろ、原発だって何だって。納得がいくまで話合いたいし抗いたいんだよ。」というフランス人の思いが、私にとっては正しい姿勢に思えたのだった。


大自然の懐で過ごし、人知を凌ぐ山の頂から「世界」を見てきた人の言葉として、余計に身に滲みた。


フランス人に別れを告げて、午前10時、迎えの車にのって、友人アニーシュの実家に向かうことになっている。とくに行きたいわけじゃないんだけど、断れなくて、そのストーリーに乗っかってしまった。

途中、バードウォッチングから帰ってくるアメリカ人とすれ違った。狙っていた鳥は見れたかな?自然を愛する、おおらかで朗らかな男だ。みんな、みんなが、そしてその家族が、どうぞ幸せであって欲しい。





















2014年9月15日月曜日

私の旅支度エヴォリューション

ムナール紀行のとちゅうですが、再び閑話休題。

読者に未だ人気の「ビフォー・アフター写真館」。今回、本人抜き、トラベルギアヴァージョンでやってみよう。


私の旅支度の進化について、その変遷を振り返ってみようと思います!まずはバックから。


before
タトンカの70Lバックパック。私のは、これの前継モデルの黒×グレーで、もう売ってません。2気室だけど、下の取り出し口はこんなじゃなくて、昔風の二階建て式です。購入の決め手は、このメーカーの値段の安さと、あと私がブランド名が、昔参加してたラコタ・スー族の言葉だったから。初めて&二回目のインドまでは、これでした。

※ちなみに言葉の意味は野牛。といっても「ハンタ〜チャンス!」の方ではありません(すまん!また古いこと言ってしまった・・・)。アメリカンバッファロー、すなわちバイソン。



after
おいらもすっかり年を取ったで、重い荷物を方に担ぐのはシンドイ。ということで、コロコロの付いた、バックパックに買えました。イーグルクリークの55Lくらい。これもですね、私のはもう売ってなくて、写真のは後継モデルになります。生地が薄くて、強くなって軽量化されてるんじゃないのかな。モヒニがこれです。購入の決め手はタイヤが、他のメーカーより丈夫そうだったこと。




これをカーゴに預けて、機内持ち込み用に、ドイターの30Lバックパック、それからハンドバッグを持っています。しかしハンドバッグのサイズにいつも困っていて、前回は

before
キップリングの2way。けっこう沢山入るんだけど、中に仕切りがなく使いにくく、ラップトップは入らないから、背中のドイターに入れると、これが一気室なもんで取り出し難い。いつもX線のところでアワアワする。


after
そこで、ユニクロのビジネスバッグではどうか、と思ってる。ラップトップもここに入れしまう。10月のタイ行きで実験してみます。




さて、靴ですね。

before
以前は、クロックスを一躍人気にしたケイマン。サンダルだと、牛のう○こを踏んだ時に、大惨事になる!と思ったので、これを履いていました。通気用の穴もあるし、ムレないっしょ!と思って。



しかし数々の問題点が・・・。

・横の穴から小石が入って、痛い。
・牛のう○こを踏んだ時、横の穴から入ってくる可能性がある。
・底がすり減ると滑る。
・底が柔らか過ぎて、山を歩くと木のトゲが、ソールを貫通して痛い。

そこで出会ったのがこれ!

after
ジャジャーン!クロックスのビストロです。水浸し前提の厨房作業用。

・ソールに滑り止めのラバーが貼ってある。
・横の穴から水が入らないようになっている。

すべらない。刺さらない。う○こが侵入しない。

しかし、

・インドの軽やかな布地の服には見た目がヘビーデューティーすぎる。
・巨大な蟻が中に巣を作っているのに気づかずに、履いてしまった時の、おぞましい感触がトラウマとなった。

の理由から没。そこで更に・・・



after
クアラルンプールのチャイナタウンで二足買いしといたこのタイプのやつ。牛のう○こも、もはやどうでも良くなったし、インド服に似合うカワイイのがいい。

しかしアンボリアシュラムの悪路のために、たった3日で鼻緒が切れ、撃沈。

※ちなみにドバイでは何日履いても鼻緒が切れなかったので、ちゃんとしたやつです。




更なるafter
キーンのウィスパー。
・寒いとき日本で空港まで移動する時に、靴下対応出来る。以前、まだ寒いのにビーサンで帰国して、すごく惨めな気持ちだったから。
・飛行機を降りた先が暑い国でも、靴下を脱ぐだけで対応出来る。
・山など多少の悪路に対応。

※なのに、ムナールにこれを持って行き忘れてトレッキングに行けなかった。


というわけで、現在は、キーンと現地サンダルのダブル処方です。


次はパスポートケース。
before
無印良品の定番。とても使い易いので長年使いました。背中のバンドに手を入れた時のフィット感もよく、しっかりホールド出来る。



after
・・・がしかし、手持ちのハンドバッグがパンパンだったりもするので、これを出し入れするのに難儀しまして(いろんな物を落とすし・・・)、空港内で肩掛けが出来たらいいな。ということで、この度、新調しました。milestoのトラベルオーガナイザー。まだ使ってないから使い勝手はわからないけどね。期待してます。



