2009年11月30日月曜日

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  12月に奈良に行きますことになったのは・・・・、五か月前、ウッタラカーシのアシュラムで、たまきさんという女性に出会ったことがキッカケでした。自分のコースを受け終え、シヴァリンガ山を拝むヒマラヤ巡礼からアシュラムに戻った翌日のことです。私は、日焼けでバリバリのパンパンに顔をふくらませ、明日から始まるTTCの生徒達を迎えていました。ネタラのアシュラムは狭いので、余分のスタッフを置きません。なので、TTC用の雑用係がいない。そこで、デリーのセンターに帰るまでの間、手伝うことになった次第。

 ほとんど女子の一番手くらいに到着した彼女を、二週間前まで自分が泊っていたガンガー沿いのドミトリー案内し、久々に話す日本語に興奮して、お喋りしすぎましたね。うれしかったな~。

 ある夜、スワミジに命じられてお気に入りのラーマのキールタンを歌った後に、たまきさんが、興奮しながらやってきました。「バジャンで初めて高揚した。大阪に呼んだら来てくれる?」「もちろん、行くなら呼んでくれる?」「わーい!」

 ・・・ってことで、これが今度のリトリートの始まりです。本当に、ありがとう。のらりくらりの私からみたら、関西の人の迷いのない実行力には感嘆!大阪パワーですね。現在たまきさんは関西地区で先生として活躍されてます。

 あー、たまちゃんと写真を一緒に撮っておけばよかったのに。あの時期は、すっかり修行モードだったので、写真撮影を思いつかなかったのだ。悔やまれる~。代わりに近所のお子ちゃまに撮らされた写真をどうぞ。

なますて~の僕。かわいいね。

「し~た~、来て来て来て~!」のサンギータとススミタ、弟君。
後ろにデリースタッフ、ヴィジャイのお母さん&娘シヴァニが!
次のカワイイお子ちゃまは・・・

カワイイ年頃をすっかり過ぎたシーターマタとコエリマタでした。

(撮影:お子ちゃま)

※マタ=お母さん

2009年11月28日土曜日

みんなのQとしーたのA ③


Q3. 家族があるのに、ヤマ、ニヤマを極めると、お坊さんの様な生活しかできなくなりそうですが・・・。

A3. さて、ヤマ、ニヤマって何の為に誰が説いた論理でしょう?

・ヤマ
・ニヤマ
・アーサナ
・プラーナヤーマ
・プラティヤハーラ
・ダーラナ (呼吸の音などに心が集中した状態)
・デャーナ (集中の対象が無くても、心が静かに留まっている状態)
・サマーディ (心が機能を止めた状態=ケーヴァラクンバカはここでしょうね。) 以上( )内は(②=A1)を参照。

これは、八支則といって、パタンジャリマハリシという人が、「瞑想の達成=心の機能を止める」為に編み出した、段階的なカリキュラムなんです。さっきの質問(②=Q2&A2)に戻ってきた感じですね。心の機能を止めて、この体も心も、名前すらもTake Off、解脱です。

「この世での営みから教わることは全部学びました」っていう人は、心を停止することで、クリエーションの向こう側にある真実を見極めて、輪廻転生から脱していけば良いわけですね。このカリキュラムに確実に従って行けば、それが叶うでしょう。裸にフンドシ一丁になっても、ガンガン行っちゃってください。
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だけど、社会や家族、苦手な人間との関係の中で、 まだ学ばなければいけないことが残っているのならば、それを全うしないといけない。・・・ということで、今度は最初の質問(①Q1&A1)の内容に還るわけですが、「自分がこの人生で学ばねばならないことは何なのか」ってこと。 魂の声に耳を澄ますって言うんですかね・・・。 お坊さんのようになる前に、片付けねばならない問題があるのではないか、と。
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ヤマ・・・殺生しない、邪淫を結ばない、盗まない、嘘をつかない、貪らない。ニヤマ・・・聖典(お経とか)を読む、神仏に祈る、心身を清潔に保つ、燃えるような努力をする、満足することを知る・・・・・・。

これって、日本に生まれ育った人なら、誰でも持っている「清く正しく美しい」感覚基準じゃないでしょうか? (もっとも最近は乱れているようですが・・・。)だから、日本人として、爽やかに、美しく生きていけば、 それでいいんじゃないかなって思います。

