2014年8月26日火曜日

ダライラマ14世の名言集。

再び閑話休題。親愛なる生徒さん達へ。

ダライラマのお言葉の話が出ましたので、彼の名言集です。名言サイトから拝借してコチラに紹介しますね。

「一年に一度は、これまであなたが行ったことの無い場所に行くようにしなさい。」

なんて素敵な言葉でしょう。お互いとお互いのバックグラウンドを「知る」ということは「友愛」への第一歩だと思います。私は今年初めて、アラブのモスクを訪れて、その祈りの場が大好きになりました。イスラムへの心の距離が消えました。

私と、まだ見ぬその人たちとは、別個のものじゃない、ってことが分かったからです。

「あなたの知識を分け与えなさい。そうすれば人に死などないのです。」

そうね。

「死」の意味を、そして本当の「生」の、「私」の、意味を伝えるのが私たち先生と呼ばれる者たちの仕事です。


どんな大きな流れも、
きっかけは一人の小さな行動から
生まれます。
もしあなたが
「自分には大したことなど出来ない」
と思ってしまったら、
それは世界にとって
大きな損失となるのです。
何事かに九回失敗したとしても、
それでも、
九回の結果を生んだではないか。
他人の何千もの
欠点に目をつけるより、
自分の唯一の欠点に気付くほうが、
よほど役に立ちます。
自分の欠点なら、
わたしたちは自信をもって、
修正できる立場にあるのですから。
自分に親切でなくては、
他人にそうあることはできません。
他人に愛情と優しさを感じ、
彼らが幸福で苦しまないことを望むには、
同じことをまず
自分自身に願わねばなりません。
真の幸せは、
心の平安と充足感から
生まれるものであり、
それは愛他主義、
愛情と慈悲心を培い、
そして怒り、自己本位、
貪欲といったものを、
次々と根絶してゆくことによって、
獲得できるものです。
わたしたち人間には、
愛や思いやりを
称えられる能力があります。
このささやかな能力こそ、
人間のもっとも大切な
天分だとわたしは思うのです。
大きくなるにつれて、
愛情、友情、
助けあいということに、
あまり重きを置かなくなります。
人種、宗教、国籍といったことが
大切になってくるのです。
もっとも大切なことを忘れ、
どうでもいいことに
重きを置くようになります。
哲学にはいろいろありますが、
基本的に重要なのは、
思いやり、他人への愛、
他人の苦しみの気遣い、
そして身勝手さの排除なのです。
思いやりの気持ちは、
この世でもっとも重要なものであり、
人間のみが持つことができるものです。
優しい心や温かい心を備えていれば、
幸せで、満ち足りた状態になれる。
そして、友人たちも友好的で
平和な雰囲気を味わえることでしょう。
これは国籍・文化・宗教に関係なく
言えることです。
1年に1度は、
これまであなたが
行ったことのない場所に、
行くようにしなさい。
あなたが欲しいものを
得られないということは、
時として素晴らしい
幸運の巡り合わせであることを、
忘れてはいけません。
沈黙は時として
最高の答えになる、
ということを忘れないように。
あなたが勝利を
得ることが出来なくても、
そこから学んだことまで
捨てる必要はないのです。
幸福は思いやりの心から
生まれるものであって、
怒りや憎しみからは
決して生まれることはないのです。
自分のことしか考えない人は、
苦しみのうちに人生を終えます。
誰もが生まれつきの敵であったり、
友であったわけではありません。
「敵」も「友」も、
自分が人々とどう接するかで
生まれるのです。
自分には出来ないなど考えていたら、
どんなことだろうと
達成することはないでしょう。
自分には出来ないという考えこそが、
自分を失敗へ導いてしまうのです。
欲望は、
海水を飲むことに似ています。
飲めば飲むだけ、
喉が渇くのです。
心は、水のようなものです。
嵐で乱れれば、
底の泥が浮き上がって水は濁ります。
しかし、水の本質は
汚いものではないのです。