トラベルピロー
before
飛行機のシートって、なんで、あんな風に猫背っぽく出来ているんでしょう。私の身長が小さいせいかも知れないけど、あんなに猫背じゃ息が詰まります・・・ということで、腰にこのピローを装着、背筋を伸ばし、胸はって着席します。長時間移動の腰痛の予防に使ってました。これも無印の定番ですね。ベッドでは枕として使用。




after
しかし、デカい、かさ張る。ってことでキャンプ用のインフレータブルを買ってみた。値段の安いモンベルのものです。これも来月のタイ行きで、両者使い比べて、今後の方針を決めようと思ってます。でも本当はアメリカのサーマレスト社のが欲しい。価格は2倍。



あとは、ジップロックや小分けボトル、消毒用のティートゥリーオイルなどは定番ですね。あと、虫歯にならないように、プロスペック社の歯ブラシとタフトブラシ、ジョンソン&ジョンソンのワックス付きデントテープ(フロスです)。

それから、インドのおっさんが冬の早朝に着ている、ウールのショール。私のはラージャスターニーのフルサイズ。ゴパールジがラージャスターンに行くとき、お願いして買って来てもらった。飛行機や列車の中で毛布として。布団のない場所で(ヨガマットとセットで)寝具として使います。


あと、私は完全なる蚊帳派ですけど、移動中どうしても蚊帳が吊れないときのために、フマキラーの「おすだけベープクリスタ120日」ってのも必携。




猛毒だし、殺生なんだけど、デングとかマラリアとか、防ぐのは自己責任だから。感染したら、間接的に病気の媒体になるわけで、人に迷惑がかかる。それから日本で待っていてくれる人の為にも・・・。

日本でも蚊帳が復活する日が近いかもね。私は大好きです。


旅支度、次回はビューティー系を紹介してみよっかな!

またね。

2014年9月13日土曜日

ムナールに行って来た。Part3

ムナール。


インド人憧れの避暑地。


なんにもすることがない。


ここ、ホテルグリーンビューの受付にいる兄ちゃんは、馴れ馴れしくない代わりに、あまりにも無愛想で、こんなに愛想の悪いヒンドゥーに会った事がなかったので、勝手にムスリムだろう、と思っていた。

が、よくよく話してみると、ヒンドゥーらしい。


そこで、思い出した。ケララは非常に保守的な土地柄なのだった。ヴァルカラだって今でこそ近所の人と仲良しだけど、最初の一年目は犬でさえよそよそしかったもの。こんな山奥だったら尚のことだろう。


あまりにも退屈なので(大阪人になったつもりで)こっちからしつこく絡んでみると、しかし、ポツリ、ポツリと会話してくれる。


「タミル語の新聞読んでるの?タミルの人?ワナッカム、エップディイルッキングラー!オンガペールイエンナー?」

「・・・・・」

「ねえ、このカードのコテージだけどさ、コテージもやってるの?ねえ、いいとこ?」

「静かなとことだよ。」

「イドゥッキのセナパティーってとこに行くんだけど、そっから近い?」

「どこだって?」

「ラージャクマーリーからバス乗り換えるの。」

「通り道だね。」

「じゃあ、一泊したい。空いてるかな?」

「いける。」


ということで、翌朝「グリーンウッズコテージ」を目指すことになった。

バスを待っていると、無愛想な兄ちゃんがわざわざ追いかけて来て、目当てのバスに乗せてくれた。ヒンディー及び、英語の表記がないからだ。なんて親切なの!

「家族は?」と聞くと、「子供が二人、まだ小さい」んだそうだ。こういう島国っぽい保守的さに出会うと日本を思い出す。本当は優しいんだよね。ありがとうね。


アディマリ経由でラジャクマリで下車。速攻でオートリキシャーを拾う。いろんな人に聞き込んでくれて、無事に到着するも、50ルピー。これは結構ぼられた。一瞬がっかりしたけど、たったの100円なんだよね。そのお金で子供にアイスクリームでも買って貰えるなら、いいよね。





宿についてみたら、これまた強烈に無愛想な奥さんが応対。

「なんだかなあ」と思っていると、強面のご主人がバイクでやってきた。「バス停まで迎えにいったのに入れ違いになっちゃったよ!」とのこと。や、優しい・・・・。


どうやら私の泊まるのは「リバーグリーンヴィラ」で「グリーンウッズコテージ」は満室らしい。1階と2階に一部屋ずつあって、それぞれ1LDK、バルコニーとWiFi付き。これは絶対高いよ!と思ったけど、コテージが急遽満室になった為、私はこっちになったのだそう。コテージの料金でいいとのこと。う、嬉しい・・・。


もしや・・・「ツンデレ」とはこういうことを言うのではないか?