今年の4月に、来日中のマニ先生と鎌倉を歩いていたら、「すごいジャパン、ヤマ・ニヤマ カントリーだ!」って驚いていましたからね。 「あれ、日本に生まれたことで、スタートからちょっとリードしてる?もしかしてウチらってラッキー?」って思いました。悲しいことに、インドにはもう、ないんですよね、ヤマ、ニヤマ・・・。うーん・・・。
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極論を言ってしまえば、万人がお坊さんになることが出来ないように、ヨガとは万人の為のモノではないということです。しかし、ヨガが万人にとってプラクティカルであることもまた、真実だと思います。

みんなのQとしーたのA ②



Q2. 「だめだ、これじゃフルヨギブレスじゃないじゃん」って思ってしまい、瞑想時の呼吸のコツがつかめません。

A2.瞑想の呼吸はフルヨギブレスじゃないので、それで正解なんです。最初の数呼吸は、車の通る音とか、冷蔵庫の中身とか、心が外の世界の事象に囚われないように、大きな分かりやすい呼吸をして、その一点に集中するわけです。集中できたら、そこから、もっと微細な呼吸にしていくんですね。
細く、長く、限りなく静かな呼吸になっていきますが、そうすることで、今度は呼吸という注目対象を消していきます。最終的にはケーヴァラクンバカといって自然に無呼吸になります。私は、まだまだそんなんじゃないですけどね、その状態では、心はもう揺れない・・と。というのは、心の正体とは、プラーナの揺れ動きのことだからです。瞑想とは即ち「心の機能を停止すること」なわけです。

みんなのQ&しーたのA 質問①


Q1. ある種のバンダはTTCに参加しないとやってはいけないのでしょうか?

A1.TTCに参加しないとってことではないんですよ。先生が生徒を見極めて、個別に伝授していくものですから。
例えば、私は同じスタジオで4年間教え続けていますので、4年通い続けているうちに準備の出来てきた生徒には、指導しています。勿論、一切明らかに出来ない種類のバンダもありますが・・・。

バンダというのは水力発電のダムみたいなもので、そりゃもう、大きなエネルギーを作りますから、その流れに耐え得る丈夫な体と心を持っていなければ、きっと体、もしくは心を壊します。そうなると、これはアストラルに起因する不調ですから、西洋医学の処置では治せないことも多い。

なので、ある種のバンダを教えるか教えないかは、先生の見極めにかかってきます。あと、我々は、その方の今世での使命は何かってことも、ある程度、見極める必要があります。ヨガの究極の行先は放棄ですから、激しい修行で覚醒し、放棄が訪れてしまったら・・・?
「母ちゃんがイキナリ、ふんどし一丁のサドゥーになってヒマラヤに隠遁してしまった」なんて、お子さんにしてみたらシャレになりません。

「熱が出て休んでいる子供をおいて、ヨガに参加しているときはそれを忘れるのは無理」っておっしゃったでしょ。 それこそ、母となった人が、この世ですべきことを全うしている姿だと思います。子供の命を守り育み、今を未来へ繋ぐ係として、その道でしか学べないことを学んでいくわけです。それぞれの道の中の、極みを目指すというか。
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道は違えど、その頂上付近では、みんな同じ景色を見るんじゃないかな。イチローとタイガーウッズは、同じフィールドではプレイ出来ないけれど、きっと同じものを見ていると思います。

2009年11月23日月曜日

みんなのQ&しーたのA


Q. 地元の先生が、断食するなら、その前後の食事も気をつけなさい。そうすれば、3日どころかもっと断食しても大丈夫と言われるんです。日本語で、もうちょっと詳しく教えていただけませんか?


A.そういえば、断食の後の食事の復活についてお伝え忘れてました。確かにこれは、とっても大事なことでした~。私の場合、一週間の断食をしたら、まったく前と同じ食事に戻すのに3週間くらいかかります。

