2014年5月10日土曜日

お金のはなし。




いつものことだけど、時差ボケから全然立ち直れていない私。これ、長いこと続くんだよね。全然気にしてませんが(笑)。


みんなが興味のあると思うので今日はお金の話をしましょう。いま、ヨガホールを寄付する為に皆さんからの募金をお願いしている状況もあるしね。写真はインド人男性が婚活の為に作った黄金のシャツ165万円だって。ぶっ飛んでていいんじゃない?金で服。すごくウィットに飛んでいて面白い。

今日は私にとってのお金の話。だからあんまり役に立つ話じゃないかも知れないんだけど、とりあえずいってみよう。

【えしかの募金のこと】
いま、私が「えしか」というチャリティーグループの代表というのをやっているのは、ご存知の通りなんですが、このグループは「誰かの為になんかいいことをしよう」という「行い」をテーマにしたヨーギニーの集まりです。今回は「お金を集める」という「行い」にチャレンジしてみてる。前にも書いたけど、一人でコツコツお金を作って一人で寄付する「シータマファンド」という手もあったけど「みんなでやること」の大切さと、難しさに挑んでみようと、思った訳です。


【難しいわけ】
難しい、というのには2つの理由があって、まず自分自身が団体行動を不得手としている点。それから日本でこういった募金活動をすること自体難しいってこと。

日本は・・・敗戦後のGHQの為か・・・「一億総中流」といって世界で一番、中産階級の人口割合が多い国だと思います。(だから貧富の差が小さくて平和なんだよね。とってもいいことだと思います。最近はアメリカナイズされて貧富二極化の傾向にあるけどね。)しかし、海外に出てみて初めて解ったんだけど、同じように海外に旅に出てくる他の国の人達と比べると、自分たち日本人はハッキリと貧しい。他の国の人で、自国の外に旅行に行く人達は、ある程度お金持と時間がある人だってこと。


人様に差し上げるほど余裕がないのと、物質至上主義が未だに横行している(これは大変遅れている感覚だと思う)のとで「知らない人にお金や物をあげる義理はないわ」というのが日本人の普通の感覚だね。かといって貧困ではないんですよ。財布のヒモが固いので有名なイスラエルの人にの感覚に似てるかも。閉鎖的なのかも知れない。

すっごく面白いのは、ヴェーダーンタの勉強などにやってくる人って、海外ではお金持ちがメインだけど、日本ではどっちかっていうとお金持ちじゃない人が多いってとこ。これとっても特徴的だと思う。日本だけですよ。

原因はわからないけど、精神的な向上よりも、みんな物質的な向上のをほうを向いて歩いているということなのかなあ。極めて象徴的な物質であるお金の限界を、未だ知らないっていうことだから、「一億総中流」と関係があるのかも知れない。寄付なんかをする人も、お金に余裕がない人間の方が圧倒的に多い気がします。「他人事じゃない」という思いやりが発揮出来る距離感なんだと思う。お金が余ってる人は、海外の人と比べるとあんまり寄付しません。

アンマ=Mata Amritanandamayの日本アシュラムの方に伺ったけど、日本はアンマが自腹で祝福を与えに来られる唯一の国だって。

まあ、そういうことで、難しいってこと。

インドで「でシータマはいったそのプロジェクトで何ルピーくらい集めるんだい?」って聞かれたの。

「70万ルピーくらいだよ。」
「え、ゼロ間違ってるだろ?何ルピーなんだ?」
「間違ってないよ、70万だよ」
「えーっ!それだけ??」
「日本ではそれだけ集めるのも難しいんだよ!」
「そうだったよね、日本人は貧しいよね・・・」
 シーン・・・

その通りだと思います。だからチャレンジってことで。


【チャリティーについて】
さて、こういうことを書いている私も日本人なわけ。しかも貧しい方の。お小遣い少なかったから10代の頃から貧乏性だし。

なので、やりたくてもドカーン!ていう大それた寄付が出来ない。(大それた寄付といえば、タイの○○○先生ですわ。タイでの月給5万円なのに、5万円寄付してましたからねえ!ロックだわあ!)だから自分の持っているほんの少しだけ影響力を「価値」と仮定して「えしか」の代表を引き受けさせて頂きました。

結構な反社会的な人間で、かつ金持ちじゃない私が、出来ることをしたいなあ、と思ってやった初めてのチャリティーは、二十代のころに、中国残留孤児の方の支援団体に、お下がりですけど生活用品や衣類などの寄付活動。なにしろ反社会的ですから税務署と喧嘩とかしてましたから、そんなことやってるより自分の生活をなんとかしろよって感じなんだけどさ。

