先だってのどうでもいい記事で「疲れが溜まっている」と書いたのですが、昨日、朝7時に起きて、洗顔を済ませてからあらためて布団に入り12時まで寝て、14時頃から夕方まで寝て、23時から翌朝7時までもう一度寝る、というのをやったら少し良い感じです。
・・・というのは朝のアーサナをしてみると体の詰まり具合がよーく解るからですね。まだ今ひとつ足りない気もするけれど、ここ暫くの内で今朝が一番良かった。
ご心配をおかけしましたが、上の写真くらいのレベルでは元気です。でも、もう少し睡眠がんばって見ようと思います。よくよく考えてみると、うっかりすると普通は帯状疱疹だもんね、ってことに気がついたので。タムシでラッキー。
写真はもちろん今日の写真ではありません。元気レベル表示の為の例えです。アムリタプリのビーチにはこんなにお茶目な岩がありまして、アムリタプリというと、つまりアンマのアシュラムなんですが、来訪するならこのビーチでサットサンガがある日が私はお薦めだな。瞑想してから、アンマのお話。このお話がすっごい良かった。
アンマといえばハギングマザーで有名で、まさかお話が上手なんて、正直そこまで期待していなかったんですけどね。解り易い言葉を使って、ヴェーダーンタのど真ん中に触れるお話をしてらっしゃって、すごく楽しめました。
ところで、今、私は横浜にいるってことは先日書いた通りなんですが、横浜は、完結している町です。完結っていっても意味不明かも知れないんだけど、生活があり仕事がありまた生活がある、という横浜一つでまとまった安定感がある。以前横浜市民であったということを差し引いても、東京とは違う不思議な安心感があります。
東京はね「もっともっと」の町なんですよ、生活はもちろんそこに在るけど、資本主義の発展の為の一過性の町の顔が勝っている。東京という町自体が、絶えず変化し続けることを強要されているのでしょう。つまり「都会」なんだよ。底なし沼で泳いでいるような、不安感がある。不安感っていうか、焦燥感かな。
泳ぐのやめたら、沈む・・・。
大阪市にもそれは感じた。
その点横浜にはちゃんと底があるもんな〜。そんな感じ。こういったら浜っ子に叱られるかもだけど、良い意味で田舎・・・「地方」なんですよ。こんなに東京から近いのにね。ありがたいです。
そこで考えるのはですよ。
私は、
自分は大変だけど、東京のもっと大変な人のために生きるか、
それとも、
大変じゃない場所で、自分の楽のために生きるか、
二者択一を迫られている気がするよ。
自分はどの位の強さがある人間なんだろう。
更に、東京も横浜も大阪も、ひっくるめてもっと突っ込むとですね、日本には(どこにいっても共通の感じがある。
閉塞感。
これは都会とか田舎とか、関係ない。もしかしたら田舎の方が、強いかも知れない。
私が日本国民である以上、東京でも横浜でも沖縄でも、これからは逃げられないんじゃないかなって思う。この点においては日本中どこいっても同じ。どうやって上手いこと付き合って行くか、それを模索中です。はい。
ジョーズ岩と戯れている時くらいの開放感がねえ、日本にいるときにもずっとキープ出来たらいいな、と思ってます。なんとかならないかねえ。
ではまた!