(違うかもしれないけど当たらずとも遠からずだろう・・・。)


ヴィラから少し坂を上ったところに、コテージがあって、夕食はそこで19時だそうだ。回りに食堂の類いは一切ない。ムナール以上に何もない。でもムナール以上の「何もない」がそこにはあった。私の求めていたのはこれだよ。

ああ、また来る事があったら、今度はここに長逗留したい、と思う。



実際に半年住んでいるフランス人がいる・・・と教えてくれたのは、バードウォッチャーのアメリカ人。やたら遠目が効く私が「ねえ、あの瑠璃色の、あれは!」と聞くと、望遠鏡で追って、あー、基本のキングフィッシャーだよ!と教えてくれた。

アメリカ人というのは、基本的におおざっぱでフレンドリー、お喋り好き。

「ここは最高だよ!すごく鳥がたくさんいる。初めて見るやつもいた!明日は早朝から川で張るんだ!」

お喋りついでに、フランスから来て住み着いている男についての情報を与えてくれた。


ディナータイムでその人に会うことになるのだが、アメリカ人とフランス人。この対比。私の中の劇場では、フランス映画のような、アイロニカルで退屈で、面白いストーリーであった。そのお話は、また次回に。


続く



2014年9月8日月曜日

どうでもいいような一日。

でも、とっても、とっても、いい一日。

皆さんお元気ですか?

私はタイのリトリートに向けて、具体的なプランニングとか、手配とか、会計の打ち合わせとか、足りない左脳が大活躍の日々になってきました。得意な仕事ではないけれど、でも仕方ないよね、自分で蒔いた種だ。

あとは払って貰えないギャラの督促とか?これも苦手な仕事だよね。でもベストは尽くさないと、われわれフリーランスの立場を守れない。まあ、これも長い目で見たら私の蒔いたカルマ(行いと結果)なんでしょうね。


都市に暮らしていると、常に何かしていないけないような、そんな強迫観念が、身に滲み込んで、覚えのないまま、毎日あっちゃこっちゃバタバタ。そんななか私は一体なにを手にした?時間だけが過ぎていく。


でも、今日はなんか良い感じだったのよね〜。計画性はなかったけど、良い感じの配分になったので、日常の記録。


左脳が飽きたので外に出てみたんだけど、遠くの銀行(近くに無い・・・)まで歩いて記帳に行きました。

現在、生活導線のなかに繁華街が無いため、ちょっとした買い物や、用足しに常に困ってる。用事がある時は、わざわざ街に行かなくてはいけないのですね。今日は、その「ついで」系の買い物や用事の数々をこなしました。


たとえば散髪。

これがですね、私としたことが、長年お世話になった1000円カット(税別)というパートナーがおりながら、通りすがりの「690円カット」に浮気してしまった。丁寧にやって下さってなんと税込み。これは浮気どころでは済まないかも知れない予感だな。15分で会計まで全て済。余計なおしゃべりもないし最高。




用を済ませたら、今度は自習。近所で唯一のファストフードはミスド。



タットヴァボーダの自分ver.ノートが実は未完だったのだけど、やっと完結したのが良かった。どのクラスでも、ラストの10節が駆け足になっちゃう悲しい現実があって、なので、私の理解も駆け足風だったと思う。そこで、がっぷり四つで組み合ってみました。私は駆け足じゃないクラスをしなくちゃ。


ヴェーダーンタ相撲は本当に面白くて、組んでいると感動して、学ぶ歓びに笑いが止らなくなる。挙動不審者のようだが、それくらい胸が高鳴る。私だけ?ま、いっか。


相変わらず、キャベツと納豆を食べている。美味い。


渡世人(!)としては今日はだいぶ有意義だった気がする。さてまた左脳の世界に帰ります。

2014年9月5日金曜日

ムナールに行ってきた。Part 2

さて、ムナールシリーズの続きです。

ムナール紀行 予告編
ムナールに行ってきた。Part1 


寝床があるってしあわせー!

暑くなくてしあわせー!

と毛布の中でぬくぬく丸まって、鼻先の冷たさに気づくと、そこに朝がありました。

ベッドの中から。ちょうどいい長袖が無かったのでデニムのシャツで眠った。



反対側から見るとこう。


部屋がどのくらい狭いかというと、四角い部屋の角にシングルベッドをドーンと置いて

そのベッドの足元と右側にちょっと歩けるスペースがある。三畳間といったところ。

これで450だか550だか・・・・。高い・・・。でも・・・


窓の外をみて、やっぱりここでいい、ここにする!と決めた。





ここは4階、つまり最上階。ほかに住人はおらず、隣にあるのは、一応屋根を取り付けてあるが、屋上である共同スペース。つまり私の部屋はペントハウス。

さっそく、その屋上に無理矢理マットを敷いて、アーサナをする、ちょっと時間が遅くなると途中で他の住人が上がってくるので、翌日からは結局、自室の“隙間”で洗濯物に絡まりながらすることになる。

アーサナを終えたら、階下でお茶を頼んで、ルーフトップのテーブルに陣取る。チャイは20ルピー。高い。電化製品使用禁止の張り紙があり、使えそうな電源もみあたらないので、仕方ない。


お茶を飲み飲み、ここ数年溜め込んでしまった、講義の聴講ノートの清書。目が疲れたら目薬さして外を眺める。




あの丘は茶畑。


午前11時になるとサイレンがなるなあ、と思っていたら、それは休憩時間の合図で、みんな畑から道に降りて来る。座り込んで、お茶を飲んでいるようだ。お茶が終わると、三々五々畝のなかに戻って行く。