あなたを傷つける人に出会ったら、
忍耐や寛容を覚える
チャンスだと思いなさい。
もし人間の本性が
憎しみや人を殺すことにあったのなら、
人類はすでに滅亡しているはずです。
あなたの知識を分け与えなさい、
そうすれば人に死などないのです。
私の哲学とは、
「愛」なのです。
新しいルールを作るためには、
今のルールを学ばなければなりません。
愛情とは
他人が幸せになることを、
願う気持ちなのです。
私たちはこの世界において
皆で協力して生きています。
だから、どれだけ他人の役に立てるかを、
人生の目標に
もってこなくてはなりません。
他人を傷つけたり、
邪魔をするなどはもってのほかです。
(宗教の共存について聞かれて)
一輪でも花は美しい。
でも、花束はもっと美しいでしょう?
私たちの苦しみのほとんどは、
私たちが頭の中で
生み出しているに過ぎません。
あなたが成功を得るために
諦めたもの。
これがあなたの成功の価値を
示してくれます。
家庭の暖かさは、
あなたの暮らしの基盤となります。
最高の人間関係とは、
お互いを必要とする気持ちよりも、
お互いを愛する気持ちのほうが、
上回っているものであることを、
忘れないようにしなさい。
変化を恐れない気持ちは大切ですが、
自分の価値観を失ってはいけません。
良き人生を生きなさい。
そうすれば振り返えるたびに、
幸福を感じることが出来ます。
あなたが間違いを犯してしまったのなら、
即座にその間違いを正しなさい。
苦しみがこの世にあることによって、
私たちは喜びを
感じることが出来るのです。
宗教が争いの種になるなど、
あってはならない事なのです。
どれほど崇高な目標があったとしても、
極端な努力をしてしまうと、
続かなくなります。

自分が何も理解してないことを、
理解し始めたときから、
人の成長は始まるのです。
自分のしたいことが、
知らず知らずの内に
人の役にたっている形になるまで、
修行を積む必要があります。
腕と足は
違う役割のものです。
しかし、足に不具合が生じれば、
自然と手がその役割を補うものです。
同じように、
この社会のどこかで不具合が生じたら、
私たちは助けにいかなければなりません。
なぜなら、私たちは
皆で一つの命を生きている存在だからです。

2014年8月25日月曜日

ムナールに行ってきた。 part1

2014年4月6日。午後12時30分。コーチン。

私にしては大奮発なゴージャスな空港ホテル。


ネットで見つけたこのホテルを選んだのは、偶然、マー君とママの京子さんがフライト前の短時間ステイをするって事と、ムナールに行っている間に荷物を安全に預かってくれそうだったから。

私にとってはそれくらい高価なホテルってことだ。でも、かつて住んだどのアパートよりも広いスイートだし、キッチンも冷蔵庫もあるし快適。バスタブもあって、栓がなかったけど、化粧品の瓶を排水溝に突き刺したら、かろうじてお湯にも浸かることが出来た。おかげで、あの悪夢の荷造り強行軍の疲れも緩んできた。


ともかく、30Lのバックパックに必要なものだけを詰めて、ここからムナールへと出発だ。久しぶりのインド一人旅。


ホテルの車でオートスタンドに運んで貰う。Aluvaからバスに乗ろうと思っていたが、オートワーラーのおじさんがPerumvavoorの方が近いというのでそっちへ。ちなみにオートというのはオートリキシャーのこと。人力車はほぼ絶滅していて、リキシャーワーラーといったら、それはサイクルリキシャー夫のこと。サイクルリキシャーの免許の新規発行はもう無いので、いずれ絶滅するでしょう。現在、限られた地域のみで営業が許可されている。


半年のデューティーから解放された脱力感と、オートでインドの湿った風を切るこの感じ。ああ、久しぶりだよ。幸せ。


途中、見覚えのある町を通り過ぎる。シャンカラアーチャーリヤの生誕地であるKaladiを通過。2年前にアンボリから引っ越してくる途中に寄ったよね。スワミジ達、ボーイズ、それからゴパールジとのタフながら楽しい道中が思い出され微笑ましい。プラヴィーンが木から逆さに落ちて首を痛めた後だよね、くっくっ。

20分の後、250ルピーでPerumvavoorのバスターミナルに到着するも、外国人は当然ながら一人も居ない。バスの行き先表示、英語どころかヒンディーも無く、まったく読めない!

