2011年7月4日月曜日
生徒諸君!
根~無~し~草~・・・Sitaです。
タットヴァボーダ、五日間の講義が終わりました。最後の節を読む日がようやく訪れ・・・か、感涙。だって、本当に四年くらいかかったんだもの。遥々京都まで行って、先生に場所を紹介したり、色々とやっている割に、自分はいつもバタバタと忙し過ぎた。何度となく講義に参加している癖に、飛び飛びで完遂出来ないでいました。ああ、このタイミングで根無し草で居れたことは恩寵以外の何者でもないーって感じです。
日本語で書いちゃうと、単に
自分とは何かを知った人は、サムサーラの悲しみを超えています
ってことなんだけど、原文で読む聖典とは本当に美しいですよ。
さて、悟った人=「私」の本質をしっかりと知った人は、ついにアーガーミカルマからも解き放たれてしまうそうです。水が蓮の葉を汚せないように、彼の行いの結果すら、もうその人に影響を与えることは出来ません。
面白かったのは、その行いの結果はどこに行っちゃうのよ!チャラになっちゃうの?って話なんだけど、プンニャ(返ってくると嬉しい行いの結果というか、徳?っていうの?)は、(自分自身を)悟った魂ご本人のところには、もはや返らない。代わりに、彼を讃える人、奉仕する人、その人に祈りを捧げる人のところに、横流しになるんだって。ここのとこ読んだ時に、また、泣けちゃった私。今年は、身をもってそれを知ったってことで。
逆に、パーパ(悪徳とでもいうか・・・)は、もうおわかりですね。彼を謗る人、妨害する人、の処へGO。
昔、横浜の電信柱に
「恨み、妬み、嫉(そね)み、承ります。電話番号×××××××」
という広告が貼ってあって、なんじゃー?と思ったんだけど、世の中には、いろんな職業があるんだね。恨みの代行業者さんも、相手が聖者の場合は十分気をつけないとね。聖者でなくても、だけどね。
それではまた!