2、3時間勉強したら、お腹も減ったことだし、最初にバスで到着したニュームナールまで歩いてみた。散策大好き。なにか面白い物が見つかるかも知れない。


・・・が、しかし、である。


うーん。何も無い。これといって、何も無い。カフェもなけりゃ、泊って楽しそうな宿もない。ローカルの商店街があるが、これ以上サリーを買っても仕方がない。唯一、地元産のチョコレート(これはヴァルカラに店を出していたムナールのスパイス農園のおやじの店でも売っていた)が魅力的だったけど、新しいハーモニウムを買ってしまったので、飛行機の荷物重量制限がある。


とぼとぼと辿る帰路、八百屋で蜜柑とバナナを買って、また勉強。


結局、四日間の滞在中、勉強しかしてなかった。ポストカードも書いたけど、投函出来なかった。ムナールを貫通する一本道をただ歩いた。外国人のバックパッカーも少しだけいたけど、友達も一人も作らなかった。ただ静かなだけの時間。




「パ〜プ〜!」

遠くから懐かしい豆腐屋さんのラッパの音。

ビックリして、窓の下を見下ろすと、三輪オートで魚を売っている魚屋さん。懐かしい光景、「三丁目の夕陽」みたいだね。だけど、太陽は燦々、ここはインド。はためく洗濯物の赤の、逞しい木々の緑の、鮮やかなこと!近所の奥さん達が出てきて、車を止める。

私は、やっぱりインドの人の、この暮らしが好きだな。都会のシャレた大きな家もいいけど、つつましくて温かい、この暮らしぶりがいい。とてもとても普通だと思うから。

裕福ではない。家も小さい。トイレは外。だけど、みんなが重なり合うように眠る夜に、みんなが幸せを感じていることは、わかる。いいなって、思う。


そんな暮らしを、こうして空から眺めて、いいね、って思うのが、好きなのかも知れない。




屋上で出会った日本人風の男性に、本をあげようと思って声を掛けたらアメリカ人だった。ムナールでの唯一のアクティビティであるトレッキングに行くという。せっかくムナールだもん、こんな街道沿いで燻っているよりも、大自然に分け入りたいよ。私も行きたい。だけど靴が無いから行かれない。

勉強、勉強、勉強ばっかり。すごく楽しい。でも・・・。



これは2012年の2月、アンボリのノートだね。
Swami Tが毛糸のチョッキ着てるからわかる。




そんなある日、お茶を頼みにいったレセプションで、発見したビジネスカード。ここのホテルは、もっとへんぴなところにコテージを持っているらしい!

大量にあったノートの、全ての清書も、今日、終わってしまった。

なんとかここに行けないものだろうか!


続く

2014年9月4日木曜日

う〜ん・・・

なんだかなあ〜。

と思うことがある。


インターネットというのは、まあ、事業をしていたりする人にはとても使えるマーケティングツールではあるのだけど(Facebookなんか手っ取り早いから私も告知に大活用してるしね)、情報操作に引っかからないような、受け取り側の成熟度は必要だよねえ。


それはまあ当たり前の常識なんだけど、それを踏まえてですよ。


世の中に「他人によって幸せそうに見られることが、本人の幸せの尺度になってしまっている人」が、たいへん多くいらっしゃる。これは怖い・・・っていうか危ない。


情報操作構造がちょっと複雑になってる。


昨年、恩師のG先生とお茶したときに「リア充」って言葉を初めて知ったんだけど(あ、やっぱ遅いですか・・・?)、リアルライフの充実って意味だそうですね。先生は「リアル」と別の「アクチュアル(実際)」があることを指摘。


わざわざ分けなきゃいけないのは、「リアル」が、ネット上では既に「ヴァーチャル」化しているからです。


SNSでリア充アピールして、他人に「あの人、リアルライフ充実してそう!」って思われることが、その人の精神的充実の基準になっている。でも実際は?というと「うーん・・・」なわけ。


リアリティの崩壊。それは主体性の崩壊。


情報を発信して、他人の感想を操作し、その反応によって自分を操作するという二重構造。わ〜お、トリッキー!


「私が幸せな人であることを、これを読んだあなたによってどうぞ明らかにして下さい。」

「私が悟っているということを、これを読んだあなたによってどうぞ明らかにして下さい。」


ということです。



そもそも、幸せというのは、「自らによってしか明らかにされない」境地なわけで、このトリックに自らを引っ掛けてる人の書いていることというのは、独特の気配があるというか、一目瞭然でして、とても居たたまれない気持ちになるんですな。その人の持つ、とてつもない不安感がバッチリ伝わるからね。


そりゃ自分をだましてんだから、不安に決まってるわ。セルフコンフィデンスなんか持てません。


現代社会が持つ不安感と通じるものがあるのでは?


ヨーガの業界もそんなこんなで大変ですわ。SNSとは、もっと直接的な付き合い方でいいんじゃない?と思ったりする。


「あたしゃ、不安だ!」


それでは、駄目なのだろうか・・・?
マーケティングの神様に聞きたい。
♪ありの〜、ままの〜姿見せるの〜 は、駄目ですか?

いいんじゃない?と私は思うよ。

自分と向き合うのが第一歩。「私」と「私」の間を、他の誰も取り持つことは出来ません。そこには私だけが「在る」。




明日あたりムナールの続き書きましょう!!









