My loving teacher, thank u so much. i got your present to day. I felt so many happy as i looked that. I felt my seetha teacher with me always. One time u are my teacher, one time my mother, one time my sister & one time u are my best friend. May i wish be happy always...Arigatho.
2009年10月31日土曜日
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スリランカのとある施設で、インストラクター二人を教育してきたのですが、二人とも本当に素直で、胸に響くものがありました。先日彼らにこの写真を送ったら、スウィートなイローシャ(右)から拙い英語のSMSが届きました。私は未だ子供を…どころか夫も持たない為、両親は「あなた、寂しい人生よ!」と心配してる。でも、本当にそうなのかなぁ?私は既に子沢山なような気がしてしまうのです。寂しいなんて言葉は幻のようなものではないかなと…。とはいえ、私もまだまだ未熟者なので、本当のところは分かりません、ハイ。
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スワミ マハデヴァーナンダ ジとマニ チャイタニヤを迎えての、東京でのワークショップが終了しました。デリーで一緒に働いてたヒロミ先生も駆けつけてくれ「あれ、ここはどこだったけか~?」的な気持ちになりましたが、東京です。
この東京センターの小さな部屋を借りてから2年が経ちましたが、東京にセンターをつくるというプロジェクトは動き始めたのは、それより遡ること更に一年くらい前のこと。正直、本当に言葉に尽くせない程、大変なことばかりだったけど、こうして何とか存続しています。グルの恩恵ですよね。ありがたいことです。
これに関して「凄いねっ!嬉しいねっ!」という感情は、案外なくて「あ、在るな」って、それだけ。相変わらずアンチ・クライマックスな私ですが、これが温度差になるのかな、ミングリングってのが苦手な要因なんでしょうね。人生山あり谷ありと言われ、実際に山も谷もある様に見えるんですけど、私は、人の一生とは案外平らかなもののような気がしています。
2009年10月20日火曜日
みんなのQ&しーたのA 「カパーラバティ」
先日、私の憧れの国ラオスから、お便りをいただきました。ご縁を辿ってきて下さったことにシミジミしています。ご縁といえば、スリランカで教えていたときのこと。熱心に来てくれてた生徒さんが、香港在住時に私の学友にヨガを習っていたとのことが発覚しました。「縁とはまったく憎いぜっ!」と思いましたね~。今回、とても良い質問だったので、回答をこちらにも転機させていただきました。
Q.カバラバティのあとに、みぞおちが痛むってことはありますか? 先生曰く、それは正しくない方法でやってるからだ、と。なにかコツはあるのでしょうか?
A. お返事すっかり遅くなってすみません。 カパラバティの後のみぞおちが痛むというお話は、時々耳にします。みぞおちの他に脇腹など、おもにヨガを始めたばかりの方に多いようです。実際にご本人にお会い出来れば、どんな感じなのか、多少はわかるのですが、お会いできないので、あくまでも推測ということで、だいたい以下のようなことになります。
まず、初めに、どこが、どんな感じで痛むのか。或いはカパラバティの後以外でも痛むのかどうか、自問して下さい。俗に言う「なんかイヤ~な感じの痛み」であれば、まずドクターの処へ行って、診てもらいましょう。素晴らしいことに、大事なことは、みんな体が教えてくれますので、まず一番に、ご自身の体の声に耳を傾けて下さいね。
さて、それ以外の場合ですが、(方法が正しくないというよりも)考えられる原因が幾つかあります。
