名前は忘れちゃったけど、ある王様が亡くなる時ににヴィシュヌ神が「二つの選択肢をあげるから選んでいいよ」と言うですよ。
①「貴方を天国に送ります。ただし悪い人たちも一緒に送ります。」
②「貴方を地獄に送ります。ただし良い人たちと一緒に送ります。」
・・・で王様は地獄を選ぶわけですね。ヴィシュヌが驚いて理由をたずねると王様はこう答えるんですね。
「悪い人間と一緒に行こうものなら、天国だって一瞬にして地獄になります。また地獄とて、良い人々とともにあれば、それは天国と同じです。」
これは考えてみると、とても現実的な話だと思うんだよね。
多少なりとも影響力のあるブログという場において、こういうことは書くべきではないのかも知れないけど、一市民として書いちゃうわい。
これまでも我々は、妬みや、やっかみや、お金がらみの貪欲さによって、「はあ?」というような迫害にあってきたし、正直、まだまだあるんですね、「まじ、引くわ~。まったくどいつもこいつも・・・・」ってなことが。
100人中100人が困惑する状況のなかで、私が心の平和を保つどころか、それ以上に極めて幸せな気分で居られるのは、例えここが地獄だとしても、一人の「良い人」がいるからなんですよ。
グサッときたり、が~ん!となったりしていると、「その人」がその辺で「中傷に耐え、侮辱に耐えるのが、至高の修行~♪」(作詞作曲:スワミシヴァナンダ ※もちろん英語)鼻歌機嫌で歌い出すのです。
それで「はっ!いかん!そうだった、そうだった!」と自分を引き戻す。
今、一時的ではあるものの、嫌なポリティクスの犠牲になって、気の毒な貧しい娘、みたいな役回りをしているんだけど、そんな昼下がり、窓の外から、誰かがこっそり呼ぶので出てみると、「その人」からのお使いだった。ある物と伝言が一緒に届けられました。詳細は内緒だけど、その人の思慮深さ、慈悲の深さに、私は部屋で一人泣いてしまいました。
「その人」の名前は、Swami Govindananda Saraswati。
母ライオンのように教えを叩き込んでくれるだけでなく、いつも影から守ってくれている。感謝してもしきれません。
今、シャンカラチャーリヤのとある短いテキストを習っているんだけど、「良い人」というのは単に性格の良い人ってことではありません。それは、サッチダーナンダな人です。
今日はダッタットレーヤ・ジャヤンティ・・・ダッタットレーヤの誕生日でした。一年前のこの日、私はスワミジと一緒にこの村に初めてやって来たんだよね・・・。皆既月食とともに、感慨深い一日でした。
ダッタットレーヤって何かって?じゃ、今度教えるね。
おやすみ。よい夢を。