2014年8月26日火曜日

ダライラマ14世の名言集。

再び閑話休題。親愛なる生徒さん達へ。

ダライラマのお言葉の話が出ましたので、彼の名言集です。名言サイトから拝借してコチラに紹介しますね。

「一年に一度は、これまであなたが行ったことの無い場所に行くようにしなさい。」

なんて素敵な言葉でしょう。お互いとお互いのバックグラウンドを「知る」ということは「友愛」への第一歩だと思います。私は今年初めて、アラブのモスクを訪れて、その祈りの場が大好きになりました。イスラムへの心の距離が消えました。

私と、まだ見ぬその人たちとは、別個のものじゃない、ってことが分かったからです。

「あなたの知識を分け与えなさい。そうすれば人に死などないのです。」

そうね。

「死」の意味を、そして本当の「生」の、「私」の、意味を伝えるのが私たち先生と呼ばれる者たちの仕事です。


どんな大きな流れも、
きっかけは一人の小さな行動から
生まれます。
もしあなたが
「自分には大したことなど出来ない」
と思ってしまったら、
それは世界にとって
大きな損失となるのです。
何事かに九回失敗したとしても、
それでも、
九回の結果を生んだではないか。
他人の何千もの
欠点に目をつけるより、
自分の唯一の欠点に気付くほうが、
よほど役に立ちます。
自分の欠点なら、
わたしたちは自信をもって、
修正できる立場にあるのですから。
自分に親切でなくては、
他人にそうあることはできません。
他人に愛情と優しさを感じ、
彼らが幸福で苦しまないことを望むには、
同じことをまず
自分自身に願わねばなりません。
真の幸せは、
心の平安と充足感から
生まれるものであり、
それは愛他主義、
愛情と慈悲心を培い、
そして怒り、自己本位、
貪欲といったものを、
次々と根絶してゆくことによって、
獲得できるものです。
わたしたち人間には、
愛や思いやりを
称えられる能力があります。
このささやかな能力こそ、
人間のもっとも大切な
天分だとわたしは思うのです。
大きくなるにつれて、
愛情、友情、
助けあいということに、
あまり重きを置かなくなります。
人種、宗教、国籍といったことが
大切になってくるのです。
もっとも大切なことを忘れ、
どうでもいいことに
重きを置くようになります。
哲学にはいろいろありますが、
基本的に重要なのは、
思いやり、他人への愛、
他人の苦しみの気遣い、
そして身勝手さの排除なのです。
思いやりの気持ちは、
この世でもっとも重要なものであり、
人間のみが持つことができるものです。
優しい心や温かい心を備えていれば、
幸せで、満ち足りた状態になれる。
そして、友人たちも友好的で
平和な雰囲気を味わえることでしょう。
これは国籍・文化・宗教に関係なく
言えることです。
1年に1度は、
これまであなたが
行ったことのない場所に、
行くようにしなさい。
あなたが欲しいものを
得られないということは、
時として素晴らしい
幸運の巡り合わせであることを、
忘れてはいけません。
沈黙は時として
最高の答えになる、
ということを忘れないように。
あなたが勝利を
得ることが出来なくても、
そこから学んだことまで
捨てる必要はないのです。
幸福は思いやりの心から
生まれるものであって、
怒りや憎しみからは
決して生まれることはないのです。
自分のことしか考えない人は、
苦しみのうちに人生を終えます。
誰もが生まれつきの敵であったり、
友であったわけではありません。
「敵」も「友」も、
自分が人々とどう接するかで
生まれるのです。
自分には出来ないなど考えていたら、
どんなことだろうと
達成することはないでしょう。
自分には出来ないという考えこそが、
自分を失敗へ導いてしまうのです。
欲望は、
海水を飲むことに似ています。
飲めば飲むだけ、
喉が渇くのです。
心は、水のようなものです。
嵐で乱れれば、
底の泥が浮き上がって水は濁ります。
しかし、水の本質は
汚いものではないのです。

あなたを傷つける人に出会ったら、
忍耐や寛容を覚える
チャンスだと思いなさい。
もし人間の本性が
憎しみや人を殺すことにあったのなら、
人類はすでに滅亡しているはずです。
あなたの知識を分け与えなさい、
そうすれば人に死などないのです。
私の哲学とは、
「愛」なのです。
新しいルールを作るためには、
今のルールを学ばなければなりません。
愛情とは
他人が幸せになることを、
願う気持ちなのです。
私たちはこの世界において
皆で協力して生きています。
だから、どれだけ他人の役に立てるかを、
人生の目標に
もってこなくてはなりません。
他人を傷つけたり、
邪魔をするなどはもってのほかです。
(宗教の共存について聞かれて)
一輪でも花は美しい。
でも、花束はもっと美しいでしょう?
私たちの苦しみのほとんどは、
私たちが頭の中で
生み出しているに過ぎません。
あなたが成功を得るために
諦めたもの。
これがあなたの成功の価値を
示してくれます。
家庭の暖かさは、
あなたの暮らしの基盤となります。
最高の人間関係とは、
お互いを必要とする気持ちよりも、
お互いを愛する気持ちのほうが、
上回っているものであることを、
忘れないようにしなさい。
変化を恐れない気持ちは大切ですが、
自分の価値観を失ってはいけません。
良き人生を生きなさい。
そうすれば振り返えるたびに、
幸福を感じることが出来ます。
あなたが間違いを犯してしまったのなら、
即座にその間違いを正しなさい。
苦しみがこの世にあることによって、
私たちは喜びを
感じることが出来るのです。
宗教が争いの種になるなど、
あってはならない事なのです。
どれほど崇高な目標があったとしても、
極端な努力をしてしまうと、
続かなくなります。

