またもや更新が滞ってしまいました。
7月13日の東京を皮切りに、京都、大阪から、一日ばかり東京にいて茨城の実家に帰ったりしていて、今日やっとこさ落ち着いて家に居られる日です。あれからもう10日たつのか・・・。
あれをやって、これをやって・・・と沢山すべきことはあったものの、「あまちゃん」見ていざ始めるぞ!って時になってグッタリ。午前中いっぱい、ずーっとグッタリ。グッタリ、グッタリ、グッタリ星人。
各地の活動のご報告を、と思ってたのですが、単に私が今思い出してて、今書きたい事を書くことにしました。
私が中学生の時の話。
一年の時に東京に隣接する千葉県のある街から茨城県に転校した私。今思えば大差ないのだけど、うわ!田舎!千葉に帰りたい!と肩を落としておりました。何がショックだったって「ヤンキー」を初めて見たことですね。「ヤンキー」とは極楽鳥みたいな頭をして、ズボンが太く、変なバイクに乗っており、渡り廊下でラジカセ響かせロックンロールを踊っている人達。
まあそういう方々が沢山いる学校で、廊下をバイクが走っていたり、そこここに消火器がまき散らされたり。「これはださくないか?絶対いやだー!」と当時の私は思っていました(今は「あれはあれで、ありだったな」って思うけど・・・)。
私は、千葉での成績はまあまあ良い方だったのだけど、転校生には転校生の知恵袋ってやつがあるんです。転校生は哀しい。このような環境で勉強なんか出来たら目立つってことで、成績は中の下くらいに落としました。
転校したての時に、数学の先生に「寺崎さんは転校早々に数学でクラスで一番です、偉い!」みたいな事を発表されて、空気読まない大人だな!いじめられたらどうしてくれるのだ!ってことで、二年の時には100点満点で40点くらいになった。
ところで、この学校には、ヤンキー達に負けない凄い先生がいました。その名はニノミヤ(先生)。厳つい身体に、凄い柄の太いネクタイ、足元に雪駄を突っかけて、竹刀を持って、いつも走ってヤンキーを追いかけている。愛車は白くて大きなトヨタクラウン。いや、どうみても見た目がヤ○ザ。
あ、ちなみにパンチパーマです。
この人が、二年の時の数学の担当になったの。手の指の付け根の関節がつぶれてて「学生時代黒板にこうして拳をガツンガツンぶつけて潰したらこうなった(ニヤリ)」って見せてくれたりして、怖いのなんのって。
その先生の授業がね、今も忘れられません。
先生が「それでは、ここをこーして、こーすると、この定義はどうなる?」みたいなことを喋りながら板書するでしょ?「こっちから指名もしないし、分かったら俺の許可を得ずにどんどん答えを発言しろ」って先生は言った。
先生とはスクリーンの向こうで何か教えてる人で、生徒はそれを見ている観客という受け身の立場だと思ってたんだよね。
でもニノミヤ(先生)はそのスクリーンをぶっ壊せ!と教えた。我々がシーンとしてると怒る。それでもシーンとしてしまう。だって私たちは公共の場で自由に発言するって経験が一切ないんだもの。どんな式典の演説だって偉い大人はみんな原稿読んでるしさ。
しかしですよ、たった一人、ガンガン発言しまくる空気読まない男子が居たのね。クルス君である。クルス君はまあまあハンサムでもあった。
「私もだいぶ変ってるよなあ」と思うのはですよ、実は私は、可愛いぬいぐるみの贈り物とともに、彼から淡い恋の告白を受けていたのですな。それで「てめー、中学生の分際で告白なんて軟派な!」とでも思ったのでしょう。プレゼントを突き返し、クルス君の数学の授業での積極発言を徹底的に封じ、復讐してやる!と息巻いた。
だいたい復讐って何に対して・・・って完全に謎だし、彼にしてみればトバッチリですよ。今思えば、本当に申し訳なかったの一言に尽きるのだけど、とにかくクルス(君)封じに命を燃やす日々が始まったのでした。
