2015年10月18日日曜日

「日本人は単純で愛に飢えた人々である」

というのは、この「インドは、日本人女性にとって危険なのか」という記事の中で見つけた、実に言い得て妙な言葉。



私も、今まさにそのインドに向かう途中でして家族からも、良い顔されてませんよ、ほんと。

空港のカフェに腰掛けて7時間。もはやお尻が痛い。でも、日本やインドにいると、なかなかブログが更新出来ないので、こういう宙ぶらりんの時間を持てることは、なかなかどおして、サイコーですか?サイコーです!って感じです。

さて、話を戻しますが、ここ数ヶ月モヤモヤしていた件と根底に通じるものがあると思って、テーマは違うんだけど、この記事をブックマークして置いたんです。



というのはですね、春に、こういう話があった。

人づてに、知ってる子が「インドの都市で現地の男とヨーガスタジオしにインドに渡る」とキラキラしている。という話を聞いたの。

その人曰く「アーシュラムにいるときに、日本じゃない場所でスタジオをするというヴィジョンが見えた」と。

で私はというと、

「その話大丈夫?というか99%駄目なほうのやつだよ?」

と思ったんだよね。

しかし、本人から直接打ち明けられた訳でもないし、私は何をするでもなく、時が過ぎ、やっぱり駄目だった、という話をまた風の噂で聞きました。可哀相に、精神的にだいぶしんどい目に遭われたと・・・。

おいしい話に、とても引っかかりやすい日本人女性。

記事の中で、

「日本人は単純で愛に飢えた人々である」と日本人妻を持つインド人が表現していました。だまされやすい性質を説明するわかりやすい言葉かもしれません。「純粋」と置き換えることもできます。人にだまされた経験がなく警戒心がないのは日本人共通の国民性であり、それをインド人は知っているということです。

と書かれているのですが、それを知っているのはインド人だけではないでしょう。

もはや地球のスタンダードだよ。

特に、私がヨーガ周辺でよく見かける日本人の女の子達は、地に足がつかないというか、夢見る夢子ちゃんなんだよね。

で、ふわっふわの夢子ちゃんが、地に足の着かない夢男くんにひっかかった場合が問題。


女の子「どこか外国でヨーガを教えるヴィジョンが見えたの」

男の子「僕も地元でスタジオを始めるヴィジョンがあるんだ!それなら一緒に初めないか?」

女の子「あのヴィジョンは、このご縁のことを示唆していたのね!やりましょう!」


という話において、


女の子「外国でヨーガを教えられるようスポンサーが現れたら良いな。」
    (インドの都会のボンボン=土地やコネあり)

男の子「同じヴィジョンを持った強力なスポンサーが見つかった!その話乗ります!」
    (日本人=大金持ち)

女の子「その話、乗ります!」

とお互いが、自分のねがっていた美味しい話が雲のように漂ってくることを夢みていて、

インドの都会のボンボン=甘やかされて口ばかり達者なアホンダラの可能性大

日本人=殆どの人がお金持ちではない

という現実を見逃しているのよ。

純粋という点においては、双方似たもの同士だってことなんでしょうけど・・・。

ちなみに、面白いことに西洋人の女でこの手の話は聞かない。
逆に、アタシが経済的に面倒見るわよ!って本当に面倒みちゃってる人が多い。


自分の足で地球を回転させるようなさ、そういう地に足踏みしめて、アースを繋いどくような、そういう生き方が出来た上じゃないとさ「浮き雲サーフィン」は危険極まりと思うんだ。

テクノロジーが進化して、いろんなことが、バーチャルになっているってことの弊害なのかも知れないけど・・・

知らない人のバイクの後ろに乗ったらいけないよ。

知らない人にお菓子貰ったりしたら駄目だよ。

ってこと忘れちゃってるんだよね。


この手の「乗っかりたい」系女子は日本人に圧倒的に多い。
結婚を「永久就職」って呼んじゃう文化だから、昔から乗っかり系なのかも知れない。




とくに、インドをふらふらしている女の子のいう

「わたしはヨーガに生きたい」

「わたしは瞑想に生きたいの」

という言葉の根底には

「わたし楽して生きたいの」

が潜んでいる場合が多い。


お気をつけあそばせ。


かくいう自分も、もれなく「単純で愛に飢えた日本人」なのである。

愛に飢えた自分をきちんと見据えること。

そして、たとえ重くても、地球はこの足で、私が廻します。