この夏のウパーサナサンガ大阪編も終わりまして、集ってくれた皆さん、ありがとうございました。
この三か月通しての主題はですね、ひとつの事柄にも複数のリアリティーがあるということでした。このことを理解しておかないと、ヨーガやヴェーダーンタの勉強は勘違いの温床になるからです。
・・・といっても、「このこと」自体を理解するのは、やはり簡単ではないのかも知れないんだけどね。
みなさんが、多岐にわたるワークショップやレクチャーに、いろいろと足を運んで、その結果モヤモヤっとする、その原因は、ここんとこにあるんじゃないでしょうか。
「このこと」に関する自身の理解の欠如、もしくは教える側の理解の欠如、両方があると思います。
先日、ここで書いたマエストロ・ミゲルの歌のレッスンでね、身をもって痛烈に感じたことは、「知的に理解してるのと、知識と一如であることは全く別の話」ということでした。
主体と客体のヨーガ(融合)は、いやはや、「言うは易し」ですよ。
話が逸れた。
多様な次元におけるリアリティーの話。
ここんとこ気になっていた「スピリチュアル」という言葉を例に挙げると、
江原さんがスピリチュアルカウンセラーを名乗ってから日本でもこの言葉が使われるようになった。江原さんがなぜスピリチュアルという言葉をそこに使うかというと、英国のSpiritualist Association of Great Britain でお勉強されたからでしょう。
Spirit-ism、心霊学の協会です。
巷でいうスピリチュアルという言葉は「心霊」にまつわることを指していることがわかります。
Spiritを辞書で調べてみると・・・
①精神、心
②気分、精神状態、快活、元気
③気力、気迫、勇気、熱情、気質、気性、心的態度
④(形容詞を伴って)・・・の人
⑤忠誠心
⑥特質、傾向
⑦真意、意図
⑧霊、霊魂、神霊、精霊、幽霊、亡霊、悪魔、妖精
⑨ a 蒸留酒、火酒、
b エキス、エッセンス
巷のスピリチュアルは⑧番に対応する言葉です。スークシュマな次元の話。
一方、我々の現場で使われるSpiritの意味は⑦なんですよ。もっと言えば⑨bに出てくるエッセンスという言葉。エッセンスとは「本質」のこと。ストゥーラ、スークシュマ、カーラナの次元の向こうの話です。
生徒の皆さんの理解のために、これらを混同して欲しくないんです。
Spiritualという言葉を翻訳する時に本当に頭が痛い。
Our spiritual pathとかいうセンテンスを「スピリチュアルな道」と訳すのは言語道断。逃げだわ。
精神的な道と書けば、心理的と紛らわしく、仕方ないから霊性という言葉(物質を超える精神性)とか使ってたんだけど、日本語をよく知らない若い人とかは、勘違いするかも知れない。
つまりヨーガ、ヴェーダーンタで「spirit」とは「本質、真理」のことなんだよね。これから全部「本質、真理を求める道」って直すわ。
・・・と、このようにですね、言葉一つとっても色々な次元での意味を持っているでしょ。
複数の次元のリアリティーがある。
リアリティーの奥行きについて理解がなければ、自分の傾向という一方的な立場から、様々な誤解をするでしょう、ということです。
この、相対的な世界において、良心は一つではないんですよ。
いろんな立場の良心がある。
みんながそれぞれの良心と正義を一生懸命に守ろうとしているんだよね。
それぞれの幸せの為に。
だから戦争が起こる。
どっちが悪いとかの話じゃない。
だって、みなが相対的なリアリティーから世界を見るのであれば、それば当然起こって来ることだもん。
この勉強は、相対的なリアリティー=対比の世界の向こうにある、絶対的なリアリティー、万物共通の意識の追究なわけですよ。
たとえ知的な理解だけだとしても、頭の中でシミュレーションが出来る。
「こちらが正しい」「あちらは正しくない」「私は○○については認めない」みたい主張が、どれだけ虚しいことか分かる。
毎年、夏になると、やはり戦争のことを思ってしまいます。
なんかねー、結局、その辺のところが気になる為に、私はこの仕事してる気がするんだな。
人類の思考の望遠鏡。
願わくば、
互いの違っているところ(ウパーディ)に焦点を合わせるのではなく、共通する次元(アートマーの本質)に焦点を合わせられないものか、と。
学術的なこととか、聖典の細かい部分とか、細部に興味もあるし、個人的に知的欲求を満たしたい気持ちもある。だれど、そればっかりに捉われず、みんなに伝えるべき大義がちゃんと伝わるようにしないと・・・。
勉強のための勉強みたいなことにならないように。
みんなが幸せになるにはどうしましょうか、と。
それはともかくとして、この夏も一緒にそんな勉強をしてくれた素敵なみんなに感謝です。東京チームも頑張ってますよ!