通りまで出て行って交通標識を撮影。ムナールというマラヤラム語を暗記して目的のバス探し。結局なにやら分からぬままに、近くにいたオジさんの薦めてくれた一台に飛び乗った。




さて、空いている席に座ってみたが、どうも居住まいが悪い。これはつまり、男子と女子の座る位置が分れているということだと思う。それで間違いない筈。加えて、インドでは女は一人で旅などしない。奇異な目を向けられるのもまたしんどい。

私は、(スワミジの教育の賜物か)こういった空気を読むのだけは得意で、独自のルールのあるインドでは外さない。場違いな服装や行為をしないから地元人に好かれるのだが、空気を読んだところで、旅は始まってしまっているし、車内は混んでいて動けない。万事休すと思ったら、後々車掌さんが来て、前方の女子ゾーンの空席に誘導してくれた。

しかし、このバスで合っているのか、どこに行くのか、何もかもが全くもって不明だ。そのうえ過酷な仕事からの開放感のためか、頭の中、放心状態。「どこに着いたって怖くない」へんな安心感もあって、ただそこに居ることだけを味わっている。


バナナの葉っぱを通り過ぎてきた、森の、湿気を含んだ風。

目を閉じる。

そう、これがケーララだった。



結局、Kottumangalamで長らくの時間調整をしたあと、Adimali(多分)でバスを乗り換えた。開け放した窓から入る風の温度が下がるにつれ、標高の高さが感じられる。


ところで、男子と女子が席を分ける、というのは、当然、痴漢防止の為である。とくに外国人の女は、外国人ゆえに「ちょっとくらいのお触りは許されるだろう」と思われている節がある。今回も運転手の真後ろの席に座ったのだが、この運転手、シフトチェンジをする左手が空いている時に、その手をダラーンと垂らしてさり気なく、後ろにいる私の脛を触ってくる。だんだん、私との接着時間が長くなるのと、掌がこっちに向き変わるので分かったので、触れない位置にキュキュッと移動。


触るってアンタ、脛だよ。そんなもん触って楽しいか?!たとえ脛でも触りたいってか?!脛でいいのか?!え?!ええ?!


これが得てして遭遇する一般インド人の抑圧された性欲とピュアさ加減である。気持ち悪いんだか可愛いんだか情けないんだか、本当にわけがわからなくなる。


そうこうしているうちに、車内に入る風も、頭になにか巻かなきゃいけないくらいに冷たくなってきた。遠くに見える山々、見渡す限りの茶畑。ああ、もうすぐムナール。サジュが行ったことの無い、素敵なムナール。



景色の険しさは全然ちがうけれど、初めてインドに来た時のヒマラヤへの道のりを思い出す。とても懐かしい匂いがした。

Perumbavoorから乗り換えながらおよそ100キロ。73ルピーでMunnarに着いてしまった。かかった時間はだいたい5時間。日本だと遠く感じる5時間もインドに居ると、近く思える。

日のあるうちに安い宿を探さなければ。

ガイドブックどころか、何の情報もないので、とりあえず勘にまかせて川沿いに元来た道をたどる。途中私を拾ったオートワーラーの紹介してくれた「ザ・無愛想ホテル」に聞くとエラく狭い部屋が一泊400ルピーという。高いと思ったけど、日も暮れてきたし、最上階だし、明日探せばいいか、ということで決定。オールドムナールと呼ばれるエリアの外れ。


電気湯沸かし器で、申し訳程度のお湯がでるけど、寒い。ヒーヒー言いながら埃だらけの体を洗う。それでも自分のベッドと暖かい毛布があるというのはいい事だ。近所の食堂で焼きそばとチャイ。


洗濯禁止とあるが、明日着るものが無いし、まともに聞いてられるか。さっと洗濯をして得意の紐テクノロジーで干場を作り、衣類を吊るして床に着く。ベッドのお供は糸井重里の「イトイの通販生活」だ。


年に一度は、これまで行ったことの無い場所を訪れなさい。


・・・とダライラマ14世が言った。


狭い。寒い。けれど幸せ。

His Holiness!