 基本的に食べなかった期間が長ければ長いほど、復食にかかる時間も相乗的に長くなる、と考えて下さい。胃腸がとってもピュアになってるからです。赤ちゃんに与える食べ物を、ミルクから離乳食、固形物と段階的に変えていく、あの感覚です。ミルクを飲んでいる赤ちゃんにスルメを食べさせたら、結構大変なことになってお医者さんに駆け込むことになる筈ですが、それと同じ・・・と考えると、イメージしやすいかも。実際に、断食道場を抜け出して町になにか食べにいったら死んじゃったって話も聞きますし・・・。こわいです・・・。

 でも、一日くらいの断食なら、心配いりません。例えば、





「断食の翌朝は野菜スープとか、おかゆ。ランチは温野菜中心に軽めの食事など、ディナーで普通のご飯に戻す(ただし焼肉とかはダメですよ。消化に良いもので野菜中心に。)で、翌々日からいつも通り・・・」



こんな感じで全然問題ありません。

しかも、フルーツや生ジュースを使っての断食なら、より安全ですしね。ただし復食の日だけは、アルコールやコーヒー・唐辛子などの刺激物を控える。そして、よく噛む。一口を30も40回も噛みしめる。


 もし、3日とか1週間程度なら、食べなかった期間と同じ時間から2倍、3倍くらいの時間をかけて戻すって感じですね。だけど、最初は、どなたかの指導のもとで断食することをお勧めします。

 断食の真意は復食にあるんじゃないかなって思います。「食べなかったらスッキリした。痩せた。なんか達成感!はい終了」ではなく、日頃の悪い食習慣を是正することが目的というのかな・・・。


 
 時々短い断食をして、その度に復食に気をつけていけば、自然と食が整ってきて、ゆっくり噛む習慣がつくし、食べ物のありがたさを知るし、いずれ、断食の必要もないくらい、いい腸内環境になるんじゃないかな。燃え残しをつくらない体。

 ちょっと前から「食育」の必要性が論じられてるけど、断食とは「大人の為の自分食育」がなのかも知れませんね。とにかく食べることに感謝する為に断食してるってことですね。

シータより

2009年11月20日金曜日

photo  インドと上手につきあうコツ

対インドビジネスにおける問題点。

・インド人にとってビジネスのエッセンスは「誠実さ」ではなく「儲け」
・したがって、その達成の為には手段を選ばない
・さらに詐欺まがいの行為を悪いとは思っていない
などなど。

 我々日本人の常識基準から見ると、せこい、ずるい、卑怯、図々しいなど、どうしようもない感じ。インドで嫌な目に会った人も多いのではないか?しかし、上記の点は彼らにとって当たり前のことで、悪ではない。この差の背景にあるものは、人間性の優劣ではなく、常識の違いだろう。とはいえ、日本企業の駐在員の方々の心労は凄まじく、実際、その任期は、諸外国への赴任よりも短く設定されていると聞く。

 インドに長くいる友人の多くが、インド人は酷い、もう疲れた、と怒りを交えて嘆くなか、私にはインドでの嫌な思い出がない。「ラッキー」と思っていたのだが、最近「あれ?これって、もしかして、私自身の常識基準が、ずれているせいでは?」と思えてきた。
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  確かに、見方を変えれば、インドは酷いところだ。秩序もへったくれもなく、極端な利己主義社会であることは確か。今まで鼻に付かなかっただけで、けっこう腹立たしい問題が満載の国かも知れない。

 駐在員が、彼の地で、使用人や召使とうまくやっていくコツは二つあるとのことで、第一に給料を高くすること。第二に彼らを自分の仲間、家族だと思うことだそうだ。私は上司でも主人でもないので、第一の方は必要ないが、精神的垣根をぶち壊すというか、第二のコツには妙に長けている気がする。6畳間に2人で住んだら、各々の持ち分が3畳というのが日本人の考え方。2人が6畳だから12畳だ、わーい!という奇蹟の計算式をもった人たちがインド人だ。