ちなみにスピリットの語源は、ラテン語の「息」。プラーナ(息)がブランマンの顕れと言われるのと同じことでしょう。
この三か月通しての主題はですね、ひとつの事柄にも複数のリアリティーがあるということでした。このことを理解しておかないと、ヨーガやヴェーダーンタの勉強は勘違いの温床になるからです。
・・・といっても、「このこと」自体を理解するのは、やはり簡単ではないのかも知れないんだけどね。
みなさんが、多岐にわたるワークショップやレクチャーに、いろいろと足を運んで、その結果モヤモヤっとする、その原因は、ここんとこにあるんじゃないでしょうか。
「このこと」に関する自身の理解の欠如、もしくは教える側の理解の欠如、両方があると思います。
先日、ここで書いたマエストロ・ミゲルの歌のレッスンでね、身をもって痛烈に感じたことは、「知的に理解してるのと、知識と一如であることは全く別の話」ということでした。
主体と客体のヨーガ(融合)は、いやはや、「言うは易し」ですよ。
話が逸れた。
多様な次元におけるリアリティーの話。
ここんとこ気になっていた「スピリチュアル」という言葉を例に挙げると、
江原さんがスピリチュアルカウンセラーを名乗ってから日本でもこの言葉が使われるようになった。江原さんがなぜスピリチュアルという言葉をそこに使うかというと、英国のSpiritualist Association of Great Britain でお勉強されたからでしょう。
Spirit-ism、心霊学の協会です。
巷でいうスピリチュアルという言葉は「心霊」にまつわることを指していることがわかります。
Spiritを辞書で調べてみると・・・
①精神、心
②気分、精神状態、快活、元気
③気力、気迫、勇気、熱情、気質、気性、心的態度
④(形容詞を伴って)・・・の人
⑤忠誠心
⑥特質、傾向
⑦真意、意図
⑧霊、霊魂、神霊、精霊、幽霊、亡霊、悪魔、妖精
⑨ a 蒸留酒、火酒、
b エキス、エッセンス
巷のスピリチュアルは⑧番に対応する言葉です。スークシュマな次元の話。
一方、我々の現場で使われるSpiritの意味は⑦なんですよ。もっと言えば⑨bに出てくるエッセンスという言葉。エッセンスとは「本質」のこと。ストゥーラ、スークシュマ、カーラナの次元の向こうの話です。
生徒の皆さんの理解のために、これらを混同して欲しくないんです。
Spiritualという言葉を翻訳する時に本当に頭が痛い。
Our spiritual pathとかいうセンテンスを「スピリチュアルな道」と訳すのは言語道断。逃げだわ。
精神的な道と書けば、心理的と紛らわしく、仕方ないから霊性という言葉(物質を超える精神性)とか使ってたんだけど、日本語をよく知らない若い人とかは、勘違いするかも知れない。
つまりヨーガ、ヴェーダーンタで「spirit」とは「本質、真理」のことなんだよね。これから全部「本質、真理を求める道」って直すわ。
・・・と、このようにですね、言葉一つとっても色々な次元での意味を持っているでしょ。
複数の次元のリアリティーがある。
リアリティーの奥行きについて理解がなければ、自分の傾向という一方的な立場から、様々な誤解をするでしょう、ということです。
この、相対的な世界において、良心は一つではないんですよ。
いろんな立場の良心がある。
みんながそれぞれの良心と正義を一生懸命に守ろうとしているんだよね。
それぞれの幸せの為に。
だから戦争が起こる。
どっちが悪いとかの話じゃない。
だって、みなが相対的なリアリティーから世界を見るのであれば、それば当然起こって来ることだもん。
この勉強は、相対的なリアリティー=対比の世界の向こうにある、絶対的なリアリティー、万物共通の意識の追究なわけですよ。
たとえ知的な理解だけだとしても、頭の中でシミュレーションが出来る。
「こちらが正しい」「あちらは正しくない」「私は○○については認めない」みたい主張が、どれだけ虚しいことか分かる。
毎年、夏になると、やはり戦争のことを思ってしまいます。
なんかねー、結局、その辺のところが気になる為に、私はこの仕事してる気がするんだな。
人類の思考の望遠鏡。
願わくば、
互いの違っているところ(ウパーディ)に焦点を合わせるのではなく、共通する次元(アートマーの本質)に焦点を合わせられないものか、と。
学術的なこととか、聖典の細かい部分とか、細部に興味もあるし、個人的に知的欲求を満たしたい気持ちもある。だれど、そればっかりに捉われず、みんなに伝えるべき大義がちゃんと伝わるようにしないと・・・。
勉強のための勉強みたいなことにならないように。
みんなが幸せになるにはどうしましょうか、と。
それはともかくとして、この夏も一緒にそんな勉強をしてくれた素敵なみんなに感謝です。東京チームも頑張ってますよ!
ちなみにスピリットの語源は、ラテン語の「息」。プラーナ(息)がブランマンの顕れと言われるのと同じことでしょう。