2015年3月12日木曜日

あけましておめでとー!

もう三月だけど、そんなの関係ねー、そんなの関係ねー!


(古いですよね、だいぶ・・・でもボケはこのくらい薄ら寒くなきゃね・・・)


シータマ、インドで頑張ったよー。もとい、まだ頑張っているよー。でもだいぶくたびれてきてます。ボロ雑巾のようですわ。


今シーズンは、なんかきつかった。人間関係とか、男女格差とか。いままで遠ざけていたことですから、まあ、ここらでちょっと考えてごらんよ、ということなのかも知れませんね。



グローバル・ジェンダー・ギャップ・リポートは男女格差の少ないほうから順位をつけてるんだけど、先進国といわれる日本は堂々の104位、残念。インドの114位とたいして変わりない。


・・・とはいえ、教育においてはそこそこ対等なんだと思うのです。なので日本にいてジェンダーギャップというものを、そんなに感じたこと、意識したことは無かった。ライブハウス界隈の世界は男の世界だけど、でもステージできめられれば、逆転は余裕で可能だったと思う。


しかし、インド。


男性側の意地と意識の問題は、日本の明治時代みたいな感じだから、嫌な気持ちにさせられることが多々ある。今年はそれを何度も何度も、目の当たりにしたし、暴力的な目にもあった。


悲しいのと、怒れるのとで、何度も泣いた。


まあ出る杭は打たれるってことで、仕方ないのかもしれない。でもさ~、It's not your businessじゃん、ほっといてよ。なんであんたほっとけないのよ、○玉の小さい男だな!あたしをほっといてくれ!・・・と思ってしまう。・・・すみません。


アーシュラムとはいえどもそれは社会の縮図だし、いいとこばかりを見て「インドLOVE!」とはしゃいでいられない程度に、インド社会に片足を突っ込んでしまったようだ。ほんとに嫌なことだらけ。日本人は精神的に、レベル高いです。その素晴らしさが眩しい。


でも、それでもインドを嫌いになれない。


性差別についてだって、そう。
身だしなみや振る舞いの制限が、私をとても女性らしい気持ちにしてくれる。それって悪くないというか、素敵なことだと思うもの。表裏一体なんだよね。ただ、そのダイナミックレンジがワイドすぎて、その両端の価値観を一体ぜんたい、どこで折り合いつけたらいいのかが解からない。インド人も折り合いつけ切れてないように見える。ミキシングがえらく難しいレコーディングみたいな感じ。


本当に、いろいろと考えさせられたシーズンでした。いままで潜らなかった深みを見てきた気がする。なんの結論が出るわけでも無いんだけど、まだまだ考えの深みを探索中なんだけどさ、私なりに、短い私の人生を、どう生きるか、真剣に考えています。いい勉強の機会でした。


今年は真っ直ぐ帰ります。


いつもは帰り道で骨休めしたり、あるいはワークショップしにどこか寄ったりだけど、はやく眩しい皆といっしょに勉強をしたいよ。


不思議なことに、インドに居ながらにして、住む家も決まってしまった。すべてがトントン拍子です。さあ今年はどんな年になるんだろう。わくわくしています。設計図をひかない、お金の計算もしない。打算も予定調和もやめよう。出る杭打ちたきゃ打ってみい、倍光ってやるから。他人の打算やプライドは私には関係ない。それだけはハッキリしたわ。今を、今だけを冒険しようと思います。


だから今年のテーマはトキメキかな。苦しいことや悩みのなかでも、日々の小さなトキメキに導かれて、若々しい、新鮮な気持ちで、生きていこうと思います。


みんな、今年もよろしくね。



ムナール紀行、さすがにもうすぐ書くよ!すまんすまん!わははは!