自分が何も理解してないことを、
理解し始めたときから、
人の成長は始まるのです。
自分のしたいことが、
知らず知らずの内に
人の役にたっている形になるまで、
修行を積む必要があります。
腕と足は
違う役割のものです。
しかし、足に不具合が生じれば、
自然と手がその役割を補うものです。
同じように、
この社会のどこかで不具合が生じたら、
私たちは助けにいかなければなりません。
なぜなら、私たちは
皆で一つの命を生きている存在だからです。

2014年8月25日月曜日

ムナールに行ってきた。 part1

2014年4月6日。午後12時30分。コーチン。

私にしては大奮発なゴージャスな空港ホテル。


ネットで見つけたこのホテルを選んだのは、偶然、マー君とママの京子さんがフライト前の短時間ステイをするって事と、ムナールに行っている間に荷物を安全に預かってくれそうだったから。

私にとってはそれくらい高価なホテルってことだ。でも、かつて住んだどのアパートよりも広いスイートだし、キッチンも冷蔵庫もあるし快適。バスタブもあって、栓がなかったけど、化粧品の瓶を排水溝に突き刺したら、かろうじてお湯にも浸かることが出来た。おかげで、あの悪夢の荷造り強行軍の疲れも緩んできた。


ともかく、30Lのバックパックに必要なものだけを詰めて、ここからムナールへと出発だ。久しぶりのインド一人旅。


ホテルの車でオートスタンドに運んで貰う。Aluvaからバスに乗ろうと思っていたが、オートワーラーのおじさんがPerumvavoorの方が近いというのでそっちへ。ちなみにオートというのはオートリキシャーのこと。人力車はほぼ絶滅していて、リキシャーワーラーといったら、それはサイクルリキシャー夫のこと。サイクルリキシャーの免許の新規発行はもう無いので、いずれ絶滅するでしょう。現在、限られた地域のみで営業が許可されている。


半年のデューティーから解放された脱力感と、オートでインドの湿った風を切るこの感じ。ああ、久しぶりだよ。幸せ。


途中、見覚えのある町を通り過ぎる。シャンカラアーチャーリヤの生誕地であるKaladiを通過。2年前にアンボリから引っ越してくる途中に寄ったよね。スワミジ達、ボーイズ、それからゴパールジとのタフながら楽しい道中が思い出され微笑ましい。プラヴィーンが木から逆さに落ちて首を痛めた後だよね、くっくっ。

20分の後、250ルピーでPerumvavoorのバスターミナルに到着するも、外国人は当然ながら一人も居ない。バスの行き先表示、英語どころかヒンディーも無く、まったく読めない!

通りまで出て行って交通標識を撮影。ムナールというマラヤラム語を暗記して目的のバス探し。結局なにやら分からぬままに、近くにいたオジさんの薦めてくれた一台に飛び乗った。




さて、空いている席に座ってみたが、どうも居住まいが悪い。これはつまり、男子と女子の座る位置が分れているということだと思う。それで間違いない筈。加えて、インドでは女は一人で旅などしない。奇異な目を向けられるのもまたしんどい。

私は、(スワミジの教育の賜物か)こういった空気を読むのだけは得意で、独自のルールのあるインドでは外さない。場違いな服装や行為をしないから地元人に好かれるのだが、空気を読んだところで、旅は始まってしまっているし、車内は混んでいて動けない。万事休すと思ったら、後々車掌さんが来て、前方の女子ゾーンの空席に誘導してくれた。

しかし、このバスで合っているのか、どこに行くのか、何もかもが全くもって不明だ。そのうえ過酷な仕事からの開放感のためか、頭の中、放心状態。「どこに着いたって怖くない」へんな安心感もあって、ただそこに居ることだけを味わっている。


バナナの葉っぱを通り過ぎてきた、森の、湿気を含んだ風。

目を閉じる。

そう、これがケーララだった。



結局、Kottumangalamで長らくの時間調整をしたあと、Adimali(多分)でバスを乗り換えた。開け放した窓から入る風の温度が下がるにつれ、標高の高さが感じられる。


ところで、男子と女子が席を分ける、というのは、当然、痴漢防止の為である。とくに外国人の女は、外国人ゆえに「ちょっとくらいのお触りは許されるだろう」と思われている節がある。今回も運転手の真後ろの席に座ったのだが、この運転手、シフトチェンジをする左手が空いている時に、その手をダラーンと垂らしてさり気なく、後ろにいる私の脛を触ってくる。だんだん、私との接着時間が長くなるのと、掌がこっちに向き変わるので分かったので、触れない位置にキュキュッと移動。


触るってアンタ、脛だよ。そんなもん触って楽しいか?!たとえ脛でも触りたいってか?!脛でいいのか?!え?!ええ?!


