もうすぐ9月。
8月は関東の中でも夏が似合いそうな所に連日お邪魔してきました。この二日間の生徒さんとの接触はですね、非常に大事なことを再認識させてくれましたね。実に深い意味で。
横須賀では、みんなの「ヨーガライフプランニング」というタイトルで、願望を、文字として書き出す=言葉にすることで、頭の中の整理を試みたのですが、思いのほか、沢山の方が集まって下さり、時間の関係で我ながらちょっと詰めが甘かったので、補足も含めて振り返ります。
さて、当日。
これから小難しい話をするってことがバレないよう、こんなイラストを用意していきました。ふっ・・・。「あ、今日は塗り絵か〜!」とみなを油断させる・・・もとい頭の拒否反応が起こらないよう、脳みそ騙し騙し作戦。
最初に「自分ではないもの」について説明した上で、
願望(③)を書き出していただいた。
次に、何故そう思うのか(②)を、遡って書いていただいた 。
更に、願望を実現する為に、具体的にどんな行動を取ろうか(④)、書いていただいた。
ここで詰めが甘かった点を告白すると、
何故そう思うのかの、そのまた何故そう思うのか(①)を書いてもらう時間がなくなっちゃったことですね。だいぶ駆け足になっちゃった(笑)。駆け足すぎて、皆さんの腑に落ちなかったことと思います。すみませんでした。
①から④まで番号をふってあるんですけど、実は数が大きくなるほど、具体性が強まるんですね。 逆に数が小さくなるほど、属性が減るというか抽象度が増します。
④から①に遡るにつれ、本質に近づいていく、という、そんなチャートだったんです。
だから、ライフプランニングと謳っておきながら、実は④をすれば③が叶うよ、って話ではなくて、③を望むその理由に還って行ってもらいたかったの。
で最後、全てのラインが、一箇所(図の中では女の子の手の中)に集約されるんですけど、その源とは、つまり「私」であり「しあわせ(Ananda)」なんですね。
ということでそういうチャートでした(笑)。
いろんな願望が出てきましたね。
横須賀では
・感情をコントロールしたい。
・イライラするのが嫌だから、心を平静に保ちたい。
といった願望が多かったです。
確かに、心が平静だったら、しあわせを感じやすいでしょうね。
面白かったのは、
・ヨーガをもっと知りたい、死ぬまで勉強したいと、なぜか感じる。
・ようやく長年の子育てを終えて、今、自分のことを知りたいと思う。
これには私も「へえ〜!」と思いましたね。
ヴェーダーンタにおいて、自己の本質は、Sat Cit Ananda という言葉で表されることがあるのですが、本当にCit なんだな〜っ!だからJnana Saktiなんだなあ〜って、感動しました。
そして、
詰めの甘かった点がもう一つ。
あのことをもっとハッキリ伝えておくべきだった。
この授業での私の目的は、感覚的ではない、本質的な幸福感への思考の道筋をつけることだったのですが、横道である落とし穴について、説明が不十分でした。
それは「幸福」と「優越感」は似て非なる別物であるということです。
現代社会の病巣の一つは、まさに、これらの取り違えでしょうね。
優越意識とは、すなわち劣等意識と裏表の関係にあるものです。
「私は、これこれを、こういう風にしたい!」
と思う時、その動機がどこまでいっても「理由ったってわかんないよ」「今、出来ていないからだよ」の堂々巡りの場合、優越感をしあわせだと勘違いしていることを疑ってみます。 それは劣等感の表れであり、劣等感とは「他人との比較、すなわち相対性の中に生きている」ということ。
自らのしあわせが、自らによって明らかである境地のことをヨーガというのです。
しあわせとは、相対的な価値ではない、つまり他人によって証明されるものではありません。
ましては「いいね!」の数とかでは計れませんよ。人間て斯くも無知なものなのです。
しあわせとは、相対的な価値ではない、つまり他人によって証明されるものではありません。
ましては「いいね!」の数とかでは計れませんよ。人間て斯くも無知なものなのです。
例えば、自分以外を理由としてもいいんですよ。
「これが出来たら夫が喜ぶから」でもいいんです。
ただし、更に遡って「なぜかわからないけど夫が喜んだら、私しあわせだから」に、ちゃんと着地すべきなんですよね。
「しあわせ」と「優越感」のすり替わりが起こっている場合には、まずその部分をハッキリさせておく必要があります。その為には、まず他人ばかり見ない。自分をちゃんと見る。ていうか、自分だけをちゃんと見る。そこに優も劣も無いことを理解するまで、ちゃんと。
言うは易しってやつか・・・・でも、きっと出来ます。
女を生きるんでもない。
男を生きるんでもない。
役職を生きるんでもない。
続柄を生きるんでもない。
容姿を生きるんでもない。
女を生きるんでもない。
男を生きるんでもない。
役職を生きるんでもない。
続柄を生きるんでもない。
容姿を生きるんでもない。
私を生きるんです。
今日は、ちょっと、難しい言葉を連ねてしまいましたが、横須賀のワークショップの主旨って、そういうことでした!
また、どこかで、このお話が出来たらいいね。
このあと鎌倉編が続きます!
ばいちゃ!