Q. スワミジのワークショップとお茶とヨガは、どのように関わるかが知りたいんです…。なお、WSのプログラムにある茶席とは、ヨガが関係してくる内容なのかなども。ヨガはヨガ、お茶はお茶といったような内容で、分かれたものなんでしょうか?
A.ご質問ありがとうございます。 まず、私的にヨガサイドから見ると、ヨガとお茶に直接の関係はありません。しかし、日本人として、自国の文化である茶の湯のルーツをたどると、そこにはヨガがある、ということですね。 御存じとは思いますが、以下に簡単にまとめてみます。
A.ご質問ありがとうございます。 まず、私的にヨガサイドから見ると、ヨガとお茶に直接の関係はありません。しかし、日本人として、自国の文化である茶の湯のルーツをたどると、そこにはヨガがある、ということですね。 御存じとは思いますが、以下に簡単にまとめてみます。
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バーラタ(昔のインドのことです)のリシ、パタンジャリは、その著書ヨーガスートラの中で、個人におけるヨーガの段階的な進化を、アシュタンガ(八支則)と呼んで説きました。 ①ヤマ(禁戒)②ニヤマ(勧戒)③アーサナ(体位法)④プラーナヤーマ(調気法)⑤プラティヤハーラ(制感) ⑥ダーラナ(集中)⑦デャーナ(静慮)⑧サマーディ(三昧)
この八支則は、大きく分けて二部門に分かれています。前半①-⑤と、後半の⑥-⑧です。前半は、後半ためのステップであり、後半が本番ということになります。⑥-⑧は全て同じもの=瞑想のことです。即ちヨーガスートラに説かれるRaja Yogaとは、瞑想を通して悟りを得る道といえますね。さて、なぜ三つに分かれているかというと、その高度な集中の度合いを表現する為です。最高度に安定した精神状態がサマーディ-ですから、ここではサマーディがゴールということになります。厳密に言うとサマーディ-の中にも沢山の段階があるのですが、今はそれは置いておきましょう。ちなみにRaja Yogaでは、この状態をサマーディまたはカイヴァリヤと言いますが、Jnyana Yoga(ヴェーダーンタ)派は、モクシャと呼びます。名前こそいろいろありますが、目指すゴールは一つです。
パタンジャリは、ゴータマブッダ(お釈迦様)の少なくとも100年以上は先輩といわれますが、ブッダはインド伝統の修行を修め、やがて独自の方法論で悟り、その教えは歴代の子弟を通して中国を通って日本に入ってきました。日本でも、世界的にみても、お釈迦様の教えの遍歴の一部にフォーカスした形で、様々な流派に分かれているのが現状な気がします。みなさん御存じのダルマさん=ボーディダルマ(達磨大師)が伝えたのが現在の禅宗の基盤ですよね。それはさておき、サマーディの状態とは、物事の性質というのを超えた状態なので、言葉でその性質を説明することができません。なぜなら説明すべき性質が無いからです。なんとか説明可能なのは、その一歩手前のデャーナまで。このことは、八支則の和訳を見て頂ければ分かると思います。サマーディのみが三昧(サンマイ)、つまりサンスクリットの音訳(=意味を表さず、音だけを真似た言葉)になっています。デャーナまでは、その状態を漢字の意味をもって表現されているので、漢字を読めば、どういう状態かはある理解できますよね。ちなみにデャーナは、ヒンディでは「デャーン」、中国語では「チャン」、日本語では「ゼン」。調べてみないと分からないのですが、恐らく仏典の源であるパーリ語でも近い音だと思います。古く日本人は「ゼン」の向こうに「サンマイ」を見て修行に励んだわけです。
さて、日本には、今も昔も四季がありますから、インドのように、年がら年じゅう暑いのとは、わけが違います。日本人が、移ろいゆく季節の中で、普遍的なものに対する、並々ならぬ憧憬をもったであろうことは、想像に難くありません。仏教を通して伝わったデャーナ(ゼン)は日本独特の風土の中で、新たな道をつくっていきます。その一つが茶道です。ここで思い出していただきたいのが、「デャーナ(ゼン)という言葉は“高度に安定した精神の集中度合・状態を表わす言葉”であるということ」です。ヨガの人も、座禅の人も、茶の湯の人も、居合道の人も、言葉は違えど、同じものを見ているのです。もちろん、茶会の所作や、茶の湯の上っ面に着眼すれば、ヨガとはなんの関係ありません。しかし、茶の道を通して見据える深部はヨガそのものと言っても過言では無いわけです。
そこで今回のワークショップは、日本人として、日本の風土の中で発展したデャーナ論「茶の湯」を通して、禅定(=静慮)を「体験」してみようではないか!という試みになります。午前中に八支則の③④を行って⑥⑦⑧の為の土台をつくり、午後は⑥⑦を体験しようということになります。さすがに、「呼吸に合わせて摺り足で歩きながら、茶筅を持って手首を回しま~す」みたいなアーサナは出来ませんから(笑)。