①カパラバティは「腹筋の力でお腹の中身を圧縮して、横隔膜を上に押し上げることで、肺の空気を外に出す」=いわばポンプのような呼吸の方法です。横隔膜は呼吸器と消化器を分け隔ている膜状の筋肉ですが、まさにミゾオチのあたりにありますよね。普段自力で動かしていない筋肉ですから、初めのうちは、「しんどいわ~」と痛むことがあると思います。
②胃に何かのこっていた場合、あるいはもともと胃が弱かったり、調子が悪かってりする場合。
③消化器全体が、あまり強く無い場合。
④ふだん全く運動をしていなかった場合。
内臓が圧迫され、激しく動きます。胃に消化中の物があれば、消化不良を起こして痛みますし、胃に炎症があったりする場合も炎症が激しくなる事が予測されます。また、動くことに慣れていない内臓ですと、最初はやっぱりビックリして痛みます。 ということで、食後3時間くらいは、ヨガもカパラバティも避けて下さい、と言いたいところですが、お子さんのお食事に合わせたり、いろいろおありでしょうから、まあ2時間くらい見ていただけば大丈夫だと思います。毎日でなくても、週一回でも続けていけば、丈夫で健康な内臓になりますので、その頃にはいつの間にか、痛みがあったことすら、忘れている筈。 ヨガも、暮らしも、全部、楽しんでくださいね。またお便りします。
Sita
2009年10月18日日曜日
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バナナの葉っぱで出来たこの素敵な建物が、Madurai アシュラムの女子スタッフクオーターです。ちなみ春のハリケーンでまた(!)倒壊したというのだけど、まあ、また建てればいいんだから、そう考えれば問題ないか。屋根だけではなく、壁も葉っぱ。そしてその内部はというと・・・
殆ど外!昼間は熱く、明け方は凍えます。この見苦しいベッドが私に与えられた唯一のプライベート空間ですが、例によって散らかしてます。だって棚がないから・・・。梁に鼠の死骸が引っかかってたり、ミミズみたいな虫が歩いてたりで、最初来たときはちょっと凹みました。が、住めば都とは良く言ったもの。この睡眠環境が今では一番の気に入りで、以降、外で寝たり、するようになりました。
ヨガホール、というか、講堂というか、多目的ホールですか、ホール一つしかないから。写真は、スワミ・タットワルーパナンダ。スワミダヤナンダジのお弟子さんです。スワミジには何だかんだで毎年会ってる気がする。「あなたの周りにいる世界一幸せそうな人は?と聞かれたら迷わずにこの人の名前を挙げます。そういう人。
殆ど外!昼間は熱く、明け方は凍えます。この見苦しいベッドが私に与えられた唯一のプライベート空間ですが、例によって散らかしてます。だって棚がないから・・・。梁に鼠の死骸が引っかかってたり、ミミズみたいな虫が歩いてたりで、最初来たときはちょっと凹みました。が、住めば都とは良く言ったもの。この睡眠環境が今では一番の気に入りで、以降、外で寝たり、するようになりました。
ヨガホール、というか、講堂というか、多目的ホールですか、ホール一つしかないから。写真は、スワミ・タットワルーパナンダ。スワミダヤナンダジのお弟子さんです。スワミジには何だかんだで毎年会ってる気がする。「あなたの周りにいる世界一幸せそうな人は?と聞かれたら迷わずにこの人の名前を挙げます。そういう人。
Madurai センターの同僚。もはや家族。左からロシン、サジェーン(Neyyar Dam)、マナス、ドゥーライラジ、パンチャバルナン。マラヤラム2名、ベンガル、タミル2名、一緒にいる私は大抵ネパール人に間違われていました。アシュラムにいる西洋人にどうしても溶け込めず、インド人しか友達がいなかったとも言える。時に孤独でしたが、結果それ以上に幸せでした。 すっかりローカルとして、というかネパールの田舎ものとして暮らしていましたね。
以上Madurai Ashramでした。
2009年10月17日土曜日
みんなのQ&しーたのA 「禅とヨガ」
Om Namah Sivaya. 雑誌の「Yogini」さんから来たる25日のリトリートについて質問をいただきました。当日いらっしゃる方の参考になるかも・・・ということでQ&Aです。