私は、来ました!



part 2 へつづく









2014年8月22日金曜日

かんぺきな夏休みの写真の記録。



ムナール紀行の途中ですけど、閑話休題。ここ数日の報告です。

神戸と四万十から今朝戻って参りました。

ティケティケのクラスに来て下さった方、ありがとうございました〜。

そして、翌日のらくらしてた私の相手をしてくれたのりこ先生もありがとう!


のりこ先生は、2010年の1月にweb版Yoginiに寄稿した「天真爛漫」と題した文章を覚えていて下さって、その話で盛り上がったんだけど、それで「バックアップとしてコピーしておくべき」と思いついたので、この場に保存しておくことにします。テーマは「ヨーガを楽しくする方法」とかそんなようなことでしたね。


自分で書いた文章ながら、あらためて読み返して、しみじみ。

重複になるけど、とくにこの部分ね。


「天真」とは生まれつきの素直な心そのまま、「爛漫」は自然のままに輝き現れる姿をいうのです。いつまでも気分は小学生。何のてらいも持たず、若々しい新鮮な気持ちを失わず、そういう風に生きていけたらいいね。そうしたら、ヨーガは・・・すべては、もっと楽しい・・・。

そうそう、それからもう一つ。私の「ヨーガをもっと楽しく」してくれるもの。「それ以上でも以下でもない、そのままの私」を許してくれる「ヨガ友」たちの存在。このライフを歓びで満たすという我がミッションにおいて、もはや距離なんて関係ない、彼らには本当に助けられてます。




そうなのよ、その通りなんざんす。


のりこ先生とこの記事について語りあい、その足で三馬鹿トリオで四万十市の邦さんを尋ねたのだけど、それが妙に完璧なシナリオで怖い。ちなみに三馬鹿とは、私・アカチンサトーリーのアラフォー(?)兄妹ね。

川下り、海遊び、シュノーケリング、花火、温泉、料理、ぜーんぶやりました。

小学生のごとく遊んで「そういう風に生きること」を思い出し、東京に戻ったその日には、聖典の中にそれを教える。神様の書いたストーリーはなんだか妙に出来すぎている。そういえば、この記事でバトンを渡した相手も、今回の四万十メンバーのサトーリーだったじゃんか!



この肩書きを生きているわけじゃない。

この体を生きているわけでもない。

この気持ちを生きているんでもないんだ。

私は、私を生きている。

ただそれだけ。

それだけのことを、どうして人は忘れてしまうんだろう。



「楽しかった!時の過ぎるのを忘れた!」っていう経験を、誰しも持っていて、とくに子供の時なんてそうだけど、我を忘れて、時間の向こうの夢の中にいるみたいな、あの感覚。文字どおり、無我夢中に遊んだ夏休み、一瞬が永遠になった夕暮れ。そこに歓喜は満ちるなあって思います。

時間よりも速く、遅く、もっと静かに、もっと神に近づく、その瞬間、連続・・・。

私にとって、歓びとは・・・愛とは、それは完全な静けさ。




完全な静けさを、私は四万十の夏休みで思い出しました。

そこに時間はない。

距離も無い。

ただ、「在る」が在るだけ。


いやー、みんな馬鹿みたいに突き抜けましたね。
・・・というか私の馬鹿が宇宙まで突き抜けてしまいました〜。

四万十の友(クニさんチカちゃん)に我々の馬鹿が伝染ったのではないか心配ではありますが、素敵な殿方にはお見せするのも憚られる、百年の恋も醒めるような馬鹿っぷりをさらけ出せる、友たちの存在には本当に感謝です。

変な言い方だけど、放っといてくれてありがとう。

私をそのままにしといてくれてありがとう。


いろんな意味で、今回の四万十旅は貴重なものでした。

四万十の天真爛漫写真と共に、当時の文章をここに残します。



三馬鹿、四国に上陸。
   

夏休み〜!