 さて、彼らは親しい人間を家に招待したがる。家に入ったらまず飲み物を振舞うが、お茶の用意が間に合わないときなど、甕で水が出てくる。が、この水が清潔かどうか、日本人としては、悩みどころ。その家がいかにも貧しいようなお家だったら尚のこと不安になるだろう。この水を辞退する人もいるに違いない。
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 インド家庭人の規範理念にマヌーシヤ・ヤッギャというのがあって、「お客様を神としてもてなす」みたいなことなんだけど、その尊い犠牲を受け取らないとなれば、仲間としてシェア感は生まれにくい気がする。となると残るは、インド人とのパワーゲームという、極めて勝算の薄いカードのみ。バイタリティー溢れる華僑が、唯一近づかなかった国がインド、ということだけをとっても、その厄介さは想像に難くない。
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 私はというと、バカボンのパパのようになっているので、なんでも「これでいいのだ」と飲んでしまう。まさか飲めないようなものを出してくる訳がないし、相手が純粋な気持ちで差し出す水に当たったら、それはそれで祝福と割り切るしかない。ネズミが走る床でも当たり前に寝るし、菜食に反しなければ、何でも旨い旨いと食べる。毎日のように施され、ほとんどインドにたかりに来たような状態。

 その代わりといってはなんだが、彼らの頼みごとも、出来る限り聞く。ある町には私の手によってもたらされたカメラが既に4台。渡印のたびに一つずつ運んだり、来日したインド人に託したりする。日本人の友達は「ちょっとまたぁ?シータ大丈夫?はっきり断ったら?」と心配してくれるが、こちらとしては、彼らを親族のように思っているので、まったく苦にもならない。

 でも、もし、「どいつもこいつもカメラ、カメラって・・・。予算に収まるように、一番安い店を調べて、買いに行って、大変なんだから・・・。お金だって立替えなきゃいけないし、なんで赤の他人にここまでしなきゃいけないの~?」と思ったら、大変なストレスであろう。縁を感じる人間には、疑うよりも、いっそ手放しで接する方が、楽だと思う。(ただ、日本ではそうもいかない。裏表のハッキリしている単純なインド人に比べ、感情が繊細かつ複雑なためだ。日本人のコミュニケーションは「間」で成り立っている。近づきすぎることで傷つけてしまう世界ってこと。)



 違う常識を受け入れるのが、少しだけ得意なために、割と楽にやっているけれど、これは逆に、自国の常識をいとも簡単に捨てるノンポリ人間ともいえるので、実際のところ、良いとも悪いとも言えない気がしている。 「こだわりは捨てた」といえばカッコいいけど、結局「なんでもいい、どうでもいい」ってことなのだ。無責任思考。これって、対インドビジネスにおける問題点の一つに入ってるんじゃないかと、心苦しい今日この頃です。
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【追記】インド人と上手に付き合うコツ、私なりに三番目を付け加えるとすれば、その国の倫理感に敬意を払うことかな。服装にしても、普段から、足首まで隠す、肩を出さない(小学生くらいまではOK)、ショールで胸元を隠す(中学生くらいまではOK)などエチケットは厳守している。我ながら、こういう外国人は珍しいと思う。

画像を追加

ガンガーガンディー(母)とハリプリヤ、サバリタ(娘)達の家にお呼ばれ。


相方のコウサリアと私のベッド、つまり床。この1.5畳分のゴザに二人で密着して雑魚寝。最初は「えッ!」と思ったけどやってみたら案外良い。寝ぼけて蹴り合いながら、子供に帰ったみたいな甘い気分。彼女は寝ボスケなのでシーツを被ってまだ寝てますね。

ヨガの時のファッションも大事でしょう。インド地方部では最高にカッコいいスポーティーカジュアルなんだけど・・・・・・ビミョ~。外国人ヨギ達には、ビシッとダサくキメてる謎の人と思われている気が・・・。インド人には「あ、それいい、似合うね」って真顔で言われます。

2009年11月14日土曜日

みんなのQ&しーたのA 「断食&瞑想」



 これはどうしたことか、世界的に質問日和なのでしょうか?今日はうれしい質問がわんさか舞い込んでるので、ノリにノッてどんどん行きます。断食と、瞑想について。またも回答が長いので興味のある方は、参考にして下さい。

Q1.先週一日断食をしたのですが、翌朝、低血糖だったのか、吐き気で目が覚めて、あわてて飴をなめてしのぎました。そのあと、ひどい下痢も。ただ、午後からは気分も前よりすっきりしたので、できればまた断食をしたいのです。

