2013年8月9日金曜日

8月9日に寄せて





この写真、なんだかわかりますか?

いまから68年前の8月9日、長崎市松山町に投下された原子爆弾の、その爆心地です。爆撃後、瓦礫が撤去されてから、誰かが杭を立てたのでしょうね。これは祈念館に展示してあった写真を写真にとったものです。


私は大阪・神戸のプログラムの後に、長崎を訪れていました。目的は、遠藤周作文学館と、原子爆弾の被害者の方への追悼です。



遠藤先生は、私の通っていた学部で行われる文芸学会に、ゲストスピーカーとしていらっしゃいました。当時、私はバカ生徒だったので、いつもなら欠席するところだけど、その回は親友の小説作品が大賞を取ったので出席したのです。

そもそも、私の遠藤周作へののめり込みは、大庭教授というオジさんが、授業の課題に「おバカさん」を選んだんだことに始まりました。遠藤作品は幅広いので子供の頃から読んでいましたが、「おバカさん」の深さにすっかり虜になってしまった。これについて喋り始めると日が暮れるので、またにしましょう。

文学館の建つのは「沈黙」の舞台になった外海の崖の上。



 あの学会の時の先生のお話を、まだ鮮明に覚えています。思えばあの時、既に「深い河」の構想と苦闘されていたのでしょう。お体も宜しくなかったのかも知れません。そんなことを感じさせない語り口で、女子学生達を楽しませて下さった。

遠藤作品の中の、ある普遍性に私は惹かれているのです。その普遍性を私は今、追求し、伝える仕事をしているのです。





翌日は、もう一つの目的地である松山町。

平和公園では3日後に控える追悼式典にむけて会場や展示コーナーが作られ、リハーサルが行われていました。9日にむけて全国から沢山の人々が見学にきており、福島の被爆地から訪れているグループもありました。



平和の泉のまえの碑は、爆撃の体験を綴った女の子の手記。

更に、原爆資料館から、平和祈念館へ。資料館は実に現実的なニュートラルな目線でこの原爆投下を後世につたえる優秀な施設だと思いました。もっと感情的になってもいいとこだと思うけど、感情論に溺れず、実にロジカルです。だからこそ、どうして原爆がいけないか、誰にでも解ると思うよ。それくらい単純なこと。


長崎に落とされた爆弾は、プルトニウム239を原料にしたもので、広島のウラン235よりも強い破壊力を発揮するものだったそうです。爆心地の温度は3000から4000度。熱線、爆風、放射線。


もともと長崎市の中心地に落とす予定だったそうですが、当日、雲に遮られ目標地点を認識できなかったため、たまたま雲が晴れた一点の松山町に落とされたとのこと。施設の職員の方が、近づいて来て教えてくれました。


落とされた爆弾の名前はFATMAN。学生の時にコピーしてたイギリスのバンドの曲名ではないか。もしかして、あれは「太った人」の歌では無かったのかも!ファットマンの模型を見ましたが、確かにビア樽のように太っちょでした。


そして現代の原爆はスリム化。そのくせに威力は広島・長崎どころではない強大さなのです。それが、無邪気な子供たちの頭上にいつでも降り注げる状態にあるということが、どういうことなのか、考えると恐ろしすぎる。



展示を見ながら

「こんなに単純な現実を理解出来ないなんて、政治家ってバカなのかな?」

・・・ってボンヤリ思ってしまった。国のリーダーがこんなにバカで大丈夫なのだろうか。流行の「バカッター」の輩と同じレベルでバカだと思うよ。


この写真の少年は電報配達中に被爆しました。資料館に展示されている人の写真の中で、ご存命の谷口さん。





最後に浦上天主堂に足を運んで、お祈りをしてきました。遠藤周作作品にも描かれたキリシタン迫害、その暁にようやく建った教会です。





被爆のマリアは私の撮ったものではありませんが、その眼窩の暗闇を見て思うことは沢山あります。でもいっぱい過ぎて言葉にするのが難しい。




さて、これを書いている今日は2013年8月9日。

長くなりますが、どうして私が長崎に行きたかったか。
2006年当時のメモです。


2006年8月9日 14:30-16:00
Yogajaya(代官山)Sivananda 90分
※12のポーズの内、サルヴァーンガ→ブリッジ、バックベンド→ウシュトラーサナ

 しかし、私って今でも生徒さんがきちんとポーズ出来ていないと内心「違うよ〜」とイラついているような気が・・・。それやめよう。

 サッチダーナンダのセドナのセンターでTTCを受けた佐世保のミミ・ライトさんがいらした。今日8/9は長崎に原爆が落ちた日で、平和の祈りを込めてチャンティングしたら、全身に鳥肌。なんだこのかんじは。ミミさんのバイブレーションとシンクロしたのかしら。


何千クラスも教えて来た中で、「2大ヨーガの神様降りたクラス」の一つ。

あの日、朝起きて、ああ、今日、長崎の日だから、これは生徒に言おう。それで少しでも黙祷しよう、って思っていたの。

今でも忘れられない。あの時、全身が毛が逆立った。ものすごい遠方からクラスを受けに来てくれたミミさんという女性の顔も名前も、しっかり覚えています。ご実家は東京だけど、アメリカ軍人に嫁いだ為に遠方に住んでいたと記憶しています。

ただ・・・今日の今日まで、ミミさんは山口県から来たって思ってたんだよね・・・。

今回の長崎から帰宅して、たまたま当時のノートを開いたら「佐世保」と書いてあった。佐世保は長崎ですが、当時は佐世保=山口県だと思ってたんだよね。バカだった。


とにかく、あのゾゾゾ感は、その日を、人生の中で決して忘れることが出来ない一日にしてしまう位のインパクトでした。頭髪も逆立ったのではないでしょうか?


あれから7年を経て、ようやくこの足で、彼の地を訪れる事が出来た。原爆の被害でお無くなりになった方のご冥福を、永劫にお祈りいたします。そして、同じ悲しみを二度と巻き起こさないように、ずっと。


・・・とここまで書いていて、思い出したんだけど、大庭教授はただのオジさんではなくて「君の名は」で有名な映画監督だった。ネットで検索してみたら、先生の代表作は「長崎の鐘」だそうだ。


結局、私は、いろんな人の姿形をした何かに、導かれてるだけなのかも知れない。


現在、この地球上にスタンバイしている核兵器は17300発。プラス兵器に転用可能な原子力発電施設たち。


存在する限り使われる。


ミミさん、お元気ですか?今はどちらに?またどこかで会えたらいいな。