2016年5月12日木曜日

シータランのムリ考

なんじゃ、こりゃっ!


という本を、ルームメイトが図書館から借りてきました。

タカミーがスパイスを効かせているではないか!

ということで早速読ませていただきましたよ。

ボクらの時代というテレビ番組で行った三人の対談を書き起こしたもの。


では、みうらじゅんとリリー・フランキーが「高見沢さんも一緒に出家しましょうよ!」と熱心に誘ってるあたりから抜粋ね。


みうら 高見沢さんはミュージシャンですけど、ミュージシャンだとしても、住職のほうが上ですよね、肩書きとしては。

リリー ザ・住職、ジ・アルフィー。


高見沢 おおおお!


みうら その上につくことができるのは、"変態" だけですから。


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リリー お寺をつくって仏像つくって、そしてなんかこう、金はないんだけどこう、寺も仏像もいいものつくりたいとか・・・・・・どんどん金ぴかにしていって、見栄をはっていきながら美意識をたかめていくっていう、そういう文化っていうんですかね。なんかロックスター的。


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リリー いま、スローライフ的な「もうムリとかやめようよ」みたいなのあるじゃないですか。俺、「ムリくらいしようよ」と思うんですよ。無理くらいしないと人は死んじゃう。


高見沢 そうだよね、少しね。


リリー ムリして髪巻いたりとか、寺建てたりとか。


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みうら もう時代とか関係なくなってるから、高見沢さん。もうそろそろしたらやっぱり重要文化財くらいにはなられたほうが、いいんじゃないですか。


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リリー (※とある地方のとんでもない祭りの話題で)でも、そういう祭りも終わらないですからね。変態ほど息が長いんですよね。


高見沢 息が長い・・・・・・そうか。じゃあ俺も変態なんだ。そうか、なんか今日やっとわかった。


リリー キングオブ変態じゃないですか。



どうですか!
素晴らしくないですか!
とんだ酔狂とマッタリ感。

大学生くらいのころ、だれかの家に集まってウダウダとしていた頃の、あの会話、あの感じ。私に関していえば、35歳くらいまでは、これが日常でしたからね。懐かしい。とんと忙しい人生になったものだ。


それはさておき「無理くらいしないと」の一声で脳裏に蘇るのは、この冬のインドの日々です。機会があったらまた書きますが

「えええ!昨年よりも年寄りなのに、もっとキツいじゃーんっ!」

という過酷な状況だったのですよ。しかし我がブログでもお馴染みヒロミダスと、モヒニと三人で5ヶ月間なんとか乗り切った。

どうやって乗り切ったのかといったら、このロングヘアー三紳士のような会話で、一日一日を乗り切っていたような気がする。友達とは、言葉以上に大事なものだと思います。


ふつうは「こんなムリしたら死んじゃう!」が正論なんだろうけど、本当に死んでも困るので、無駄部とか、寝ない部とか、変態部とか、いろいろ部活をつくりまして、部活と思って無理を貫き、生き延びました。

変態とは最上格であると、ロングヘアーな生き方の人たちも仰っている。やはり我々は間違っていなかったね。


・・・・そんなインドの三人の戯言は置いといて、


リリーさんたちは、なんかすごく素敵なこと言ってるんですよ。


「ムリくらいしないと死んじゃうから」って「なにいってんの?やっぱスローライフでしょ!」て思ったでしょうけれど、ここでいってるムリってのは、別の言葉に置き換えてみるならば、「情熱」みたいなことですよ。

スローだろうがファストだろうが、そんなのはどうでもよくて

「そのために無理すらしたい何かを、あなたは持っていますか?」

てことだと思う。


「◯◯のためならば、ちょっとぐらいの無理は出来る、無理したい。」


そんな情熱がなかったら、生きながら死んでいるようなものなのかも知れない。


・・・とすると、タカミーのサバのように光った衣装も、巻き髪も、40年越えと息の長いのアルフィーもすべて、「底知れぬパッション、愛のカタチ」なんでしょう。


本文では、タカミーはスパイスではなく、コクとまろやかさを効かせていましたね。オーヴァー50の「ロングヘアーな人々」が読むと癒される本。

ちなみにアンダー50の「ロングヘアーだった人々」は大槻ケンヂの「リンダリンダラバーソウル」を読むとホロっと来ます。ちなみに解説はみうらじゅんでしたよ。

またね!