2011年11月28日月曜日

そんな人ってどんな人?


ヴァースデーヴェーンドラヨーギンドラン ナットワニャーナップラダングルン♪
ムムクシューナーンヒタールターヤ タットヴァボードービディーヤテー♪

・・・と言って始まる、かのシャンカラーチャーリヤ先生のテキスト、タットヴァボーダ。

 マイクロバスの中で、ところどころ度忘れして、なんだっけ、なんだっけ、と眠れなくなった。

 そんな時にゴパールジがいると良いのよね。二人でなんだっけ、なんだっけ、とやって、すっかり忘れたころに、ゴパールジが思い出してくれる。


 このテキストは、本質とはなんですか?本質を見極めた人とはどういう人ですか?という問答なんだけど、最後のほうが、おやおやっ?ていう展開になって面白い。


「・・・というわけで、これこれこういう人が本質を見極める人です。そういう人も、体をもってこの世に居る以上行為そのものからは、究極的には開放されてないんだけど、行為の結果から開放されています。」

 水に汚されない蓮の葉っぱのように、行為があるのに、行為の結果に汚れない人というのでしょうか。そういう人の行為の結果は、じゃあどこに行っちゃうんですか?って話になるんだけど、ががーん!そういう人の行為は、その人に関わる別の人のところに行っちゃうんですよ。

 確かに、どんな、悟った人でも、知らないうちに微生物とかを殺していたりするわけですが、その暴力行為の悪しき結果は、そういう人物を誹謗する人、妨害する人のところに、お届けされることになるそうな。

 逆に、そのような人物の良い行動結果は、彼に奉仕する人、たたえる人、その人に祈り奉る人間のところに、行くんだって。まじですか・・・・?


 逆に、すごい悪者に私が奉仕すると、その人の悪業の結果は私が請け負うって推論も簡単に導きだされるわな。



 われわれ凡人のライフは、どの様な人物に出会い、どの様な人物とつるんで、どのような人物を助けるか・・・ってことにも左右されちゃうってことです。でも、まあ言われてみればその通りだわな。実際にそういう例を多く目にするしね。おもしろいね。


 スワミジが今朝話してたけど、聖典に説かれる三つの恩恵。聖典による恩恵、師匠による恩恵、そして自分自身による恩恵。すべてをしっかり受けられる欲張り人生にしたいものです。

 遠足で海に行って泳いだら(イルカが居たよ!)バリバリに乾燥で荒れた肌が一発で治りました。海
恐るべし、なにやつ!写真はATTCの同級生のドクター・ラシュミと。


またね。