ひゃっほ〜い!


二重の虹にむかって


ジャーンプ!



雨降る日は、




おうちでご飯。




雨上がりにはチームワークばっちりね。




でもやっぱり私は海より川が好きだ。


 花火のような一瞬の夏を、


忘れないと思います。

ありがとう。

いつまでも気分は小学生。
何のてらいも持たず
新鮮な気持ちを失わず
そんな風に生きて行けたらいいね。
生まれつきの素直な心そのままで
自然のままの輝きの「現れ」として。




「天真爛漫」

笑顔で夢を形にする意志の人、Ukoちゃんからバトンを受け取りました。
Ukoちゃん、ありがとう。今年もよろしくね。

「ヨガをもっと楽しむための方法」かぁ・・・「なんも考えないこと」ですかね~。あ、のっけからオフモードの独りごとになりましたが・・・こんなゆるい答えで良いんでしょうか・・・? 


・・・むかし、まだ学生の時のこと。私は、白髪の偏屈老人、泣く子も黙るI教授のゼミにおりました。先生は詩人で、とある寺の住職でもありました。「お父さんは心配症」(知ってる?)という漫画に出てくるお父さんにそっくり。

「授業中に弁当を食べようが、コーヒーを飲もうが構わないが、全霊で聴け!」

という変わった人でした。本当に弁当をムシャムシャ食べながら、最前列で聴いている私も、まあ変人だったには違いないんでしょうが、先生はそりゃもう最強変人だった気がします。授業中お喋りをしていた学生に

「地獄に落ちろっっっ!」

と怒鳴ってましたからね。とにかくかなりのインパクト・・・尊敬してました。


彼が決定的に私のヒーローになったのは、卒業の日のことです。式のあと、教授たちの訓辞を賜っていた時。「社会に出ても頑張って下さい」というお決まりの文句が続くなか、教壇に上がったI先生は、怒ったみたいな震える声で

「私は・・・頑張るという言葉は、大嫌いだっ!」

いきなりバタン、ドア閉めて退場。

衝撃でしたよ。研ぎ極めたナイフのような正論・・・。もしかしたら・・・先生は多分、本当に怒っていたんだと思います。「こいつらの云う、頑張るなんて言葉、嘘だ!」・・・先生の心の声を聞いたような気がして、私は胸を掻きむしられる思いでした。偏屈者の先生が言いたかったことは「手を抜け、楽をしろ」ってことじゃない。

『頑張って』なんとかやり過ごす様な生き方をするんじゃないよ。
  この限りある人の一生は、全ての行動を歓びと共にしてこそ全うできる。
  歓喜に挑み続けなさい。

・・・そう聞こえた。偏屈でも聖職者。感動しました。


以来、あの日の先生を思い出すたび「これからは魂の底から楽しいことしかすまい。その為に努力をしよう」と誓うのですが、どうしてこれが、一番難しいことなのかも知れない。

・・・しかし、楽しいって、どういうことよ。あー、あれだ、経験上、なーんも考えてない時だな。あれ?ヨーガの先生なのにこんなんでいいのか? あ、また独りごと・・・。

そこで、一応それらしく解析するわけですが、「なーんも考えてない時」ってのは、多分、ほんの少し前の過去でも、一寸先の未来でもない、今という完全な瞬間に居る時なんですよ。「多分」じゃなくて、これはホント・・・。

「楽しかった!時の過ぎるのを忘れた!」っていう経験を、誰しも持っていて、とくに子供の時なんてそうだけど、我を忘れて、時間の向こうの夢の中にいるみたいな、あの感覚。文字どおり、無我夢中に遊んだ夏休み、一瞬が永遠になった夕暮れ。そこに歓喜は満ちるなあって思います。