2014年11月29日土曜日

みんな愛のせい

私と同世代の人なら知ってるかもしれない。

私の高校生のころに、種ともこ、というシンガーがいまして、ときどき私は、その人に気配が似ている、などと言われたりもしたのだけど、それはさておき、「It must be love」という歌があるのです。


じっとしてるとひそやかににおってくる
すましてるとむくむくとほころんでくる
The one thing we always keep waiting

(中略)

It must be love
ちょっとだけ悲しくなって泣きたくなる
そんな時だって楽しいことふくらんでくる

(中略)

ごはんを食べるのも眠るのも
トイレに入るのもみんな愛のせいね

買い物にいくのも歩くのも
レジで並ぶのもみんな愛のせいね

けんかして泣いて帰ったらお茶をわかす気もない
ひとりの部屋にすわって鼻をかんでるの
元気出して ともこよ 泣くのはやめなさい
いつかきっとうまくいくから愛を信じ続けなさい

(中略)

ごはんをたべるのも眠るのも
お風呂にはいるのもみんな愛のせいね




ここで歌われている「愛」のことを私は「恋愛」の「愛」のことだと、これまでずっと思ってたんだけど、そうだとすると、意味がわからないというか、いまいちピンとこない歌詞なわけです。

しかし、「あれ、もしかしたら違うかもしれない!」と突然に思い出したのですよ。



読者には心あたりのある人もいるかもしれないけど、私はどうも、ヴェーダーンタの知識を駆使した人生相談ばばあ(笑)、みたいな役をこの世でになっているようで、それはインドにいても同じなのね。ヴァルカラの母か・・・みたいな。


それで、先日、へヴィーな人生を経て、トウマによる否定的な思い癖から脱却できないインドの女性に長いことお話をしてたわけです。

「自分が不幸になる理由は全くない、って理屈では分かるんだけど、それでもどうしても自分を愛せない。家族に愛されていることも頭ではわかるけれど、でも全然実感として感じることが出来ない。アシュラムにいる今は幸せだけど、実社会に帰ったらまた、全世界に否定されているような、つらい私にもどってしまう。どうしてシータマは(いろいろトラブルに巻き込まれてる割に)いつも余裕かましてるの?」


という訴えるこの女性に対して、どうしたらニュアンスが伝わるのかなあ、と思ってこういうふうに言ったのですよ。その女性は動物や自然が好きな人だったので・・・



See(これは極めてインド的な英語)!

そこにほら、花が咲いてるけど、

あの花がああやってキレイに綻んでいるのは、

なぜならあの花があなたを愛しているからだよ。

空が青くて高いのも、空があなたを愛しているから。

犬が夜中吼えるのも、雨がどしゃどしゃ降るのも、みんな愛のせい。

ぬかるみですべって転ぶのも、星がきれいなのも、

性悪な夫に罵倒されるのも、涙が流れるのも、

あなたと私が出会ってこうして一緒にいるのも、

怒って悲しくなっちゃうのも、

みんな、みんな、みんな愛のせい。

全部、世界の愛の表現。

あなたは世界に愛されている。

「存在する」ってそういうことだよ。




私がこの話で何を伝えたかったかというと、まあ、

「あなたの好む好まざるで、幸せをジャッジするからつらいんですよ。幸せとか愛とか、そもそも好きとか嫌いとかと別の次元(つまり高い次元)の話ですよ。あなたは世界に愛されてる、なぜなら、つまり、あなたが世界を満たす存在の源とたがわないからですよ」

・・・というようなことなんですが、まあ、伝わった感触はあります・・・てのは置いといて、この一件で、種ともこの、その歌を思い出したのね。


もしや、あの歌詞って・・・、えー!恋愛のことじゃなかったの?もうちょっと大きい愛の話だったのでは?

真偽のほどは分かりません。作詞したご本人に聞かないとわからないことでしょう。

私もちょっとやなことがあって、悲しかったんだけど、でたらめ歌を歌っちゃうな~。

元気をだして ゆみこよ 泣くのはやめなさい
あ でも今日はゆるす 泣きたまえ へこむのもうぇるかむ
知ってるもん 悲しくなるのも みんな愛のせい
It must be love なんてもんじゃない
言い切れるよ あたりまえっす
Everything is just because of love.





