2012年3月12日月曜日

3月11日。



奇跡的に、写真をアップロードするアイコンが出てきました。いま、この瞬間ならば写真が掲載できる。最新のデータを入手していないので、これは12月のサーダナコース中のものですが、Maha Mrytumjaya Homaの写真です。

 あの日から、3月11日から、一年がたちました。

 いつもだったら、別の曜日に行う「Mahamrtyumjaya Homa」が、スケジュールの都合で、今日、3月11日、日曜日に行われました。

 4時半に起きて、行水して、バタバタと準備をしている、その間は忘れていたのです。闇の中で、オレンジ色に燃えさかるHoma(護摩)の火を見つめながら、MrytumjayaのBija Mantraを唱えている時に、突然思い出した。一瞬の間に、いろんなことが脳裏を巡りました。あの地震のあと、リシケシのSivanannda Ashramでは、Mahamrytumjaya Mantraを日本の為に、何時間も何時間も唱えてくれたと報告されたこと。奉仕活動にいった大船渡と、陸前高田の風景。こころの中で作り出されては、何度も何度も再生された、津波のイメージ。亡くなった、そして残された人々の思い。

 私は、公衆の面前で涙を流すということは、ほぼありえないのですが、今日は泣いてしまった。もしかしたら、あの地震のことでは、ずっと泣きたかったのかも知れない。実際に被災していない私が、こんなに泣きたいのだから、実際に被災された方の思いは幾ばくか、計り知れません。


 前にも書いたけど、Murtyuとは「死」、そしてJayaは「勝利する=克服」という意味です。だからMrtyunjayaとは、この「生」と「死」の間で惑い苦しむ性質からの脱却を表す神様の姿。このマントラは、病気の治癒や、旅の安全、修行の成就などの為の他、魂が肉体を旅立つ時に手向けられるマントラです。つまり成仏を願うマントラ。
 図らずも、今日という日を、この儀式で始めることとなった偶然に感謝するのみです。

 
 人間は忘れる生き物です。忘れるということは神様からの贈り物といってもいい。悲しみはみんな、どんどん天に返してしまっていいんだと思う。しかし、同時に人は学ぶ生き物でもある。私たちは、プログラムされた本能のみに従う動物とは違って、自由な意思を持ってる。だから、学びを伝え、明日に活かすことを行うのは、人である証だと思う。現実を見つめて、より良き状況の為に、常にベストを尽くす。それが生きるということだと思う。

 亡くなられた全ての方々、そして生き物たちに、哀悼の意をこめて。

Om Haum Jum Sah Om Bhur Bhuvah Svah.
Om Trayambakam yajaamahe sugandhim pustivardhanam
urvaarukamiva Bandhanaanmrtyormukseeya maamrtaat.

Om shantih shantih Shantih.