先生の口から疑問形の言葉が発せられると、脳みそ高速回転でクルス(君)より早く回答する。数学のクラスは私とクルス君の一騎打ちで白熱しました。シーンとしているよりはだいぶいい感じ。ニノミヤ(先生)もご機嫌。そうこうしているウチに、私の数学の点数が自ずと上昇してしまったのです。
そんな中、所用で職員室に行くと、遠くの方からニノミヤ(先生)に「寺崎、それ終わったらこっちに来なさい」と呼ばれた。怒られるの?って思って震え上がったよ。だって見た目がヤ○ザ屋さんですから。それで席まで行くと「数学、よく頑張ってるな」って褒められた。あたしは、クルス(君)を潰したいだけです!とは言わず、「ハイ」とだけ言ってお辞儀して逃げるように帰った。ホッとしたと同時に、初めて垣間みたニノミヤ(先生)の穏やかな佇まいに少し驚きました。
素晴らしい先生だったな、って思う。高校生くらいの時点で、もう思ってた。
ニノミヤ(先生)から教わった事はものすごく大きい。
積極的に考える力を与えてくれた。積極的に考える楽しさを教えてくれた。
最近、日本人の生徒さん達の受動的な学習姿勢に危機感を感じている私。
先日の勉強会で「学びの定着しない理由はなんだろうね」って話になって。「うのみ」=「知的無関心」、つまりなんでも与えられるままの知的受動性について考えたのですが、コーチングの専門家の幸子さんが「スクールマインド(だったっけ?)はやめろってよくコーチングの先生に言われるんだ」って教えてくれて、ニノミヤ(先生)のことを思い出した。
今の私には、多分、ニノミヤ(先生)の血が少し入っているんだろうね。愛情深い先生でした。ありがとうございました。それからクルス君も・・・。好きって言ってくれてありがとう。なのにゴメンね。どう考えても私の頭がおかしかったわ(今もだけど・・・)。
あの頃、嫌いだった筈の数学がとても楽しかった。あの数学の授業は本当に面白かった。
お二人が今、お元気で、そしてお幸せであることを祈っています。
そして、私からも生徒さんたちへ。
Break through to the other side. Think by yourself.
ですぜ。
7月13日の東京を皮切りに、京都、大阪から、一日ばかり東京にいて茨城の実家に帰ったりしていて、今日やっとこさ落ち着いて家に居られる日です。あれからもう10日たつのか・・・。
あれをやって、これをやって・・・と沢山すべきことはあったものの、「あまちゃん」見ていざ始めるぞ!って時になってグッタリ。午前中いっぱい、ずーっとグッタリ。グッタリ、グッタリ、グッタリ星人。
各地の活動のご報告を、と思ってたのですが、単に私が今思い出してて、今書きたい事を書くことにしました。
私が中学生の時の話。
一年の時に東京に隣接する千葉県のある街から茨城県に転校した私。今思えば大差ないのだけど、うわ!田舎!千葉に帰りたい!と肩を落としておりました。何がショックだったって「ヤンキー」を初めて見たことですね。「ヤンキー」とは極楽鳥みたいな頭をして、ズボンが太く、変なバイクに乗っており、渡り廊下でラジカセ響かせロックンロールを踊っている人達。
まあそういう方々が沢山いる学校で、廊下をバイクが走っていたり、そこここに消火器がまき散らされたり。「これはださくないか?絶対いやだー!」と当時の私は思っていました(今は「あれはあれで、ありだったな」って思うけど・・・)。
私は、千葉での成績はまあまあ良い方だったのだけど、転校生には転校生の知恵袋ってやつがあるんです。転校生は哀しい。このような環境で勉強なんか出来たら目立つってことで、成績は中の下くらいに落としました。
転校したての時に、数学の先生に「寺崎さんは転校早々に数学でクラスで一番です、偉い!」みたいな事を発表されて、空気読まない大人だな!いじめられたらどうしてくれるのだ!ってことで、二年の時には100点満点で40点くらいになった。
ところで、この学校には、ヤンキー達に負けない凄い先生がいました。その名はニノミヤ(先生)。厳つい身体に、凄い柄の太いネクタイ、足元に雪駄を突っかけて、竹刀を持って、いつも走ってヤンキーを追いかけている。愛車は白くて大きなトヨタクラウン。いや、どうみても見た目がヤ○ザ。