A1.質問ありがとうございました。普段自分ではスルーしてしまっている課題与えて下さるので、皆さんからの宿題は私にとって本当に為になります。

 断食はいいですよね。でも最初のうちは好転反応などで、しんどい場合があります。私は年に一度、一週間の断食を4年ほど続けていましたが、昨年と今年は定住型の生活では無かったので、スキップしてしまいました。完全にものを食べない断食を長くするには、旦那様や周囲の方の理解と協力が必要ですが、精神修業というより肉体的な効果を目的としているならば、一日断食からでも十分効果があると思います。意外と身近で気軽なものなんです。

 そもそも我々が定期的に食事を取っている限り、胃腸が完全に空になる時間はありません。食事を抜くことで、働き者の胃腸に有給休暇を与えます。そうすると翌日からもっと仕事の能率を上げてくれるでしょう。「私」は「内臓」の上司になるわけですね。でこの人材を上手に使う・・・。最初はフルーツジュースなどを使って血糖値を下げない方法を取るのが安全でしょう。果物にはそれ自体に酵素が入っているので、胃で酵素を分泌する必要がなく、体内の毒素排出効果をさらに高めてくれます。

①パック売りのものは酵素が死んでいるので、自分でフレッシュジュースを作ること。
②消化の過程をよりシンプルにするため、果物のチョイスは単品で。
③断食中は普段より多く水分を取る。喉が渇く前に、白湯もしくはハーブティーを飲みます。
④ミネラル補給の為に、適宜に天然塩を舐めるといいですね。

低血糖もバカにできません。クラっときて思わぬ事故を引き起こしてはつまらないですから。
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Q2. 瞑想について、Alain先生(※Sitaの友達)のクラスで学んでいます。英語で学んでいるせいか、すっと頭に入りません。何かよい方法は ないでしょうか? 日本語の本も一冊購入したのですが、やっぱり難しい。というか、瞑想は本来難しいもので、何年も学んで経験しないと理解できないものなのでしょうか?

A2. 瞑想というのは「状態」のことで、だれにでも到達出来るステイトです。意識の水面が鏡のように澄み渡った状態とでも言いましょうか。どこでもいいから座って、呼吸を整えて、この状態を味わえばいいのです。ただ、これには慣れが必要。というのは、「心」というものは「エネルギーの動き」であって、その最大の性質は「out goingを好む」ってことだからです。しかも、若ければ若いほど、心の速度は速い。なので、これをそっと、なるべく水面を荒立てないよう、一定の場所に留めてしまいます。「心」は「物」ではなく「モーション」ですから、動かなければそれは無いも同然。その為に初期の段階向けのテクニックがあります。いくつか紹介しますね。

①静かな清浄な場所を選ぶ。心が興味を示しそうな物をあらかじめ遠ざけておこうってことです。
②呼吸を深くて粗い呼吸から、徐々に細くて長くて静かな呼吸にしていく。脳をわずかながら低酸素状態にし心の速度を抑えるため。
③で、なにか集中するものを作る。
a. 目を開ける場合、神聖な絵などを静かに眺め、それに集中し続ける。
b. 以下、目を閉じる場合、神聖な姿を思い浮かべ、それに集中し続ける。
c. 静かな呼吸の音に集中、またはOMマントラの繰り返しをイメージして、それに集中し続ける。

 あとは自然に、静けさが訪れます。(※私はよくこう言うのですが「静寂の音を聴く」のです。言葉としては矛盾してるので完全にマイ造語なんですけど、近いんじゃないかな。) 

 集中し続けると簡単に言ってしまったけど、これが難しいんですよね。しかも、この集中は力づくであってはイケナイのです。そこで、心の動きの状態を、映画でも見るように客観的に眺める、という姿勢をとります。あ、どっか行っちゃったよ、と思ったら、そっと連れ戻す。こんな例えはどうでしょう?