犬が穴掘って寝てるのも みんな愛のせいね。
おやすみ~。














2014年11月15日土曜日

とつぜん読書録、ヴェーダーンタ編。

いつもは気にしないことなのに、複数の蚊が目の前で、いかにもうるさく飛び交うもんで、とっさの無意識に「おすだけベープクリスタル120日」を取り出して、シュシュッっとふた吹きしてしまったんだけど、トイレに行ってみたら沢山の蚊が落ちていた。蚊帳の上にも沢山落ちていた。



説明書によれば、6畳間の場合、部屋の四隅から中心に向けて、トータル4回くらいシュッとすることになっている。が、壁に向かってたったの2回のシュシュッでこんなに・・・。どんだけ猛毒なんだ。うーん、すみませんでした。


さて、私は早くも気持ち的には2014年の総括に入っていますが、インドより久々の今年の読書録。

もちろんこちらで紹介するくらいだから、ターゲットは読者のヨーギー、ヨーギニーの皆さんですね。ヴェーダーンタ、すなわち、宗教とか概念とかじゃなくて、世が変わっても場所が変わっても変わらない普遍的な真実をトピックとする学びです。 

ということで、「ヴェーダーンタで言いたいことはこれなんだよっ!」という本を集めてみました。


一冊目は「日本霊性論」 (内田樹、釈徹宗)


神戸のウパーサナサンガの帰りに、西明石の駅ビルで買いました。いつもは100%古本なんだけどね、頑張ってお仕事を全うしたので自分にお給料を出そうってことで、新品の本を。


出版されたばかりだったので、本屋がクローズアップしてたので目に付きました。

内田樹という人のことを私は良く知らないんだけど、「なんと頭の良い人なんだ!」と新幹線の中で驚愕した一冊です。ヴェーダーンタの生徒さんに読んだ欲しい本。

どっかのアシュラムで特に手ほどきを受けたって訳じゃないのに解かってる人は、解かってるもんんなんだねえ、って感じ。


だれだって、自分の内側から起こる知識を体験しているのだとは思うんだけど、その感じを、では言葉にして他人に伝えることが出来るか、っていうと、別問題になってくる。

内田樹は言葉を使うスキルがすごい。それが五感の届かない範囲のことをを文章化するということです。しかし同時に、この本は読者に、ある程度その言葉を理解するスキルを要求します。万人にとってメリットのある大事なことを語っているけれど、万人がわかる簡単な言葉ではないのが、ちょい難点かな。

とはいえ素晴らしい本でした。


                                              


じゃあ、その話の全体像というか結論をですよ、いかにものすごく簡単な言葉で伝えるかってことになってきます。これも上記の本と一緒に買いましたが、「あなたは生まれた時から完璧な存在なのです。」(鈴木秀子)

おそらく著者の鈴木秀子シスターは、ものすごーく頭の良いアカデミックな人であることでしょ。しかし、女性らしい「コミュニケーション能力の高さ」をもって、ものすごく柔らかく温かい言葉で、大いなる結論を表現している。

なるほどー、こういうやり方もあるのかあ。簡単そうに見えて、これはなかなか難しいと思います。簡単でいて精密かつ親切な文章。いつかこんな風なスキルを身につけられたらなあ・・・。

とても感心したし、感動しました。タイのリトリートのサットサンガでも引用したよ。







そして最後に紹介するのは、「手をつなげば、あたたかい。」(山本加津子)

お馴染みトゥラシマタが貸してくれました。


こちらはですねえ、一番泣いてしまった。

上記のものよりも、もっともっと簡単な言葉で、かっこちゃんの体験と、そして、かっこちゃんの気づきを通して言葉が描かれているエッセイです。


しかもかっこちゃんは天然、ナチュラルボーンです。黒柳徹子を思わせます。


この人のアンダースタンディングはすごい、知識がご本人としっかり一つになっている。いわゆる悟った人ですよ。


ここに引用したい言葉が沢山あったのだけど、出国前のバタバタの時で、メモを取るのを忘れてしまって、だから生徒の皆さんは是非、図書館で借りて、あるいは買って(アマゾンで古本可)読んでみてね。


たぶん、いつもの、ふつうの暮らしが、もっと輝くと思います。悩みで曇っていても、雲の向こうにいつだってある太陽に、いつでも気づけるようになると思います。

毎回、先生、古い!といわれるのを承知の上で言わせておくれ!

チェケラッ!






2014年11月3日月曜日

ただいまインディア。


皆の衆、如何お過ごしでしょうか?