これが得てして遭遇する一般インド人の抑圧された性欲とピュアさ加減である。気持ち悪いんだか可愛いんだか情けないんだか、本当にわけがわからなくなる。


そうこうしているうちに、車内に入る風も、頭になにか巻かなきゃいけないくらいに冷たくなってきた。遠くに見える山々、見渡す限りの茶畑。ああ、もうすぐムナール。サジュが行ったことの無い、素敵なムナール。



景色の険しさは全然ちがうけれど、初めてインドに来た時のヒマラヤへの道のりを思い出す。とても懐かしい匂いがした。

Perumbavoorから乗り換えながらおよそ100キロ。73ルピーでMunnarに着いてしまった。かかった時間はだいたい5時間。日本だと遠く感じる5時間もインドに居ると、近く思える。

日のあるうちに安い宿を探さなければ。

ガイドブックどころか、何の情報もないので、とりあえず勘にまかせて川沿いに元来た道をたどる。途中私を拾ったオートワーラーの紹介してくれた「ザ・無愛想ホテル」に聞くとエラく狭い部屋が一泊400ルピーという。高いと思ったけど、日も暮れてきたし、最上階だし、明日探せばいいか、ということで決定。オールドムナールと呼ばれるエリアの外れ。


電気湯沸かし器で、申し訳程度のお湯がでるけど、寒い。ヒーヒー言いながら埃だらけの体を洗う。それでも自分のベッドと暖かい毛布があるというのはいい事だ。近所の食堂で焼きそばとチャイ。


洗濯禁止とあるが、明日着るものが無いし、まともに聞いてられるか。さっと洗濯をして得意の紐テクノロジーで干場を作り、衣類を吊るして床に着く。ベッドのお供は糸井重里の「イトイの通販生活」だ。


年に一度は、これまで行ったことの無い場所を訪れなさい。


・・・とダライラマ14世が言った。


狭い。寒い。けれど幸せ。

His Holiness!

私は、来ました!



part 2 へつづく









2014年8月22日金曜日

かんぺきな夏休みの写真の記録。



ムナール紀行の途中ですけど、閑話休題。ここ数日の報告です。

神戸と四万十から今朝戻って参りました。

ティケティケのクラスに来て下さった方、ありがとうございました〜。

そして、翌日のらくらしてた私の相手をしてくれたのりこ先生もありがとう!


のりこ先生は、2010年の1月にweb版Yoginiに寄稿した「天真爛漫」と題した文章を覚えていて下さって、その話で盛り上がったんだけど、それで「バックアップとしてコピーしておくべき」と思いついたので、この場に保存しておくことにします。テーマは「ヨーガを楽しくする方法」とかそんなようなことでしたね。


自分で書いた文章ながら、あらためて読み返して、しみじみ。

重複になるけど、とくにこの部分ね。


「天真」とは生まれつきの素直な心そのまま、「爛漫」は自然のままに輝き現れる姿をいうのです。いつまでも気分は小学生。何のてらいも持たず、若々しい新鮮な気持ちを失わず、そういう風に生きていけたらいいね。そうしたら、ヨーガは・・・すべては、もっと楽しい・・・。

そうそう、それからもう一つ。私の「ヨーガをもっと楽しく」してくれるもの。「それ以上でも以下でもない、そのままの私」を許してくれる「ヨガ友」たちの存在。このライフを歓びで満たすという我がミッションにおいて、もはや距離なんて関係ない、彼らには本当に助けられてます。




そうなのよ、その通りなんざんす。


のりこ先生とこの記事について語りあい、その足で三馬鹿トリオで四万十市の邦さんを尋ねたのだけど、それが妙に完璧なシナリオで怖い。ちなみに三馬鹿とは、私・アカチンサトーリーのアラフォー(?)兄妹ね。

川下り、海遊び、シュノーケリング、花火、温泉、料理、ぜーんぶやりました。

小学生のごとく遊んで「そういう風に生きること」を思い出し、東京に戻ったその日には、聖典の中にそれを教える。神様の書いたストーリーはなんだか妙に出来すぎている。そういえば、この記事でバトンを渡した相手も、今回の四万十メンバーのサトーリーだったじゃんか!



この肩書きを生きているわけじゃない。

この体を生きているわけでもない。

この気持ちを生きているんでもないんだ。

私は、私を生きている。

ただそれだけ。

それだけのことを、どうして人は忘れてしまうんだろう。



「楽しかった!時の過ぎるのを忘れた!」っていう経験を、誰しも持っていて、とくに子供の時なんてそうだけど、我を忘れて、時間の向こうの夢の中にいるみたいな、あの感覚。文字どおり、無我夢中に遊んだ夏休み、一瞬が永遠になった夕暮れ。そこに歓喜は満ちるなあって思います。

時間よりも速く、遅く、もっと静かに、もっと神に近づく、その瞬間、連続・・・。

私にとって、歓びとは・・・愛とは、それは完全な静けさ。




完全な静けさを、私は四万十の夏休みで思い出しました。

そこに時間はない。

距離も無い。

ただ、「在る」が在るだけ。


いやー、みんな馬鹿みたいに突き抜けましたね。
・・・というか私の馬鹿が宇宙まで突き抜けてしまいました〜。

四万十の友(クニさんチカちゃん)に我々の馬鹿が伝染ったのではないか心配ではありますが、素敵な殿方にはお見せするのも憚られる、百年の恋も醒めるような馬鹿っぷりをさらけ出せる、友たちの存在には本当に感謝です。

変な言い方だけど、放っといてくれてありがとう。

私をそのままにしといてくれてありがとう。


いろんな意味で、今回の四万十旅は貴重なものでした。

四万十の天真爛漫写真と共に、当時の文章をここに残します。



三馬鹿、四国に上陸。
   

夏休み〜!