 外は雪。でも曇るガラス窓が、お部屋の充分な暖かさを物語っています。とっても安心で幸せなひと時、赤ちゃんと一緒に、ふかふかの床に座ってるとしましょう。赤ちゃんは環境に慣れてくると、お母さんを離れてハイハイし始めます。

  あ、なんだか暖炉に興味を示したみたい。そちらに向かって這い始めました。そこでお母さんは「あっ、そっち行ったらダメだって言ってるだろ~がっ!」、赤ちゃんをガバッと手繰って連れ戻します・・・か?これでは赤ちゃん怖がって大泣き、お母さんはイライラ。「そっちは、あっちっちだから、だめよ~」と言って、お母さんは赤ちゃんをそっと抱き上げ、自分のもとに連れ戻す。これが正解です。赤ちゃんをそっと連れ戻すように、心を連れ戻して下さい。無理強いせず、波風を立てない。「私」は「心」の、まるで母のような良き上司となって、この人材をたしなめていくのです。

  まずは10分からでもOKです。一人になれて、心が落ち着く時間を選んで下さい。主婦の皆さんですと、日曜日、旦那さんとお子さんが起きてくる前とか。そっと一人で起きだして瞑想した後は、こっそりとっておいた、リッチなチョコレートを食べながら、おいしく淹れたコーヒーを一杯、なんて最高ですよ。たとえ、思うように心が定まらなかったとしても「私ってこういうこと思ってたんだ」と自分について新たな発見があると思います。ぜひ自分を慈しむ時間を、つくってみて下さい。


いつか、お会いできたらいいですね。なんだか南国への思いが募ってきました。パソコンを閉じてセンレックトムカーガイのガイ抜き(ココナッツスープのチキンラーメン、チキン抜き)食べに行ってきます!それではお体に気をつけて、日々お励み下さい。

Sita



みんなのQ&しーたのA 「カウンターポーズ」

 

 今年1月のTTC。一か月間、私は先生の端くれとして生徒さんに直接関わりつつ、また、同時に、傍観者として遠く離れて草葉の陰から眺めてもいました。星飛雄馬のお姉さんみたいな感じです。 笑いあり、涙ありの日本人チームでしたが、ラディカは特に、天の恵み(=試練!)を沢山与えられてましたね。毎日のように熱心に質問にきていた姿が印象的でした。彼女が自力で乗り越えていく姿に、姉さんは電信柱の陰でジーンとしたものですよ。そんなラディカが質問をくれたので、長い長い回答をこちらにも転記します。本っ当~に長いので要注意。 内容はやや専門的、指導者向けなので、目が疲れちゃう方はスルーして下さい。

Q. 先日、とあるヨガのクラスに行ってきました。そこで、深い後屈をしたあとすぐに前屈や子供のポーズをするのではなく、ねじりを加えてから前屈をした方がいぃと言われました。後で、質問したところ、はりがねをずっと前後に動かしていたら、ふにゃふにゃになって折れてしまうのと一緒だと言われました。それを言われて、納得したのですが、でも・・・シバナンダヨガでは、カウンターポーズをたくさん取り入れていますよね。私は、それはそれで、腰のあたりがのびる感じがしてきもちいぃんですが、シータさんは、どう思いますか?(中略)

まだまだ新米ですが、教えていると、いろんな疑問がわいてきます。これも与えられたことと思って頑張ります。




A. Om Namah Sivaya, Radhika お元気ですか?メールありがとう。すっごくうれしいです(笑)。東京もようやく寒くなり、私は部屋で小さく丸く、天井裏のネズミは大運動会。早速、私なりの回答を・・・。

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 シヴァナンダのシーケンスでは、しつこいバックベンド群の「かえし」(カウンターポーズ)として何をしてたっけ?ねじりのポーズだったよね。その後バランスのポーズを経て、立ち前屈をする。まさに「深い後屈をしたあとすぐに前屈や子供のポーズをするのではなく、ねじりを加えてから前屈」をしているわけです。このシーケンスは、解剖学的な見地よりもむしろ、ナディとクンダリーニに着目した流れだと思うのですが、解剖学的にもしっかり理に適ってしまっている。ほんと昔(!)のヨガって良く出来てると思います(怖いくらい)。ちなみに、後屈のあとでは必ず休憩のポーズ(うつ伏せなのでマカラアーサナ)で背骨をニュートラルに戻して次へ行くのもポイント。