時間よりも速く、遅く、もっと静かに、もっと神に近づく、その瞬間、連続・・・

私にとって、歓びとは・・・愛とは、それは完全な静けさ。

だから私はもう、な~んにも考えないっ!バタン、退場。


「天真」とは生まれつきの素直な心そのまま、「爛漫」は自然のままに輝き現れる姿をいうのです。いつまでも気分は小学生。何のてらいも持たず、若々しい新鮮な気持ちを失わず、そういう風に生きていけたらいいね。そうしたら、ヨーガは・・・すべては、もっと楽しい・・・。


そうそう、それからもう一つ。私の「ヨーガをもっと楽しく」してくれるもの。「それ以上でも以下でもない、そのままの私」を許してくれる「ヨガ友」たちの存在。このライフを歓びで満たすという我がミッションにおいて、もはや距離なんて関係ない、彼らには本当に助けられてます。この場を借りて感謝の意をば・・・

みんなーっ、愛してるよーっ!


次のブロガーは・・・この人も天衣無縫ですね・・・「そのまま教」の大先輩であるあの人にバトンを渡します。楽しい暮らしの頼れるアニキ、今日も駄洒落が冴えるSatori君。アニキ頼んだ、後はよろしくっ!


2010年1月28日

2014年8月11日月曜日

ムナール紀行 予告編

フラワーエッセンスが効いているのかなあ・・・、きも〜ち、やる気が出てきたかも知れない。あらためて最近のブログを読むと、やっぱりちょっと病んでた感有りですね。ま、生きてりゃ、いろいろとあるよ。


今日はハタヨガティーチャーズクリニック東京版でして

「教える自分に自信がない」

みたいなトピックの時

「やるべきことをやるだけだしね、あたしゃ落ち込まないな」的なこと言っておきながら、

帰り道には「あ〜!全然伝え足りてない!」なんて先生落ち込んだりしてみました。

大丈夫。みんな一緒ってことよ(笑)。



来週末は神戸です。翌日追加クラスが決定しましたので、詳細はティケティケさんにお願いします。


ところで、今日のタイトル「ムナール紀行」。ムナールというのは茶畑で有名な(インド人の)避暑地。標高が高いヒルエリアで涼しい場所なのです。

行く迄の道のりと現地の風情が「どローカル」だった為、カメラを出すのも恥ずかしくてあまり写真が無いのが残念なんだけど、地味に興味深いところだったので紹介したい。ちなみに地味度は高めです。



今年も例年通り、3月末を持ってヴァルカラの期間限定アーシュラムを閉めました。毎年恒例「深夜まで続くパッキング、4トントラック1台分」。あー、だから女の仕事じゃないし・・・。


この夜ばかりは、私は日本から持参しているコーヒーを淹れ、スウェーデン人の経営するABBAレストランで、デカいケーキを2個も買い、マー君とママが差し入れてくれたチーズナンをガンガン食べて乗り切る。それだけカロリーを使うし要アドレナリン。


Sivananda Yoga Vidya Peethamも、最初のころと違って、スタッフという名の人も格段に増えているというのに、誰もが逃げ出すキツい仕事です。今年は「モヒニ」こと美穂ちゃんだけが付き合ってくれました。本当に感謝。スワミジ達もあなたの働きをしっかり見てたよ。日本でもインドでも、女子として滅多にありつけない重労働の数々。モヒニと一緒にこなしました。


推しメン、モヒニは笑顔が素敵な働きもの。


推している人。毎年この時期は痩せ細っている。
荷物の運び入れ先の掃除に行った時の写真。
インドで私がドゥパタ(ショール)をしていない姿はレアで、
つまり完全なるガテン系の覚悟が見て取れます。



全てを終えて、ようやく布団に入れたのは朝の4時なんだけど、気づくと私の部屋の玄関回りがざわついている。「何ごと!?」と寝ぼけ眼で外に出てみると、お父さんことSwami Govindanandaji、お兄ちゃんSwami Nivedanananda、そして我らがヒーローGopaljiの三人組が洗濯ロープを、「あーでもない、こーでもない」と外してくれようとしている。


え、何やってんですか?
っていうか今、何時ですか?
ええーっ!ろ、6時い〜?
あーっ!それ、私が後でサクッとやりますから!
寝たの4時だし!!
私、寝ます!寝かせてくださーーーーい!


