Om Om 皆さまー、お元気ですか?
タイのSitaです。私は元気ですよー。
タイにきてもう20日。どういう因縁か、チェンマイ近く(よくよく計ったら18Kmあった)のサラピーという所に4匹の犬と共に引きこもっている訳ですが、これがまた最高の環境なの。何にもない。ついに明日、私は町に引き取られて行くので寂しいです。引き篭もって何をしているかというとですね、ヨガ教えたりもしますが(教えることからは逃れられない運命らしいです・・・)基本的には私のヴァケーションのつもりです。物書きをしようと思って来たのだけど、結果的に読むばかり。ヒロミダスの書棚から手当たりしだいです。
☆「I come as a brother」バーソロミュー
☆「バカの壁」養老 孟司
☆「Sivananda Yoga」スワミ・ヴェンカテーシャーナンダ
☆「贖罪」湊かなえ
☆「観音力」玄侑 宗久
☆「私は霊力の証を見た」モーリス・H ・テスター
☆「般若心経絵本」諸橋 精光
☆「カイン-自分の弱さに悩む君へ」中島 義道
☆「ホームレス中学生」田村 裕
・・・などなど猛烈な速度で読みまくっています。幸せ。
「バカの壁」など今更読みましたが、向こう側まで突き抜けちゃうくらい頭のいい(?)人達の行き着くところは、なぜか一つだな、ということかな。Vedantaなんですよねー。「バカの壁」は私の立場からすると、最終章に少し意義ありといったところでしたが、言葉の記号性というのは、完全ではないのですから、文化的背景によって使い方、受け取り方が違うことを考慮すると、やっぱり行き着くところは一つなんだと思います。
何十年前かに読んだバーソロミューは、あれ、こんなこと書いてあったっけ、と新鮮で胸を打たれました。
「般若心経絵本」もお勧めですね。Vedantaの言いたいことって結局何なのかわからない、という方、これ読んで下さい。すごく温かい素敵な本。ここまでに仕上げるのに20年かかったそうです。
「観音力」これは面白い。講演の記録ですが、お話がとても面白く、オリジナリティに溢れる言葉を使いながら、結局やっぱりある一つのことを伝えてます。
「ホームレス中学生」。何度読んでも泣ける。美しい素直な心、ここにアリですねー。うう・・・。
そして、やはり何度読んでも泣ける成瀬先生訳の「シヴァーナンダ・ヨ-ガ」。Gurdev Sivanandaが本当に私のすぐ横に、いや、包み込むようにそこに居てくれるような感じがするのですね。先生と一つである気がして、全ての不安や恐れから私を解放してくれる。「ヨーガのことは私の一部分」って思っていたのですが、思い起こせば度々、ヨーガなんか全然関係ないと思われる人とのご縁の中にも、ちょくちょくSivanandaという名前が出てくるんですよ。これはもう、Sivananda先生とは何かしらの縁があるとしか言えません。
各書の中で心に残った文章の一部をずらずらっと書いておきます。
★なぜ生きるのか?という問いに対して、それを知るために生きるのだ、という回答がいちばんすぐれているように僕は思う。「カイン」
★フランクルは一貫して「人生の意味」について論じていた。その結論は」他人が(他との関係が)人生の意味を考える手伝いをする’ということ。例えばガン末期の患者の意味は「その人が運命を知ったうえでとる態度によって、周囲の他人が力づけられる」ということ。「バカの壁(・・・かな?)」※フランクルというのはアウシュビッツから生還した人「夜と霧」の作者です。
★自分の人生をすばらしいものにするために必要な承認は、ひとつだけです。それは、今あるがままの自分を受け入れるということです。勇気をもって自分を見つめて行くことによって、それができるようになります。自分は今のままの自分で全く問題ないのだ、ということを学びます。「命」というものが、今の自分、あるがままの自分を通して表現されている、そのあり方に人は心から感動し、その不可思議さに驚きます。
これは、自分の周りの人に、自分を好きかどうかと聞くことでは生まれません。自分について知るべきこと、その全てをしって、それを心の底から受け入れることによって生まれます。このことを実行するかどうかが、その人の人生の分岐点です。世界中から愛されても、自分で自分を愛さなければ、他人の愛に気づきもしないでしょう。その反対もまた、成り立ちません。自分で自分を愛していたら、他人の拒否などには気づきもしません。自分の心の中で自分を受け入れてください。そうすれば、世界をすべて完全に受け入れることができるようになります。「I come as a brother」
★傷つかないことは、傷つけることよりも、もっと難しい。適合しなさい、順応しなさい、適応しなさい。無礼なことに耐えなさい。侮辱的なことに耐えなさい。「シヴァーナンダヨーガ」
Om Om
See you soon!