 針金をグネグネやっていると、ある瞬間にポキッと折れる、これを金属疲労というのですが、人間の骨にも、これに似た疲労骨折というトラブルがあります。カウンターポーズでイキナリ疲労骨折した!という話はあまりないので(※背骨は関節が多いし・・・)、先生の針金のお話は、あくまでも例えだとは思うんだけど、いきなりのカウンターポーズは、確かに危険だと私も思っています。だからこそ、シヴァナンダヨガではアーサナごとに、シャバアーサナ、マカラアーサナなどの休憩ポーズを入れて、それから次のポーズに移行するわけです。また休憩ポーズでリカヴァーしたいのは、心臓や呼吸器よりはむしろ、筋肉・骨そして腱などです。(※太陽礼拝の後は逆に主に循環器系フォーカス。)

 例えばマッツィアーサナのあと、間髪入れずに頭を起こして首を伸ばす・・・なんてのは危険ですね。そのカウンターポーズをしたいなら、まずシャバアーサナで首を元の状態に戻してから行う。0 to 10 guradually が鉄則です。 -10 to +10 directly なんてのは絶対に絶対にタブー。

 これら休憩ポーズは皆が思っている以上に、すっごく大事。この私の暑苦しい思いを何とか伝えたい・・・、というわけで、すご~く変な例えをしますが・・・

 大阪を拠点に新幹線で日本横断旅行をしましょう。大阪⇔東京間、大阪⇔福岡間をそれぞれ仮に500kmとします。まず大阪から東京まで3時間かけて行きました。次は福岡に行きたいんだけど、東京から福岡までは3時間で行けないのよね。3時間かけて大阪に戻ってから、さらに3時間かけて福岡に行くしかない。

 普通の首の状態を「大阪」として、ハラアーサナで首を90度前屈した状態が「東京」、マッツィアーサナで首を90度後屈させた状態が「福岡」です。東京から福岡には、そう、直接行けないの。距離だけではなく時間のすっ飛ばしも出来ない。なぜなら肉体は未だ「時間と空間のある世界」に存在している為、否応なくその制限を受けるから。その時空の法則を無視することは出来ません。

 あるアーサナで腱や筋肉をうんと伸ばした(または縮めた)として、それら組織は、次の0.1秒で一気にカウンターポーズまで行けるでょうか?答えはNO。カウンターどころかニュートラルに戻ることすら不可能のはずです。これは昨日の三日月が、今日いきなり満月になることが無いのと同じくらいの定説。私達が肉体を持って生れてきたということは、その肉体を空間(物理)的・時間的な制限のもとに置くということ意味します。(だからこそ叡智をもって意識を確かなものとし、逆に、これら制限から自由であることの意味を知ることが出来るのよね。)

 ポーズとポーズの間のシャバアーサナ(またはマカラアーサナ)では時間・空間に完全に身を委ねましょう。そして体の声を聞いてみましょう。そこで骨格が、腱が、筋肉が、果ては内臓までもが「みよ~ん」と動いて「じわ~ん」と元の状態に戻って来るのをしっかり観察します。ポーズが深ければ深かったほど、この効果はハッキリと味わえるよ。新幹線でいうと移動距離が大きいってことだから顕著なのです。そして驚きなのは「元の状態」どころか、「さっきよりもっと良い状態」に戻ってくること。「えっ、体って凄い!」って思う。ちゃんと本来あるべき姿を知ってるんだね(これに比べたら頭って意外とバカかも・・・)。

 さて、これが味わえたら次のステップへ。この効果に必要な時間は個々の体の質によって違うので、クラスでは生徒さんそれぞれの気をしっかり読むこと。私は必要に応じて「〇〇さんはまだ休み!」と個別に指示したりもします。とはいえポーズの間のシャバアーサナは長くても2分まで。長すぎると温まった身体が冷めて、不活性な状態に戻ってしまいます。