というと

「あ、そう?」といってお戻りになられました。

本当に働き者のスワミジ達です。



そんなこんなを経て、数十人分の洗濯ロープを回収し、スワミジとダンプカーを送りだし、立派だった勉強と生活の空間を、無機質な宿泊所に戻し、さあ、どこでリゾートしてやろうかな、ということで向かったのがムナールなんですよ。


同じ高原地帯でも、ムナール(ケララ州)とコダイカナル(タミルナードゥ州)のどちらを選ぶかにあたって、結構な数のインド人に聞き込みをしました。

「あんたはどっちが好きか?」

Swami Tattvarupanandajiのグルクラスタッフ
デヴァダス(中央)にも聞き込み。


その回答の集計が50/50だったので、空港からほど近いムナールを選んだわけです。

しかしねえ・・・

あとあと考えてみると、インド人特有のテキトーな回答も多かったに違いないんですよ。近所の仲良し、アユールヴェーダのサジュ先生なんて


「断然ムナールだよ。コダイカナルよりもっと母なる自然のままに違いないしね!君はムナールに行くべきだ!」と熱く長い演説をブチかまし、最後にこう言ってたもん。

「行ったことないけどね。」


マジかっ!

ムナールに行ったことのないサジュ。


とにもかくにも、半年を共に過ごした皆さんと離れ、本当に久しぶりの「インド一人バス旅」。

果たして本当にムナールで良かったのか?

かなりモヤモヤしたムナール紀行を、次回、レポートしたいと思います。


乞うご期待!



出発はコーチンから。30Lのバックパックとチャッパルで。








2014年8月6日水曜日

いろんなおくすり


暑い・・・。インドだな。これは。






以前から興味のあったフラワーエッセンスというのを試してみようということで、丸の内のオペークでのカウンセリングイベントに申し込んでいました。そしたら運良く時間を確保出来たので、昨日購入したものです。

バーンロムサイにホールを寄贈するプロジェクトで燃尽きたのか、それとも何か別の理由があるのか、なんだか、世俗的な欲望がごっそり抜け落ちてしまったというか、何もしたくない日が多いこの頃。とにかくやる気が無い。



しかしそうも言ってられないので、このフラワーエッセンスをですね、2〜3週間試してみませう。こういう影の薄〜い症状には、得てして微細なものが効くのよね。暫くは、お水に混ぜて、終日ちょびちょび飲み続けるらしい。楽しみだなあ。不調も楽しみのネタにはなるってこと。



友達がfacebookで私を探してくれて、昨晩、凄〜く久しぶりに電話で話すことができました。いやー笑った笑った。Tちゃんの話はいつでも本当に面白い。


彼女は15年くらい前に、某通信会社で一緒にOLをやっていた同い年の友人で、そこでの私のあだ名「きゅーちゃん」の名付け親です。


Tちゃん曰く

「課長がきゅーちゃんに『寺崎さん、もうちょっと普通の服は持っていないのかな〜?』『これ普通ですけど〜』って、二人で困っちゃってるのが忘れられなくてさ(笑)!」

そんなことあったっけねえ、すっかり忘れてた。いやあ、だいぶやりたい放題でした。チアガールみたいな服を着ていたらしいが・・・まじっすか?


20代の後半は、私はちょっと苦しい時代で、生きるのが本当にキツイ日もあったんだけど、会社に行くと楽しい仲間が沢山いて、毎日(抱腹絶倒系の)笑いの耐えない職場に、だいぶ救われていました。


今日は、トモアキ君の告別式でした。またフワーッと気だるくなりそうだったけど、台所に立った。それでも生きる、と思った。茄子と玉葱を刻んで、納豆も混ぜて、ジャージャー麺風にして食べました。美味しかった。昨夜の笑いのパワーかな?