ムナール紀行を終える前にインドについてしまった。かたじけないこと限りなし。


しかし、ここ「インクレダブルインディア!」にきても、まったく胸がときめきません。長いこと留守にしたわ~、って程度で、ホーム感ハンパ無いっす。

「あたしゃ、これまでに何度も何度もインド人だったんだろうな~」という妄想も、あながち想像のみにとどまらないのではないか・・・。となると、日本にわざわざ生まれたからには、なにかとっても大事な用事があるんでしょうね、日本に。


それはさておき、本日のガネーシャホーマをもって、我らがSivananda Yoga Vidya Peethamの2014-2015ヴァルカラシーズンが正式にスタートしました。

荷物を運んでから今日までの一週間の間に、もう5人の日本人が代わる代わる来てくれて、本当にありがたいことです。


美保ちゃん夫婦が訪ねてきてくれたとき、スワミジが時々日本語で何か言うので、美保ちゃんがビックリしてたんだよね。そしたら、お父さん「そりゃちょっとくらいの日本語は知ってるさ、シータマともう何年一緒に暮らしてるかって~」とおっしゃった。


そういえば、もう5年目になるんだよね・・・。

本当に、お父さんと私とゴパールジしかいなかったのよね・・・。

しみじみ。


スワミジの新しいアシュラムの建設が終わり、そこを軌道に乗せるまで。いつかは終わりが来ることではあるんだけど、こうしてスワミジの側でたたき上げられることは、ものすごく、幸せなことです。


この11月は、なにがスペシャルかって、4年ぶりにマニと一緒に仕事する。初回が一番良かったと云われているタイのメンバー達と、とても良いスタッフチームが出来上がりました。



私は、スワミジと過ごしたこの4年間で、弱みを見せることが少し上手になった。



最初のころは、強くあろうとするばかりに、よく心がクラッシュダウンしてた。


初めて人前で泣いたら駆けつけてくれた掃除人のマラッカニーと、ワサントおじさん。お腹が痛いのか?と私の腹をさすって、泣くな、泣くな、と。


あるいは、いつもボエーッとしているサトーリーが、「あいつらまたこんなことになったら、俺が日本語で怒鳴り散らしてやる」と言ってくれたこと。


スワミジの前で怒り泣きが止まらなくって部屋で死にたくなっていた私を見舞ってくれたカオリちゃん。

そして、そっと様子を見にきてくれたスワミジ。



みんな、みんな、思い出すだけで胸が熱くなる。


それなら少し、その言葉に甘えてみよう。



実は弱みなんて無かったりするかも知れないんだけど、敢えて弱みを見せることで、物事が円滑に運ぶこともある、それもまた事実でしょう。


かっこつけあって、牽制しあうのではなく、弱いところを曝け出しながら、泣いて笑って、持ちつ持たれつ。今回は、マニを含めて、相互にそれが出来る相手達が集まったんじゃないかな。


そのようにリラックスして仕事が出来るというのは、とても大事なこと。

そんなわけで、いま、とても良い雰囲気が漂っています。


日本でも「弱み見せ上手」の「甘え上手」でいれたらいいんだけどねえ。

来年はその辺を頑張ろうかな。



スワミジにカメラの使い方を伝授してシャッター押してもらいました。

撮影 by スワミジ

というレアな一枚。

ではムナール紀行、近日公開、頑張るねー!


2014年10月3日金曜日

ホシハナのシータマメモ。

みなさん、こんにちは。

ムナール紀行の途中ですが、タイに来ちゃったのでまたしても閑話休題です。

週末からスタートする10日間のリトリートの準備と、自分をいたわる為に、一足さきにホシハナヴィレッジに到着。なので、自慢ブログです(なんじゃそりゃ!)


まずは、このブログでたびたび姿を現す、I love India号を紹介しましょう。OSは、ときどき私をイラッとさせるWindows 7 starterです。私の、忍耐強さと寛容さを鍛えるためのツール。




昨日、今日と、すいかハウスに泊まっていますが、明日から土の家に引っ越します。

日本からの深夜のフライトで一睡もしていないうえ、東京のウパーサナサンガ・ダクシナムールティクラスの面々の到着を受け、深夜までトークをしてしまったので、今朝は8時半まで寝てしまいました。目覚めて最初にみる風景は、この光の窓ですよ。

ああ、独り占めしているのが勿体無い。誰かに見せたい!