また、スワミジは来日するたびに、日本のことをよく勉強してまして、前回も日光の寺社にお連れしたところ、逆にスワミジがガイドになって色々説明してくれたりして、甚だ恥ずかしい我々でして・・・。私達って日本人なのに、やれヨガだ、インドだ、バイロンベイだ、って外にばかり目を向けて、日本のこと何も知らないんですよね。
ヨガの五千年には負けるけど、日本にも何百年も続いたデャーナの道があるじゃないか、この機に、日本を見直し、誇りをもとう・・・という思いが発端です。そして、すべてにおいて忙しい東京です。「一服のお茶をただ静かに全身全霊で味わう」、そんな時間を提供したくもありました。お茶を飲むだけだと、ただのお茶会になっちゃいますので、そこを繋いでくれるのがスワミジの講義です。アーサナ、プラーナヤーマ、茶による禅を体験したあとに「デャーナ=ゼンってどういう状態のことをいうの?ダーラナとサマーディとはどう違うの?」などお話を伺えば、どこかピンと来やすいかも知れない・・ってことです。
以上、拙い回答でしたが、ご理解いただけたら幸いです。
Sita
パタンジャリは、ゴータマブッダ(お釈迦様)の少なくとも100年以上は先輩といわれますが、ブッダはインド伝統の修行を修め、やがて独自の方法論で悟り、その教えは歴代の子弟を通して中国を通って日本に入ってきました。日本でも、世界的にみても、お釈迦様の教えの遍歴の一部にフォーカスした形で、様々な流派に分かれているのが現状な気がします。みなさん御存じのダルマさん=ボーディダルマ(達磨大師)が伝えたのが現在の禅宗の基盤ですよね。それはさておき、サマーディの状態とは、物事の性質というのを超えた状態なので、言葉でその性質を説明することができません。なぜなら説明すべき性質が無いからです。なんとか説明可能なのは、その一歩手前のデャーナまで。このことは、八支則の和訳を見て頂ければ分かると思います。サマーディのみが三昧(サンマイ)、つまりサンスクリットの音訳(=意味を表さず、音だけを真似た言葉)になっています。デャーナまでは、その状態を漢字の意味をもって表現されているので、漢字を読めば、どういう状態かはある理解できますよね。ちなみにデャーナは、ヒンディでは「デャーン」、中国語では「チャン」、日本語では「ゼン」。調べてみないと分からないのですが、恐らく仏典の源であるパーリ語でも近い音だと思います。古く日本人は「ゼン」の向こうに「サンマイ」を見て修行に励んだわけです。
さて、日本には、今も昔も四季がありますから、インドのように、年がら年じゅう暑いのとは、わけが違います。日本人が、移ろいゆく季節の中で、普遍的なものに対する、並々ならぬ憧憬をもったであろうことは、想像に難くありません。仏教を通して伝わったデャーナ(ゼン)は日本独特の風土の中で、新たな道をつくっていきます。その一つが茶道です。ここで思い出していただきたいのが、「デャーナ(ゼン)という言葉は“高度に安定した精神の集中度合・状態を表わす言葉”であるということ」です。ヨガの人も、座禅の人も、茶の湯の人も、居合道の人も、言葉は違えど、同じものを見ているのです。もちろん、茶会の所作や、茶の湯の上っ面に着眼すれば、ヨガとはなんの関係ありません。しかし、茶の道を通して見据える深部はヨガそのものと言っても過言では無いわけです。
そこで今回のワークショップは、日本人として、日本の風土の中で発展したデャーナ論「茶の湯」を通して、禅定(=静慮)を「体験」してみようではないか!という試みになります。午前中に八支則の③④を行って⑥⑦⑧の為の土台をつくり、午後は⑥⑦を体験しようということになります。さすがに、「呼吸に合わせて摺り足で歩きながら、茶筅を持って手首を回しま~す」みたいなアーサナは出来ませんから(笑)。
また、スワミジは来日するたびに、日本のことをよく勉強してまして、前回も日光の寺社にお連れしたところ、逆にスワミジがガイドになって色々説明してくれたりして、甚だ恥ずかしい我々でして・・・。私達って日本人なのに、やれヨガだ、インドだ、バイロンベイだ、って外にばかり目を向けて、日本のこと何も知らないんですよね。
ヨガの五千年には負けるけど、日本にも何百年も続いたデャーナの道があるじゃないか、この機に、日本を見直し、誇りをもとう・・・という思いが発端です。そして、すべてにおいて忙しい東京です。「一服のお茶をただ静かに全身全霊で味わう」、そんな時間を提供したくもありました。お茶を飲むだけだと、ただのお茶会になっちゃいますので、そこを繋いでくれるのがスワミジの講義です。アーサナ、プラーナヤーマ、茶による禅を体験したあとに「デャーナ=ゼンってどういう状態のことをいうの?ダーラナとサマーディとはどう違うの?」などお話を伺えば、どこかピンと来やすいかも知れない・・ってことです。
以上、拙い回答でしたが、ご理解いただけたら幸いです。
Sita