なにか、フラワーエッセンスについては、なにか面白い結果があったら報告するよ。

またね。

2014年8月1日金曜日

ありがとう。



このブログでもチラチラとお話ししていた友人、ともあき君が、本日、永眠しました。


私は大勢の人とグループ的につるむのが苦手。だからヴェーダーンタの勉強グループでも、がっつり彼と時間を共にしたことは、無かった。

一緒に何かをしたのは、本当に本当に、最初の最初の時だけだったね。Swami Dayanandajiを初めて日本にお迎えするにあたって、スカイプで話し合ったり、私はチラシのコピーを作ったっけね。なんでも、初動が一番大変な時なので、企画が軌道に乗り、他に手伝う人も現れ始めたあと、私はそーっと気配を潜めることにしました。



元気な彼に会った最後のときは、2008年の2月、リシケシで、風邪をひいて心細そうな笑顔。いつも具合の悪いときばかり現れてゴメンね。





気配を潜めていた私は、当然、連絡網に引っかからない筈なのですが、メールを転送してくれた奇特な人がいた。今年の7月14日の夜、携帯に連絡が入り、6年の空白を経て、暇を見つけてはお見舞いに行く日々が始まりました。


今は、自分でも、何をどういう風に感じればいいか、ちょっと分かりません。冷静と感情の間には実は隙間があるみたい。どちらでもない、まあ、でも言ってみれば冷静ってことなのかな・・・。


昨日の水曜日、京都から戻って、その足で病院に寄ったんです。金曜日に会ってから数日しかたっていないのに、すごく痩せて、まるで眠っているようでした。でも話しかけるとね、腕はもう持ち上げられないんだけど、膝をバタバタしたり、首を左右に振ったりしてくれるから起きてるってわかった。すごく弱くなったけど、手を握り返してきた。前よりうんと弱いけど、声を上げてくれた。


何かを伝えたいんだけど、もう言葉も体もうまく使えなくて、もどかしがっていたね。でも、ちゃんとわかってるから、いいよって思ったよ。


まだ力があるとき、ぎゅっと引き寄せてハグしてくれた時もそう。ミホちゃん相手に、声を発して一生懸命、伝えようとしてたのもそう。ちゃんとわかってたよ。


それは、たった一つの「ありがとう」でした。



私からもありがとう。
ハグしてくれてありがとう。
京都から帰るまで待っててくれてありがとう。



私に連絡をまわしてくれたナオキさん、ありがとう。


初めてのターミナルケア病棟来訪にあたって、緊張していた私にアドヴァイスをくれたリエちゃんに、ありがとう。


次から一緒に来てくれたミホちゃん、ありがとう。一人で行った最初の夜、じつは動揺して眠れなかったんだ。


そんな眠れない夜にたまたま連絡をくれた先輩、ありがとう。


沢山の仲間を連れて何度も病院に来てくれたナオキさんに、もう一度ありがとう。


思いつきで作ったお見舞いノートに記入してくれた皆さん、ありがとう。


プージャを二回もあげてくれたSwami Nivedananandajiにありがとう。いつも突然のお願いなのに、どこにいてもやってくれる。


遠くから祈ってくれたSwami Cetananandajiにありがとう。


病院と同じ市内に居候させて下さっているミチコさんにありがとう。


これまで、友人との別れはいつも不慮だったけれど、はじめて、最期の時を一緒に楽しく過ごせたこと、多くのことを学ばせてもらったこと、これら全ての宇宙のはたらきに、感謝します。


昨夕、「ご僧侶(彼は出家しているのです)にいいのかなあ」と一瞬躊躇したけど、「この際関係ないや!」と思って、手にキスをしてお別れしたのが最後でした。





ともあき君。

楽しかったよ。

ありがとう。

これからマントラナイトするよ。

Thum up!

世界はありがとう以外の何者でもないのかも知れないね。