2009年12月24日木曜日

みんなのQ&しーたのA


Q. プラクリティとプルシャ、この違いはなんですか?読んでも読んでもわからないんです。

A. まず、インド科学のベースに6つのヴィジョンてのがあるんです。今日の奈良のリトリートでも少し、お話したんですが、大昔の賢者たちは、顕微鏡もレントゲンも無いのにヴィジョンとして直接そのリアリティーを悟っていたんですね。

詳しい記述は端折りますけど、1と2は原子について述べています。フィジカルな宇宙のリアリティーを説いてるんです。5と6はスピリチュアルなリアリティーを説いており、ここいらが(特に6が)インド思想の目指すところなんですが、粗大から微細へテーマが移行しているわけです。

で、問題は中間の3と4。これらは言ってみれば、アストラルな領域についてのリアリティーを科学したものなんですが、私たちの目線から言うと、つまり心というものをどの様に制御するかという話題です。4は御存じのYOGAですね。そして3がSANKYHAといって、プルシャとプラクリティの二元論が主に述べられているのはここです。

YOGAを含むこのインド思想の流れの行きつきたい処、結論は最終的に6の一元論なのですが、「全ては一つ」であるということを伝えるために、まず方便として二元論があるわけです。

以上小難しくて分かりにくいと思いますが、背景としてお伝えしただけですので、軽く流しといてくださいね。


で、プルシャ、プラクリティです。

簡単にいうと語弊があるかもしれないけど、このサンキャっていうのは、フィジカル~アストラルな宇宙がどの様に発生したかを定義しています。それによれば(私なりの言葉を使うと)、初めにプルシャ(静的エネルギー)とプラクリティ(動的エネルギー)の二極があって、これらが互いに作用しあうことによって、本来、完全であり安定した世界に揺れ(?)が生じ、様々な属性、性質が発生していく、という定義になります。

プルシャ(見る者)プラクリティ―(見られるもの)とか言いますけど、静観するエネルギー&創造するエネルギーとでも言いましょうか。それぞれは、単体では何も起こしません。

またもや乱暴な例え話をしますが、足が不自由で歩けないけど目が見える人と、歩けるけれど盲目の人がいますね。それぞれ、銀座に行きたいけど、二人とも個人では行けない。一方は、歩けないから進めないし、一方は、見えないから道を行けない。何も起こりません。


でも二人が出会って、盲目の人が足の不自由な人をおぶったらどうでしょう。目の見える方が、方向を指示し、歩ける方が、銀座に向かって歩けば、ことが起こるわけですよね。

こういう風にして、ことが起こって、初めて世界に色や匂いがついて、あるいは音が発生して、形が現れて、性質が出来てくるよ、ってことです。プルシャとプラクリティっていうのは、相対的に見たら、そういうことかな。でも二つは一つなんですよ。おんぶの二人みたいに。簡単に言うとこんなとこかな。

いつかどこかでお会いできたら、じっくりサシで説明したいです~。うずうず。

良いクリスマスをお過ごしくださいね。


Sita