Q. スワミジのワークショップとお茶とヨガは、どのように関わるかが知りたいんです…。なお、WSのプログラムにある茶席とは、ヨガが関係してくる内容なのかなども。ヨガはヨガ、お茶はお茶といったような内容で、分かれたものなんでしょうか?
A.ご質問ありがとうございます。 まず、私的にヨガサイドから見ると、ヨガとお茶に直接の関係はありません。しかし、日本人として、自国の文化である茶の湯のルーツをたどると、そこにはヨガがある、ということですね。 御存じとは思いますが、以下に簡単にまとめてみます。
A.ご質問ありがとうございます。 まず、私的にヨガサイドから見ると、ヨガとお茶に直接の関係はありません。しかし、日本人として、自国の文化である茶の湯のルーツをたどると、そこにはヨガがある、ということですね。 御存じとは思いますが、以下に簡単にまとめてみます。
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バーラタ(昔のインドのことです)のリシ、パタンジャリは、その著書ヨーガスートラの中で、個人におけるヨーガの段階的な進化を、アシュタンガ(八支則)と呼んで説きました。 ①ヤマ(禁戒)②ニヤマ(勧戒)③アーサナ(体位法)④プラーナヤーマ(調気法)⑤プラティヤハーラ(制感) ⑥ダーラナ(集中)⑦デャーナ(静慮)⑧サマーディ(三昧)
この八支則は、大きく分けて二部門に分かれています。前半①-⑤と、後半の⑥-⑧です。前半は、後半ためのステップであり、後半が本番ということになります。⑥-⑧は全て同じもの=瞑想のことです。即ちヨーガスートラに説かれるRaja Yogaとは、瞑想を通して悟りを得る道といえますね。さて、なぜ三つに分かれているかというと、その高度な集中の度合いを表現する為です。最高度に安定した精神状態がサマーディ-ですから、ここではサマーディがゴールということになります。厳密に言うとサマーディ-の中にも沢山の段階があるのですが、今はそれは置いておきましょう。ちなみにRaja Yogaでは、この状態をサマーディまたはカイヴァリヤと言いますが、Jnyana Yoga(ヴェーダーンタ)派は、モクシャと呼びます。名前こそいろいろありますが、目指すゴールは一つです。
パタンジャリは、ゴータマブッダ(お釈迦様)の少なくとも100年以上は先輩といわれますが、ブッダはインド伝統の修行を修め、やがて独自の方法論で悟り、その教えは歴代の子弟を通して中国を通って日本に入ってきました。日本でも、世界的にみても、お釈迦様の教えの遍歴の一部にフォーカスした形で、様々な流派に分かれているのが現状な気がします。みなさん御存じのダルマさん=ボーディダルマ(達磨大師)が伝えたのが現在の禅宗の基盤ですよね。それはさておき、サマーディの状態とは、物事の性質というのを超えた状態なので、言葉でその性質を説明することができません。なぜなら説明すべき性質が無いからです。なんとか説明可能なのは、その一歩手前のデャーナまで。このことは、八支則の和訳を見て頂ければ分かると思います。サマーディのみが三昧(サンマイ)、つまりサンスクリットの音訳(=意味を表さず、音だけを真似た言葉)になっています。デャーナまでは、その状態を漢字の意味をもって表現されているので、漢字を読めば、どういう状態かはある理解できますよね。ちなみにデャーナは、ヒンディでは「デャーン」、中国語では「チャン」、日本語では「ゼン」。調べてみないと分からないのですが、恐らく仏典の源であるパーリ語でも近い音だと思います。古く日本人は「ゼン」の向こうに「サンマイ」を見て修行に励んだわけです。
さて、日本には、今も昔も四季がありますから、インドのように、年がら年じゅう暑いのとは、わけが違います。日本人が、移ろいゆく季節の中で、普遍的なものに対する、並々ならぬ憧憬をもったであろうことは、想像に難くありません。仏教を通して伝わったデャーナ(ゼン)は日本独特の風土の中で、新たな道をつくっていきます。その一つが茶道です。ここで思い出していただきたいのが、「デャーナ(ゼン)という言葉は“高度に安定した精神の集中度合・状態を表わす言葉”であるということ」です。ヨガの人も、座禅の人も、茶の湯の人も、居合道の人も、言葉は違えど、同じものを見ているのです。もちろん、茶会の所作や、茶の湯の上っ面に着眼すれば、ヨガとはなんの関係ありません。しかし、茶の道を通して見据える深部はヨガそのものと言っても過言では無いわけです。