【宇宙に捧げるもの】
お金の話は、日本人だけじゃなくて、各国の人からもよく聞かれるんですよ。ヨガ教えるだけでどうやって生計を立てるのかって。特に私はスタジオ全部やめてインドなんか行っちゃってますからねえ。我ながら頭おかしいわ。あはははは。

2009年に「お金必要だからクラス増やさなきゃな」って思った時にはゾッとしたので、平日のクラス全部辞めてOLになってみた。心ってのはある程度調教しとかないと、止めどないからね。我ながらちょっと変ってるというか、どうかしてる、とは思うんですが、仕方ないね、実際変なんだから。私の人生だし。

しかし、そんな私でも、自分なりのお金に関する方針というか拘りがあるんですよ。

得た収入の中から、ほんの少しでも(量は関係ない)、助けの必要な人の福利となるように寄付なり何なりする。5円でも10円でもいい。純粋に、自分以外の誰かの幸せを願って何かを放棄することが出来るということは、それ自体が恩寵そのものだと思う。

それをするだけの金銭的な余裕が無いときは、行い自体を施します。お金にしたって、行いにしたって、宇宙全体がよりよく働くように、宇宙への捧げものみたいなもんです。

行為や金銭を施す対象が重要にはなります。社会全体のハーモニーを乱す人や団体に貢いだらそれでは意味がありませんから。

私自身が、宇宙の一員として、そのハーモニーを乱さないように気をつけて、ハーモニーをより良くする行いをしている限り、宇宙は私をきっと生かしてくれる筈、と信じています。私がヨーガを教えることで宇宙(あるいは全体)の調和に役に立つならば、私には必要な分のお金が入ってくる筈だと。必要以上分は来ないしね。もし、これで食べられない、というのであれば、それ以外のことをした方が世の為だということから、何か他に役に立てることをすればいい。これで食べられてるうちは、OLするより主婦をするよりも、ヨーガを伝えることが最も全体の為になってるってこと。そこでベストを尽くすのみです。そもそもお金なんて、他の全ての物質と同じで、誰のものでもないし。


【お金との生活】
そうはいっても不安定な収入でどうしてるの?と聞かれるのですよ。

まずですねえ、私は人と遊びに行きません(笑)。皆で晩ご飯とか基本お断りしてます。スタジオで教えてた5年前くらい前も遊びの約束は月2回までって決めて、あとは全部断っていました〜。会話が賑やかなところが苦手なので。もちろん「ここは行かねば!」っていう大事なオケージョンでは行きます。

あと、人とショッピングとかも好きじゃないので行かないなあ。買い物はネットショッピングが好き。結構衝動買いとかもしますよ〜。そんなに倹約家ってわけでもないし、服とか好きだし。でも高いものは買わない(買えない)。そういうキャラじゃないから自分を飾ることにお金がかからないし、食べ物にもそんなに興味がない。菜食だから外食の選択肢も少ない。質実剛健なモノが好き。必要なものにはキチンと必要分のお金はかけるようにしてる。でも身の程を超えない範囲で。

安宿と安いフライト探しはすごーく得意。趣味は一人どこかで静かにすること。

それから、生徒さんから頂くダクシナ(教えに対して生徒が下さるお金)は、手渡しで頂くことを多くしてまして、皆が一生懸命働いて下さったお金だって思うと変な使い方は出来ないな。

いただいたお金は通称「神様袋」に入れて帰宅したら、まず祭壇にあげて、そこから必要な分をいただく形にしてます。

これで生活出来ちゃってるのは、交際費が少ないのが大きいと思う。


【まとめ】
「生徒さんが定着しなくて収入に不安ある」と言っていたある人に、こうアドヴァイスしたことがある。月に一回でも二回でも、借りてるスタジオの大掃除をしたらいい。なんなら生徒も巻き込んでやったらいいと思う。お金払って借りてるんだから、そんなことする必要ないのかもしれないけど、騙されたと思ってやってみ、と。生徒と大掃除するなんてお金にならないけど、そこに動く小さなお金じゃなくて、大事なのは宇宙全体のバランスなんだ。私はそこを100%信じてる。


・・・とまあ、まとまりが無いんだけど、今日はこれで終わりたいとおもいまーす!あ、ちなみにお金への不安っていうのは、心理学的には死への恐怖の顕れだってさ。またねー!