でも、惜しくも独り占めなんだなあ~、それもまた大人の贅沢です。くふふ。




昨晩のうちに、リトリートで使う品々を搬入。



参加者の皆さんの殆どはまだ日本にいらっしゃるので、ネタばれになるといけない・・・ってことで遠巻きですが、われらがグルデーヴ・スワミシヴァーナンダ先生もご到着、深夜二時半まで、リトリートバッグのオーガナイズしておりました。いつもアーシュラムでせっせとTTCバッグを作っている、まさにあの感じ。


まあ、そんな徹夜&夜更かし明けの今日は、まあ眠くて眠くて仕方がなかったのですが、

・近所の洋風のカフェで昼食バカ食い


・打ち合わせ

・ショップでバカ買い



・プールでバカ泳ぎ

・近所のタイ料理屋で夕飯バカ食い。(まぶたが腫れちゃって大変よ!)




など、とバカアクティブに過ごしました。

バランスの為、明日は、バカパッシブにいこうと思います。



リトリートするってね、結構、大変。

いやいや、これほんとなのよ。だって、ガキの使いじゃないんで。

企画。打ち合わせ。ことにお金の打ち合わせは、私とホシハナ、そして参加者に三方にとって、損失が無いように。

(みんなにメリットがあるように、みんながちょっと得した気分になれるように、そういう落としどころが、探し出すのは難しいけど、あるんですよ、きっと。自分が沢山お徳感を得るために、人のお徳感を搾取してはいけない。)


頭の中の準備と、沢山の机上の準備と、体を使った準備。


私は、自分でこれらの仕事をしますので、企画をたてて、私を招いてくださる方の大変さは骨身にしみてわかります。いつも本当にありがとう。


この大それた企画を、全力でサポートしてくださるバーンロムサイのスタッフの皆様には、それこそ足を向けて眠れません。感謝、のひとことに尽きます。


それから、今年の私の一大イベントだった、ヨガの出来るホール寄贈プロジェクトに、お力添えを下さった全ての皆様。


READY FORのプロジェクトサイトの新着情報と、支援者の皆様への報告書において、近々、正式にご報告させていただきたいと思います。

が、一足先に・・・



無力な私に力を貸してくださって、本当に、本当に、本当に、ありがとうございました。


道端でほころんで、行く人にそっと微笑む、小さな花のような、皆さんの優しさの結晶がいまここに、形となって顕れました。

その「名前」と「形」と「福利」は、子供達の生きる、大きな糧になるでしょう。

そして、この世界で、私の生きる、強い支えになるでしょう。


この建物の姿は私にとって、百七十余名の他人同士の「たったひとつの愛」の象徴です。

名前と形の背景に、それは在ります。

それは、神とは、愛のことをいうのでしょう?



愛を、信じることが出来る者は、きっと強く生きるでしょう。優しく生きるでしょう。



私は、「好き嫌い」のことを言ってるんじゃありませんよ。

燃えるように欲っする気持ちのことでもありません。

念のため。




みんなに、見せたいな。

きっといつか、あなたの建てたこのシャーラーを見に、チェンマイを訪れてください。

愛をこめて。


Sita













2014年10月1日水曜日

シータマ・オン・ザ・ウェイ

ひさしぶりにウィンドウズを使っています@クアラルンプール。

この「I love India」と名づけられたパソコンは、一時、ONKYOがSOTECを買った時にONKYOの名義で出していた激レアノートブックで、私は家でのスピーカーとか、ずっとONKYO製品を愛用していたので、お気に入りなのですが、オフィスソフト込みで19800円だったので、当然ながら頭はそんなに良くありません。メモリーを増設したんだけど、それでも限界があるよ。

