2010年1月24日日曜日

みんなのQとしーたのA


久々の、こちらQ&Aトークです。今日のトピックは「ヨガとヨガの先生になること」について。東京のSYVCでも毎月TTCの説明会をする計画があるのと、このところ同じような相談を、実にたくさん受けるのとで、タイミングかなって思い掲載する次第。例によって長いですから、スルーしちゃって下さーい。


Q.「ヨガをしたい」という気持ちと「ヨガの指導者になりたい」という気持ちは、相容れない、両立しないものなのでしょうか。

A.答えは、ズバリ、「必ず相容れるとも限りません」。「相容れない前提の上で、絶対に相容れないとも言えない」・・・って感じが適当かも知れない。先生になることによって、自身の修行に重石というか制限がかかってくるってことも実際にありますから、時に歯痒いものです。でも、今は、多くの人が、先生になりたくてヨガをしている時代なのかな・・・?


Q. TTCのことをA先生と話しました。 前は、TTCに行くのが一番いいとおっしゃっていたのに、 なぜか先日は、TTCに行かなくてもかまわない、 自分が一生懸命ヨガをしていれば、自然と人々が集まってくる、と。すでに、指導者を目指したい、だからTTCにも行きたいということは伝えてるんですが・・・。


A.TTCが全てではないですし、ヨガでは何がよくないって、「何かに執着しすぎることがよくないよ」っていう教えなので、A先生はそのあたりの中庸をとろうとしてるんじゃないかしら・・・。でも真意の程は本人に聞いてみないとわからないんですけどね。

 私の場合どうだったかというと・・・、モチベーションが低いっていうか、ぼーっとしていて野望が無いっていうか、そういうタイプなので、ヨガの先生になりたいって欲したことが無いのです。ただ流れに乗っているうちにこうなってしまった訳で・・・あんまり参考にならないですよね・・・。ミュージシャンとか、お嫁さん等になりたかったんだけどな・・・。前にお話ししたかもしれないけど。

 以下がカルマヨガ(ヨガの行動原則)の2大定義です。

 ①行為の結果を欲してはいけない
 ②行為しているという意識を持ってはいけない

 当てはめてみると、先生になるためにヨガをやってはいけない。私ってヨガしてるんです!という意識を持ってはいけない。つまり「ただやる」ってことです。地味に淡々と。これ、案外簡単なようで難しかったりします。


 実際問題、ある人に、天賦の才が備わっている場合、先生になるのにTTCは必要ないともいえます。第一、TTCを出れば自動的に良い先生になれるとも限りません。年齢にかかわらず、人間としての成熟度が必要になりますしね。

 それでもって、ヨガの先生って、見た目以上にシンドイ仕事で、私も最初は、本気で死んじゃうって思いました。なんか、エネルギーが全部外に出つくしちゃう感じだったんですよ。なんとか上手い回し方を得て今に至りますけど、一年くらいでやめていく人が、多いようです。

 ただTTCはとってもプラクティカルで楽しいですから、私はお勧めです。ヨガの生活を思いっきり満喫したい、今後の生き方に役立てたいって思ってくる方も沢山来ます。


 私事になりますが、私がこれまでの人生から教わった最大のことは「欲しいものが手に入るとは限らない」ってことなんですね。ネガティブに聞こえるかも知れないけど、そのことを知ったら(受け容れたら)生きることがとっても楽になりました。そしてロクでも無いと思っていた人生が、実は、全てがうまく転がっていることに気付いた・・・かな。辛かった出来事も、全てが今日というベストの為に用意されていたんだって・・・。

God provides for our need not for greed.

ヨガとは、欲望を超えること、そして時間を超えること。未来でも過去でもない、一瞬一瞬に満足し、楽しむために生まれてきたし、楽しめるってことが一番大事なことですから、あまり思いつめずに、日々を愛してあげて下さい。何かのタイミングが、ふと訪れる日を、密かにワクワクしつつ待つんです。先生になるかならないかは分らないけど、人生は、どんな人生でも「ベスト」なんです。いい先生になれたらいいですね。私はお祈りしています。

シータ


【まとめ】

来年のことをいうと鬼が笑うって、ことかな?あ、違うか?でもまあ、そういうことにして・・・。鬼に笑われるくらいなら、今を笑って暮らそうってことで。
だーれも足を踏み入れない荒野、ただそこで、小さくほころぶ花みたいにね。