2015年6月8日月曜日

名も無い音楽


みなさまこんばんは。シータ万蔵です。

明るい引き篭もりは、相変わらず、地味に楽しく暮らしています。

宣伝活動にアレルギーっぽくなって、いろんなお知らせが後手後手ですみません。

こちらはまあ、なんとかやってるよ〜ってところかな。40代半ばにさしかかる友人たちも皆、体調に変化があったりして、中年街道どストライク入ったってことですよ(笑)。体が新たなセッティングを模索している。

日曜日、静岡からYさんがいらっしゃるということで、急遽、キールタンのクラスを開催したのですが、なんか、ほんと、行って良かった・・・ていうか、やってよかった。皆さんにお会いして、本当に心が安らぎました。


実は、まだ喉が炎症していて、大丈夫なのかと思ってたんですよ。その上、隣室への遠慮もあって小さい声で始めたんだけどね、途中からどうでも良くなって、いつも通りになってしまった。

で、出るじゃん声。

なんだこりゃ?

炎症の喉とは別のところから出てんのか?

そんななか、結局・・・やっぱ私は音楽の血なんだな、ってなんとなく受け止めることができた。なんか安心したんだよね。



賞讃の言葉なのだろうけれど「you are a musician」と言われるのが、私はどことなく嫌だった。30年くらい何らかの形で続けてきた音楽を、振り払い、諦めて、最後は(いくらビジネスがかったるいとはいっても)人様に失礼な形で(バックレってやつ?)離れた後味の悪さが、こびりついていたのだと思う。

バジャンにしても「みんなが出来る。けど、あなたの様には誰も歌えないのよ。これはギフトなんだよ、あなたは音楽家だよ!」と、言われるそれが嫌だった。

でもさ、なんか、もう、そうなんだよ。

自分で言うのは大変おこがましいけど、私のようには誰も歌えないし、それはギフトだし、私はミュージシャンなんだよ。それは本当なんだ。それでいい。

もう後味のことは忘れていいや。ある意味、執着がなくなった。

私が音楽をやるのではなく、私が音楽。


ただいま。

いま帰ったよ。


名も無い音楽が、名も無い楽器と、名も無い体を奏でて、名も無い歌がある。私はそういう風に作られた型のロボット。


愛着なんて無い。

ただ在るが在るだけ。

そうじゃん。

なんて素晴らしいギフト。


8月28日は大阪でバジャンナイト。また寝込まないように体気をつけておかないと〜とか思ってたけど、問題ない。やれるわ。なんて素晴らしいギフト。

教会のパイプオルガンのように、私はただそこに居て、風が通り抜けるのを待っています。



やれます。

そしてその時その場所を特別な空間にする。

ってことで、来て下さい(笑)。

またね!