2017年6月22日木曜日

魂の骨密度



シェアハウスの、私の部屋の一部である一畳半の濡れ縁。

流し台に発砲ウレタンの板を渡しただけの、妙にヨレっとした私のデスク。流し台だから、シンクの続きのステンレス、ふきん掛けをアクセサリー掛けとして使っている。

このデスクと植木台みたいな椅子のコンビネーションが、正直、体のサイズに会わない。
ていうか、流しだから仕方ないんだけど。

だからいつもは外に出てしまう。

でも今日は、すごい嵐だから、一歩も外に出ないようにしなきゃ。



毎日、毎日、座って何をしているかというと、翻訳作業をしています。

お父さん(G)のお手伝い。

これが結構時間を食うんだ。

どんなに短く見積もっても1ページ1時間。

美しい日本語を書くために。


やるなら完璧を目指したい癖に、神経質ゆえのスロースターター。そんな私にとっては、それを始めることがまず難しいし、座りっぱなしで体が痛い。しかも1日5時間くらいは頑張らないと・・・。

「一人でやるんじゃない!」とお父さんはいうけれど、とにかく嫌がられるんだ、この作業。大変だから。それを無理やり「そこをなんとか騙されたと思って!」と人にお願いしていたけれど、人疲れする自分は、本当は交渉ごとが苦手だし、どのみち全体の修正をしないといけないわけだから、今年は覚悟きめて、ガッツリ自分を拘束することにした。


当然のことながら、これにお給料が出るわけではない。

お金にならないことを、毎日毎日、誰にも顔を合わせずにやっている。

なんかすっごい貧乏だし、体はバキバキになるし、大きな犠牲を払わざるを得ないんだけど・・・

コミットメントってやつだな。

幸い、時間だけは沢山ある。


でもね、ちょっと、言葉では測れないくらい、すごいもんを貰ってる気がするんだよね。
なんか、ブルブル魂が震えるんだわ。
人生に愛されていると、強く実感する。


英文法の授業で、毎週机の上に正座させられてた私が、ですよ。


いちいち試練を与えてくれるお父さんは、やっぱり凄いんだと思う。



私、時々思うんだよね。


たとえば誰かにちょっと大事な役目をふってみたとするでしょう。

日本人の場合、

「無理 無理 無理!荷が重いから無理です!シータマやってください!」

責任が生じそうな場面は、とかく嫌われる。


骨と同じでさ、負荷をかけないと密度は上がらないんだよなー、って思うんだけどね。


もちろん私がやるのはやぶさかでは無いんですよ。

ド根性でなんでもやるし。

その代わり、あなたじゃなくて私がどんどん成長しちゃうよ!ってだけ。

そして、なんかちょっと孤独を感じるね。

この魂の振動を共有できる相手がいないとき。


そう。


責任のないところに成長はないんですよ。


だから、若人は、目の前に少しばかりのハードルを設置してみることをお勧めするよ。

それは「あの難しいポーズ出来るようにする」とか、そういうことじゃないよ。

ちいさな責任を生じさせるということです。

責任は関係性の中で磨かれること、誰かの支えになることでありながら、自分の生きざまに責任を持つということに直結しています。

そうして努力することで、宝といってもいいくらい、大切なものが身に着くし、独りよがりの張りぼてにも、天狗にもならないで済む。


江原さんも言ってたな、大人になるというのは責任を持つということです。

一つ所に命を懸ける。

それはとても自由で素敵なことなんだよ。

人生は挑戦。

大人の喜びは子供には分かるまいよ!

ふふふふ。