ひゃっほ〜い!


二重の虹にむかって


ジャーンプ!



雨降る日は、




おうちでご飯。




雨上がりにはチームワークばっちりね。




でもやっぱり私は海より川が好きだ。


 花火のような一瞬の夏を、


忘れないと思います。

ありがとう。

いつまでも気分は小学生。
何のてらいも持たず
新鮮な気持ちを失わず
そんな風に生きて行けたらいいね。
生まれつきの素直な心そのままで
自然のままの輝きの「現れ」として。




「天真爛漫」

笑顔で夢を形にする意志の人、Ukoちゃんからバトンを受け取りました。
Ukoちゃん、ありがとう。今年もよろしくね。

「ヨガをもっと楽しむための方法」かぁ・・・「なんも考えないこと」ですかね~。あ、のっけからオフモードの独りごとになりましたが・・・こんなゆるい答えで良いんでしょうか・・・? 


・・・むかし、まだ学生の時のこと。私は、白髪の偏屈老人、泣く子も黙るI教授のゼミにおりました。先生は詩人で、とある寺の住職でもありました。「お父さんは心配症」(知ってる?)という漫画に出てくるお父さんにそっくり。

「授業中に弁当を食べようが、コーヒーを飲もうが構わないが、全霊で聴け!」

という変わった人でした。本当に弁当をムシャムシャ食べながら、最前列で聴いている私も、まあ変人だったには違いないんでしょうが、先生はそりゃもう最強変人だった気がします。授業中お喋りをしていた学生に

「地獄に落ちろっっっ!」

と怒鳴ってましたからね。とにかくかなりのインパクト・・・尊敬してました。


彼が決定的に私のヒーローになったのは、卒業の日のことです。式のあと、教授たちの訓辞を賜っていた時。「社会に出ても頑張って下さい」というお決まりの文句が続くなか、教壇に上がったI先生は、怒ったみたいな震える声で

「私は・・・頑張るという言葉は、大嫌いだっ!」

いきなりバタン、ドア閉めて退場。

衝撃でしたよ。研ぎ極めたナイフのような正論・・・。もしかしたら・・・先生は多分、本当に怒っていたんだと思います。「こいつらの云う、頑張るなんて言葉、嘘だ!」・・・先生の心の声を聞いたような気がして、私は胸を掻きむしられる思いでした。偏屈者の先生が言いたかったことは「手を抜け、楽をしろ」ってことじゃない。

『頑張って』なんとかやり過ごす様な生き方をするんじゃないよ。
  この限りある人の一生は、全ての行動を歓びと共にしてこそ全うできる。
  歓喜に挑み続けなさい。

・・・そう聞こえた。偏屈でも聖職者。感動しました。


以来、あの日の先生を思い出すたび「これからは魂の底から楽しいことしかすまい。その為に努力をしよう」と誓うのですが、どうしてこれが、一番難しいことなのかも知れない。

・・・しかし、楽しいって、どういうことよ。あー、あれだ、経験上、なーんも考えてない時だな。あれ?ヨーガの先生なのにこんなんでいいのか? あ、また独りごと・・・。

そこで、一応それらしく解析するわけですが、「なーんも考えてない時」ってのは、多分、ほんの少し前の過去でも、一寸先の未来でもない、今という完全な瞬間に居る時なんですよ。「多分」じゃなくて、これはホント・・・。

「楽しかった!時の過ぎるのを忘れた!」っていう経験を、誰しも持っていて、とくに子供の時なんてそうだけど、我を忘れて、時間の向こうの夢の中にいるみたいな、あの感覚。文字どおり、無我夢中に遊んだ夏休み、一瞬が永遠になった夕暮れ。そこに歓喜は満ちるなあって思います。

時間よりも速く、遅く、もっと静かに、もっと神に近づく、その瞬間、連続・・・

私にとって、歓びとは・・・愛とは、それは完全な静けさ。

だから私はもう、な~んにも考えないっ!バタン、退場。


「天真」とは生まれつきの素直な心そのまま、「爛漫」は自然のままに輝き現れる姿をいうのです。いつまでも気分は小学生。何のてらいも持たず、若々しい新鮮な気持ちを失わず、そういう風に生きていけたらいいね。そうしたら、ヨーガは・・・すべては、もっと楽しい・・・。


そうそう、それからもう一つ。私の「ヨーガをもっと楽しく」してくれるもの。「それ以上でも以下でもない、そのままの私」を許してくれる「ヨガ友」たちの存在。このライフを歓びで満たすという我がミッションにおいて、もはや距離なんて関係ない、彼らには本当に助けられてます。この場を借りて感謝の意をば・・・

みんなーっ、愛してるよーっ!


次のブロガーは・・・この人も天衣無縫ですね・・・「そのまま教」の大先輩であるあの人にバトンを渡します。楽しい暮らしの頼れるアニキ、今日も駄洒落が冴えるSatori君。アニキ頼んだ、後はよろしくっ!


2010年1月28日