そこで今回のワークショップは、日本人として、日本の風土の中で発展したデャーナ論「茶の湯」を通して、禅定(=静慮)を「体験」してみようではないか!という試みになります。午前中に八支則の③④を行って⑥⑦⑧の為の土台をつくり、午後は⑥⑦を体験しようということになります。さすがに、「呼吸に合わせて摺り足で歩きながら、茶筅を持って手首を回しま~す」みたいなアーサナは出来ませんから(笑)。
また、スワミジは来日するたびに、日本のことをよく勉強してまして、前回も日光の寺社にお連れしたところ、逆にスワミジがガイドになって色々説明してくれたりして、甚だ恥ずかしい我々でして・・・。私達って日本人なのに、やれヨガだ、インドだ、バイロンベイだ、って外にばかり目を向けて、日本のこと何も知らないんですよね。
ヨガの五千年には負けるけど、日本にも何百年も続いたデャーナの道があるじゃないか、この機に、日本を見直し、誇りをもとう・・・という思いが発端です。そして、すべてにおいて忙しい東京です。「一服のお茶をただ静かに全身全霊で味わう」、そんな時間を提供したくもありました。お茶を飲むだけだと、ただのお茶会になっちゃいますので、そこを繋いでくれるのがスワミジの講義です。アーサナ、プラーナヤーマ、茶による禅を体験したあとに「デャーナ=ゼンってどういう状態のことをいうの?ダーラナとサマーディとはどう違うの?」などお話を伺えば、どこかピンと来やすいかも知れない・・ってことです。
以上、拙い回答でしたが、ご理解いただけたら幸いです。
Sita
パタンジャリは、ゴータマブッダ(お釈迦様)の少なくとも100年以上は先輩といわれますが、ブッダはインド伝統の修行を修め、やがて独自の方法論で悟り、その教えは歴代の子弟を通して中国を通って日本に入ってきました。日本でも、世界的にみても、お釈迦様の教えの遍歴の一部にフォーカスした形で、様々な流派に分かれているのが現状な気がします。みなさん御存じのダルマさん=ボーディダルマ(達磨大師)が伝えたのが現在の禅宗の基盤ですよね。それはさておき、サマーディの状態とは、物事の性質というのを超えた状態なので、言葉でその性質を説明することができません。なぜなら説明すべき性質が無いからです。なんとか説明可能なのは、その一歩手前のデャーナまで。このことは、八支則の和訳を見て頂ければ分かると思います。サマーディのみが三昧(サンマイ)、つまりサンスクリットの音訳(=意味を表さず、音だけを真似た言葉)になっています。デャーナまでは、その状態を漢字の意味をもって表現されているので、漢字を読めば、どういう状態かはある理解できますよね。ちなみにデャーナは、ヒンディでは「デャーン」、中国語では「チャン」、日本語では「ゼン」。調べてみないと分からないのですが、恐らく仏典の源であるパーリ語でも近い音だと思います。古く日本人は「ゼン」の向こうに「サンマイ」を見て修行に励んだわけです。
さて、日本には、今も昔も四季がありますから、インドのように、年がら年じゅう暑いのとは、わけが違います。日本人が、移ろいゆく季節の中で、普遍的なものに対する、並々ならぬ憧憬をもったであろうことは、想像に難くありません。仏教を通して伝わったデャーナ(ゼン)は日本独特の風土の中で、新たな道をつくっていきます。その一つが茶道です。ここで思い出していただきたいのが、「デャーナ(ゼン)という言葉は“高度に安定した精神の集中度合・状態を表わす言葉”であるということ」です。ヨガの人も、座禅の人も、茶の湯の人も、居合道の人も、言葉は違えど、同じものを見ているのです。もちろん、茶会の所作や、茶の湯の上っ面に着眼すれば、ヨガとはなんの関係ありません。しかし、茶の道を通して見据える深部はヨガそのものと言っても過言では無いわけです。
そこで今回のワークショップは、日本人として、日本の風土の中で発展したデャーナ論「茶の湯」を通して、禅定(=静慮)を「体験」してみようではないか!という試みになります。午前中に八支則の③④を行って⑥⑦⑧の為の土台をつくり、午後は⑥⑦を体験しようということになります。さすがに、「呼吸に合わせて摺り足で歩きながら、茶筅を持って手首を回しま~す」みたいなアーサナは出来ませんから(笑)。