とうことで、作業が遅い。無料のネットワークは嬉しいけど、それもやっぱり遅い。軽~くイラっとしてみたり・・・。



ここで私が何をしているかというと、チェンマイ行きの飛行機をかれこれ8時間待っているところ。


この長い待ち時間を想定して、読み終えていなかった本を読もうってことで、ジャスティン・オブライエンの「ヒマラヤ聖者の教え」という分厚い本を持ってきた。

・・・んだけど、ご飯食べたり、隅のほうの床で昼寝したり、足裏マッサージうけたりしていて、全然進んでいません。


この本は、筆者がヒマラヤでスワミジと25年間ともに過ごした日々を綴った記録ものですが、これは私にとっては泣いちゃうこと必至の本。語りだしのとこで、もう泣いた。


お父さんこと Swami G とのことを思い出してしまうから。

Gは私にエラい厳しかった。こんなに厳しくされたことはありません。人としての徳を積むための、それはまさに躾でした。いい年して恥ずかしいんだけど、親の躾以上の効力があったと思う。そして親以上に、あきらめずに、エゴを絡めずに、私を躾けてくれるグルの愛の偉大さに、ありがたくってどうしていいのやら・・・。私も、泣きながらもよく諦めなかったよね。それくらい厳しかった。


お父さんはいま中国。私はこれからタイです。

最近はあまり怒られなくなった。寂しいというよりは、信頼してもらえているのが分かり、またありがたい。


お父さんが私をこうして躾ける、その意図は、人に優しくできる強い人を作りたいんだと思います。困った人や悲しい人が一人でも少なくなるように。お父さんは優しい。君は沢山のろうそくに火を灯せる人間になりなさい、と言っていました。

それは大それたことではなくて、まあ「遠くにいる沢山の人」もそうなんだろうけど、「隣にいる一人の誰か」から始まることでもあるんだよね。そしてその為の絶対の資質は「ここにいる私を幸せにできる」ってことでしょう。


お父さんは私を、本当の意味で成熟させてくれました。感謝しても感謝しても、尽くしきれません。


ではでは、タイにいってきます。




2014年9月24日水曜日

ムナールに行って来た。Part 4

皆さん、スリランカ航空ではリクエストをすれば、コロンボでの長時間トランジットの際、宿泊が無料で付いてくるのをご存知ですか?


日本からの便だけのサービスかな?と思っていたけど問い合わせてみたところ「条件を満たしていればどこからでも」というお返事。


ただし、リクエストの応対をするのは出発地のオフィスのみ。


で、私は今回、マレーシアと電話で話す必要があったわけですな。気が重い・・・けど仕方がない。


私の英語なんて所詮、相手の言っている感じを真似ているだけだから、会話の相手によって発音が違っちゃう。主に、イギリス英語、アメリカ英語、インド英語の括りです。


マレーシアの人とお話しすることがあまりないので、どのパターンなのか分からず、どもるし、新しい感じのへんてこりんな訛りになってしまった。ああ・・・。


自分の英語を確立させたいものです。




さて、ムナールですよ。

ムナールの町から少し下って、自然の中のロッジにやってきました・・・ってとこまで話したよね。アメリカ人とフランス人が出てきます。








夕食時が来て、丘の上のメインコテージへ移動する。


コテージは平屋で、中央はダイニングルームを囲むようにして、4部屋とキッチンがある。管理人家族が一部屋使うから、ゲストは3組しか入れないそうだ。


ツンデレの奥さんを含む管理人の家族は、もとはタミルナードゥの人達だそうで、先祖が越境して移住したらしい。英国統治下は、茶畑ビジネスはさぞ盛況だったことでしょう。

三々五々、住人達がダイニングに現れた。バードウォッチャーのアメリカ人、作家のフランス人、インドは初めてというイギリス人の女の子二人組と日本人の私。他人同士でひとつの食卓を囲んでディナーと相成った。


インドのお母さんが作るご飯を食べられる宿は実にありがたい。レストランの脂っこい炒麺とか、悪くは無いけど、飽き飽きしていたところだ。缶詰になって執筆するのに最高の環境だし、そんな暇ができたら、いつか長逗留してみたいものだ。

夕食を終えて、自分のヴィラに戻る。お一人様好きの私には嬉しいけど、いざという時には決して好ましい環境ではない。叫んでも誰も聞きつけてくれないだろう。門を閉めてチェーンをグルグル巻きにしてから寝た。悪者が車やバイクで来た場合、少なくとも時間は稼げる。



