2011年8月21日日曜日
しーたらん子に言わせろ!
今日は、呼吸のワークショップで、久しぶりに鎌倉のSUGATAさんに行ってきました。私の印象ですけど、昨今珍しく、運営側と、先生と、生徒のバランスの良い、背伸びせず、地域に密着した、良い感じのスタジオだな~って思います。楽しかったです。ありがとうございました。また行きたいな。
で、帰り道、北鎌倉でふと途中下車をして、ふらふら~っと円覚寺へ吸い込まれ。いつもなら、塔頭や、茶家で喫茶でもするところなんだけど、ふらふら~っと、本堂で少し黙って瞑想してました。そしたら何だか、肩の荷が落ちたような気がする。よっぽど神経すり減ってたんでしょうね。
寺はすごい、っていうか、これが、瞑想の醍醐味なんでしょう。本当に大事なことは何なのか、ふらふら~っと思い出します。瞑想は大事だわ。わかっちゃいるのにすぐ忘れる。
東京で、まず、びっくりしたのは、「あれ、ここ、こないだ震災起きた国だっけな?」ってこと。リアリティーの欠如っていうのかな・・・。良く判らないもの、不安なもの、恐ろしいものを、は無かったことにするという、変なシステムがありますね。異常な速度で変化する商業世界は、そういう「見たくない人」のニーズが生み出したものの様な気がします。地方に行くと、そこまでじゃないんだけど、すごいぜ東京、激しすぎる。
しょせん物質ですから「そこ追求しても、実は空っぽだよ~ん」という「真実」が露見する前に、どんどん次へ、次へと「形」を追いかけてる(・・・ように見えて逃げてる)としか思えん。スピリチュアと呼ばれる「市場」も似たよう現状。これって震災後に加速した現象なのか、あるいは、震災が気づかせてくれたのか。
そこから、脈々と考えていたら、進展して、日本人はどうしてもスケープゴートが必要な国民なんだな、って理解した気がする。根底にある原因はやはり「見たくない」意識でしょう。人から悪く「見られたくない」。人から良く「見られたい」。外部評価が重要で、互いに牽制し合っている社会なんだな。
鬱憤たまるがなっ!
私も、だいぶ勝手に生きているけど、それでも、帰国後、色んなことを人に、社会に合わせようって、無理してたんだと思います。利権争いのトバッチリ食ったら、一応気を使って、巻き込まれてみたり。そんなこたぁ、あたしゃ、どーでもいいのにね。
学者さん達もよくいってるけど、日本はコミュニティーとして社会主義的な性質を持っているってことだよね。スローライフって言葉が、流行ったけど、ここでは、なかなか難しいことかも知れませんよ。
人生で一番、びっくりした言葉。
「あなたばかり好き勝手に生きて、許されないわよ。」
ええ~っ!許されないって誰に!?
「許さない」じゃなくて「許されない」ってことは「世間が」ってことだが、つまり「私は我慢してるのに、あなただけズルイ」ってことだよね。みんなこうして我慢を妬みに変えて生きてるんだと思ったら、町が亡霊だらけに思えて心底怖かったっす。でも、これが世間の本音なんだなって判った。
とはいえ、人生、面白く生きにゃつまらん。(まんまか!)
人を羨む必要がないくらい、面白く生きなきゃ。
そして、自分が面白いかどうかは、自分の責任。
それでも、また、私は、肩の荷が重くなっちゃうんだと思う。
そしたら、また円覚寺行こう。