また、スワミジは来日するたびに、日本のことをよく勉強してまして、前回も日光の寺社にお連れしたところ、逆にスワミジがガイドになって色々説明してくれたりして、甚だ恥ずかしい我々でして・・・。私達って日本人なのに、やれヨガだ、インドだ、バイロンベイだ、って外にばかり目を向けて、日本のこと何も知らないんですよね。
ヨガの五千年には負けるけど、日本にも何百年も続いたデャーナの道があるじゃないか、この機に、日本を見直し、誇りをもとう・・・という思いが発端です。そして、すべてにおいて忙しい東京です。「一服のお茶をただ静かに全身全霊で味わう」、そんな時間を提供したくもありました。お茶を飲むだけだと、ただのお茶会になっちゃいますので、そこを繋いでくれるのがスワミジの講義です。アーサナ、プラーナヤーマ、茶による禅を体験したあとに「デャーナ=ゼンってどういう状態のことをいうの?ダーラナとサマーディとはどう違うの?」などお話を伺えば、どこかピンと来やすいかも知れない・・ってことです。
以上、拙い回答でしたが、ご理解いただけたら幸いです。
Sita
2009年10月13日火曜日
photo ヨガ友
2009年10月11日日曜日
「よぎの市」
10月4日(土)、シヴァカミ姉さんと「よぎの市」に参戦(?)してきました。「よぎの市」は、ヨガの情報webサイト、ヨガジェネレーションの主催のヨガフリーマーケットです。当日は朝8時半集合ということで、われらSYVCは8時にセンターに集合、鍵をなくしたり、食器を割ったりの紆余曲折を経て、会場入りしました。
この企画は今回で3回目だそうです。アットホームなサイズの手づくり感満載のイベントで、担当の方の試行錯誤と、明るい前向きな姿勢(=これ即ち努力というものです。)が手に取るように伝わってきて、自分たちが運営するセンターと被って見えて、内心しみじみしていた私。
各参加者の当日の売上げの一部を集めて、ヨガジェネがユニセフに寄付して下さいました。なんと37700円だって。まさに塵も積もれば・・・うちのガラクタ達が化けた!私なんかには一人では絶対に捻出出来ない金額ですからかなり嬉しかったです。この日は、雑誌の取材で知り合ったライターさんにも、偶然お会いできたし、よい1日でした。もちろん当店(?)の残りの売上げはSYVC東京センターに寄付させていただきます。
最後になりましたが、物品を提供して下さった皆さんと、応援に来てくれた方々、そして、忙しい中、私の思いつきに付き合ってくれたシヴァカミ姉さんへ。本当にありがとうございました。
「Yogini」 21号のP80にちょっとだけ、センターの記事が載っていますョ!
2009年10月4日日曜日
photo My TTC
時々先生仲間から「え、それ知らないよ、それTTCで習ったー?」と聞かれます。私はSYVCのTTCとATTCというのを卒業しているのです。そこでは多くのことを学んだけれど、それが全部では無いな、というのが答えかな。もしかしたら10%にも満たないのかも知れない。「とにかくTTCに行って、そこで与えられる知識を一式揃えれば先生」というのは、少し違う、のかも、知れないなって、思ったりも、したり、します。
TTCを卒業すると、シロ(頭)にヨガのマニ(宝石を)持つ人(ヨガシロマニ)という称号を貰えるのですが、なんか「宇宙船にさらわれて頭にマイクロチップを埋められた地球人」みたいでしょ?(そう思うのは私だけか・・・。)でもイニシエーションも受けたことだし、これは当たらずとも遠からず、ヨガの石を頭に埋め込まれた人になったと・・・、つまりプラクティショナー=求道者として、ここから始まる、ということ。また、ATTCをパスして初めて「先生」の称号が与えられるけど、このacharyaという称号は本来あまりにもビッグなので、この名を持つことの責任は実に重いのです。
よく道におけるアプローチ方の違いをこういう風に例えますね。Bhakti Yogi は子猫、はぐれても母猫を必死に呼べば、母が必ず来て子猫の首根っ子をくわえて運んでくれる。Jnana Yogi は子猿、樹上を飛び回る母猿に必死にしがみ付いて行軍する。私自身も少なからず信仰というものを持つので、両者の違いはハッキリと認識できます。勿論、自我を放擲すること=神の名を信じ唱えることも大切ですが、そもそも「先生」というのは必死のしがみつき=求道心がないと進めない種族なのです。巣の中の雛鳥のようにそこに居て、口を開け、親鳥の運んでくる餌を待つだけじゃ、どこにも行けない。なぜなら「先生」は翼を持たないから=ただの人だから、です。ただの人の私にとって、指導するということは即ち、まだまだ修行の一つなのだと思います。そんなわけで懐かしのTTCの時の写真でも。若い・・・。