さて、翌朝の朝食はフランス人と二人きりだった。アメリカ人は鳥を観に川にいってしまったし、女の子達は既に次の目的地へ出発してしまった。


私がアメリカ人から聞いていたフランス人の事前情報はこう。


「もう半年近く滞在して書いている作家なんだよ。彼はいいやつさ。でもちょっと厭世的なところがあってね、全てにおいて悲観的なんだよな。・・・You know、この地球は危機的な状況だ、とか、世界は退廃し尽くしている、とかいつも言ってる。」

そこで私は、

「うーん、あなたの言わんとすることは解る気がする。要するにフレンチってことだよね。」

と答えたのだった。


しかし、朝食の席でフランス人がアメリカ人について語るには、

「うん、彼はいいやつさ。でもただ一つ僕は嫌なところがある。世界のいろんな危機的な状況に対していつも“I don't care.”だ。これは彼の性格が悪いってことじゃなくて、アメリカが国民をそういう風にしているってことなんだけど・・・。」

なるほど。お互いがお互いの背と腹みたいなことだ。



I don't care. は「気にしない」って意味だけど、ニュアンスを性格に伝えるならば

「別に、関係ないよ、俺がどうこうしたって、どうにかなるわけではないんだしさ、気にしても仕方ないじゃん」・・・と言葉にしてくればまだしも、いわゆる「見ない振り」みたいなことです。


二人のそれぞれと、じっくり話をしてみて、私はどちらも好きだな、と思う。素敵な大人だった。だけど、フランス人に一票!という気分であることは確か。


フランス人の彼はもともとプロの登山家で、日本の登山家を自宅に泊めて長いこと一緒に暮らしたこともあるそうだ。登山に詳しくないから、日本人の名前を言われても解らなかったんだけど・・・。

登山をやめてから、もっとみんなに、大切なこととか、(ことに山男の視点からは)地球のこととか、を伝えたくて作家に転身したとのこと。



仏「フランスも終わってるよ。国民はすっかり骨抜きだ。これじゃまるでアメリカだよ。本当に悲しいよ。」

私「EUになったから?」

仏「それだけじゃないね。」

私「日本もそうだよ、グローバルになって、町も店もアメリカっぽくなってしまって、没個性でつまらないよ。なんでかっていうと、アメリカはどこの町にいっても同じモール、同じ都市計画、でしょ。日本の政治家はアメリカに骨抜きだしね。」

仏「グローバライゼーションっていうけどね、あれ言葉を間違ってるよ。本当はあれはアメリカナイゼーションなんだよ。」

私「!!確かに!そうだわ。その通りだわ。」




私が初めてインドに来たのは十数年前のこと。

シッキムの山奥のカフェで、朝食の席でこの手の話になったことがある。メンバーは台湾人、アメリカ人、フランス人、そして日本人の私だ。言いたいことは沢山あったのに、あの時は、一言も口を挟むことが出来なかった。人は変われるもんだな。英語は便利だ、と思う。



私は、基本的にアメリカの友人達が大好き。一緒にいて、なんだか楽。何故かは解らない。あの大ざっぱさが、大ざっぱな私の性に合っているのかもしれない。言葉は悪いけど、褒め言葉として、あのバカっぽさが、バカな私にしっくりくる。


ただ、日本と同じように、なんだか盲目化させられてる感は確かに否めない。

考える力を搾取されてしまっているというか・・・・。

事実、日本人の盲目っぷりの加速に、私は帰国するたびに土肝を抜かれている。



「もう止められないのかも知れないけれど、それでも、納得出来ないことには僕はNOと言いたいんだ、おかしいだろ、原発だって何だって。納得がいくまで話合いたいし抗いたいんだよ。」というフランス人の思いが、私にとっては正しい姿勢に思えたのだった。


大自然の懐で過ごし、人知を凌ぐ山の頂から「世界」を見てきた人の言葉として、余計に身に滲みた。


フランス人に別れを告げて、午前10時、迎えの車にのって、友人アニーシュの実家に向かうことになっている。とくに行きたいわけじゃないんだけど、断れなくて、そのストーリーに乗っかってしまった。

途中、バードウォッチングから帰ってくるアメリカ人とすれ違った。狙っていた鳥は見れたかな?自然を愛する、おおらかで朗らかな男だ。みんな、みんなが、そしてその家族が、どうぞ幸せであって欲しい。