2010年2月8日月曜日

「僕の好きな先生」


 小学生の時から、修行の如く続けてきた吹奏楽部でしたが、高校の入学式で聞いた音が「イマイチ~?」と思えたので、勧誘されるままに陸上部のマネージャーになった私。思えばこれも何かの縁だった・・・。

 「笑ってヨガとも」で、Ⅰ教授のことを書きましたが、もう一人、ずっと書きたかった先生がいます。高校の陸上部の顧問だったG先生。今日はこの先生のことを書きたいと思います。

 さて、マネージャー業も楽じゃなく、寒い中、暑い中、ストップウォッチや水を持って駆けずり回る日々。合宿ともなれば、50人分の飯作り、就寝は2時で起床が5時ですから、縁の下の力持ち係ですね。でもG先生は、選手の衣類の洗濯や、部屋の掃除は私達には一切させませんでした。「自分の世話を自分で出来ねえ奴が勝てるかっ!甘えんじゃねえ!」ってことで。


 その後、初めて付き添った駅伝にすっかり興奮した私は、選手に転向します。寒い中、暑い中、今度は手ぶらで、駆けまわる毎日が始まった訳です。当時のトレーニングダイアリーが、すごいんですね。いやあ、よくやってました。ノートには、日々こなしたメニュー、人に指摘された問題点、自分で感じた問題点、心の声、などなどを記入していましたが、時々、G哲学というメモが頻繁に出てくる。G先生の口調のままに記録してあります。

言い訳や、負け惜しみを口にすると、決まってこう言われた。
「なんだおめえら、遠くで、鳴けよ。ウォーン、ウォーンってよ。そういうのを負け犬の遠吠えってんだよ!」

女子には、こんなことも言ってましたね。
「いいか、おめえら、思い出づくりなんて、すんなよ。」
「未来の過去の為の下らない恋愛なんてすんじゃねえ」ってことです。
あと「寂しい女は太る」
ここでは無いどこかなんて無いぞ、闘うことから逃げてる人間に自己管理は出来ないぞ!と。

「レースではな、一位以外は全部負けなんだよ。おいペラ(私のこと。テラをもじってペラらしい)、おまえ一位で帰ってくるんだろうな?」
・・・あ、でも、それは出来るかどうか・・・。
「出来る出来ないじゃねーんだよ、やるかやらねえかなんだよ!やんのか、やらねえのか!」
・・・っやりますっ!
確かに、なる気がなかったら、そもそも、一位になんかなれないんですよね。走るという孤独はシビアです。まさに自分との闘い。

 自律・・・「自分に打ち克つ」ということに関して教えてくれた先生は、文字通り私の最初の師だったと思います。先生は走るという行為を通して「今が永遠である」ということを、本気で教えてくれました。その恩に報いるには、一所懸命、そこに命を懸けて輝く、魂の姿を見せるしか、もはや無いことも、私には分かっていました。

 時は流れて20年。ある朝、インドの片隅でSwami Mahadevananda師が、こんなことを仰っしゃった。

「自分が不幸だと思っている人がいるとして、その人はどうやって、どの瞬間から不幸になったの?」

言葉に詰まる一同。で、スワミジの答え。

「その人が、不幸になろうと決めた瞬間からだよ。」

・・・・確かに、望みとは違う結果に遭遇して、ああ、私は惨めだわ、を選んだのは確かにその人自身。同じ境遇で、それでも私は幸せね、を選ぶ人もいる。不幸という被害を蒙ったようでいて、決めたのは自分。幸せも意志か・・・

「おいペラ、やるか、やらないかだかんな。」

遠くの方で、G先生の声が、聞こえたような、気がした。

とても優しい声でした。