常に勉強ばっかりしてた。英語がダメだったから、人の3倍やっても追い付かず落ちこぼれ。廊下のサイドテーブルを文机にすることを思いつき、受付嬢よろしく毎日そこに正坐してたら Yumiko’s office と呼ばれ人気が・・・。通る人が立ち寄りって世間話をして行くのでよけい勉強が進まず、Yumiko's officeは撤退の憂き目となる。当時から靴下は4枚履きです。
コリアンのヒュンジン、チャイニーズのオーシャン、ジャパニーズのユミコ。たった3人のアジア人。ヒュンジン(左)も私と同じくらい英語がダメだったが、授業はテキトーに流してました。日本人て深刻になりすぎるのかも。私と誕生日が同じオーシャン(中)とは縁があると思う。懐かしの私の特等席は最前列のスワミジの真ん前で、最初の1週間は泣きながら必死で聞いてた。
ガリ勉の癖に、踊り狂う。インドの楽団が来て、拍子木を叩きながら輪になる、盆踊りにそっくりなのやった。パーティー好きの血が騒ぎ、輪の中に躍りでて大ハッスル中。私はコースで一番最初に泣いた人間だったけど、速攻で立ち直ってしまい、ハイパー元気に。TTCで得た最大のものは、知識よりも、ペイシェンスとオプティミズムだと思う。本当に大切なものを頂きました。
TTCを卒業すると、シロ(頭)にヨガのマニ(宝石を)持つ人(ヨガシロマニ)という称号を貰えるのですが、なんか「宇宙船にさらわれて頭にマイクロチップを埋められた地球人」みたいでしょ?(そう思うのは私だけか・・・。)でもイニシエーションも受けたことだし、これは当たらずとも遠からず、ヨガの石を頭に埋め込まれた人になったと・・・、つまりプラクティショナー=求道者として、ここから始まる、ということ。また、ATTCをパスして初めて「先生」の称号が与えられるけど、このacharyaという称号は本来あまりにもビッグなので、この名を持つことの責任は実に重いのです。
よく道におけるアプローチ方の違いをこういう風に例えますね。Bhakti Yogi は子猫、はぐれても母猫を必死に呼べば、母が必ず来て子猫の首根っ子をくわえて運んでくれる。Jnana Yogi は子猿、樹上を飛び回る母猿に必死にしがみ付いて行軍する。私自身も少なからず信仰というものを持つので、両者の違いはハッキリと認識できます。勿論、自我を放擲すること=神の名を信じ唱えることも大切ですが、そもそも「先生」というのは必死のしがみつき=求道心がないと進めない種族なのです。巣の中の雛鳥のようにそこに居て、口を開け、親鳥の運んでくる餌を待つだけじゃ、どこにも行けない。なぜなら「先生」は翼を持たないから=ただの人だから、です。ただの人の私にとって、指導するということは即ち、まだまだ修行の一つなのだと思います。そんなわけで懐かしのTTCの時の写真でも。若い・・・。
常に勉強ばっかりしてた。英語がダメだったから、人の3倍やっても追い付かず落ちこぼれ。廊下のサイドテーブルを文机にすることを思いつき、受付嬢よろしく毎日そこに正坐してたら Yumiko’s office と呼ばれ人気が・・・。通る人が立ち寄りって世間話をして行くのでよけい勉強が進まず、Yumiko's officeは撤退の憂き目となる。当時から靴下は4枚履きです。
コリアンのヒュンジン、チャイニーズのオーシャン、ジャパニーズのユミコ。たった3人のアジア人。ヒュンジン(左)も私と同じくらい英語がダメだったが、授業はテキトーに流してました。日本人て深刻になりすぎるのかも。私と誕生日が同じオーシャン(中)とは縁があると思う。懐かしの私の特等席は最前列のスワミジの真ん前で、最初の1週間は泣きながら必死で聞いてた。
ガリ勉の癖に、踊り狂う。インドの楽団が来て、拍子木を叩きながら輪になる、盆踊りにそっくりなのやった。パーティー好きの血が騒ぎ、輪の中に躍りでて大ハッスル中。私はコースで一番最初に泣いた人間だったけど、速攻で立ち直ってしまい、ハイパー元気に。TTCで得た最大のものは、知識よりも、ペイシェンスとオプティミズムだと思う。本当に大切なものを頂きました。
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