あ、ちなみにパンチパーマです。
この人が、二年の時の数学の担当になったの。手の指の付け根の関節がつぶれてて「学生時代黒板にこうして拳をガツンガツンぶつけて潰したらこうなった(ニヤリ)」って見せてくれたりして、怖いのなんのって。
その先生の授業がね、今も忘れられません。
先生が「それでは、ここをこーして、こーすると、この定義はどうなる?」みたいなことを喋りながら板書するでしょ?「こっちから指名もしないし、分かったら俺の許可を得ずにどんどん答えを発言しろ」って先生は言った。
先生とはスクリーンの向こうで何か教えてる人で、生徒はそれを見ている観客という受け身の立場だと思ってたんだよね。
でもニノミヤ(先生)はそのスクリーンをぶっ壊せ!と教えた。我々がシーンとしてると怒る。それでもシーンとしてしまう。だって私たちは公共の場で自由に発言するって経験が一切ないんだもの。どんな式典の演説だって偉い大人はみんな原稿読んでるしさ。
しかしですよ、たった一人、ガンガン発言しまくる空気読まない男子が居たのね。クルス君である。クルス君はまあまあハンサムでもあった。
「私もだいぶ変ってるよなあ」と思うのはですよ、実は私は、可愛いぬいぐるみの贈り物とともに、彼から淡い恋の告白を受けていたのですな。それで「てめー、中学生の分際で告白なんて軟派な!」とでも思ったのでしょう。プレゼントを突き返し、クルス君の数学の授業での積極発言を徹底的に封じ、復讐してやる!と息巻いた。
だいたい復讐って何に対して・・・って完全に謎だし、彼にしてみればトバッチリですよ。今思えば、本当に申し訳なかったの一言に尽きるのだけど、とにかくクルス(君)封じに命を燃やす日々が始まったのでした。
先生の口から疑問形の言葉が発せられると、脳みそ高速回転でクルス(君)より早く回答する。数学のクラスは私とクルス君の一騎打ちで白熱しました。シーンとしているよりはだいぶいい感じ。ニノミヤ(先生)もご機嫌。そうこうしているウチに、私の数学の点数が自ずと上昇してしまったのです。
そんな中、所用で職員室に行くと、遠くの方からニノミヤ(先生)に「寺崎、それ終わったらこっちに来なさい」と呼ばれた。怒られるの?って思って震え上がったよ。だって見た目がヤ○ザ屋さんですから。それで席まで行くと「数学、よく頑張ってるな」って褒められた。あたしは、クルス(君)を潰したいだけです!とは言わず、「ハイ」とだけ言ってお辞儀して逃げるように帰った。ホッとしたと同時に、初めて垣間みたニノミヤ(先生)の穏やかな佇まいに少し驚きました。
素晴らしい先生だったな、って思う。高校生くらいの時点で、もう思ってた。
ニノミヤ(先生)から教わった事はものすごく大きい。
積極的に考える力を与えてくれた。積極的に考える楽しさを教えてくれた。
最近、日本人の生徒さん達の受動的な学習姿勢に危機感を感じている私。
先日の勉強会で「学びの定着しない理由はなんだろうね」って話になって。「うのみ」=「知的無関心」、つまりなんでも与えられるままの知的受動性について考えたのですが、コーチングの専門家の幸子さんが「スクールマインド(だったっけ?)はやめろってよくコーチングの先生に言われるんだ」って教えてくれて、ニノミヤ(先生)のことを思い出した。
今の私には、多分、ニノミヤ(先生)の血が少し入っているんだろうね。愛情深い先生でした。ありがとうございました。それからクルス君も・・・。好きって言ってくれてありがとう。なのにゴメンね。どう考えても私の頭がおかしかったわ(今もだけど・・・)。
あの頃、嫌いだった筈の数学がとても楽しかった。あの数学の授業は本当に面白かった。
お二人が今、お元気で、そしてお幸せであることを祈っています。
そして、私からも生徒さんたちへ。
Break through to the other side. Think by yourself.
ですぜ。