 それからお母さんの腰痛だけど、後屈の時に腰椎ばかり反っている可能性が高いのかも知れません。後屈では全ての脊椎が同じピッチで反ることが望ましい。でも、腰椎は大きくて大雑把だから角度を稼ぎやすいの。特に仙骨と腸骨の間の関節が緩むと骨盤が前傾し、すでに腰だけ反った状態になってしまいます。この仙腸関節は大腿骨が内旋した時に緩むので、コブラの時にお母さんを盗み見て下さい。かかとが開いて、両足ホッタラカシ君になってないかチェック。開いてたら「かかと閉じる、ひざも閉じる」で割り箸のような足にするように。これで腰の不要な反りがブロックされ胸を開きやすくなります。仙骨の上をギューッとマッサージされているような圧力を感じたらビンゴなんだけど、この圧力がまた気持ちいいのよ。コブラは本来、腰痛予防に最高なポーズですが、やり方を間違えると腰痛になるので注意。
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  ちなみに両手は上体をリフトアップする為にあるのではなく、背骨を前方に引き延ばし、椎間に隙間をつくるサポート役ってこともお忘れなく。掌でマットを腰の方にひっぱるようにしながら、背筋を使って上体を巻き上げていきます。絶対に反りより伸び優先。とにかく背骨の距離を稼いで、背骨の中に新幹線的スピードを感じて(どの方向に走っているかは分かるよね?)ありえないくらい長い背骨になりましょう。

  とても良い質問をありがとうね。疑問を持つといのは、指導者の成長にとって大変重要なこと。それを思いやりに繋げていくのです。生徒さんに無駄な怪我をさせる機会を少しでも減らすように。教科書などの少ない情報をそのまま出力してれば先生としてOKかというと、そうは問屋が卸さないのよね。実際のところ、自分が経験したことしか生徒さんには伝わらないからです。体験ではダメだよ。経験しないとダメなの。消化を経て血肉となってこそなのです。だから「なんで?なんで?」のなんだろう君になってね。こんどの奈良WSでは神戸による時間が無さそうだけど、いつか絶対行きたいです(20年前に行ったっきり・・・)。
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お互いどこにいても、元気で、楽しく過ごそうね。次に会う日を楽しみにしつつ・・・。

愛をこめて
Sita

2009年11月8日日曜日

My Dear Child,


Swami Sivananda Gurudevの高弟の一人である偉大な師 Swami Chidananda ji (右から二番目、ちなみに左から二番目がSwami Krishnananda ji だと思いますが・・)の書かれた、若者向けの本の序文が美しく、心を弱くしたとき、揺るぎそうになったとき、折に触れ目を通すごとに、支えとなってくれます。私の最初の、そして永遠の師である友永淳子先生の名訳でご紹介しましょう。 (「ヨーガ 幸福への12の鍵」東方出版 スワミ・チダナンダ著、友永淳子訳)
Hari Om Tat Sat,
Sita

「親愛なる子供たちへ」
あなたは今、10代。覚えておいてください、何歳であろうと、どのような状況の中にいようと、あなたは神の神聖な子供であるということを。ですからどんな時も、思い、言葉、行動において神聖であってください。強くあってください。真実に対して勇敢であってください。あなた自身であることに、ゆるぎない勇気を持っていてください。弱気になって他人の真似をしようとしてはなりません。精神的に強く勇敢であってください。そして、あなたが正しいと思うなら、他の人々の意見が違うとしても恐れてはなりません。
  川に浮かんだまま流れて行くのは易しいことですが、流れに逆らって泳ぐには勇気が必要です。神聖であるとはそういうことなのです。言い換えれば、AさんやBさん、......Zさんが最近どんな風にしているかといったことに巻き込まれず、有るがままの自分で居る勇気を持つということです。誰にも依存せず、独創的であってください。いつでも、どんな時でも、どんな状況の下でも、どんな人々の中に居ても、そうあってほしい。それが私の願いです。頭と肩は体の中で一番高い所に置かれています。しかし、いばったり他を見下したりはしません。ただ謙虚で力強くそこに在るのです。
  あなたは尊敬されるようになるでしょう。過去25年間、10代の若者は混乱に陥っていました。あなたが新しい道を示すことで、その人たちを混乱から導き出し助けることができるでしょう。あなたに神の恵みがありますように。そして、光のように輝きますように。
  優れた学生であってください。分別の有る息子や娘であってください。理想的な人間でありますように。また善良で、高潔で、美しいものすべてを真に愛する者であってください。
  簡素な生活を送り、高潔な思想を持ってください。神聖さを感じとり、理想的な行動をとってください。どんな小さなことにも完全であってください。そうすれば、偉大な栄光に満ちた人生となるでしょう。なぜなら、あなたの人生は一日一日の積み重ねで出来ているものだからです。あなたの一日を、配慮して過ごされますように。                                                  Swami Chidananda